永らくブログやSNSを留守してしまいました
精神的にも 体調的にも 時間的にも
ギリギリいっぱいな日々がつづいていました…
PCを起動することができない 移動中にスマホをいじることが出来ないほど
毎日ヘトヘトだった上
不調なスマホを初期化して 環境を復旧するのに時間が掛かってしまいました
2月末 六太のWeb学校卒業を待っていてくれていたかのように
パートナー氏の父が亡くなりました
葬儀の時も気丈に振る舞っていたパートナー氏の母ですが
やはり長年連れ添った夫の死 泊まり込みの看病で疲れがたまっていたのか
葬儀の二週間後に胃潰瘍が発覚
緊急入院してしまいました
パートナー氏の父葬儀の数日後
精神障害者専用の就職エージェントさんから紹介を受けた会社は
戸越銀座にある外資系の郵便機械の会社
数度にわたる面接を進めて頂きながら
パートナー氏の母の退院のお手伝いなどで神戸を往復する日々
体力的にかなり厳しい状態でした
紹介された会社:戸越銀座までは
ドアツードアで2時間くらいかかります
出来るだけ通勤時間が短い場所
それが叶わないなら下り方面の会社を希望していたので
お断りするつもりで初回面接を受けたんです
ところが(笑)
めちゃめちゃ気さくな人事部長さんとのお話は
フランクな雑談のようだったし
「今日 こういう方(六太のこと:この会社で初めて障害者として面接に来てる人、の意)
が来ているのは“彼”も気になってるみたいで
さっきから部屋の前をウロウロしてるので 呼びますね」って???
引き合わされたのはイギリス人の社長さんで いきなりの英語面接(笑)
なんの準備も出来なかったやんけ~(笑)
でも 二年前にappleを受けた時に比べて
明らかに違うと感じたのは
分からない単語があってもスルーして全体像を掴む
「六太流なんちゃってEnglish」の度胸が戻っていたということ(笑)
イギリス流のシニカルなジョークに乗って ジョークを返せたり
会話の意図するところを摘んで返答したりは出来た
社長の英語が六太にとって分かり易いものだったというのも大きいと思うけど…
それにしても 最初から人事部長と社長面接って(笑)
初めての面接のあとは 営業さんとは会社の近くで分かれて
戸越銀座の駅まで人事部長さんと二人だけで帰った(笑)
その時に 大学での専攻は教育心理学だったこと
ご自身も30代のころうつ病で苦しまれた時期があったこと
現在は中学生のお嬢さんが登校拒否になり オーストラリアにいらっしゃることなどを話して下さった
二回目は 営業さんと人事部長さんと三人で五反田の本屋さんに寄り飯田史彦の著書「生きがいの創造」を買うのにお付き合いしたりした
その後3回の面接を受け 六太がアサインされる部署の上司となる方にもお会いした
外資系PC大手のD社で電話営業を指揮していたという
淡々としたエンジニア気質だけどひょうきんなところもある 穏やかな方
外資系の自由さは持ちつつも
「生き馬の目を抜く」的な厳しさは強くない
ハードウエアの会社で 楽しそう
うつ病に強力に理解のある方がいて下さることが 何より心強い
通勤時間のことを除けば
六太にとっては この上ない条件に思えた
これからもしばらく続くであろう神戸への帰省
底をつく貯金
延々とつづくかもしれない就活……
このまま就活を続けることの方が辛い と感じられたんです
先方にご迷惑を掛けるかもしれないけれど
まずやってみようとハラをくくって
この会社への就職への就職を決めました
いきなりのフルタイム 10時~18時勤務は 3年以上ぶり
下痢や 頭痛 吐き気などの症状にも悩まされ
これらの症状で出勤が危ぶまれた日もあった
一週間を無事やり過ごしても
週末は下痢や倦怠感で 何も出来ずに寝ているだけ…という日々
それでも なんとか1ヶ月間勤め上げられたのは 大きな自信に繋がりました!
通院など予定のお休み以外は 遅刻 早退 欠勤なし!エヘン(*^^)v
それを達成できた5月31日と
初給料日に銀行のスマホサイトで給与の振込額を確認したときには
感慨深く ウルッときてしまいました…
「誰にお礼の言葉ををお伝えすれば良いのか分からないので
〇〇さん 受け取ってください(笑)
皆さんと会社のおかげで ここまで回復できました
ほんとうにありがとうございます」
と 直属のUマネージャーに伝えると
「私にではなく 戸越の神様に言ってください(笑)」と笑っていらっしゃいました
そういえば Uマネージャーが六太のために作ってくださったトレーニング資料の表紙には
唐突に(笑)カメのイラストが添えられていた
「どうしてカメのイラストなんですか?」と尋ねてみると
「ゆっくりやれば良いんじゃないかな~と思いまして」と…
これから先 何か起こるかもしれないけど
この環境なら なんとか乗り越えられるんじゃないかと感じています