PINAS(ピーニャス) 再び
といっても、今度は記憶なくしてませんから。(´人`;
今回は、12月に帰国するLoja(ロハ)の
音楽学校で活動中の隊員が、
レコーディングにピーニャスに来るというので
エクアドル南部で会うのは最後だし、
「レコーディングってどんな風にするんだ?」
と、興味から覗いてきました。
このロハの音楽隊員、バイオリンを教えています。
帰国に際して、お世話になった人にCDを
プレゼントして帰りたいということから
レコーディングをすることになったようです。
しかし、この日程が強行も強硬、
22時ピーニャス着、
おにぎり・ポテトサラダ・味噌汁・玉子焼きの
夕食をとって、レコーディング開始。
10曲を録るのに、朝の6時半でまだ3曲。
大丈夫なのか・・・?と心配しつつも、
私は9時からマチャラで卓球を練習する
約束をしていたから、お暇しました。
ちょっとした音の感じの違い、
リズムのズレが気になるらしく、
『ここまではOK.』
『これはひとまず置いといて、もう一回弾いて比べよう』
『前の方がいい、でもちょっと違和感が・・・』
などなど。
喧々諤々、こだわりがこだわりを呼び、
時々大声で『ケンカしてるのか?』なんて心配するぐらい
言い合うのも聞きました。
何気なく聞いている一曲一曲に、
こうやって時間をかけて、もっともっとこだわって、
心血を注いでいるかと思うと、
ちょっと申し訳ないぐらい音楽を気軽に
聞いてしまっていたような気もしますね。
それにしても、音質レベルはこの環境では仕方がないですが、
こんな簡単に録音ができて、それを編集して、
曲ができてしまうのに驚いてしまいました。
レコーディングの様子はこちら。
ちなみに私は、ビデオカメラで
レコーディングの様子を録ると同時に、
音源を確保するのを少しだけ手伝ってました。
半分寝かかってましたが・・・。(―人―;
(役立たずですいませんでした。)
そう、パソコンのマイクから直接録って、
音楽編集ソフトで編集すれば、曲が完成。
もちろん、雑音を除去したり、バランスを変えたり
試行錯誤を何回も繰り返しながらの大変な作業を
こなすのですが・・・。
世の中こんなに進歩してるんですねぇー。
ノウハウが溢れている日本で、
「“How know(ハウ・ノウ)”から
“Who know(フー・ノウ)”の時代」
なんていわれるのもちょっと頷けるような気がします。
情報が加重積載になっているネット社会では、
だれでも、その“やり方”は簡単に知ることができるけど、
それを本当に使いこなせている人を知っているかどうかが、
もっと重要なことですよね。
なんでも時間さえかければ、マニュアルを読み、使うことはできるけど、
“いいもの”を作ろうと思えば、各分野で高い能力を発揮している人を
集めた方が、一人で全部やるよりいいのは当たり前。
全てを高いレベルで処理できる人なら別ですけどね。
“フー・ノウ”。
2005・11・23
Juanes(フアネス)ライブ
またまた、ライブに行ってきました。
しかも、平日の夜にGuayaquil(グアヤキル)まで。
しつこく何回も書きますが、
私の住む町から3時間です。
翌日は朝の10時半にサンタ・ロサで仕事。
まぁ、グアヤキル7時発のバスに乗れば
間に合うので決行しました。
ライブは20時頃開始ってことで
仕事を普通に終わると18時。
そこからバスを捕まえても
3時間なら間に合わないけど、
16時半からの生徒が、
今週はテスト週間だから来ないって言うんで、
運良く、ライブにいくことができました。
といっても、実は20時半開始予定が21時半に開始。
てことは・・・、もし16時半からの生徒が来てても、
間に合ったってことなんですけどね。
ただ、生徒が来るって言ってたら、
ライブを諦めてたかもしれないので、
不幸中の幸いってことですかね。
この日の行動はこんな感じ。
仕事 14:30~16:00
移動 16:00~19:30
夕食 19:30~20:30
ライブ 21:30~23:00
夕食は、以前紹介した韓国料理屋で食べてきました。
プルコギを注文すると出てきた
エゴマがなんとも食欲をそそり、
さらには、キムチスープ、豚キムチ、ピビンバと
いやぁー、アジア食は体に馴染んでいる責いか、
箸が進み過ぎ、ちょっとお腹が苦しかったです。v(^A^)v
ライブ開場は、グアヤキルのサッカー場。
“Estadio Modelo(エスタディオ・モデロ)”
チケットは35ドルのToribuna(トリブーナ=観覧席)。
マチャラからの往復交通費 トータル約10ドル。
夕食10ドル。
結構な出費になりましたが、
豆粒みたいなJuanesが舞台を所狭しと歩く姿、
ギターをかっこよく弾いているであろう
(というぐらいホントに小さかった)と、
想像しながら、楽しんでまいりました。
一曲だけ聴いたこと無いのがあったけど、
ほかはどれも聞いたことがあり、
ワンフレーズぐらいなら口ずさめる曲ばかり。
Rockみたいな“タテノリ”ではなくて、
サルサやレゲトンなんかと同じ感じで
PニャスのI隊員(=通称アンティ。ん?バレバレ?)の表現を借りれば
“ヨコノリ”でした。イメージ沸きますか?
豆粒Juanesは動画しか撮れてなくて、
公開できず残念です。
Mi Sangre
- Juanes
いやぁー。
バーニョス
12月になると、平成15年度2次隊の皆さんが帰国します。
私は平成15年度3次隊なので、
残り4ヶ月のエクアドル生活になります。
さて、どこの国でもやっているのかどうか、
着任隊員した隊員への歓迎会と、
帰国する隊員への送別会を
各地区でやったりもします。
その一つに参加してきました。
行ってきたのはCuenca(クエンカ)のBaños(バーニョス)。
温泉があり(それ以外何もないですが)、
とても静かでのんびりできます。
海岸地方とは違って、
山岳地方にあるクエンカでは、
すっきり晴れ渡ると、真っ青な空が広がります。
海岸地方では日光浴なんて
暑苦っしくてやってられまへんが、
こっちでは、日差しが強くとも、
気持ちいいもんでした。
さて、泊まってきたのは、
日本の集合住宅みたいなところ。
でも、普通のホテルに比べれば十分過ぎるぐらい綺麗で
、食器もかわいいものが置いてありました。
そして、作った料理はこれ↓。
Sango(サンゴ)。
実はこれは、海岸地方の食べ物。
先日わが町Machala(マチャラ)に来た二人が、
作り方を勉強して帰って、
さっそく腕試しとばかりに作ってくれたもの。
見た目はカレーみたいですが、
プラタノ・ヴェルデ(緑色のバナナ)をすりおろして、
好みの海産物を入れれば出来上がり。
詳しくはこちら からどうぞ。
色が暗いのは隠し味にイカ墨を使っているから。
普通のサンゴは、黄色に近いオレンジ色が多いです。
しかも、唐辛子をちょこっと加えてあり、
ピリ辛具合も最高にうまかったです。
温泉に入ったり、マー○ャンなんかをして
夜は更けて明けていきました。
帰国する15-2の皆さんの
残り少ないエクアドル生活を何事もなく過ごして
、無事に日本に到着することを祈ってます。
コレヒオ・ナショナル・ドクトール・モデスト・チャベス・フランコ
この長ったらしい名前。
実は、週に2回・4クラスに
卓球を楽しむ時間(授業と呼ぶにはおこがましい)を
作ってもらった学校です。
ちなみに、ローマ字で書くと
Colegio Nacional Dr.Modesto Chavez Franco
こうです。
さらに、訳すと
モデスト・チャベス・フランコ(人名)国立学校
(日本で言う中学・高校一貫校みたいな6年制の学校です)
ここで卓球を取り入れてもらうことになったのは、
この人↓のおかげ。
ホワイトボードに書き込んでいるのが
マルロンブランド(これが一つの名前。苗字は別)。
彼は体育の先生で、サンタ・ロサ・スポーツ協会でも働いている。
そんなこんなで、所属先の事務所の前で練習をしている私は
彼とちょくちょく顔を合わせることもあり、
彼の気さくな性格もあり、
この学校で“楽しむ時間”を取り入れてもらえることになった。
卓球台は1台。生徒は1クラス約40人。
男子・女子に分かれて、さらに5人組のローテーションにしたり、
一人一回はラケットをもって遊び、
少しの練習もできるようにしてみました。
ここから、本格的に練習しに来る生徒も少し来ましたが、
1カ月も継続できませんでした。
学校のFiesta(お祭り=学園祭・体育祭みたいなもの)やテストなどで来なくなり、
そのまま二度とこないか、
1カ月後など忘れたころにぽっと戻ってきたりします。
こっちの思いなんて、ぜーんぜーんわかってないけれど、
まずは卓球を知ってもらうこと。
これで良いような気もします。
さて、次回は卓球の試合ビデオを見てもらう予定です。
卓球とはほんとはこんな風にプレーするもんだということを見てもらって、
特に女の子には(女子選手がエル・オロ州にはいないため)、
本格的に練習したいと思う子が出てきて欲しいもんです。
さてさて、どうなることやら私の卓球外交。























