llllllll-雲








これは、歳をとらないと分からない感覚なのかもしれない。


世間は、嫌なことの連続と嘆くばかりだが、はたしてそうだろうか。


よくよく振り返ってみると、ある法則に気付く。つまり、悪い事すら教訓に代わる、時間とともに、熟成するものがある、あれがあったから今のこれがある、みたいな。


歳をとると、過去におけるつらいこと悲しいことだって、全部美しい快感に昇華させる力が付く、みたいな。


人間の考えた価値、基準など、あてにならんということに気付く瞬間があるのだ。


時間という魔術が、すべての記憶を熟成させ、芳醇なワインにしてくれることに気付く。ならば、なにも目先の善し悪しだけですべてを判断する必要などないじゃないか。




歳を重ね、人は丸くなる。


人が丸くなる、というのは、「諦観」ばかりではない。フレッシュな新酒が、時と共に芳醇なワインになることを知るからこそ、芳醇なワインほど美味いことを知っているからこそ、落ち着いて、来るべき未来を信られるのだ。




先人が「いずれ分かる」という言葉をよく使うのは、時間という魔術をしてすべてが芳醇となることを、知っているからだ


思えば俺だって15~6のころのセンチメンタルな気持ちを、誰かれ構わず最高の正義だと思って振りまいていた。


それを否定はしまい。急ぐに越したことはない。ただ、45になってようやく、そればかりではないことに気付いたのだ。


ちょっと遅すぎたろうか。








前回の息子の携帯 の続きです。






毎朝、息子の携帯に何かしらの事件が潜んでいないかチェックするのが好きだ。


何故ならば、奴は暇さえあれば、携帯のボタンの組み合わせで何が出来るかを探っているからだ。


今日はどんな発見があったのか、明日は何を見出すのか。


たった1年ちょっとの人生の中で、携帯という機械の可能性を、ただただ興味本位で暴いていく様を窺がうのは、見ているこちらも楽しいのである。


楽しいと言うより泣く。


例えば、待ち受け画面が、わんちゃんの写真から息子の顔写真にすり替えられていた。



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なんと、自分で自分を撮影!
しかしまあこのレイアウト、このたたずまい、ダリっぽい感じも否めない。


顔の右横「棒人」もナイス。




そして、電話帳に、

あらたな人名が登場!




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か。


中国人と思いきや、ひらがな表記。

かつ、電話番号無し。 ミステリアス・・・

忍者の用いた秘密の通信の様にも感じられるが・・・



次を見てみよう。







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格差社会



電話番号はシークレット

一文字が続くと、忍者というより旧日本帝国軍の暗号みたいだ。



そして、次なる人物は・・・




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まぬま°ぬなかな0ゆ」



やわにく


「マヌマヌ ナカナユ 柔肉」なんだか分からんが美味そうだ。


往年の漫画「エコエコアザラク」に

萩原朔太郎の詩


「のおあーる

 とおあーる

 やわあ」を


掛け合わせた風でもある。


たぶん、すんげえ適当にボタンを押しているうちに、この境地に至るのだろうが、あまりにも出来過ぎ





次なる人物は・・・

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これは「もうヤダ~」マークと呼ぶらしい。
Moyaderさん、

息子を

よろしく。


(どこの国の人だろう・・・)








少しづつ息子の友達が増えていく様で、明日はどんな人物(?)が増えているのか楽しみである。
確かなことは、友人たちの顔ぶれが、実に国際的ということだ。







夕陽の向こうに線路は続いていた。単線の線路を西に向かってコトコト走るのは見たことも無い気動車で、行き先表示には「高麗川」と書かれていた。子供心にも地名がエキゾチックで、ディーゼルの黒煙を吐きながら夕陽に突き進む気動車は、きっと外国に行くのだとばかり思っていた。実際には、高麗川は埼玉県西部の秩父に近い町に流れる川に由来する駅名だ。それをはっきりと認識したのは、中学校にあがってからの事で、それまで俺にとっての「高麗川」は外国であり、いずれ訪れる神聖な場所なのだと運命じみた事を思い続けていた。
初めて高麗川に行ったのは秩父三十四箇所参りを始めた中学2年生頃の事で、何故そう思ったのかは今となっては判らないが、恐らく高麗川を避けて秩父に行くのが罪な事の様な気がして、幼い頃に「外国に行く列車」だと思っていた川越線に乗ったのだろう。
川越線は、ここが都内通勤圏だとは思えないほどだだっ広い、刈入れ後の茶色い田んぼの中を突き進んだ。エンジンの音が高鳴り、高鳴ったかと思うとぷつんと途切れ、レールの継ぎ目を車輪が踏みつける小気味良い軽い響きを立てた。
駅からどの位歩いただろう、あてずっぽうに歩いていると、丘の上に社が見えた。何も考えずたどり着いたそこが高麗神社だった。見渡す限り誰も居なかった。神社を謳っているのだが、俺が知っている神社の形式とはつくりが全く違っていた。思い描いていた高麗川は、やはり日本じゃない、どこか知らない遠くの国だった。祀られている神は遠い異国の神だった。
ひとしきり社を見て、それから丘を下った。下ったそこに墓があった。日本の意匠ではない、不思議な形状の墓だった。墓前に進むと誰かがいてぎょっとした。それは、額づく白装束の男だった。歳の頃は25歳くらいの清潔な青年だ。地面にひれ伏すその姿は、いつかテレビで見たチベットの僧侶の五体倒地にそっくりだった。そのありさまをしばし見ていると、男は不意に立ち上がり、おもむろに俺を見て微笑んだ。
「ここは綺麗な土地でしょ?」
挨拶も抜きに男は問い掛けたが、不自然な感じは少しもしなかった。
「あの山の向こう側が秩父だ。君はここが外国の様だと感じているかも知れないが、秩父だって外国みたいなものだよ。外国と言うより、この世のものではない、と言うべきか。むしろ西方浄土だ。秩父に続く高麗川は浄土の入り口と言ってもいいだろう」
訊ねてもいないのに、この人は俺が訊きたい事を先回りして答えた。
「何故ここは俺が知っている日本と違う雰囲気がするのですか?」
「日本じゃないからだよ」
彼は石段を、俺が来た方向とは逆に、社に向かった。俺も一緒になって彼の後ろをついて行った。
「日本じゃなければ、ここは何処なんですか?」
「高麗川だよ。ここは高麗川という国だ。君が幼い頃から思っていた高麗川さ。君が夕陽の向こうに思い馳せた、そのまんまの高麗川だよ」
「ここは地続きの日本ですよ」
「子供の頃は地続きだなんて思っていなかっただろ?考えてご覧?日本ってくくりは大きすぎる。土地土地に独特の魂が宿っているのだ。きっと君の土地だって、日本と呼ぶにはあまりにも独特な魂があるはずだ。これから先の君にとって役立つだろうから教えよう。国にこだわるな。大きなものに呑み込まれそうな、小さな何かを大切にするといいよ。どうも君たちはそれをおろそかにし過ぎるからね」
そう言うと履物を脱ぎ、社に上がって行ってしまった。
社の入り口でぽかんと突っ立っている俺に、建物の内側から彼は大きな声で言った。
「そうだ、君は運がいい。もう一度墓まで下って、墓の向こう側に行ってご覧?宮司が居るから、俺たちの住まいを見せてもらえばいい」
訳も分からぬまま墓まで下って、その向こう側を見ると、茅葺の小さな家屋が見えた。その前に進み出ると「重要文化財 高麗氏住宅」と書かれた札が掲げられていた。
「おや、お一人でご参拝かな?」
はたきを持った宮司が中から現れた。
「ここは何ですか?」
「これはね、ご先祖の家だよ。定期的に掃除しているんだ。普通一般人は中に入れないんだけど、掃除の最中だし、内緒だよ?中を見るかい?」





   llllllll


人生は劇場型

いいじゃん。





       llllllll




俺たちのところに


産まれてきてくれてありがとう


君の美意識が何かを導くなら


それはたぶん正解だ


俺にもその良さを教えてくれないか





1987年夏のことを、ブログに書くと思う。

なぜ書くか。

1987年夏は、もう来ないからだ。

忘れたくないパーソナルな記憶が、いつまでも俺を支配する。その支配力は、今の俺の原動力となっていると言っても過言じゃない。

1987年夏、すんげえ美人に告白して振られた。だからと言って、恨みつらみを、押し売りみたいにだらだらと述べるつもりはないんだぜ。

これから「一生の思い出作り」をしたい人には是非伝えておかなければならん!と思うところあって、書くのだ。

歳を重ねた者の義務だ。

テーマにしたいのは、「やろう、うん、そうだ、やりますとも、是非やろうじゃないか」という情熱は、歳取ると失われやすくなる、ということである。

お前、何かをしようと思って(たとえば、海水浴に行こうと思って)すぐに行動に移せるだけの、行動力、計画性や人脈はあるか?

たとえば、好きな女の子(もしくは男の子)がいて、その人を海水浴に誘えるほどの肝っ玉は座っているだろうか。

それを述べたい。

いいか、心に思い描く理想は、実現可能なうちに実現せよ。

後で、ではなく今やれ。そうでなければ、それ以上のステージには進めない。魂のランクアップは難しい。

すんげえ美人のあの子を誘って、海に遊ぶのだ。そして、隙をみてやっちまえ。

何かしら告白めいたことをするのは、その時は心臓バクバクかもしれないが、あとになってみるといい経験なんだぜ?そして、そんなことができるのは、若いうちだけなのだ。歳取ってもやれるだろ?とかは無しだぜ?歳取ってからの告りは、汚れっちまってるのよ。そもそも、若いうちにやるから免疫が出来るんじゃないか。

お前が俺くらいになれば、きっと理解してもらえるよ「あのときあの海で告っておいて良かった」とか「やっちまってよかった」とか。

やっちまってよかった、ってのは、その後の彼女(もしくは彼氏)との関係が確約されるものでもないけど、でも、やるのとやらないのとでは、やったほうが良いに決まっているのだ。(合意が無ければレイプだが)

相手の子には悪いが、やった事実は一生ものだ。

お前、まず告っちまえ。告られて悪い気がするやつなんて居ないさ。大丈夫だ。

最高のシチュエイションで、夕日が海のかなたに沈むタイミングで告っちまうのだ。それで玉砕してもいいじゃないか。遅かれ早かれ玉砕する運命だった、それが早まっただけのことだ、って思えばいいさ。

玉砕のことより、そのタイミングで告白出来た、その思い出が、お前を強くする。

俺にだってそんな出来ごとのいくつかはあったさ。

そのひとつが1987年、夏なんだ。

昔のDVDを見て、うっかり思い出しちまった。だから1987年のことを書く気になったんだ。

・・・言われなくてもやってるよ、って思ったか?違うぜ、海に行かなきゃ意味がないんだからな?海に行かないでそんなことをするもんじゃないぜ?クラブとかバーとかはだめだ、海だから美しいんだ。

どうせなら思い出は、美しいビジュアルでもって抱えていたほうがいいだろ?

いいに決まってるんだ。

だめもとだぜ。誰も損しないんだから、やった方がいいに決まってるんだよ。








息子には、じいちゃんからオモチャ代わりにともらった携帯がある。


まだ1歳半の息子に、携帯の何たるかなんてわかるはずもない。







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わかるはずもないはずなのに、奴は結構、やってくれる。











たとえば、携帯を持つといつも「耳にあてる」のではなく、「肩にかつぐ」ふうにして





「どじょー」





とか言っている。





誰も教えないのに、なぜ「どうぞ」なのだ?





誰も「どうぞ」なんてふうには電話しないのだぞ、息子よ。





明治の昔より、電話は「もしもし」なのだ。





どうぞ、と言うのは無線機だぞ80年代にはおおいに流行ったが・・・





チェック・・・ 再度チェック・・・ ファイナルチェック・・・ とかなんとか言って。





その「どじょー」は、誰に教わったのだ?











それに、息子よ。





お前の携帯の「電話帳」を見たら、誰かの名前が入っているじゃないか。







llllllll-賀来 奈々香





賀来 奈々香さん





隅に置けないやつだ。お父さんが会ってあげるから、今度家に連れてきなさい。





電話番号は35番お前の彼女は明治時代か?





何気に二つ目の番号もあるのが気になるのだが・・・・







llllllll-kaku nanaka


###・・・ シークレット。





短縮の短縮の短縮みたいで謎めいた感じが、おとうさん、結構気に入ったぞ。











そして二人目、これまた難しい。







llllllll-テニスマーク





テニスの絵文字じゃないか。なんて名前なんだ。





発音の仕方も難しいが、よく見ると、#の並んでいる様は、まるでテニスコートのネットである。





高貴な感じがして嫌いじゃないぞ





新手の花札にも見えるな。

















3人目・・・いよいよ佳境である。







llllllll-カサヌハサマアマャサカカカカ


カサヌハサマアマャサ=カカカカ





かかか過・・・・外国人か。日本語ふうに表記するなら「かかか過」ってのが適切なのか、なんとな~く分かるよ。





ただ、人名で「かかか過」は、限りなき未知の領域だぞ。





それに、そこはかとなく漂う南方系の香り。タラップ降りたらドリアンのにおい、みたいな感じ。





父さん、東南アジアは大好きだ。お前も一人旅で出かけてくるがいい。





お名前を拝見すると、おそらくこの人はマレー系だろう。




本名じゃ長いから、あだ名を教えてもらいなさい。その方が楽だ。











息子よ。じいちゃんからいいものもらったな。


1歳半でこれだけ使いこなせるなら、ネットの世界でも


縦横無尽にやっていけそうだ。


結構、期待しているんだぜ、先生。








追伸:




息子よ、毎朝君の携帯をのぞき見ては、



げらげらわらっている父と母を、



どうか、君も一緒になって、笑って許してくれないか。


何を気に入らないのか、いつも「あ``ーーー!」とか言って怒るが・・・・


まあ、いいじゃないか。笑かしてくれるのはありがたいことだ。


良ければ実践。悪くても実践。実践実践。





フフ、かわいいなあ。




        llllllll


       1/50 & 3%/150000


トロフィもらいました。

生れてからトロフィなんてもらった経験が無いから

とっても嬉しい!

頑張ったもんなあ。

欲しかったんだ、コレ。

素晴らしいことだ。




この数年は家族のために突っ走ってきた感が否めない。

家族。持ってわかる、独特の存在。

独特か。確かに、かけがえの無い、唯一の存在だ。

それを守るのは俺しかいない。

だから、ブログ更新なんて出来ないんだ。

せっかく立ち寄ってくれたブログなのに、唐突な告白で済まないと思う。

創作意欲というものは、ある程度の自由から湧き上がるのであって、日々いろんなもの(つまり、社会のしがらみやら何やら)が心の目、耳、鼻、口、生殖器などにつまっていると、意欲のいの字も出てきやしないものなんだ。たまーにそんな気分がうずく時もあるけれど、たいてい深夜で、深夜は妻と子が寝ているんだ、だからおとうさんの俺は、やつらの睡眠を邪魔しちゃいけない。そう思えば、キーボードをキャチャカチャとか言わせて、気ままにふるまうなんて出来ないわけなのだ。

わかるか。

独身の頃は良かった、なんて言わないさ。

今の方が過去よりずっといい。ずっと、だ。

幸せだけど、制約されることがいくつかあるのは確かなことだ。

でもな、最高な気分を維持するためには何だってするさ。

つまり、そういう事だ。