1987年夏のことを、ブログに書くと思う。
なぜ書くか。
1987年夏は、もう来ないからだ。
忘れたくないパーソナルな記憶が、いつまでも俺を支配する。その支配力は、今の俺の原動力となっていると言っても過言じゃない。
1987年夏、すんげえ美人に告白して振られた。だからと言って、恨みつらみを、押し売りみたいにだらだらと述べるつもりはないんだぜ。
これから「一生の思い出作り」をしたい人には是非伝えておかなければならん!と思うところあって、書くのだ。
歳を重ねた者の義務だ。
テーマにしたいのは、「やろう、うん、そうだ、やりますとも、是非やろうじゃないか」という情熱は、歳取ると失われやすくなる、ということである。
お前、何かをしようと思って(たとえば、海水浴に行こうと思って)すぐに行動に移せるだけの、行動力、計画性や人脈はあるか?
たとえば、好きな女の子(もしくは男の子)がいて、その人を海水浴に誘えるほどの肝っ玉は座っているだろうか。
それを述べたい。
いいか、心に思い描く理想は、実現可能なうちに実現せよ。
後で、ではなく今やれ。そうでなければ、それ以上のステージには進めない。魂のランクアップは難しい。
すんげえ美人のあの子を誘って、海に遊ぶのだ。そして、隙をみてやっちまえ。
何かしら告白めいたことをするのは、その時は心臓バクバクかもしれないが、あとになってみるといい経験なんだぜ?そして、そんなことができるのは、若いうちだけなのだ。歳取ってもやれるだろ?とかは無しだぜ?歳取ってからの告りは、汚れっちまってるのよ。そもそも、若いうちにやるから免疫が出来るんじゃないか。
お前が俺くらいになれば、きっと理解してもらえるよ「あのときあの海で告っておいて良かった」とか「やっちまってよかった」とか。
やっちまってよかった、ってのは、その後の彼女(もしくは彼氏)との関係が確約されるものでもないけど、でも、やるのとやらないのとでは、やったほうが良いに決まっているのだ。(合意が無ければレイプだが)
相手の子には悪いが、やった事実は一生ものだ。
お前、まず告っちまえ。告られて悪い気がするやつなんて居ないさ。大丈夫だ。
最高のシチュエイションで、夕日が海のかなたに沈むタイミングで告っちまうのだ。それで玉砕してもいいじゃないか。遅かれ早かれ玉砕する運命だった、それが早まっただけのことだ、って思えばいいさ。
玉砕のことより、そのタイミングで告白出来た、その思い出が、お前を強くする。
俺にだってそんな出来ごとのいくつかはあったさ。
そのひとつが1987年、夏なんだ。
昔のDVDを見て、うっかり思い出しちまった。だから1987年のことを書く気になったんだ。
・・・言われなくてもやってるよ、って思ったか?違うぜ、海に行かなきゃ意味がないんだからな?海に行かないでそんなことをするもんじゃないぜ?クラブとかバーとかはだめだ、海だから美しいんだ。
どうせなら思い出は、美しいビジュアルでもって抱えていたほうがいいだろ?
いいに決まってるんだ。
だめもとだぜ。誰も損しないんだから、やった方がいいに決まってるんだよ。