これは、歳をとらないと分からない感覚なのかもしれない。
世間は、嫌なことの連続と嘆くばかりだが、はたしてそうだろうか。
よくよく振り返ってみると、ある法則に気付く。つまり、悪い事すら教訓に代わる、時間とともに、熟成するものがある、あれがあったから今のこれがある、みたいな。
歳をとると、過去におけるつらいこと悲しいことだって、全部美しい快感に昇華させる力が付く、みたいな。
人間の考えた価値、基準など、あてにならんということに気付く瞬間があるのだ。
時間という魔術が、すべての記憶を熟成させ、芳醇なワインにしてくれることに気付く。ならば、なにも目先の善し悪しだけですべてを判断する必要などないじゃないか。
歳を重ね、人は丸くなる。
人が丸くなる、というのは、「諦観」ばかりではない。フレッシュな新酒が、時と共に芳醇なワインになることを知るからこそ、芳醇なワインほど美味いことを知っているからこそ、落ち着いて、来るべき未来を信られるのだ。
先人が「いずれ分かる」という言葉をよく使うのは、時間という魔術をしてすべてが芳醇となることを、知っているからだ。
思えば俺だって15~6のころのセンチメンタルな気持ちを、誰かれ構わず最高の正義だと思って振りまいていた。
それを否定はしまい。急ぐに越したことはない。ただ、45になってようやく、そればかりではないことに気付いたのだ。
ちょっと遅すぎたろうか。