あるキリスト者のつぶやき… -21ページ目

台風到来か!?

昨晩は雨が本降りになる前に帰宅できたので、まずはよかった。もちろん、雨が降っていなかったわけではなかったけれども、傘が必要になるほどでもなかった。

さて一晩開けた今朝。季節外れの台風が来たのかと思ってしまうような大雨と強風だった。窓にたたきつける雨が滝のように流れていた。おかげで窓が若干きれいになったように思えた。あの時クルマを洗っておけば楽だったろうなぁ、と思ったけれども、さすがに風邪が治りかけているところで、しかも朝一番でそれをするのも馬鹿みたいなのでやめておいた。少なくとも、鳥の糞くらいは流されているかも知れない。それならそれでも良い。明日にでも時間があったら、コイン洗車にでも行ってこようか。

それはそうと、今朝の大嵐で一番驚かされたのは、コレである。

あるキリスト者のつぶやき…-雨雲レーダー

今朝6時半の神奈川県上空の雨雲レーダーの様子。もう、まだら模様で何が何やらさっぱり分からん。ちょっと遠くから見ると、なんとなく神奈川県の輪郭が見えてくるような見えてこないような。台風だったら、もうちょっと雲の流れがキレイに出たような気がするけれども、これではさっぱりである。タダ雨雲があるだけってところか。

でも、予報だと9時前後には雨が上がるということだったの、ぎりぎりまで粘ってから家をでた。家を出た頃には雨がすっかり上がって、青空が雲間から見ることができたのだが……電車が遅れてる。いつもよりも時間を掛けてようやく南町田に到着。で、いざ駅から事務所に向って歩いてると、こんなことに!

あるキリスト者のつぶやき…-冠水

ありゃ、道路が冠水。ここは国道のガード下なので、窪地でなおかつ水はけも悪そうな場所。あの大雨だと、道路じゃなくて池になってましたね。これは自然に水が引くのを待つだけなのか。

そんなこんなで大荒れの朝だったけれども、午後にはすっかり晴れてめでたし、めでたし!

と、思ったら夕方から今度は風が強くなってしまった。雨が降ってないから良いんだけれども、いやぁ、気温がぐんぐん上がるし、なんともヘンな天気だった。

雨の予報

今夜は雨が降るらしいんで、早目に帰ろうかと思っていたら……残業をする羽目に。

まぁ、今月は残業がマイナスだったんで、これでバランスが取れたことを考えれば、結果おーらいってところかもしれないな。

地元の駅についた時に、雨が本降りになってさえいなければヨシとしようじゃないか。

手紙が届いた

mixi面倒、Facebook面倒、twitterも面倒!要するに人付き合いそのものが面倒。

なんてことを考えながら昨日記事を書いていたわけだが、記事を書き終わってお茶を飲んでいたら、私宛に手紙が一通届いてることを知った。

差出人のところには、"ISI House 5207 16th Ave. NE, Seattle, WA 98105"とずいぶんとまぁ懐かしいことが書いてあるじゃないですか。中身を開けてみると、クリスマスカード。でも、カードの名前は知らない人。そしてカードには紙切れが数枚挟んであった。なんぞ、と思ってみると、一枚一枚にメッセージが書いてあるじゃないか。しかも、別々の人から。おまけに私の知らない人ばかり。

知らない人がいるかもしれないので言っておくが、ISI Houseというのは私が学生時代に住んでいたShared Houseのことである。日本語で言うなれば下宿みたいなところになるかもしれないけど、ちょっと違うかもしれない……まぁ、細かい言葉の定義は置いておくとして、今もそのISI Houseは健在で、今も留学生が住んでいるらしい。さて届いたメッセージを読んでみると、どうやらそれは、今現在の住人や、また関係する人たちが過去住んでいた人たちに書いて送ってくれたということを知った。日本風に言えば寄せ書きみたいなものだろう。なんというか、まだ忘れられていないというか、十年以上経っても私のことを憶えていてくれるというのは、ちょっと嬉しいことだ。

なんというか、人付き合いに疲れたっていうのは大げさかも知れないけど、今の世の中のせかせかとした人付き合いっていうのは、どうもウスノロマヌケで愚鈍な私には負担が大きい気がしてならないのだが、こうやって手紙という昔ながらのちょっと時間を要する意思伝達の手段を使って便りを受け取るっていうのは、ちょっと安心である。いろんな意味でこの手紙には励まされたね。返事でも出そうかねぇ。

Facebookとか

一時期mixiっていうのをやってみたけど、やっぱ途中から面倒になったというか、飽きたというか……どうでもよくなった。その後、Facebookというのも、人に勧められてやってみたが……まぁ、mixiと似たようなもんだけど、アメリカ発のサービスっていうこともあり、留学時代の友人もアカウントを持っていたためにしばらく連絡用とかで使ってはいたものの、やっぱりこれも、面倒になった。Twitterなるものもやってみたけど、140文字程度でつぶやくことの意味が分からん、ってことで、これも辞めてしまった。

唯一継続されているのは、このブログだけである。

どうやらmixiやFacebookのように、人と人とのつながりや、人と集団との連携を図るようなサービスっていうのは、基本的に人と一緒になってなにかするとか、人とつるむことがキライなうえに、苦手な私にはどうも好きになれない。やりたいと思わない。人は人、私は私。人と同じことをしたいとも思わないし、人と一緒に何かしたいとも思わない。ひとりで黙々と何かをするのが好きなのである。社会性が無いと言われようが、そんなの知ったことか。どうしても人と一緒に何かしたいと思うんだったら、私だったら直接人のところに出向いていくだろう。ネット上のサービスを利用して云々っていうのは、どうも苦手だ。

なんて言ってはみるものの、要するに人付き合いが面倒なだけなのかもしれない。

月曜日、医者へ

風邪が治らない、かと言って悪くなっている様子でもなく、熱を測ってみても平熱なので、会社を休む言い訳にもならないので、ひとまず医者に寄ってから会社へ。休み明けの月曜日っていうのは、医者が混んでそうな予感はしたのだが、いざ行ってみると、さほど混んでいなかった。

しかし考えてみれば不思議なもんである。なんで風邪をひいた程度で医者に行くのだろうか。医者に診てもらったからといって、風邪が治るわけでもなし。あーっと口を大きく開けて喉を見せて、首根っこを触ってリンパ腺が腫れているかどうかを診てもらうくらいである。聴診器をあてられることもあるし、そうでないこともある。ちなみに今日はなかった。

たったそれだけである。ものの2~3分である。それからクスリの説明をしてもらって、処方箋を出してもらう。

医者に行ってもそれだけである。それだけで、千円も取られちゃうんだから、考えてみりゃ損してるような……。

そして処方箋をもらって、薬局にクスリを買いに行くわけだ。で、そこでまた数種類のクスリを5日分もらって二千円ほど支払わなければならない。

一度医者に行くだけで、もちろん保険が適用されたとしても、千円札が3枚も飛んでいってしまうのだ。もちろん、風邪がすぐに治るわけでもない。考えてもれば、風邪なんて医者に診てもらわずとも、クスリを飲まずとも、放っておけば治ってしまうものである。アメリカにいる頃は風邪程度で医者に掛かったことすらない。まぁ、海外で保険の手続きが面倒だったっていうのもあるけれどね。

では、なんで医者に行くんだろうか。それは安心を得るためである。医者が診て、症状を改善するのに相応しいクスリを出してくれるという安心であろうか。医者に行った、医者に診てもらった、医者にクスリを処方してもらった、そのような事実が欲しいためなのかもしれない。

病は気から、というけれど、同じように、病からの回復もその人の気分に大きく影響されるものなんだろう。