あるキリスト者のつぶやき… -15ページ目

年始につき

本日のブログは休みとさせて頂きます!

あけました

新年あけましておめでとうございます。

……とは言うものの、もう新年が明けちゃいましたが。2011年、今年はどんな一年になることだろう。若い頃は、この一年は!などと前向きに物事を考えていたこともあったけど、近年は、今年もまた去年と同じ一年になるんだろうなぁと考えてしまうことが多かったけど……いや、やはり今年もそう考えてしまうような。むしろ、そうなることを半ば期待している気がしなくもない。変化がないことを安定と考えてしまうようになっては、人間ダメなんだろうなぁ。

何かプラスの意味での変化を求める一年にしたいものです。

さてさて、この一年も皆さまにとって良い一年となりますように!

今年から急激に、突如として、何かしら愉快なことや、何かしら役に立つことを提供していくようなブログになれるとは思いませぬが、よろしくお願い致します。

大晦日

2010年も残すところ後わずか。今年もまた走り去るように過ぎて行ったように感じられる。

この一年、私のブログに付き合って下さった方々に感謝するとともに、もう間もなく始まる新しい一年もよろしくお願いしたい。

髪を伸ばすと

髪が長くなって、そのまま何も手を入れずに放置しておくと、前髪が目の前をちらちらして鬱陶しい。そんなわけで、いや、もちろんそれが一番の理由ではないのだが、髪を縛るようにしている。

髪を縛ると前髪問題は解決するし、見た目もさっぱりとして良いのだけれども、寒いのが気になる。というのは、前回も書いたとおりである。もっとも寒いのには耐性があるほうだと自負しているくらいだから、寒いのは慣れてしまえばどうってこともない。

しかし、気になることは寒いということだけではない。髪を縛ると、束ねた髪が後ろに飛び出してしまうので、そのままの状態で仰向けにごろ寝することができない。ソファーにも深く座ることができない。要するに出来る姿勢が限られてしまうのである。後頭部をどこかに付けることができないのだ。

楽な姿勢というか、だらしない格好ができないのである。今の髪型の唯一の欠点であろうか。しかし、これを欠点と捕えるかどうかであろう。だらしない格好ができないというのは、考えようによってはむしろ利点とも言えよう。常に姿勢を良く、背中や後頭部を出来る限りどこにも触れることなく、背筋をまっすぐに保つ。

なーんて、言うは易く行うは難し易しってやつだ。ごろ寝の心地よさを諦めるなんて、出来るわけがない!

カミソリ

またまた床屋の話題になってしまうが、床屋の良いところは髭を丁寧に剃ってくれることだろう。もっともこれは女性には分からないヨロコビかもしれないが。

髭なんか自分で剃れるじゃないか、という意見は確かにもっともである。しかしながら、いつも同じカミソリを使い続けているから、刃の切れ味が悪くなっているのも原因かもしれないが、どうしてもうまく剃れないところがでてくるのだ。もっとも一晩経てばちょびちょびと髭が復活するから、あまり気にするようなことでもないのかもしれないけど。とは言っても、剃った後にじょりじょり感があるのは、ちょっといただけない。でも、いつまでもしつこくカミソリをあてていると、肌がヒリヒリと痛くなってしまうので、それはそれで困りものである。もっとも、カミソリの刃を常に新品に替えて、なおかつひげそり前にちゃんと髭が柔らかくなるようにしておけばいいんだろうけども、自分のためにそこまでするのも、面倒っちゃ面倒である。だったら、我慢をするべきと言われても反論のしようがない。

だからこそ、上手な人に丁寧にやってもらうのが快感なのである。

しかし、冷静になって考えてみれば、不安になる要素はいっぱいである。なんせ、他人に対して自分の首を差し出して鋭利な刃物で髭をそってもらうからだ。もちろん、最近は安全なカミソリを使っているのかも知れないが、それにしてもこちらとしてはリラックスした状態で相手に任せているのである。相手がその気になれば、いつでもこちらの首を掻くことができるのだ。もちろん、それを疑ったことはない。

でも、そんなことを考えていると、マフィア映画とかギャング映画でありがちなシーンを思い出してしまう。組織を裏切った人物が床屋に髭を剃ってもらっていたとしよう。すると、そこにボスが現れて、床屋の親父を追い出す……そして腕っ節の強そうなボディガードが裏切り者を逃がさないように椅子に押さえつけて、ボスは手近にあるカミソリを手にすると、裏切りものの頸動脈をスパッ!とやるわけで。うぅ、こえぇ。床屋ってホントに人を油断させるところだ。