ファンベルトはちゃんと交換
今日は愛車の12ヶ月点検だった。
ということで、礼拝が終わって家に帰って昼飯を食って一休みした後、ディーラーまで車を持っていった。
そうそう、今日は上の娘が風邪を引いて礼拝を休んだために、教会の往復もディーラーへの往復も一人でドライブだった。今日はみたいに暑い夏の日には窓を全開にしてスチールドラムとレゲエを大音量で鳴らすに限る。妻と娘たちが一緒だったら、まずまずこんなことはやらせてくれない。はた迷惑な車だったかもしれないが、たまには勘弁してくれ。こうでもしないとストレスばっかり溜まっちゃう。まぁウーファー積んでないから、そこまで迷惑ではなかったかもしれないが。一度オー○バックスでウーファー試聴してみたことあるけど、やっぱあれがあるとないとでは違う。そのうちオークションで落としてみようか…でも、バッ直するのがちょっと手間掛かりそうでなぁ。
閑話休題。12ヶ月点検してもらって判明したのだが、ディーラーの人が言うには、ファンベルトが相当痛んでいたそうだ。というわけで部品の在庫があるということで、交換してもらった。
ファンベルトと言えば、アメリカにいた頃にフリーウェイを走ってて突然ちぎれ たことがある。なんとか適当な駐車場まで車を持っていくことができたが、パワステも利かず、エンジンの温度が異常に上がって結構マズイ状況だったと思う。
そんなこともあってファンベルトを甘く見てはいけないと思った。なんせ命を預ける車だからね。ウーファーの前にちゃんと整備をしておくに限る。
ということで、礼拝が終わって家に帰って昼飯を食って一休みした後、ディーラーまで車を持っていった。
そうそう、今日は上の娘が風邪を引いて礼拝を休んだために、教会の往復もディーラーへの往復も一人でドライブだった。今日はみたいに暑い夏の日には窓を全開にしてスチールドラムとレゲエを大音量で鳴らすに限る。妻と娘たちが一緒だったら、まずまずこんなことはやらせてくれない。はた迷惑な車だったかもしれないが、たまには勘弁してくれ。こうでもしないとストレスばっかり溜まっちゃう。まぁウーファー積んでないから、そこまで迷惑ではなかったかもしれないが。一度オー○バックスでウーファー試聴してみたことあるけど、やっぱあれがあるとないとでは違う。そのうちオークションで落としてみようか…でも、バッ直するのがちょっと手間掛かりそうでなぁ。
閑話休題。12ヶ月点検してもらって判明したのだが、ディーラーの人が言うには、ファンベルトが相当痛んでいたそうだ。というわけで部品の在庫があるということで、交換してもらった。
ファンベルトと言えば、アメリカにいた頃にフリーウェイを走ってて突然ちぎれ たことがある。なんとか適当な駐車場まで車を持っていくことができたが、パワステも利かず、エンジンの温度が異常に上がって結構マズイ状況だったと思う。
そんなこともあってファンベルトを甘く見てはいけないと思った。なんせ命を預ける車だからね。ウーファーの前にちゃんと整備をしておくに限る。
大きなスイカ
スイカが大きいのは相場である。別にスイカが大きいからと言って、珍しいものではない。
さて、実家の両親が知人からスイカを頂いたと言う。そして、それが大きいから、半分くれるということになったので、今日の夕方、晩飯をご馳走になるついでに、実家に行ってもらってきたのだが、いやいや、それが本当に大きいスイカなのだ。半端な大きさじゃない。もしかしたら、私が見たことのあるスイカの中では最大級かもしれないというぐらいだ。
どれくらいかというと…

これくらいである。
よく分からないといけないから…

携帯をのっけてみた。

ついでに携帯と高さ比べ。
なんでもかんでも、でかけりゃいいってもんじゃないかもしれないが、やっぱりスイカは大きい方がいいかもしれない。そういや、アメリカのスイカはもっと大きかったかもしれないなぁ。今はもう覚えていないけど。カボチャは間違いなく大きかったが。
瓜の類は育て方次第でいくらでも大きくなるのだろうか。たいしたもんだ。
さて、実家の両親が知人からスイカを頂いたと言う。そして、それが大きいから、半分くれるということになったので、今日の夕方、晩飯をご馳走になるついでに、実家に行ってもらってきたのだが、いやいや、それが本当に大きいスイカなのだ。半端な大きさじゃない。もしかしたら、私が見たことのあるスイカの中では最大級かもしれないというぐらいだ。
どれくらいかというと…

これくらいである。
よく分からないといけないから…

携帯をのっけてみた。

ついでに携帯と高さ比べ。
なんでもかんでも、でかけりゃいいってもんじゃないかもしれないが、やっぱりスイカは大きい方がいいかもしれない。そういや、アメリカのスイカはもっと大きかったかもしれないなぁ。今はもう覚えていないけど。カボチャは間違いなく大きかったが。
瓜の類は育て方次第でいくらでも大きくなるのだろうか。たいしたもんだ。
メダカと巻き貝の関係
カワニナだかタニシだか、どちらだかよく分からないが、ちょっと調べたところ、鉢の周りや底に付いている苔を食べてくれる掃除屋さんであるらしく、どうやら必死になって駆除しないといけないほど悪い奴ではないことが分かった。
が、その反面、水草を食べてしまうこともあるらしいので、それはちょっと困りものである。水草があるおかげでメダカに必要な酸素が作られているのだ。水草なしでは、メダカは生きていけない。
まあ、それを考えるとある程度の数の巻き貝はメダカと同居させておいた方がよいのだろうが、あまり増えすぎてしまうようなら、申し訳ないが何匹かには犠牲になってもらうしかないだろう。メダカと巻き貝の互いのためである!
そんなことを考えていると、鉢の中の環境は人の心に似ているような気がしてくる。
抽象的になって申し訳ないが、人の心の中には、この巻き貝のように善とも悪とも言い切れない思いで満たされているのではないだろうか…。それらは人の内にある良い思いと共存することができるが、時のその息の根を止めてしまいかねないこともあろう。それが何であるかは分からない。しか し、それがあるから、人は完全な善人になれないのかもしれない。
が、その反面、水草を食べてしまうこともあるらしいので、それはちょっと困りものである。水草があるおかげでメダカに必要な酸素が作られているのだ。水草なしでは、メダカは生きていけない。
まあ、それを考えるとある程度の数の巻き貝はメダカと同居させておいた方がよいのだろうが、あまり増えすぎてしまうようなら、申し訳ないが何匹かには犠牲になってもらうしかないだろう。メダカと巻き貝の互いのためである!
そんなことを考えていると、鉢の中の環境は人の心に似ているような気がしてくる。
抽象的になって申し訳ないが、人の心の中には、この巻き貝のように善とも悪とも言い切れない思いで満たされているのではないだろうか…。それらは人の内にある良い思いと共存することができるが、時のその息の根を止めてしまいかねないこともあろう。それが何であるかは分からない。しか し、それがあるから、人は完全な善人になれないのかもしれない。
メダカの鉢に住む巻き貝たち
最近メダカの鉢の中を覗くと、巻き貝-カワニナというやつだろうか?-が同居しているのが目立つようになってきた。ひとまず見える大きいやつと気付いたところで小さいやつを取り除いてやった。それにしても、こいつらはどこからやってきたのだろうか。空を飛んできたとは考えられないから、きっと水草にでも付いていたに違いない。
さて、カワニナとメダカの間には何か関係でもあるのだろうか。メダカに悪い影響を与えるのならば、例えばメダカの餌を横取りするとか、何やら悪い病気を流行らせるとか、そんなことがあるのなら見つけ次第駆除してやらねばならない。
しかし、何も悪さをしないのであれば、よほど目障りになるわけでもなければ、そのままにしておいても構わないのではないかとも思う。手間をかけて取り除いたところで何の益にもならなければ、何というか無駄な労力に思える。
それともメダカにとって良いことでもあるのだろうか。例えば、水の中のゴミとかクズとかを食べてくれるとか。それであれば、そのままにしておく方がよい のだろう。むしろ、そうであればいいなぁというのが私の本音であるが。
さて本当のところはどうなのだろうか。少し調べてみないことには何とも言えない。
さて、カワニナとメダカの間には何か関係でもあるのだろうか。メダカに悪い影響を与えるのならば、例えばメダカの餌を横取りするとか、何やら悪い病気を流行らせるとか、そんなことがあるのなら見つけ次第駆除してやらねばならない。
しかし、何も悪さをしないのであれば、よほど目障りになるわけでもなければ、そのままにしておいても構わないのではないかとも思う。手間をかけて取り除いたところで何の益にもならなければ、何というか無駄な労力に思える。
それともメダカにとって良いことでもあるのだろうか。例えば、水の中のゴミとかクズとかを食べてくれるとか。それであれば、そのままにしておく方がよい のだろう。むしろ、そうであればいいなぁというのが私の本音であるが。
さて本当のところはどうなのだろうか。少し調べてみないことには何とも言えない。
一年前と変わらない自分なのか
娘の通う幼稚園にて昨日の午後から今朝にかけて、お泊まり保育が行われた。初めて親と離れての外泊であったから、どうなることやらと思っていたが、妻が言うには、娘曰わく夜も途中で目を覚ましたりすることもなく、暗い中でも怖い思いもせずゆっくり眠れたそうな。
子供の成長とは早いものである。ついこの前まではろくに言葉も話せずひとりでは何も出来なかった子が、親と離れて幼稚園の友達とお泊まりできるまでになったのである。少し親離れしたみたいで、母親からしてみれば少し寂しく思われるのかもしれないが、父親の私から見たら頼もしくなったなぁ~とその成長に感心させられるのである。そしてここまで成長したことを感謝に思うのである。
これからも子供は親の見ているところでも、見ていないところでも、ますます育っていくのだろう。
それに比べて私は親として、いやそれ以前に人として、どれほど成長しているのだろうか。鏡を見て も、老けていく自分がいるだけで、それを成長とは言えないだろう。我が身を省みても、昨日と同じ、いや一年前と同じ自分がいるだけのようにしか思えない。
果たして私は成長しているのだろうか…自分で見る限りでは分からない。
子供の成長とは早いものである。ついこの前まではろくに言葉も話せずひとりでは何も出来なかった子が、親と離れて幼稚園の友達とお泊まりできるまでになったのである。少し親離れしたみたいで、母親からしてみれば少し寂しく思われるのかもしれないが、父親の私から見たら頼もしくなったなぁ~とその成長に感心させられるのである。そしてここまで成長したことを感謝に思うのである。
これからも子供は親の見ているところでも、見ていないところでも、ますます育っていくのだろう。
それに比べて私は親として、いやそれ以前に人として、どれほど成長しているのだろうか。鏡を見て も、老けていく自分がいるだけで、それを成長とは言えないだろう。我が身を省みても、昨日と同じ、いや一年前と同じ自分がいるだけのようにしか思えない。
果たして私は成長しているのだろうか…自分で見る限りでは分からない。