このごろ話を逸らされることが多い気がします。象徴的なのが例のメール事件でしょうね。あんな瑣末なことにこだわって、重要な問題がスルーされるのはよろしくないでしょう。マスコミというものは、ホリエモンを持ち上げていたことから露呈されたように、極めて愚劣なものであり、また今回の件でもそのくだらなさが明らかになってきていると思います。


 でも、話を逸らす、というか、横道にそれるということは面白いことが多いです。たしかに耐震偽装問題を本気で議論されても、当事者以外はフーンってなってしまうでしょうし、メール問題のほうが、「永田ばっかでー(笑)」とか、「武部必死だな(´,_ゝ`)プッ」みたいになって面白いと、私は感じています。そういう間にプロレタリアートを痛めつける増税がひたひたと進むことは非常に脅威ですが。マスコミはそういう道化師的な役割しか果たさなくなってきていると考えると、いわゆる役割の細分化の一環とみることもできそうです。


 それが顕著に出ているのが、萌えアニメだと思います。今期でそれが前面にでているのは、タクティカルロアでしょう。


 まぁ公式は検索していただければすぐに出ると思うので、それをみるのも面倒くさいと思う方(僕もそういうことが多いです)のためにも簡単に概要をまとめますと、主人公はもちろんさえない感じの少年の主人公で、女性だらけの船に乗り込み、その船はテロリストとの戦いに臨む、というものです。


 これだけでも十分記号化を感じることができますが、これにそれなりの人気が集まっていることをみると、やはりマーケットとしての堅実さを感じます。


 さて、この話は一応、その戦闘とかをメインっぽくしているのですが、もちろん僕から見ると中心は、主人公を中心としたハーレムの恋模様であります。製作側もおそらくそういうつもりで作っているのでしょう。始まって二ヶ月たたないうちにいわゆる萌アニメの禁じ手である釣り道具、水着シーンを、もう2,3回はつかっているのではないでしょうか。それでも視聴停止できないのが萌オタの悲しい習性であります。


 しかし、冷静に考えると、恋愛だけにフィーチャーし、そのうえで支持を獲得するのも難しい気もします。どうしても学園ものになってしまいがちで、恥の上塗りになってしまうことが多いのかもしれない。顕著だったのが下級生2でした。それだったら、戦艦もので、隔離してしまったほうがやりやす、のかもしれません。基本的に戦闘中に邪魔者の男キャラが入ってくることもないし、いわゆるつり橋効果ってのも期待しているのでしょうか。


 だから、人間の創造性の限界を考えると、こういう、サイドストーリーをメインストーリにしたり、主人公にいくつものベクトルが向かうようなアニメは、これからも増えていく気がします。こういったアニメを

SMアニメ

と呼んで行きたいと思います。すなわち

Side is main.

と 

主人公が M

という両方の意味を重ねたSMです。そして、あるていど本当のSMの意味もあるような気がします、たいていの作品の場合、主人公がハーレムに入る際に決定権は与えられていませんし、だいたい気の強い女キャラが一人はいますから。


 

超期待作

 先日、大学の図書館でぶらぶら雑誌を閲覧しておりましたら、創価の機関誌だと思われる「潮」に、面白い記事を見つけました。


 それには、今各方面で話題沸騰中のアニメ、落語天女おゆいの紹介が載っていました。そもそも、このアニメはすごく売名要素が強いので、アニメ誌のほうが良く取り上げているでしょうが、一般の、しかも創価の機関誌に載っているということがまず興味深いところです。

一応おゆいの公式 

 http://www.rakugo-tennyo.com/


 このアニメについては、あまりにも既視感があったし、アニメ誌にもあまり最近目を通さなかったので、このアニメのできた経緯などはしらなかったのです。それで、簡単な経緯を読んでみると、歌丸の三番弟子の桂歌若氏が、「アニメと落語一緒にしたらおもしろそうじゃね?」みたいなことを言って、始まったようです。そして、歌丸師匠も、「落語を広めるにはしかたない。おもしろければいいだろう。」ということになって、めでたくアニメ化という運びになったようです。


 この記事は、その前に、昨年のドラマタイガーアンドドラゴンの影響で、落語にたいする人気が高まっていて、若者が落語を聞きに集まっているという前フリがあって、

「さて、しかし、これはいわゆる美少女アニメ。アキバ系が大挙して落語を聴きにやってくるのだろうか。」などと結んでいました。


 オタのオタたるゆえんを理解していれば、こんなおろかな売名方法はとらないはずです。オタは漫画アニメゲームには強い関心を示しますが、ほかの事にはほぼ無関心、それが守られればあとはどうでもいいという連中のことを指しているということを理解していれば、これでオタが落語を見に来るなどという短絡的なことはいえないでしょう。


 もしかすると、これはもっと深い戦略なのかもしれません。つまり、堅そうな落語界が介入する、ということを宣伝文句にして関連商品、声優の売り出しにかかっている、ということです。宣伝文句のないアニメほど集客力のないものはありませんから・・・。


 最近ホリエモンが逮捕されて、自民党とホリエモンは利用しあっていた、といわれています。自民党は票を得て、ホリエモンは売名をした、と。


 この落語アニメにも同じような構図が見え隠れします。ともに利用しあうつもりで企画自体は持ち上がってきたような気がします。しかし、オタの本質を考えた場合、落語界には利益はないような気がするのです。


 歌丸師匠の「おもしろければおk」というのは、豪気なことであり、いかにも2ちゃんねる的な発想で僕は好きなんですが、このアニメをみて、落語面白そうだなぁとはまったく思いませんでした。むしろ、このアニメのパーツの寄せ集め的なつくりにうんざりしています。


 落語界の黒歴史になりそうなこのアニメ、先行きが楽しみでもあります。革新的な試みであったのは間違いないでしょう、アニメの内容以外は。


 

 


 

 電車に乗ると、リーマンがよく新聞なり文庫本なりを読んでいるのを見かけることが多いのですが、それだけに漫画を読んでる人を見ると目立つ気がします。特にでかい少年、青年向けの漫画誌を読んでいると結構目立ちます。


 で、そういった人たちが読んでいる漫画というので、僕が一番多く見かけたのが、マガジンでした。


 もう結構前の話になるでしょうか、ジャンプがマガジンに売り上げで負けたとかいうのは。乱暴に分類すると、ともに少年漫画誌とされていますが、ジャンプは冒険活劇もの、マガジンは恋愛漫画が多いと思います。


 で、皆さんご承知かとは思いますが、最近とみに明確になってきたのは、マガジンのいわゆる萌え中心主義です。自分自身あまり年季の入った萌えオタでもなく、よく細かいところはしらないのですが、赤松某が東大受験ラブコメディを書いて大人気になったあたりからこの傾向は強くなって、現在のスクールランブル等につながってきているということはいえると思います。(マジカノなどというひどいハーレムアニメも月刊ですがマガジンだったですね)


 漫画を堂々と読む、というのは、小林よしのりが昔ゴーマニズム宣言で、サブカル論見たいなところで書いていたかと思いますが、別に恥ずかしくないのかもしれません。ただ、自分自身としては、やはり萌え漫画などを公然と読むのは気恥ずかしいものです。


 それでもマガジンを堂々と読むというのは、やはり萌えが浸透してきたからではないのでしょうか。むしろ、漫画≒萌え見たいなイメージができている気すらします。かなり安易ですが。もちろん漫画誌はたくさんあり、ストーリーを重視したものもたくさんあるのですが、萌えの漫画界における勢いはとどまるところをしらないところがあります。


 電撃萌王などという雑誌が出たときからきな臭いとは思いましたが、ここまでキタか、という思いもあります。


 昔はマキバオーなど、萌というか、恋愛という要素がなくても泣いていました。しかし、萌ばかりみるようになってしまった今、私は君のぞくらいでしか最近泣いた思い出がありません。単に私の鑑賞不足といわれればそれまでですが。いい漫画あったらお教えください。

ツンデレうぜえYo!

 まぁ全然すごくなかったですがね。なんといっても予定調和でしたよ。ネタバレ含めて、まとめをします。話をじっくり見たい方はウインドウ閉じていただいたほうがよろしいかと。


 主人公の秋月大和は高校進学に変化を求め、広島から東京に出てきた。そして、偶然朝比奈涼風にであい、一目ぼれする。しかし、涼風は典型的ツンデレであり、なかなか気持ちは通じ合わない。そんななか、昔から大和を好きだった桜井萌果に告白され、大和は付き合うことにする。しかし、大和の心には涼風がいて、そのことを見抜いた萌果は別れを決意。そして最終回では、涼風が昔両思いで亡くなった先輩の思い出を捨て、めでたく大和と付き合うようになるのだった。


 五行でまとまってしまいましたね。まぁ当然半年もアニメやってたわけですから、これで言い切れるわけないですが、私の視点からはこれがまとめということになります。


 これは、

 ツンデレ⇔主人公←献身

 になっている、というのは以前書いた訳ですが、登場人物としては大体萌えアニメを踏襲していて、またこういったものはやはりそれなりにウケるわけです。

 ドカベンhttp://blog.livedoor.jp/judaschrist/archives/50320393.html


 これでふとおもったんですが、これで一応ネギま、スクラン、涼風といった、マガジンの萌えアニメが終結したんですね。この3作品はそれなりに人気もあったし、まだ連載しているようです。ネギまなんかは、ヘタレ主人公が美少女に囲まれるといった典型的なハーレムアニメだし、スクランはちょっと形を変えていますが、やはり美少女たくさんの萌えアニメ。涼風も上に述べたとおりです。


 といって、このながれは終わらないです。昔からあったのはまちがいないですが、ラブひなあたりから

 ヘタレ←美少女A、B、・・・・・

 というアニメが支配的になって、いまだに変わらないと思います。そして、またひどくなったのが、

 マジカノhttp://www.magikano.com

など、まぁたくさんあるわけです。


 別に批判するつもりは毛頭ないし、僕もこういったものは嫌いじゃないので、はっきりいってこういった状況をニヤニヤしてみております。でも、こういったものが作られる限り、オタ=キモいはなくならないだろうし、正しくもあるでしょうね。


 去年は

 ツンデレ⇔主人公←献身

 が一種のトレンドになったと感じます(シャナなど)。

 今年はツンデレよりもっと女が強くなったSっ娘見たいのがはやりそうですね。今でもかなりキテる気がしますし。女性がつよくなるリアル社会の傾向もありますし。(某N大など)


  うん、また「アキバ」なんだ。すまない。


 NHKでアキバ特集が放送されましたね。はいはいアキバアキバ、という雰囲気もまぁありますが、民放よりは落ち着いたつくりになっていたと思います。自分自身行った事がないのでえらそうなことが言えた立場ではないのですが、やはり萌えオタの割合が少ないような気がします。昨今の流行は明らかに萌えオタであり、その割合を増やさないと時事的にはならないのではないでしょうか。とはいえ、なかなかよかったです。


 まず、本題をおいておいて、「ひぐらしの鳴くころに」の製作者が出てきたところは衝撃でした。私はこの作品を良く知らないのですが、この作品は、


 家族制手工業


 で作っていたのです。それも、弟だけじゃなく、本当に親を動員して、家族総出で作っているようです。まぁこの道の方たちには周知の事実だったのかもしれませんが、私には驚きでしたよ。

 というのも、われわれの親の世代はこういった萌えオタ的文化に対する抵抗が一番強い世代であろうからです。こういう理解者が、親の世代に増えればもっと萌えオタに対する理解が深まるかもしれませんね。


 で本題の本原くんです。以前テレビチャンピオンにも出演した過去もありますし、やはり前項との関係もありますが、目立ちたがり、自己顕示欲は強いのだろうと思われます(m9はなしでおながいします)。またサークルの宣伝もかねることができ、一石二鳥でしょうね。


 印象に残ったシーンの抜粋


 本原くんが、ピエロの「ハルカ」という歌(神風怪盗ジャンヌ1期ED)をカラオケで歌い、「君に会えるまで~」という歌詞を歌って、リポーターが「君」とは?と聞く。(ここで2次元キャラをアゲるとでも思ったのでしょうか?)


 本「気になる人はいますよ。僕も現実に気になる人はいますよ。」

   「現実があって、その励みに二次元があるんです」

   「悩んでいる人を元気付けるような作品を作りたい」


 ありがとう。イイハナシダナー。


 二次元の存在価値は私の勝手な解釈ですが、一言で言うと、現実にない理想追求にあると思っています。極端な場合もありますが(二次元キャラに恋など)、そういう意味ではなくて、現実にありえない話やキャラクターで楽しむというところに面白さがあるわけです。それを励みにする、という意味で使っていたとすると、非常にバランスの取れた意見だと思います。


 ただ、はじめのほうの発言をみてみると、理想追及によって現実を見失った人間じゃないよ、いうのを強調したいだけにもみえますが・・・。


 まぁどちらにしろ、マスコミ対応は若いですがNo1だったと思います。逆に石崎あたりなんかは変にうらみを買って、オタキモイ方程式を確固にした者として批判対象になりえますが。

 ご存知かどうかわかりませんが、例の音夢オタが、面白いことをしでかしているようですね。

 http://blogs.dion.ne.jp/love_nemu/archives/2513665.html

 http://blogs.dion.ne.jp/love_nemu/archives/2494073.html

 キスイヤオーディションに応募して受けてきたようですね。レポートは後になるようなので行方が楽しみであります。本人自身、書いていますが、オタのイメージダウンにまたしてもつながる、という考えを持つ人があります。まぁ、それもそうですが、とりあえず一言


 空気嫁


といっておきます。


 間違いなく視聴者層が正反対でしょう。不干渉の法則で、肉便器肉鉄砲族とキモオタたちは、互いに関わることなく、まぁいい意味では争わず、悪い意味では互いに無関心でした。電車男ブームで、アキバに物見遊山で冷やかしにくる肉カップルが増えているというのを聞いたことがありますが(キモオタも物見遊山ですが)、どうなのでしょう?自分は行かないのでわかりませんが、向こうが攻撃を仕掛けてきているとしても、こちらからは手を出すべきではないと感じます。そういった余裕で上に立つのがキモオタの美学ではないでしょうか。


 自分の中では、ハピマテを紅白に出そう、という運動と重なる部分が感じられます。やはりしっかりと血に足をつけ、視覚文化を育てて行くべきです。むりやり認めさせようとして認められることはまずないと思います。


 単純に、にいさんが目立ちたがり屋、ということも言えますね。日ごろ虐げられてきたわれわれとしても、深層意識には、自己顕示欲が間違いなくあります。こういったブログを書くのもそういうことですから・・・。個人的には大暴れするのも見てみたいですね。

だめぽ

 まぁ何でも続編は、前作がよければよいほど、どれだけがんばっても叩かれてしまうわけです。そもそも2とか3からみる人間というのは前作からのファンが過半数を占めるでしょうし、どうしても前作と比べられてしまいますから。


 とはいうものの、贔屓目に見ても、二番煎じはなかなかうまくいかないものが多く、素で見ても前作に劣るのが大半な気がします。僕自身、2のほうが面白いなぁと思った作品に出会ったことはついぞ今までありません。現在放送中のものから、ちょっとケチをつけます。


 ダカーポセカンドシーズン

 典型的な失敗だと感じます。前作においては、キャラの数も比較的少なく、心理描写もまぁ今作よりはできていたでしょう。たとえば、サブキャラといってもいいのかわからないですが、ことりの人の心が読めてしまうという魔法の力に対する戸惑いなど。また、さくらと音夢の嫉妬の争いなどはなかなかでした。

 しかし、近作においてはぬるい描写がダラダラと続き、しまりのない話になっていると思います。キャラを増やしすぎたための消化不良も起こしています。


 舞乙女

 まず百合っぽくしてしまったのはいただけない。前作の人気のあったキャラを中途半端に保存して再利用するのはさらにいただけない。男が出てこない話は基本的にダメです。これが前より好きっていうのはおそらくマリ見てにはまったような香具師でしょう。


 ローゼンメイデントロイメント

 前作を見ていなかったのですが、人気があるそうなので見てみましたが、案の定話つかめず。公式ホームページをチェックしてようやく把握しました。引きこもりの主人公が人形と戯れる話ということでいいのでしょうか?どちらにしろ、新鮮味は前作の方があったでしょう。そして、一話目から話が把握できなかったことが、続編の排他性を物語っています。これでは続編のほうがおkなんていうのはありえないわけです。


 結論としては、続編イラネ、作るなら長編作って完結しる、ということです。これには異論反論あると思いますが、メーカーが安定した売り上げを期待して安穏としているケースが大半な気がします。クリエイターとしての恥ずべき所業、皆さんはどのようにお考えでしょうか。

メイド死ね

 またこのごろオタ特集をする番組が増えてきたようで、みなさんいかがお過ごしでしょうか。声優とのデート企画など、面白そうなのもあったみたいですね。


 さて、このごろ気になるのは、「萌え」という言葉がむやみやたらに「アキバ系」を語る上で使われているということです。先日、ダラダラテレビをみていたら、スマップのキンスマというのと、うたばんでともに、アットホームカフェの香具師がでてきて、「アットホームで萌え萌え~」とか、まぁとろくさいことをやって、司会のスマップの中居君とかがポカーンとする、というよくあるパターンを踏襲していました。同じ局で同じカフェが似たような内容でくどくどやられていたことにまず驚きました。おそらくこの二番組は視聴者層も結構重なると思われ、二番煎じは一番やってはいけないことであるのに、それが平然と行われていたからです。


 明らかにヤラセの宣伝番組(わたしもこれに乗せられてアットホームカフェという名前を覚えてしまいました)だったので、クオリティのあがりつつある昨今のオタ特集に比べると、低クオリティだなと思うとともに、TBSはだめという印象を持ちました。


 まぁそれは今回一番いいたいことではなくて、萌えということばの乱用について思うところがあるのです。こういった番組では皆さんもご存知のように、メイドがでてきてそれにサクラであろうと思われるオタが、萌え~とかいうのが一種のテンプレートになっているような気がします。そして、呆けた顔をして、「萌え~」というイメージがアキバ系として一般的に植えつけられているようであります。それは流行語にもなったことから裏付けられているような気がします。


 そこで、もう一度改めてオタの皆さんに問いたいのですが、萌えという言葉はこんなに軽いものだったのでしょうか?軽いというか、私の印象では、ほんの2,3年前には口に出すことすらはばかられる、内なる思いとしてあったのではないでしょうか。定義云々はだからこそ難しかったのであり、なんというか、少なくとも私にとっては、とにかくリアルライフにおいて禁句ですらあったのです。これは私の個人的感傷ですから、皆さんのご感想をお待ちいたしております。


萌えオタよロゴスを抱け。

 季節逆フォー!


 リアル世界はこれから冬に入っていくというのに、あえて夏の話をする感覚に脱帽です。以前にもこういうアニメはあったのかもしれませんが、寒くなっていく中で、キャラが暑い暑いとかいっても、感情移入できなさではピカイチです。しつこいようですが、私は感情移入できるとやはり面白いと感じる(客観的にアニメみてもタダの批評家であり、楽しむことからは遠い気がします)ので、その点ではこのアニメは一歩出遅れています。


 とはいえ、これはひさびさにみた、まったりアニメという感じがします。なんだか昨今の萌えアニメは変に笑いをとろうとしたり、メンヘル的要素を持ち込みすぎていて、殺伐とした現実世界をそのまま反映するような作品、いい意味でも悪い意味でもリアルなものを目指している作品が多いと感じていたので、ここまでヌルいアニメだと逆に好感が持てます。


 現実の殺伐を鑑み、またあえて季節を逆に持ってきたことも鑑みると、こういった平穏な日常的なものが一番ありえない、ということに逆になるのかもしれませんね。原作のねこねこソフトですら、「普通の学園モノ」と銘打っているわけですから、超展開はないものと安心しきってみておりますが。

げんば

 という感じで、腐についてえらそうなことを書いた手前、ちょっと会話を小耳にはさんできました。


 で、結論としては、BLというのは非常にネタ臭が強いものとして受け入れられているのでないか、ということです。以下会話


 A 「私この前7冊も買っちゃった」

 B 「え?まじでw」

 A 「いや、普通のコミックも入れて。BLは一冊だけだよ」

 B 「そっか、それまぁ普通だよね。私の友達はそうやって全部BLのもいるけど」


 ということで、この部分だけを参照にすると、女オタがネタとしてBLを買うという像が浮かんできます。実際女オタもそもそもは少女マンガから入る香具師が多いわけで、普通の恋愛を軸にしたアニオタ、漫画オタが大多数のような気がします。


 実際、BLというのを男の側からみたら、百合であり、そういったものは、マリ見てなどの成功例があるとしてもメジャーなマーケットにはなっていないしなりえないとも言えるでしょう。小石本くんが以前散々いっていたように萌えオタは大多数が抜きネタとして同人誌を買うわけですし、局部が描かれていないのは非常に難しい。感情移入しやすいのが男なのかもしれません。作中に男が出てこないとつらい部分があるとか。


 といっても、昨今のBLのフィーバー振りは尋常ではないともいえ、やはり本気になっているのが多いとも言えそうですね。だとしたら理解できない領域でもあり、男オタからみると、アキバ系としてつるし上げられたことを思い起こすと、イケブ系といってつるし上げられることもなく、平然とオタライフをエンジョイしている女オタが憎くもあるわけです。また、前の回でDランク君が書いてくれたように、腐のほうがしっかり二次と三次の区別をつけているともいえそうです。こういった切り替えの早さもイラつくところであります。女の方が切り替えが早いとか、割りきりがいいとかいいますが、こういうところにも現れているのかもしれませんね。