(富山県:山本哲志氏提供)
<1997年11月26日>
4日目の終わり間際に、公然と非難攻撃が起きました。
「今まで、念仏だけで、誰でも救われると聞いてきた。無条件だと
聞いてきたが、あなたは、信心決定せねば助からんというが字も
読めない人、仕事が忙しくて聞けない人は、どうなるのか。信心
決定という条件をつけているじゃないか。間違っている!」
これにどう答えるか。おざなりの答えでは、納得しないどころか、
これまで喜んで聞いておられた人達も御縁がなくなるかも知れ
ない。
家に戻り、夕食もそこそこに、どう答えれば一番いいか、悩みに
悩みました。
「弥陀の本願は無条件ではない。あなたが聞き間違っています!」
と答えることもできるが、彼らは必ず、台湾の出家の先生の教え
をあなたは否定するのか!在家のおまえに何が分かる!と反発
し、皆を連れて去ってゆくだろう、
どう答えれば、どう言えば、と考えているうちに時間がどんどん
過ぎてゆきました。
そして夜が白々と明けかけた朝4時頃、ひらめきました。
そして、「よし!これでいこう!」と、心が決まったのです。
★誤りを正す
5日目、法話のはじめから、女性2人は回りの人たちに耳打ちして
「あの日本人の話は間違っている。答えられないよ、フフフッ。」と
あざ笑っているのが分かりました。
さあ、破るしかない。厳しい言い方では反発されるのでできるだけ
感情を抑えて、丁寧に、穏やかな口調で始めました。
「昨日、弥陀の本願は無条件じゃないのか?と言っている人が
ありましたが、、、」
と言うと、2人の動きが激しくなり、耳打ちのスピードが増しました。
彼らが師と仰ぐ台湾の僧侶が、絶対無条件、と言っているので、
否定すると、腹を立てるので、こう言いました。
「弥陀の救いは無条件、というのは勿論、間違いではありません。
しかし、無条件だったと知らされるのは、縦の線の一念の時なの
です。聞きはじめは、信仰の幼稚園で、『無条件じゃそうな、
有難いことじゃ』と思っているのです。
それが聴聞を続けてゆくと、『本当に無条件で助かるのか』と
なるのです。
大無量寿経には『易往而無人』と、お釈迦様は説かれているし。
『易往而無人』、往き易くして人無し、と読み、極楽には、往き易い
けれども、行っている人が少ないということですが、往き易いなら、
往っている人が多いはずなのに、往っている人が、少ないとは、
どういうことか?
(※中国語で「無人」は人が少ないという意、人がないは「没人」)
どうなった無条件か、無条件が分からん、となるのです。
それが、縦の線のこの一念の時、信心決定した時、
『無条件という言葉も要らない、無条件であった!』と、初めて
知らされるのです。
また念仏だけで助かると言われましたが、ならば他は要ら
ないが、「念仏は必要」ということになり、念仏が条件になるの
ではないですか?
この一念の時、信心決定したら、聞いたのも、称えた念仏も、
やった善も、すべて間に合わなかったと知らされるのです。
その時、『無条件という言葉も要らない、無条件だった!』と
一切の自力がすたるのです。
日本でも、念仏さえ称えれば極楽へ行けると、思っている人が
多いですから、聞きはじめの人には当然出てくる質問ですね。」
と、ゆっくり、懇切に話したつもりです。
すると、あれだけ騒いでいた2人が、次第に静かになり、最後は、
借りて来た猫のように、おとなしくなったではありませんか!
※高森顕徹先生から教えて頂いていた「ただ」を、「無条件」に
置きかえました。
そして、この日、終了後、特に真剣に聞いておられた別の3人が
「今週の報恩講に参詣したいです。日本に行きたいです、手配を
お願いします。」と申し出られたのでした。
★大変わり
男は意地や我慢が強いのですが、夜、非難の急先鋒だった彼女
達は、先程までの態度とは打って変わり、私を、広東鍋料理店
(勿論、精進料理)に招待してくれました。
「誤解しないでもらいたいのですが、私が耳打ちしていたのは、
お婆さんたちが、北京語が分からないので、通訳していたん
ですよ。」
明らかな、嘘ですが「そうですか!有難う。助かりました!」
と、彼女達の労をねぎらう?と、とても喜び、11月25日、帰国
前日、責任者である香港の尼僧さん2人と、彼女達の合計4人
が、デパートへ誘ってくれ、沢山の土産を買ってくれました。
報恩講に御縁のあった人が言っておられました。
「はじめ、疑っていた人達も、続けて聞いて、これはひょっとしたら
正しい教えかも知れない。この人と友達になっておいた方が得だ
と思って皆、招待するんですよ。」とのことでした。
※香港の人はいつも大変分かり易いことを言われます。ここが
面白いのですが、この時も、頷かずにおれませんでした。
もしここで、対応を誤っていたら、その時の人は一人も残って
おられなかったかも知れません。
無上仏のご加護を有難く思うと同時に、日頃の高森顕徹先生
の御教導に感謝せずにおれませんでした。