私がサンフランシスコに来ると、
必ずお話しするМさんは、
京都弁が似合う気さくな女性です。
あの有名な染織研究家、
木村 孝さんの妹さん。
木村 孝さんと言えば、93歳でも
講演活動のスケジュールがギッシリの、
現役バリバリの女性ですが、
妹のМさんも、人並み以上に読書をされ、
色んなことにお詳しいので、
お話ししていて勉強になります。
ちなみに、このМさんの息子さんは、
これまた名の知れたフォトグラファー、
世良武史さん。
私が、近々セッションで、
福山雅治さんの歌を歌う予定、
という話題になったとき、
「息子がこのあいだ、福山雅治さんの
写真を撮ってましたよ」
と言われ、
初めてそのことが分かりました。
今日は、そんなМさんから聞いたことで、
とても考えさせられる話がありました。
Мさんは、左目が見えず、右目もよくない為、
外出時、白い杖が欠かせない視覚障害者です。
毎年、冬に日本に行かれ、
東京に滞在されるのですが、
「日本とアメリカのモラル」について、
ご自身の経験を通して教えてくださいました。
アメリカでは、白い杖をついて歩いていると、
どんな人もすぐに道をあけ、優しく見守り、
何かあればすぐに手を貸してくれます。
何かのイベント会場などで、
女性トイレが行列のときには、
自分より20人も前に並んでいる人が、
わざわざ後ろまでやってきて、
「どうぞ^^」と笑顔で譲られます。
ハンディキャップのある人に対して、
殆ど人がそう(常識)で、
嫌な顔も見せず、多くの人が、
優しい笑顔で見守られます。
しかし、日本に行かれると、
これが全く正反対。
白い杖を持っていても、
殆どの人から、
労ろうという思いが感じられず、
気にとめられず、
時には、邪魔者扱いだそうです。
たとえば、駅の階段を下りるとき、
日本の階段には、
階段のステップの淵に
目立つ色の印がないため、
目の悪いМさんにとっては、
ステップ一つ一つが独立して見えず、
まるで急坂のスロープのようで、
横の手すりにすがりながら、
杖もつきながら、
一つずつ足場を確かめながら、
ゆっくりと下りられます。
ある日、新宿駅で、階段を
下りておられたМさんの後ろから、
若い人が
「おい、そこの目くら、どけ!」
と言ってきたそうです。
喧嘩しても負けると思われたМさんは、
仕方なく、大人しく、横にどいて、
その人が先に行くのを譲られてから、
再び手すりにつかまって
下りていかれたそうです。
また、駅の構内や、色々なところに、
眼の不自由な方でも
杖などを使って
足の裏でも感知しながら
安全に歩けるように、
黄色の視覚障害者誘導用ブロック
(点字ブロック)があります。
そこを、杖をついて歩いていても、
ほとんどの人は、よけようとしないため、
いつも、自分がよけて
歩いておられるそうです。
電車に乗っても、若い人が、
長い足を曲げず前に放り出して、
ゲームみたいなものを
一生懸命にやっており、
その前に立っても、
若い人は席を譲らないそうです。
これまで、日本で、
電車で席を譲ってくれたのは、
お年寄りと、外国人のみ。
日本の若い人から
席を譲ってもらったことは
まだないそうです。
Мさんから、こんな話を聞きました。
私は、勿論、
日本の若い人たちの中には、
そういうときに席を譲ったり、
積極的にボランティアに励む人たちが
大勢あることを知っています。
しかし、色々な人がある
とはいいながら、
殆どの人が障害者を労わる場所と、
殆どの人が障害者を気にとめない
という場所とでは、
明らかに違いがありますし、
当該者は、誰よりも敏感に
それを感じておられると思います。
アメリカと日本を往復される、
人生経験豊かな大先輩のコメントには、
”大多数の障害者に対する思い”
という点で、
その明らかな違いが含まれている、
と言わざるを得ない思いです。
東北の大震災の直後、
未曽有の混乱と闇の中でも、
驚くべき高さの秩序を保つ日本人は、
確かに世界中で一目おかれ、
感動を呼びました。
しかし、私も実際に
アメリカと日本を往復しながら、
たとえば自動車のマナーをみても、
日本よりもカリフォルニアの方が、
ずっといいように感じます。
めっちゃヤンキー風な、
音楽をガンガンならしている車でも、
お年寄りの人が道路を歩いていると、
車をとめて、ニコッと笑って譲る、
という場面を何度も見ています。
日本では、
教育が悪い、学校がもっとしっかりせよ、
などという意見も聞きますが、
親が学校の先生を馬鹿にしていて、
それを見ている子供が学校の先生を
尊敬するはずもないと思いますし、
尊敬も出来ない先生からは
当然、学ぶことも少ないでしょうし、
それでは教育も沈滞する道理
だと感じます。
親にも大きな責任があると思います。
知育も体育も大切ですが、
徳育も重要で、
すべての行動パターンの元が
”心”なのですから、
「どんな心であるべきか」
という問題や、
正しい方角に心が向かう為の
「心の栄養」というものは、
人生全体を揺るがすほどの
優先項目だと思います。
そういう方面の、理解のある方々が、
日々、尽力なされていることと思います。
私もその1人として、
心の奥底の問題を、心の闇を
1人でも多くの方々が解決なされて、
自他ともに、晴れやかに、
安らかに、楽しく生きていけるよう、
微力ですが尽力していきたいと思います。
最後まで読んでくださり、
どうもありがとうございました。
駄文にて失礼しました。
いつも、 ありがとうございます
素敵な一日をお過ごしください
~また、お会い致しましょう~ ^ω^)