来月は、お盆ですので、
ちょっと難しい内容だと思いますが、
今日は本職に直接触れる内容で。


Now that I have boarded the ship of Amida's great compassion,
now that I am afloat on the vast ocean of brightness,
the breezes of supreme joy blow softly
and the waves of all woe are transformed.
        (Master Shinran)

大悲の願船に乗じて
光明の広海に浮かびぬれば
至徳の風 静かに
衆禍の波 転ず
     (教行信証/親鸞聖人)



~ 大 意 ~

  たとえるならば、

  次から次と
  苦悩の波絶えることなき
  人生の海に、

  ”あなたの苦悩は私の苦悩”
  ”あなたの安楽が私の安楽”
  ”その苦悩を取り除き
   妙なる安楽を与えたい”
      という
  ”苦悩の人が正客の
         大慈悲心”
  その願い通りに
  実現させる力のある
  大きな船が存在する。

  その船に乗った人は、
  乗った時から、

  ”何のために生きているのか”
  ハッキリしなかった心の闇が
  浄らかに打ち破られ、

  ”この為の人生だった
   人間に生れてよかった”
  と光明輝く人生に転じる。

  この幸せはちょうど、

  順風満帆の航海で
  そよそよとすべる潮風のように

  至上の歓喜がいつも
  心底静かに流れているから
  順境には感謝が溢れている。

  そして
  嵐で荒れ狂うどんな高波にも
  何んの影響も受けることがない
  とてつもなく大きな船で、
  むしろ絶対の安全を
  一層喜べるように

  深刻極まる人生の逆境も
  僅かも碍りにならず
  むしろ感謝と喜びの種に
  転じてしまう、不思議な幸せ。
  

 だから、これは、

   金が儲かった
   健康になれた
   美味しかった
   大きな家を建てた
   高級な車を買った
   高名なステイタスを入手した

 などの幸せとは、異質。

 
 なぜならば、

 それらは、
 生きる為に必要で、
 あれば結構、
 とても大切なもの、

 ただ、しかし、
 
 災害、事故、老化、大病、死
 或いはその他の逆境によって、
 どうしても色褪せる宿命から
 逃れ得ない幸せだから。

 難波のことも、夢のまた夢と
 やがて必ず消え失せてしまう
 一時的な幸せだから。


至徳の風 静かに
衆禍の波 転じる幸せとは、

そんな事態に陥っても、
どんな人生のピンチに立たされても、
今、終わる、という最期でも、
一向に
”人間に生れてよかった”
と揺るがず、
むしろそれらの逆境がひときわ
御恩喜ぶ種に転じる幸せだから。。。



 ”そんなもの、あるわけない”

という常識も、
老病死を超える確かな幸せが

      ”ある”

ということと、その幸せに

  ”どうすればなれるのか”

ということ、

これら2つを
懇ろに、丁寧に、詳しく
示してあるものが、
日本の国教でもある仏教であり、
お経であります。


わたしはそれを、

お経を死人のご馳走ぐらいに
思っている方々にも

ちゃいますよ、生きた人への宝ですよ
と、言いたい、
知って頂きたい、と思っています。

   (^人^)合掌



しあわせのいずみ




しあわせのいずみ-哲学ブログランキン
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