アウトプットすること。
わたしは、自分の心内を外に出すということがものすごくニガテでした。
誰にでも話せる内容かどうかとか、色々条件や折り合いはありますが
今なら大丈夫、というタイミングでアウトプットをすることは、心にも体にも健康的なことです。
さて、ヒドゥンの話を。
実はわたし、小さい頃…いや20年〜25年前くらいまで
ピンク色禁止でした。
バイアスありまくりの発言なのを承知ですが
女の子なのにピンク禁止です。
昭和から平成にかけて育っているわたしは、
例に漏れず、女の子の色と言われていた
ピンクや赤、白、といった色がすごく好きでした。
この小さい頃好きだった色を突き詰めていくと、今、1番好きな色がマジェンダというのは我ながら納得なのですが
とにかく、そういう女の子っぽいファンシー文具やサンリオ商品にありそうな色味は好きでした。
でも、ピンク禁止だったのです。
なぜなら『ピンクはお母さんの色なんだからダメ』といつも却下されてしまっていたから。
ここには、ピンクが好き=ませて色気つく という母の強い強い信念システムがあったからなのですが
でも、ピンクかわいいじゃないですか?
かろうじて、七五三の着物などはもともと誂えてあったものが赤(朱色)だったから良かったものの
好きな色を選べないって、かなりのストレス。
小学校に入って、文房具(えんぴつとか筆箱とか)はピンク色でもOKになりましたが
お洋服やハンカチなど、身につけるものはとにかくピンク色禁止。
そこでわたしは
いつしかグリーン系の緑、黄緑色、若草色を選ぶようになっていました。
小説の若草物語が好きだったこともあって、若草色ってどんな色だろうと興味を持ったことも大きかったです。
これがね。
緑、若草色や緑味の強い黄緑色を選ぶと褒められるのです。
そうすると
まあ嫌いな色じゃないし、ピンクは選ばせてもらえないけど若草色とかを褒められるならば、それが良いんじゃないか??
という落ち着きどころを何とか見出したわけです。
時をかなり経て。
ピンク色禁止に慣れすぎていると、段々モノトーンや紺色とかが無難妥当になり
とうとう大学卒業式の袴は、宝塚みたいに緑と黒じゃなくちゃ嫌だとまで言い放つようになり
(矛盾するようですが、この時はピンクの着物を選ばないことをかなり咎められました)
かなりそこから人生色々を早送りしますが
ピンク色を我が色として大切にできるようになりました。
好きなのに選べない、禁止が続くと
ヘンテコなことなのですが、ピンク色に興味を持つ自分のことを嫌悪するようになるのです。
そして、巡り巡ってTCカラーセラピーに出合ったわたしは
このピンクとライムの補色同士の色を勉強したことによって
ダークとクリアの回で
ああ、わたしにとってピンク色禁止からの若草色などのグリーン系に走っていたのは
補色で自分の本当に好きな色をカバーしていたのか!
と、全てのカラクリが解決したのです。
だからもし
好きなのに選べないとか
嫌いな色とか
本当は好きだったなぁ…と諦めてた
そういう思いを持っている方いらっしゃいましたら
ぜひTCカラーセラピーを受けてみてほしいです。
そりゃ、生きてる過程で色の好みって変わるものです。
何なら多感な時期に
好きな人がこの色が好きだったから、という理由でその人色に染まったことだってあるかもしれない。
この世にある全ての色は、あなたを愛してくれています。
どうぞ、色のメッセージを受け取ってください。
そして、ご一緒に色飲み会しましょう!


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