時折、このブログで綴っていますが



わたしは、幼少の頃から冷めた感覚、いわゆる「こどもらしくない」タイプでした。



そのせいか


大人たちが使う言葉と行動に「なーんか変」と思うことがありました。


それが


「させていただく」と「してあげる」



何でもそうなのですが大人から「してあげたでしょ?!」



と言われると、わたしは心がフリーズしてしまいました。


それはいい大人になった今でも変わらないです。思考停止になってしまう。



例えば、缶ジュースを開けるとか栓抜きでカルピスの栓抜くとか、

缶詰を缶切りで開けるとか(私の小さい頃は全部缶切りです)



そりゃ子どもには危ないし大変だよねということを



「危ないからやってあげるよ」というのは大丈夫なのですが



「連れてってあげたでしょ?」とか「せっかく〜してあげたのに」とか言われると



もう、ごめんなさいとしか思えなくなってしまう。




ちなみにこの時、わたしがワガママを言ったり駄々を捏ねてからの流れではありません。



おそらく、大人は大人の都合があって


(疲れてるのに)やってあげたんだから


(大人だから)してあげた


(悪い人と思われたくないから)してあげた



とか、様々な理由があったのかとは思いますが



今に至るまで、わたしは「してあげる」は極力使わないようにしています。







一方で「させていただく」は




自分がある程度分別と行動を伴えるようになってから



主に仕事の場では重宝するなぁと感じています。



過剰に遜るために、相手を立てるために用いるのではなく


自然発生的に「させていただく」という思いを込めて「〜する」と行動できる自分でいたいと思うからです。



かといって、慇懃無礼の「させていただく」は好きではありません。


ここにはやっぱり「してあげた」感がぷんぷんするから。




そりゃ〜わたしだって人間ですから


スケジュールを調整して工面した先方からのアポがいとも簡単にドタキャンされたとか


セッションのお約束をしていたのに2度3度と時間や日程の変更連絡が入ったりすると


「んぁ?」と思ったりします。



「させていただく」も「してあげる」も、バランスなんだなぁ…と年齢を重ねるごとに思いますし


そういうバランスが調った方からご親切やご厚意をいただくと


本当にありがたさが骨身に沁みるようになりました。



この


「させていただく」と「してあげる」のバランスが程よいと


いわゆる人間関係はうまく回りますし、それに伴って経済も回ります。


だけど、みんな人間ですから


誰かのために何かをしたことに対して


感謝されたい、良い人と思われたいと思うのも事実ですし


誰かのために何かをしたことに対して


当たり前と思われてスルーされたり、気づいてもらえなかったり


気づいて欲しくてただ待ちの姿勢で「分かってもらえない」と不満を溜めてもシンドイ。




同時に


誰かがあなたのためにわたしのために何かをしてくれたとして


そんなの向こうは仕事だからお礼なんて言う必要もないでしょ、とか


こっちはお金払ってるんだから当然とか


親なんだから、子なんだから、きょうだいなんだなら、友だちなんだから、夫婦なんだから、先生なんだから、生徒なんだから


といった自分から見た立場で決めつけてしまったり


アテ(依存)にする感覚が先に出てしまうこととか


そういう気持ちなども


「させていただく」と「してあげる」のバランスが崩れやすい。




きっとわたしたちは



そういうバランスを取っていくことを学ぶために、今ここで生きているんだろうし


そこにある経験と様々な感情が


自分を調えたり律したり、時には怒りとか憤りという形で見つめるのだろうと思います。






今日のあなたの「させていただく」と「してあげる」のバランスはどんな感じですか?


それは、人に対してだけでなく自分自身に対してどんな感じですか?




ルンルンおしらせルンルン
 
 
 
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