わたしは割と古風なタイプだなと自分でも思うのですが



親しくしている人たちのことは、ほとんどを家族同様に思っています。



だから、結婚などでできたご縁というのは、例えば兄弟姉妹の連れ合いであっても、やっぱり家族だと思ってるし


連れ合いの親御さんのことも家族だと思うタイプ。




そんなわけで



嫁姑舅とか義理の両親とか、世間様をみても自分の近いところに置き換えても、所詮他人という感覚はあまりありません。




でも同時に



生まれ育った兄弟姉妹、親、祖父母は確かにオリジナルファミリーなのですが



家族だと思っているけど、ものすごく冷静に他人という境界線を持っているし



先に挙げた、親しくしている人たちのことも家族だと思っているけど、押し並べて他人だと思っています。




何でそんな風に思えるのか?


わたしの大好きなアニメ、ドラえもんのパラレル西遊記という映画の最後のシーンで


のび太くんのママが『ドラちゃんだってママの子よ』とドラえもんに語りかけるシーンがあるのです。
普段はママはガミガミ怖いけど、愛がありますね…


この作品の影響は大きいかもしれないです。





でも、綺麗事にも聞こえるだろうし矛盾しているようにも聞こえますが




所詮他人の集合体が協力して、時に血の繋がりを通して学んでいて


時にステップファミリーとして学んでいて


時にインロウとして学んでいて


時にクラスメイト、趣味、先輩後輩、仕事をとおして学んでいる




そんな感覚です。




日本人は、血の繋がりや先祖あっての自分というものを重んじる国民性がありますので


○○家の人間
義理の家族は他人
夫は家族
子どもは血が繋がってる


など

他人との区別というものが強いです。



一方で


師弟関係
業務上のバディ
盃をかわす
遠くの親戚よりお隣さん
乳兄弟姉妹
法律にとらわれない婚姻同様の関係
同じ釜の飯を食う
何らかの事情で輸血をしてもらった縁
ずっと住み込みでそばにいてくれた家政婦さん
お世話になりっぱなしだった先生や看護師さん介護士さん


のような、家族同然という区別もあります。




法律で決まっている家族の定義と血縁関係というのが強いと思いますが




ここに固執してしまうと




嫁いだけど、義理の親は血が繋がってないから所詮他人


嫁は血が繋がってないから所詮他人
お婿さんの方が所詮他人傾向少ないの不思議ね…


自分の親はわたしのことを大事にしてくれたのに、お義母さんは冷たい


息子を嫁に取られた


わたしも嫁いできて姑に散々いびられたから、やり返してやらないと報われない




みたいなことが令和のこの時代になっても起こる…という。



考え方、捉え方はそれぞれあるので、割り切る気持ちや尽くす気持ちは自由です。




それを、誇示しない、固執しない、甘えない。




だいたい、自分のオリジナルファミリーだって気が合う合わないが当たり前にあるのに


嫁ぎ先の人たちや奥さんの親兄弟とはどんな関係でも合わせないといけないとか、できます??


友だちだって、年月を隔たりちょっとしたことがあったりしたら


簡単に気が合うときもあれば、亀裂があって別々になるの普通なんだし。


好きで惚れて結婚した相手や、この人ならと思って決めた仕事のパートナーが


いつだって自分の理想通りなんてあるはずがないし、自分も相手の理想通りになんてなってないことあるし


恋人は他人だけど、他人だとは思えないくらい自分の心身と同一化したくなるし


自分が腹を痛めて産んだ子が、理想通りになんてなるはずないし


自分が、腹を痛めて産んだ子の理想通りにだってきっとなってない。



必ずどこかで折り合いはつけてる。



じゃあ、その折り合いをつけるなら


諦めや嫌悪ではなく、好き嫌いは別として、個として尊重していけたらグッと楽になっていきます。




境界線というと容赦ない線引きのように思えるかもしれませんが


尊重線でもあるのです。



家族だと思っているけど、尊重をもって他人と捉える。


他人だけど、縁があったから尊重をもって家族と捉える。



そんなクールだけどホットなマインド、おすすめです。




ルンルンおしらせルンルン



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