人生は習慣によって創られる。自分にとって大切なものだけをポケットに入れて、大切なものをまっすぐに大切にして生きる。自分に無理なくできることで他人に貢献し続けることが、やがて自分のあり方となる。
時代や流行というのは、それに飲み込まれている間は気づけないし、飲み込まれていることすらわからない。それは、川の中の魚にとっては、水のようなもので、「水」から出た時に初めて気づくことができる。「自分はこういう水の中にいたのか」と気づくことが、ライフコーチング…。ライフコーチング の本質とは、単なる問題解決ではありません。「自分がどのような前提(水)に支配されていたのかを突き止め、自分にふさわしい新しい前提(水)を自ら選び直すこと」…。
大切なものを大切にする【土壌】未来のビジョンを描く【種まき】貢献感を持って今を生きる【水と光】望む未来は、発芽する望む未来とは、「自分の力だけで作り上げる」のではなく、「自 然の摂理に委ねて現れる」もの…。
無理に大きな音を出そうとしなくていい。ただ、今の自分に最も心地よい響きを探してみる。「もともとの楽器(あなた自身)は素晴らしいものである」壊れているわけではなく、ただ「調律」が必要なだけ…。
仕事の取り組み方を伺うと見えてくるものがあります。人生の向き合い方って、仕事の向き合い方と表裏一体…。ワークライフバランスと言って、別々に天秤にかけるようなものではないと思うのです。それは、単に「仕事が人生の一部である」という量的な話ではなく、自分の「あり方」がどの場面でも滲み出てしまうということ…。仕事は、社会や他者という「外側の世界」に対する自己表現の場です。一方で、人生への向き合い方は「内側の世界」との対話です。人間は、「自分をどう扱っているか」と同じよ うにしか、仕事を扱うことができません。「ワークライフバランス」という言葉に代表されるように、仕事と私生活を切り分ける考え方もあります。しかし、本質的には、「仕事をしている私」と「生きていく私」に別々の人格があるわけではありません。人生において「大切にしたい価値観」は、職場のデスクに座った瞬間に消えるものではありません。もし仕事でその価値観を押し殺していれば、人生全体に「嘘をついている」状態になります。逆に、人生で深い安らぎや充足感を感じている人は、その余裕が仕事における創造性や人間関係の豊かさとして表れます。「人生を良くするために仕事をする(仕事=手段)」と考えているうちは、両者は分離しています。仕事への向き合い方を整えることは、人生の土台を整えることであり、その逆もまた然りです。「結局、どういう心持ちで(あり方)そこに存在しているか」ここが問われているのだと思うのです。
「過去の解釈」という上流を整えることで、下流である「現在の行動」が、努力感なく、さらさらと流れ出す…。今を生きるとは、過去のすべてを肯定し(愛し)、未来のすべてを意図した上で、その巨大なエネルギー(愛)が「現在」という一点に収束して、淀みなく流れている状態。
思い込みに執着しているとそれが執念となり、まわりが見えなくなる。そして、自分自身を見失っていることに気づけなくなる。ライフコーチって、主張でも説得でもなく、ただ「あなたは今、自分の心を欺いていませんか?」と、笑顔で温かく見守りながら、問い続ける存在だと思う…。人間は、可能性を秘めた素晴らしい存在…。否定も肯定もせず、ただそこに在る(Presence)。その安心感の中で初めて、人は「損得」や「優越感」という外側の基準を降ろし、自分の内側へと潜っていくことができる。
「relax first.」と掲げて、日々を大切に過ごしている私の友人がいます。relaxしている時、私たちは本来の自分の魅力を発揮することができます。その魅力は、輝きとなり、同じ輝きを発する人、その輝きを求める人との繋がりをもたらします。relaxは、ご縁を紡ぐための最高の「あり方」だ。「relax first.」は、揺れ動く自分を整えること。整っているからこそ、豊かなご縁が生まれる。
10年後の幸せよりも、今日の食事の納得感の方が価値があると思うのです。「10年後の大きな幸せ」は、「今日の納得感」が積み重なった結果として、後からついてくる景色に過ぎない。
「未来を何とかしようとするのではなく、未来を形作る『影の源(今のあり方)』を整える」「過去の解釈を変えることで、今ここにある『実体(あり方)』を変容させ、結果として未来に映し出される影の形を自由に変えることができる。」「未来は過去の連続体でありながら、今のあり方次第で、いくらでもその形を変えられる自由なキャンバス…。」そう思えるなら、人生既に変容しはじめています。
「やり方のミス」ではなく、誠実で一生懸命だっただけ。頑張りどころを間違えてはいけない。あり方がズレると、引き際が見えなくなる。それは、あなたがそれだけ誠実に、誰かのために、あるいは何かのために命を燃やそうとしたから。でも、これからはその誠実さを、自分自身に向けてみませんか?
便利さは人間を退化させ、手間は人間を豊かにする。「効率化して浮かせた時間に、また別の『やるべきこと』を詰め込むのではなく、あえて手間をかけ、そのプロセスを味わう。余白を味わうって、こういうことだと思う。
「頑張っているのに報われない 」のは、頑張りの出発点「あり方」がズレているのかもしれない…。狂気とは、同じことを何度も繰り返し、違う結果を期待すること。Do More.↓Do Something Different.
望む未来が「出現する」瞬間、そこには必ず他者との響き合いがあります。一隅を照らす人のまわりには、その光に惹かれて人が集まり、新たなつながりが生まれます。「幸せは、求めるものではなく、ふと気づいたらそこにあるもの」
「創造」とは、必ずしも大きな作品を作ることだけではありません。・目の前の出来事に新しい意味を見出すこと。・日々の暮らしに手間暇かけて、丁寧に紡ぐこと。・誰かとの対話の中で心通わせること。これらすべてが、エネルギーを「創造」へとシフトすることだと思います。
「人ができないことを軽々とやってのける」のがスキルのプロ(Doingのプロ)であるならば、「自分にとって大切なものを、何があっても大切にし続ける」のは、「あり方」のプロ(Beingのプロ)だと思う。
最近は、あの手この手で、使用価値と関係価値について言葉にしています。私は、物事を多面的に表現した結果、全体像を掴むということを大切にしています。たった一つの正義や答えなんてない。自分の立場や時代背景、自分の年齢などに置いて、正義や答えは変わってしまう。私は、それでいいと思っています。時間軸を区切り、その場で判断する必要はない。人生という長いようで短いスパンで判断すればいい。それで納得するなら、人生マル(〇)なんだと思う。3.11 東日本大震災の日に想う。使用価値から関係価値へのシフト…。ともに生き ともに創る命に限りあるものだからこそ、つながり助け合うことこそが価値となる…。「モノの豊かさ」から、人としての「心の豊かさ」へとシフトしていく…。タイパ・コスパ、「モノの豊かさ」を追求しすぎた結果生み出された格差…。「使用価値」から「関係価値」へのシフト戦後の日本社会は、「使用価値(何ができるか、何を持っているか)」を重視してきました。これは、対象を「道具」や「手段」として見る機能的な価値観です。しかし、震災のような極限状態において、私たちを真に支えたのは「役に立つ道具」ではなく、「ただそこにいてくれる存在」や「共感し合える絆」でした。使用価値: 役に立つか、効率的か、いくらで売れるか(機能・所有)関係価値: 互いにどう響き合うか、どのような物語を共有しているか(存在・共創)「関係価値」へのシフトとは、自分や他者を「機能」で判断するのをやめ、「関係性の中に生まれる意味」を豊かさの源泉に据え直すことを指します。「命の有限性」からの「つながり」命に限りあるものだからこそ、つながり助け合うことこそが価値となる。もし命が無限であれば、私たちは他者を必要とせず、自己完結したままでいられるかもしれません。しかし、命には必ず終わりがあり、私たちは一人では生きられない存在です。「命の有限性」を認め合うとき、助け合いは「弱さの補填」ではなく、「命を分かち合う行動」へと昇華されます。限りある時間の中で誰かとつながることは、自分の命の火を、相手の命へと繋いでいくプロセスそのものです。「ともに生き、ともに創る(共生と共創)」「ともに生きる(共生)」とは、単に隣にいることではありません。相手の痛みや喜びを自分のこととして受け止める「共有・共感」大切にすることです。そして「ともに創る(共創)」とは、そのつながりから新しい未来や価値を生み出していく創造性の発揮です。3.11を経験した私たちが学んだのは、「絶望の中でさえ、人は誰かと手を取り合うことで、一人では決して見られなかった景色を創り出せる」という希望でした。以上を踏まえて、「使用価値」を一言で表現してみるなら、以下のようになると思います「使用価値」の世界は、繋がりを分断させることによって成立する世界。自己責任という言葉で、私たちを孤立した点とすることで、あらゆるサービスが生み出されている。昔は、情報が操作され、情報を出さないことで分断していたように思いますが、現代社会は、インターネットの発達により、溢れる情報により、思考停止にして、分断しているように感じます。「分断」が利益を生む本来、人間は「分かち合い、助け合う」ことで、コストをかけずに豊かさを育むことができる存在です。しかし、使用価値を最大化する市場経済において、その「つながり」は不都合な障壁になります。家族や近所の助け合い(関係価値)があれば不要だったものが、一人ひとりをバラバラの「点」にすることで、有料の「サービス(商品)」として成立します。つながりを断ち切り、個々人を不安にさせるほど、その穴を埋めるためのサービスが必要となるという構造です。「自己責任」の意味の変化「自己責任」という言葉は、本来の自立を促すものではなく、「他者に頼ることを恥とする」意味に変化しています。(日本人の恥に対する文化的な背景もそれを加速させているようにも感じます。)「自分のことは自分で」という規範が強まるほど、人は助けを求められなくなり、内側に閉じこもります。そして、助けを求められなくなり、内側に閉じこもるほど、他者とのつながりは失われていきます。「分断されていることに気づく」ことが第一歩私たちが「点」であることを拒み、細い「線(関係)」を結び直すとき、そこに価値が生まれます。「一人の人間として、弱さを持ったままつながる」こと。それこそが、使用価値から関係価値へシフトする第一歩になります。 あなたは一人で頑張らなくていい。 その分断は、あなたのせいではなく、 社会の仕組みが強いているものなのだから。てつ|あり方探求ライフコーチ
結局、人生は、自分にとって、大切なものを大切にした人が、人生に納得できているように仕組まれている…。ふと、そのように思うわけです。世の中の多くの仕組みは、「未来の報酬(いつか手に入る成功や安心)」のために、「今」を犠牲にすることを求めがちです。しかし、それではいつまで経っても、「今」が満たされることはありません。「今」が 満たされることがないので、望む未来も出現しない…。納得感とは、未来の成功によって得られる報酬ではなく、「今、自分にとって価値あるものに命を使っている」という、実感そのもの…。「大切なものを大切にできているかどうか?」これは、他人が大切にしているものではなく、自分が大切にしているものを大切にできているかどうか?未来の成功を目指しているときは、今はまだ「未完成なプロセス」に過ぎません。しかし、「今、価値あるものに命を使っている」という実感があるとき、その瞬間はすでに完成しています。その「完成された今」をつなぎ合わせていった結果が、「仕組まれていた」と感じるほどの美しい一本の道(人生)になる…。納得感とは、タイパ・コスパという損得勘定で得られるものではなく、価値あるものに命を使う行動の積み重ねから得られるもの…。
「自分との繋がり」は根っこであり、「他者との繋がり」は枝葉…。根が深ければ枝は伸び、葉が広がり、光を浴びるほど、根はさらに深く広がる…。ライフコーチングの本質ってこういうことなんだろうな…。