東京45年 -2ページ目

東京45年

好きな事、好きな人

東京45年【92-3】自由ヶ丘、帰宅

 

 

 

1986年2月 知床の後、東京

 

 

それの日から、3月は動きに動いた。

 

 

猛烈に動いた。いや、動かされた。

 

 

副会長宅で食事会

 

日本山岳協会の理事会出席

 

寮で激励会

 

グアム旅行、玲と二人

 

おまけに、副会長主催で玲の実家で、俺達二人の結婚の前祝いをして貰った。

 

 

 

怒涛の3月だった。

 

 

 

 

 

先ずは、3月初旬に根津の副会長宅で食事会。

 

 

と言うより、俺の就職祝いだった。

 

 

『いやあ、よく来てくれた!!!今日は良い日だ!!!』と副会長が言った。

 

 

『玲子さんの手料理が食えるなら、僕は何処にでも行きますよ。あははは』と田口さん。

 

 

玲は家で作ったソースや味噌やスープを副会長宅に大量に持ち込んで、副会長の奥さんと台所で料理を作った。

 

 

スープ、サラダ、前菜、おじや、魚料理、肉料理、デザート、チーズ、お茶。。。。

 

 

全部で10品をあっという間に作った。

 

 

酒は、みんなで持ち寄ったが、副会長宅の高いお酒ばかりを飲んでいた。

 

 

玲の料理を目当てに集まったのは、日本山岳協会副会長、三菱電機古田副所長、朝日新聞田口さん、黒部の衆渡辺さん、山と渓谷社編集長だった。

 

 

それに、副会長の奥さんと玲と俺だった。

 

合計8名。

 

 

 

 

乾杯の音頭は、古田副所長が取った。

 

 

『今日は、初めてお会いする方々が多いですが、息子の命を助けて貰った島谷君のわがままな就職を祝いに来ました』

 

 

『そうだよ。本当に頑固で、わがままな奴だ』と副会長と合いの手を入れた。

 

 

『彼と会うのは、これが2度目ですが、楽しみな青年です。

 

やってきた事を聞けば、破天荒ではありますが、真摯な態度に感銘を受けております。

 

今回も勤務先を鎌倉から丸の内にしてくれと言われて、四苦八苦しながら、なんとか丸の内に決まりました。

 

ちょうど、三菱電機内で各工場のつなぎ役としての部署を4月から設立する事になっていたので、

 

そこに潜り込ませる事が出来ました。

 

その部署は、設計も出来る技術屋でありながら、各工場を繋げて、

 

ゆくゆくは海外顧客や海外工場との連携も取って行くという、

 

責任が重い部署となります。

 

聞けば、島谷君は世界90ヶ国を渡り歩いた実績がある事から適任とごり押ししました。

 

もちろん、使用期間の3ヶ月間は、鎌倉製作所勤務となりますが、その後は丸の内在籍となります。

 

さらに、聞けば、島谷君は、インドのタタ財閥とも繋がりがあり、

 

三菱電機が次に狙っているインド市場への進出について期待しているところです。

 

と、まあ、建付けだけはしましたが、今後どうなるかは楽しみと不安しかありません。

 

今日は、この様な席に呼んで頂き、大いに語りたいと思います。

 

硬い話は、この辺にして、乾杯の音頭と共に宴に入りたいと思います。

 

では、恐縮ですが、皆様とお会い出来た事と島谷君の就職を祝って。。。かんぱーい!!!』

 

 

 

そこから、飲み会に突入した。

 

 

 

楽しい宴だった。

 

 

 

東京45年【92-2】自由ヶ丘、帰宅

 

 

 

1986年2月 知床の後、東京

 

 

『玲子さん、こりゃあ上手いな。温まるスープだ。なんていう料理なんだ?』と渡辺さん。

 

 

『ドイツのクリスマスの定番です。キンダープンシュって言うんです。

 

だって、大量にミカンがあるから消費しなきゃと思って』

 

 

『こりゃ上手いな。うん、島が言う事が分かったぞ。これは、胃袋掴まれるよな。。。べた惚れになるのも分かるな』と副会長が言った。

 

 

『そうなんですよ。外で飯を食いたく無いんですよ。。。だって家に帰ったら美味い飯があって、玲が居れば、幸せですからね』と俺。

 

 

『羨ましい限りだな。。。ところで、前から言っていたが、本当に止めるのか?』と渡辺さん。

 

 

『やっぱり、そうなのか???』と副会長。

 

 

『こいつは、そういう奴ですから』と田口さん。

 

 

『そうだ、島。内山さんが結婚するそうだ』と編集長が言った。

 

 

『そうですか、良かったですね』と俺。

 

 

『何か一言無いのか?』と編集長。

 

 

『だから、良かったですねと。。。。。


でも、僕も結婚しますから』と俺。

 

 

『お前はいつするんだ?』と副会長。

 

 

『来年かと思っていたんですが、今年でも良いかなとも思っています。出来れば玲が30才になる前にどうかなと思っています。知床で思いました』と俺。

 

 

『新入社員なのに大丈夫か?』と副会長。

 

 

『結婚と会社は別でしょう。

 

それに玲にまだ聞いていないので、分かりません。

 

ただ、夜行で帰って来る時にフッと思ったんですけど。。。。

 

こいつの手料理はプロを負かす程の腕前ですよ。

 

それを自慢したいんです。

 

あと、玲の横だと安心して眠れるんです。

 

それに、もちろんSEXも良いです。

 

そうなんです。


これ以上望む事はないんです。

 

問題は僕が子供だって事ぐらいですかね』


と俺。

 

 

『そんなに早く結婚式なの???もう3月よ。準備が大変だわ』と玲。

 

 

『いや、玲が30才になる前に籍を入れるのも良いし。。。。まあ、ゆっくり決めようよ。。。。結婚式は来春か、来年の6月頃っていうのはダメかな?』

 

 

『うん、それなら良いわよ!!!うふふ、あなたが言う「嫁さん」になれるんだわ』

 

 

『やっぱり、そうか』と副会長。

 

 

『お前は8年間よく頑張った。本当に頑張った』と続けた。

 

 

『だがな、山は行かなくとも、たまには家に遊びに来てくれ。家内がお前たちのファンになった様だ』

 

 

『はい、喜んでお伺いします。。。そうだ、副会長、一度ご相談したかったんですけど、僕の就職先って丸の内に変更って出来ないですかね???』と俺。

 

 

『司、それはダメよ!!!大きな企業が許すはずが無いわ。だって、三菱電機って12万人の社員が居るんでしょう?子会社も含めたら20万人は居るわよ。。。そんな中でわがまま言ったら。。。。』と玲が言った。

 

 

『それは、俺じゃ分からんな。だが、ダメ元で古田に聞いてみるよ。それで良いか?でも、いきなり、どうしてだ?』と副会長が答えた。

 

 

『だって、玲が五反田勤務で、僕が鎌倉勤務で。。。仕事に打ち込むには時間があった方が良いですよね。それに、何よりも玲と一緒に居られる時間が通勤時間に取られて嫌なんです。それに、鉱物学をどうしようかと思っているんです』

 

 

『また、単純な事を言う奴だな。。。嫁と一緒に居たいって理由か。。。。。。まあ、ダメ元だから聞いてみよう!!!』と副会長が言った。

 

 

『ありがとうございます』と俺。

 

 

『但し、もし、それが出来た時は、玲子さんの手料理を食べさせて貰う事が条件だが、どうだ?』と副会長。

 

 

『それは喜んで御作りしますけど、そんなわがままを通したら、職場で司を周りの見る目が。。。。とにかく後が心配です』と玲が言った。

 

 

『玲子さんの手料理が食えるなら、俺は賛成だな。その時は俺達も副会長のご自宅にお邪魔したいですよ』と田口さん。

 

 

『お目当ては、玲子さんの手料理だろう?なんで、うちなんだ?』と副会長が聞く。

 

 

『それは、食材が高そうだからですよ。金持ちの家の食材は良いし、良いシェフがいるとなれば、絶対に旨いじゃないですか?』と渡辺さん。

 

 

『たかりに来るって事か?あははは。。。まあ、良いだろう。それに家内も喜ぶだろう。なんせ老人二人暮らしだから活気がないからな』と副会長。

 

 

俺は山の緊張が下山してから4日目でやっと融けて行くのを感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

側には、玲が居た。

 

 

『玲、やっと融けて来たよ。やっと、安全な場所にいる感じだよ』と言った。

 

 

『司に抱かれて幸せだわ』と玲が言った。

 

 

東京45年【92-1】自由ヶ丘、帰宅

 

 

 

1986年2月 知床の後、東京

 

 

そんな話をしていたら、副会長と渡辺さん、編集長がマンションにやってきた。

 

 

『みなさん、どうされたんですか?』

 

 

また、大量のみかんを持って来た。

 

 

『島~~。お前、このやろう!!!またやりやがって!!!』と渡辺さんが言った。

 

 

『それより、リンゴの方が良かったです。田口さんもみかんだったから、みかんだらけじゃないですか。。。』と俺。

 

 

『贅沢を言うな』と副会長が言った。

 

 

玲は台所で何かを作り始めた。

 

 

 

 

『僕と玲の為にやったことです。確かに、僕は未熟でした。だから、大変でした。。。』と俺。

 

 

『いいや、違う。今回は次々と襲ってきた二玉低気圧と爆弾低気圧、

 

二玉低気圧、爆弾低気圧の連続で、大荒れだったんだ。

 

俺も越後の山に行っていたが、そうそうに引き上げてきたんだ。

 

恐ろしかったぞ。雪崩がバンバン出てな。

 

同じルートに入った別のパーティーは、遭難して見付かっていない。

 

だがお前は知床をたった一人で踏破した。

 

この価値は凄いぞ、島』と渡辺さん。

 

 

『ありがとうございます。でも、価値はどうでも良いです。。。。そう言えば、知床でも雪崩は多かったです』

 

 

『おめでとう。島。お前はやり遂げたんだ。

 

多分、お前じゃなかったら知床から帰って来れなかったろう。

 

お前は登山計画書通りに帰ってきた。

 

一日の遅れも無く帰ってきた。あんな荒天の中なら10日遅れても御の字だ。

 

それを一カ月ピッタリに下りてきた。

 

きっとお前が得た物は大きいはずだ』と副会長が言った。

 

 

『何を得たのかまだ分かりません。ただ、心の中にみなさんと山がある感じです。勿論、一番大きいのは玲ですが。。。』

 

 

『お前、副会長を前にして、ここで惚気るか。全くよー』と田口さんが言った。

 

 

『でも、凄いな。島。山渓にある記録の中で、3月の雪が緩んだシーズンの半分の70km縦走記録はあるが、あれは交差縦走で、つまり山の中に二人いたんだ。でもお前は単独で、一番厳しい気温零下30℃にもなるところで、1月末から2月末に掛けての厳冬期だぞ。最果ての地と呼ばれる知床で、全山踏破だ。160kmにも及ぶ。凄いどころじゃないぞ。それを軽い凍傷だけで帰ってきた。きっと登山界はまた騒ぐぞ。実は、登っていないんじゃないかって言う奴も出て来るぞ。どうするんだ?』

 

 

『そんな事に興味がある人達に任せますよ。知床は登った僕と支えてくれた玲だけのものですから。。。。。僕の中にだけあれば良いんです。それを玲が感じてくれれば良いんです』

 

 

『やっぱり、それか。。。もったいないな。でも騒がれたらどうするんだ???』

 

 

 

『どうもしませんよ。僕は山を止めます。

 

合宿は参加すると思いますが、もう追い求める必要が無くなりました。

 

山はここにあったんです。

 

僕の山は、玲です。

 

玲を幸せにする事が山登りです。

 

だからこれからは、玲を幸せにする事に情熱を注ぎます。

 

僕は、玲と人生の冒険に出発します。

 

愛する玲と幸せになります。

 

何が幸せか分かりませんが、いろんな山で感じた事を日常の生活の中で感じたいと思います。

 

玲の側に居て、玲と人生の冒険です。

 

それが僕の幸せだと感じます。

 

こんな単純な事に気付くのに8年も掛りました。。。。

 

でも、少し茂子に申し訳ない感じがします。

 

もっと早く分かっていれば、あいつを悲しませなくて済んだのにと思います。

 

かといって、あいつと上手く行かなかったと思います。

 

それは今回ハッキリと分かりました』

 

 

『お前、そんな事を言って良いのか???』と田口さん。

 

 

『良いんです。私もそう感じています』と玲。

 

 

『でも。。。』

 

 

『それに、司が言った事は本心ですから。。。司、それなら許すわ』と言いながら玲子はミカンで作った温かいスープを出した。

 

 


東京45年【91-6】実感

 

 

 

1986年2月、25才

 

 

『だから、もうしません。

 

帰って来て玲の顔を見たら安心したんですけど。。。。。

 

まだ、緊張が融けて無くて。。。。。。

 

深夜にお風呂に入ったら、また、泣けちゃって、泣けちゃって。。。

 

なんで泣いているのか、分からないのに泣いていました。

 

だから、僕の山は終わりました。

 

僕は、玲の側にいたいんです。

 

とにかく、玲の側に居たいんです。

 

もう、どこにも行きたくないんです。

 

 

踏破出来たのは玲のお陰です。

 

それ以外は、ありません。

 

帰りの電車でも、ずっと玲を思い出して、言い忘れた事や。。。

 

思い出が次々に浮かんで。。。。。

 

ドンドン玲に近付いて行く嬉しさで泣いて、

 

1人にした情けなさで泣いて、

 

寂しくて泣いて、

 

そのうちなんで泣いているのか、

 

全部の感情で泣いている感じでした。

 

 

いろんな玲が出てきて、全部好きなんです。

 

怒ってる玲も、

 

悲しがっている玲も、

 

寂しがっている玲も、

 

喜んでいる玲も、

 

ビックリしてる玲も、

 

笑っている玲も、

 

全部僕の中にいるんです。

ビックリしている玲が出てきたら、笑えちゃって、

 

おかしかった。

 

 

僕の中にいる玲が、ずっと玲が僕の中にいて、一緒に見ててくれるんです。

 

だから、知床は玲のお陰です。

 

今は、玲に巡り合う為に、山をやってきたんだと思っています』

 

 

『。。。。。。。。。』

 

『。。。。。。。。。』

 

『。。。。。。。。。』

 

 

『司、ありがとう。愛しているわ。無事に帰って来てくれてありがとう』

 

 

 

 

『そうか。とにかく、よく無事で戻った。生き抜く事が山登りだって言っていたもんな』と田口さんも泣きながら言った。

 

 

玲も泣いていた。俺も泣いた。

 

 

俺は玲を抱き締めた。

 

 

田口さんも俺達を抱き締めた。

 

 

 

 

 

 

 

『田口さん、俺いつもと違うんです。

 

いつもは山が終わると寂しくなるんですけど、今回は全く寂しくないんです。

 

未だ、山を感じていて、心の中に山がある感じなんですけど。

 

玲も感じられて、山と融合してるんです。

 

融け合っているんです。

 

一番大きいのは玲なんですけど。。。。

 

その中に田口さんも渡辺さんや副会長も編集長もいろんな人たちがいるんです。

 

それに帰って来てから、今回は寂しく無くて、玲が側に居てくれて、裕福で、幸せなんです』

 

 

 

 

『俺はそんな感覚になった事は無いが、きっと突き抜けたんだろうな』と田口さんは言った。

 

 

『やっと辿りついた感じです』

 

 

『竹中が居なくなって、茂子さんも居なくなって。。。。きっと、お前ら二人はこうなる事が決まっていたのかもな。。。。』

 

 

『。。。。。。。。。』

 

 

『はい、私はそう思っています』と玲が言った。

 

 

『これは必然だと思っています。

 

しょうちゃんが好きでしたけど、愛じゃなかったんです。

 

魂の触れ合いは無かったです。

 

司と出会ってそれを学びました。

 

愛って魂の触れ合いだって思っています。

 

心と心が繋がるって、物凄く安らかで、穏やかなのに、厳しさも感じます。

 

厳しいのに安心出来るんです』と続けた。

 

 

『愛って二人で育てて、形なんて無いけど、すぐそこにあるんです。そこにある事を気付く事なんです。探さなくて良いんです。求めなくて良いんです』

 

 

『これからも、愛してね』

 

 

『もちろんさ』

 

 

 

 

『お前らは羨ましいな。。。』と田口さんが言った。

 

『島は、山を突き抜けて、玲子さんは、そんな島を短期間で理解して。。。。。』と続けた。

 

 

『理解したんじゃないです。彼が感じさせてくれたんです。最初の時からゆっくりで良いから感じようって言ってくれて、でも、早かったですけどね』と玲が笑った。

 

 

『やっぱり、玲は、キラキラしているよ』と俺が答えた。

 

 

 

 

 

東京45年【91-5】自由ヶ丘、実感

 

 

 

1986年2月、25才

 

 

6時前に自由ヶ丘に戻り田口さんを待った。

 

 

田口さんは、たくさんのみかんを抱えてやってきた。

 

 

玲はお茶の支度をして、夕食の準備をしながら聞いていた。

 

 

『どうだ凍傷の具合は?』

 

 

『痛みはありますが、大丈夫です』

 

 

『でも良く嵐の中、下りられたな』

 

 

『いやあ、今回は参りました。

 

良くもあれだけ荒れるもんだと思いながら。。。。

 

全然、天気が良くならなかったんですよ。

 

気温も低いし。。。。

 

天気が悪ければ、もう少し気温が上がるはずなのに、ずっと最低気温でしたよ。

 

風も強くて、だから体感気温は氷点下40℃を下回っていたと思います。

 

それに、雪洞じゃあ無かったら凍傷も、もっと酷くなったと思います』

 

 

 

『そんな中で、なんで踏破出来たんだ?』

 

 

『何でって、玲に会いたいって毎日毎日思って。。。。

 

そうしたらスピードが上がって、でもラッセルはきつかったです。

 

トレースはすぐに無くなって、自分がどこから来たのかも分からなくなりました。

 

翌日、吹雪いたら方向も何も分からなくなりました。

 

吹雪の合間に海が見えたから、方向が分かったんですよ』

 

 

 

『あのな、島。。。

 

2月10日以降、入山したパーティーはほぼ全滅だ。

 

北アルプス・南アルプス、八ヶ岳、越後、大雪山、何れも遭難した。

 

無事予定通り戻ったのは、お前だけだ。

 

7パーティーが遭難して、内2パーティーは自力で4日遅れで下山、3パーティーが死者か、行方不明者を出しながら救助隊に救助され、2パーティーは未だ不明だ。

 

それ以外にも小さな山で数件の遭難があった。

 

今年の厳冬期は30年振りの荒天で、遭難が相次いだんだ。

 

だから、お前だけが目的を達成して予定通り、普通に下りて来た。

 

しかも、厳冬期初、厳冬期単独初、最長距離踏破、荒天なのに最短時間の記録付きだ。。。。。

 

これは、登山界で騒ぎになるぞ』

 

 

『そうだったんですね。どおりで厳しかった訳だ。ホントにしんどかったですよ』

 

 

 

今までで、一番しんどかったです。

 

モンテビアンコ東壁やラウンド劔よりきつかったです。

 

体力的には3倍きつくて、10倍精神的にきつかったです。

 

だって1週間以上の猛吹雪ですよ。

 

でも、玲が支えてくれました。

 

おまけにホワイトアウトで上下が分からなくなって、コケまくりましたよ。

 

ただの雪なら良いですけど、パウダースノーでコケるとザックも重いから中々起き上がれなくて、下はフワフワの雪だし。。。。。。

 

もがくとドンドン深みに嵌るし、最悪だったのは、4m位の穴に落ちた感じになって。。。

 

蟻地獄の様に抜け出せ無くなって、3時間位格闘したんですよ。

 

たった4mですよ。

 

充分にトレーニングしたのに。。。

 

そしたら涙が出て来て、「玲、助けて」って叫んじゃってて。

 

そんな事は初めてでした。

 

そうしたら、玲を愛しているとか、そんな事では無くて、玲が一部になっているんです。

 

玲が自分の事になっているんです。

 

玲が俺で、俺が玲なんです。

 

苦しくなると『れーい』って叫んだら、泣けてきちゃって。。。。。

 

そしたら、玲も叫んでいるんです。

 

それでも足りずに、号泣しちゃって、なんで俺はこんな所にいるんだって。。。。。

 

情けなくて、ちっぽけで、どこまでも果てしなく、ちっぽけで。。。。。

 

それなのに玲は偉大で、大きくて、暖かくて。。。。。。玲を感じたら力が湧きました。

 

 

 

こんな事がありました。

 

立派な雪洞が掘れて、外は凄いブリザードで、猛吹雪の中で。。。。。

 

その雪洞は、エゾウサギに掘り方を教えて貰ったんですが。。。。。

 

で、雪洞の中は快適で、紅茶を作ったんです。

 

気力も体力も充実していました。

 

精神的にも安定していたのに。。。。。

 

今、思い返しても、妄想だったのか、幻想だったのか分かりませんが。。。。。

 

玲と一緒に居て、紅茶を一緒に飲んでいるんです。

 

玲が『この紅茶、不味い。何これ???』って怒りながら、吐き出すんです。。。。。

 

俺は『なんで???上手いじゃん!!!』って言って、全部飲んだんです。

 

飲んだ後に、急に不味さが襲って来て。。。。。吐きそうになったんです。

 

砂糖と塩を間違えてたんです。不味いはずですよね。。。。あははは。。。。

 

そしたら玲が、『ちゃんと作れ!!!』って怒るんです。

 

でも、あれは、きっと、限界だったんでしょうね。。。。。

 

それで、猛吹雪の中、思う様に行かなくて、落ち込で、落ち込んで、どうすれば良いか分からなくて。。。。。

 

また、玲に泣き付いたら、『さっさと歩け!!!』って玲が言うんです。

 

絶望感の中で、「玲に会いに行くぞ」って小さく声に出したら。。。。。。

 

少しずつ、勇気が湧いて来て、それが掛け声になって、ずっと玲の名前ばかり叫んで進みました。

 

泣きながら、進みました。

 

ずっと玲と話をしながら進みました。

 

そしたらガンガン、スピードアップしたんです。

 

雪の量も、吹雪も、風も変わらないのにスピードアップしました。

 

それからは、ずっと玲と一緒でした。

 

マイナス30℃なのに、暖かくて、寒くなくて。。。。

 

だから、知床は玲と一緒に登ったんです。

 

で、下りたら玲に会う為に、直ぐに東京に向かうつもりだったんですけど。。。。。

 

街を見たら全身の力が抜けちゃって、寒くて。。。。。

 

街中から玲に電話したら会議中だったから。。。。。。

 

温泉に入って、温まって、電話しようと。。。。。。

 

でも、何回も温泉に入ったのに、寒くて体の震えが止まらないんです。

 

湯舟に入っていても、ブルブル震えて、震えて、止まらないんです。

 

そうしたら悲しくなって、風呂の中で一人で泣きました。

 

玲を一人にして、俺は何をやってるんだって、頭にきて。。。

 

結構、熱いお湯だったんですけど、寒かったんです。

 

宿の中は暖かかったのに。。。

 

で、また、泣いちゃって。。。。

 

夜、玲と話したら口が回らなくて。。。。。

 

無事に下りられて、嬉しいはずなのに。。。。

 

玲の声を聞いたら、悲しくなって。。。。。

 

玲を一人きりにした自分が情けなくて。。。。。

 

玲の寂しさを感じて、もうこんな事はしたくないって思って。。。。

 

玲の側に居たいって思ったんです。

 

本当に、玲の寂しさを感じたんです。

 

本当に、玲の臆病さや不安や寂しさや悲しさを感じたんです。

 

同時に、玲の暖かさや優しさを感じたんです。

 

玲の全部の感情が俺の中にドバって入って来たんです。

 

玲が俺の中に居るんです』

 

 

 

 

あの実感は、何だったんだろう?

 

 

あんな実感は、あれから一度も味わった事が無い。

 

 

 

東京30年【91-4】自由ヶ丘、帰宅

 

 

 

1986年2月、25才

 

 

俺は、深夜に風呂を沸かして入った。

 

 

ゆっくり入った。

 

 

と、玲が入ってきた。

 

 

一緒に湯舟に浸かった。

 

 

『明日、お休みして一緒に病院に行くわ』

 

 

『一人で大丈夫だよ』

 

 

『一緒に居たいの』

 

 

『分かったよ。ありがとう』

 

 

『ありがとうは要らないわ。

 

本当にあなたと一緒に居たいの。

 

甘えたいの。

 

私、しあわせよ。

 

私はあなたと一緒に居るわ。。。

 

それに、あなたが何かを見付けたのは感じるわ』

 

 

『モンテ・ビアンコ東壁を登った時が今までで一番きついと思っていたけど、それ以上だった。

 

その中ではっきり玲が見えたんだ。玲の暖かさや優しさや。。。。魂を感じた。

 

あれが愛なんだろうな。

 

それだけじゃない。それ以上の幸福感を感じた。

 

玲の幸福感も感じたんだ。

 

最後のピークで二人の幸福感を感じた。

 

それは、もう最強だった。

 

力強くて優しくて暖かかった。

 

でも厳しかった。

 

それを玲との生活の中で二人で感じる事が俺の証なんだって感じたんだ。

 

上手く言えないんだけど、もう少ししたらちゃんと説明できると思う』

 

 

『良いの。私も感じているわ。

 

司が持って持って帰って来た物を感じるわ。

 

あなたが言っていた糧ってこれなんだって感じるわ。

 

大きな安らぎを感じるわ』

 

 

『玲、俺はこんな奴だけど、これからも宜しくな』

 

 

『うん。こちらこそ、よろしくお願いします』

 

 

 

 

 

 

 

翌日、朝から順天堂病院に行った。

 

 

診断の結果は、軽い凍傷だった。

 

 

壊疽は、深部までは達していないので手術の必要は無いとの事だった。

 

 

病院が終わって、タクシーに乗って玲の実家に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

『あらあら、大変でしたね』とお母さん。

 

 

『凍傷は、大丈夫だったわ』と玲。

 

 

『軽度で済みました。ご心配おかけしました。

 

それから、今回の登山でやり尽くしました。

 

これからは楽しみの登山と後輩の指導の為の登山は続けますが、ご心配を掛けるような登山は終わりました。

 

これからは、玲との幸せを探す冒険に出発します。

 

応援よろしくお願いします』

 

 

 

『いいわね。どんな冒険になるか楽しみにしていますよ』とお母さんが言った。

 

 

『そうだ、田口さんを忘れてたわ。司、電話して』

 

 

『ああ、そうだった。了解』

 

 

 

 

 

 

『玲、田口さんが夕方会いたいって言ってるけど、自由ヶ丘に戻る?』

 

 

『そうね、6時以降なら大丈夫よ』

 

 

『そうだ、渡辺さんも、あとは副会長からも電話があったわ。あなた、電話してないわよね?』

 

 

『なんだ、またうるさくなるのかな?

 

そんな大して有名な山じゃあないんだけどな。

 

まあ電話だけするよ』

 

 

 

 

 

 

 

『あらら、また騒いでいるみたいだ』

 

 

副会長と渡辺さんに電話をして言った。

 

 

『そうなの。そんな騒ぎにはならないって言ってたのに?』

 

 

『それは田口さんが言ってた。渡辺さんも。。。。』

 

 

『何が違ったの?』

 

 

『それが良く分からないんだ。だけど、天気が悪かったから。。。どうとかって言ってた。

 

まあ、今日、田口さんに会えば分かると思うけど』

 

 

『副会長と渡辺さんは何て言ってたの?』

 

 

『副会長は、「この時期に良く頑張れた」で、渡辺さんは「よく戻れたな」だった。

 

とにかく会おうって言われた』

 

 

 

 

 

東京45年【91-3】知床

 

 

 

1986年2月、25才

 

 

珈琲を飲んでマンションに帰った。

 

 

ソファに座って玲に言った。

 

 

 

 

『綺麗だったよ。晴れると毎日ダイヤモンドダストだった。

 

吹雪くと真っ白で、目の前が真っ白なんだ。

 

あんなに白ばかり見たのは、初めてだった。

 

それも綺麗だった。

 

毎日玲を思い出していた。

 

ずっと玲を思い出していた。

 

ビックリするぐらい玲ばかりだった。

 

山に入って2週間目に吹雪に閉じ込められて、今までで初めて不安になった。

 

「玲、助けて」って叫んだ。

 

吹雪が弱くなって出発したら猛烈に頭に来た。

 

「玲に会いに行くぞ」って何度も叫んだ。

 

そしたら玲の笑顔が浮かんで、気が休まった。

 

勇気も沸いた。

 

それからは黙々と進んだ。

 

ハイスピードで、自分でもびっくりするぐらいハイスピードだった。

 

今までで一番速かったと思う。

 

飛ぶ様に進んだんだ。

 

毎日、玲に近付いていく実感があった。

 

山と玲が融合していた。

 

気が付いたら最後のピークだった。下りは飛ぶように降りた。

 

重い荷物なのに走ったりもした。

 

途中でスキー場が見えて来て、玲に会えると思った。

 

嬉しかった。

 

山が終わった実感は無かった。

 

玲に会える実感だけがあった。

 

今までこんな事は無かった。

 

玲、支えてくれてありがとう。。。。。。

 

もう厳しい山は終わったよ。

 

これで終わったよ。

 

心配させるような山は終わったよ。

 

俺は玲を幸せにする。

 

合宿には行くと思うけど、それでも良いかい?』

 

 

 

『もちろんよ。だけど、すぐ帰って来てね』

 

 

『ああ、もちろんさ。たまには玲も一緒に行こう。キャンプとかも行こう』

 

 

『あら、良いの?女とは、山に行かないんじゃなかったの???』

 

 

『それはもう無しだ。これからは安全第一だから、玲を連れて行ける』

 

 

『嬉しい!!!でも、今、落ち着いて居るわね』

 

 

『ああ、でも、まだ緊張が融けていない。。。。多分、まだ命の危険を感じているんだよ』

 

 

『もう大丈夫よ。。。』そう言って玲は俺を抱き締めた。

 

 

『司、おめでとう。頑張ったわね』と玲は泣いていた。

 

 

『ありがとう』と俺も泣いた。

 

 

『痩せたんじゃない?』

 

 

『ああ、多分な。

 

食料を切り詰めたからな。

 

ヒマラヤよりもラウンド剱よりもモンテ・ビアンコより厳しかった。

 

あんなにトレーニングしたのに、それでも厳しかった。

 

風が強かった。

 

凄く強い風だった。

 

飛んでいる鳥が風に流されて、海か海岸に落ちて行った。

 

山に落ちた奴もいた。

 

途中でね、キタキツネに会ったんだ。

 

こいつらは、いつもここにいるって思ったら、負けたと思ったよ。

 

他にも動物を見たよ。

 

テンなのかな。荒れ狂う自然の中で逞しく生きていた。

 

エゾウサギに雪洞掘りを教えて貰った。。。。。

 

あいつらは逞しかった。

 

なのに、俺は、あそこでは少しの間しか生きられない。

 

気を抜いたら死ぬ。

 

そう思ったら、玲に会いたくなった。

 

無性に玲に会いたくなった。

 

そこで、一週間も猛吹雪になって、思いっきり玲に寄り掛かっていた。

 

泣いて、玲と話をしていた。

 

玲が支えてくれたんだ。

 

毎日、玲を思っていた。

 

出会ってからの事も毎日思い出していた。

 

山の中で、毎日。。。。。思い出していた。。。。

 

なあ、もう一回、風呂に入っても良いかい?』

 

 

 

『勿論よ。沸かし直すわ』

 

 

『ありがとう』そう言って俺はソファで寝入った。

 

 

夜1時頃に目が覚めて、トイレに行った。

 

 

寝室に行くと玲が目を覚ました。

 

 

『ごめん。ソファで寝ちゃったよ。玲は寝てて良いよ』と言った。

 

 

 

 

 

東京45年【91-2】知床

 

 

 

1986年2月、25才

 

 

その後、南岳、オッカパケ岳、サシルイ岳、三峰、羅臼岳、知床峠 国道334号。

 

 

ここから羅臼に下りる事も出来るが。。。。。

 

 

目的地は、まだまだ遠い。

 

 

弱気になる気力をふり絞って、体力を振り絞って、我慢して登る。

 

 

 

 

 

 

天頂山、羅臼湖、知西別岳、遠音別岳、海別岳、錐山、瑠別斯岳、根北峠。。。。。。

 

 

ここから標津はもうすぐだ。

 

 

あと、2日で街に着けるだろう。

 

 

我慢して登る。

 

 

斜里岳だ!!!

 

 

とうとう来た。

 

 

摩周湖まで直線距離で30kmの地点だ。

 

 

オホーツク海まで15km。

 

 

吹雪でオホーツクも太平洋も見えない。

 

 

ただ、雪が見えるだけだ。

 

 

そこから、知床横断道路、国道244を標津町へ2日掛けて下山。

 

 

国道と言っても、雪だらけでどこが道路なのか分からない。

 

 

ただ、下へ下へと歩き易い道を辿る。

 

 

2月24日下山。
 

 

 

知床半島160km縦走完了。
 

 

 

 

 

標津から玲に電話をする。

 

 

標津は鄙びた漁港だった。

 

 

いつか玲を連れて来たいと思った。

 

 

 

会社に電話をした。

 

 

会議中との事で伝言をお願いした。

 

 

『島谷、無事に下りた。また、後で電話する。夜も電話する』とお願いした。

 

 

久しぶりに聞いた人間の声だった。

 

 

その日は、標津の温泉宿に泊まった。

 

 

凍傷を癒す為に何度も温泉に入った。

 

 

 

 

 

 

 

夜、マンションに電話をする。

 

 

『玲、下りたよ。愛している』

 

 

『お疲れ様。今は何処なの?』

 

 

『今は標津っていう街の温泉宿だよ』

 

 

『二度目の温泉ね。。。。あははは。。。。どうだった?』

 

 

『綺麗だった。海も見ていた。凍傷にもなった。だけど重くないから大丈夫だ。ずーっと玲を思い出していた』

 

 

一月振りの発音はぎこちなかった。

 

 

口が固まった様に動かない。

 

 

『良かった』と玲は言った。

 

 

『明日の朝、電車に乗るから27日の午後には、玲の所に着く』と言った。

 

 

『気を付けてね』と玲。

 

 

玲は涙ぐんでいた。

 

 

『玲、これで区切りが付いたぞ!


玲を幸せにするから待ってろ。


絶対に幸せにする。愛している』


と言った。

 

 

『うん、分かってる。嬉しいわ』


と玲は涙声で答えた。

 

 

 

 

 

 

次に田口さんに電話をした。

 

 

無事に下りた事を伝えた。

 

 

おめでとうと言われた。

 

 

 

山岳部の桜井主将にも電話をした。

 

 

奥さんが出た。

 

 

二人目を妊娠したと言った。

 

 

おめでとうと言った。

 

 

下山報告の伝言をお願いした。

 

 

 

服は着たきり雀だった。

 

 

さすがに、パンツは浮浪者のそれになって、固まっていた。

 

 

玲が買ってくれたパンツだったが、履けないから宿で捨てた。

 

 

宿で捨てるのも忍びなかった。

 

 

着ているものを全部洗った。

 

 

翌日、乾いている訳も無かった。



翌日、濡れたまま着た。

 

 

体温で乾かした。

 

 

半日も経てば、乾いていた。

 

 

まあ、取り敢えず、臭くは無さそうだった。

 

 

ノーパンで帰った。

 

 

果たして、浮浪者はパンツを履いているのだろうかと思った。

 

 

パンツを気にしたら、やっと人間界に帰って来た感じがした。

 

 

 

 

 

 

 

4時頃にマンションのカギを開けたら玲が抱き付いてきた。

 

 

会社を早退して帰って来たらしい。

 

 

『お帰りなさい。お風呂湧いているわ。熱めにしたわ』

 

 

『ありがとう、玲』と言って俺は風呂に入った。

 

 

背中を流すと言って、玲が入ってきた。服は着たままだった。

 

 

背中を流して貰いながら


『お前の所に帰って来たぞ』


と大声で言ったら涙が出た。

 

 

『約束通りね』と玲が言った。

 

 

『ここが一番良いな。玲の側が一番良い。二度目の温泉だったけど、寒くて泊まる事にしたんだ。温泉に何度入っても寒かった』と言った。

 

 

『凍傷はここだけ?』と足の指を指さして玲が聞いた。

 

 

『ここもかな』と顎を指さした。

 

 

『あとで軟膏を塗って、病院に行きましょう』と玲は言った。

 

 

『玲、何か分からないけど、見つけたよ』

 

 

『何を?』

 

 

『わからないけど、何かを見つけたよ。そのうち分かると思うよ』

 

 

『分かったら教えてね』

 

 

近所の皮膚科に行った。

 

 

皮膚科じゃ手に負えないと言われて、大学病院を紹介された。

 

 

明日行くことにして、軟膏を貰った。

 

 

 

 

クリニックの帰り道、

 

 

『なあ、玲。喫茶店で珈琲が飲みたいんだけど、付き合ってくれる?』と俺が言った。

 

 

『もちろんよ』

 

 

珈琲を飲んだ。冬でもアイスコーヒーばかり飲んでいたが、今日はホットコーヒーを飲んだ。

 

 

何も話さなかった。

 

 

ただ、安全な実感が欲しかった。

 

 

 

 

東京45年【91-1】知床

 

 

 

1986年2月、25才

 

 

直接的な生き方  間接的な生き方。

 

直接の恐怖    間接の恐怖。

 

直接の幸福    間接の幸福。

 

 

 

人は皆、望む答えを聞けるまで、尋ね続けるものだ。

 

自分の幸せはどこにあるのか???

 

そして、自分の幸せは何だと。。。。

 

 

 

 

 

玲は、上野駅まで見送ってくれた。

 

 

夜行列車で根室まで向かう。

 

 

ホームでキスをした。

 

 

『行ってらっしゃい』

 

 

『向こうに着いたら電話するよ。多分、根室駅と羅臼から二度電話をする』

 

 

『うん、分かったわ。必要な物だけで良いからね』

 

 

『ありがとう』

 

 

まるで、近所のスーパーへ買い物に行く時の見送り方だった。

 

 

知床へ出発した。
 

 

 

 

昨日の夜はマンションで華燭に火を灯した。

 

 

1月26日 知床羅臼。公衆電話を探すのも苦労した。

 

 

根室では、すぐに見つかったのに。。。

 

 

 

 

『行ってくるよ』

 

 

『待っているわ』

 

 

『ああ、玲のご飯が楽しみだ。愛している』

 

 

これは俺の登山の集大成だったとは思わない。

 

 

 

 

 

 

太平洋側の海岸線を行く。

 

 

羅臼、洞窟、サシルイ岬、相泊、ペキンノ鼻

 

 

海岸線の高巻きと滝の横断する。
 

 

 

 

1月31日知床岬着、羅臼から40km、道なき道を来た。

 

 

もう一度、行けと言われても行きたくない。

 

 

ここから内陸へ向けて、いよいよ縦走が始まる。

 

 

険しい登りが続く。

 

 

寒い。

 

 

寒さが痛い。

 

 

氷点下30℃を下回っている。

 

 

吹雪く中、ラッセルを続ける。

 

 

 

 

ポロモイ岳のはるか手前でビバーク。

 

 

雪が深くて遅々として進まない。

 

 

だが、トレーニングの成果もあり、気力も充実して快適だった。

 

 

翌日、ポロモイ岳を越え、知床岳を越えた。

 

 

ここまで来ると標高は1200mを越えている。

 

 

クラストした箇所もありスピードが上がる。

 

 

左右はオホーツク海と太平洋が広がっている。

 

 

凄い景色だ。

 

 

何処までも広がる光り輝く太平洋と流氷が海の向こうに見える荒れるオホーツク海。

 

 

対照的な海を見ながら進む。

 

 

その後、トッカリムイ岳、ルシャ山、東岳、知円別岳。

 

 

 

動き始めて2週間が経った。



2月11日は吹雪く。

 

 

とにかく、吹雪く。

 

 

1週間近くも吹雪く。

 

 

寒い。

 

 

痛い。

 

 

氷点下32℃。

 

 

太平洋がずっと見えている。

 

 

止まらずに動き続ける。

 

 

 

 

2月15日から猛吹雪となる。

 

 

1週間も青空が見えないばかりか、ブリザードでホワイトアウト。

 

 

ホワイトアウトで上下が分からない。

 

 

風が強くて、重力の向きを身体が感じない。

 

 

平衡感覚が麻痺する。

 

 

足元の雪面が吹雪で見えない。

 

 

それでも進む。

 

 

コケまくる。何度もコケまくる。

 

 

もう無理だ。

 

 

凍傷になる。

 

 

雪洞を掘って、停滞する。

 

 

ヒマラヤでも味わった事がない強烈な風。

 

 

気を抜いたら飛ばされる。

 

 

ここからは雪の深い所を探して、出来るだけ雪洞を掘る。

 

 

パウダースノーの雪洞はやっかいだ。

 

 

掘っても掘っても、崩れていく。

 

 

穴が掘れない。

 

 

ただ雪を崩しているだけだ。

 

 

雪洞の中は気温が高い。



凍傷にならない。

 

 

毎日掘る。

 

 

土方仕事ばかりだ。
 

 

大学1年の時に毎日土方のバイトをした。

 

 

体力に任せて土を掘った。

 

 

だが、ここはどうだ???

 

 

穴なんか掘れやしない。

 

 

掘っても掘っても、泡雪で埋まっていく。

 

 

それでも、挫けずに掘る。

 

 

スコップで放り投げると、風で自分に戻って来る。

 

 

全身雪まみれになる。

 

 

泡雪は質が悪い。

 

 

身体にまとわりついて、首の隙間から地肌へと侵入する。

 

 

顔に付けば、融けて体温を奪い、無精ひげに氷が張る。

 

 

 

 

 

そのうち、笑えて来る。

 

 

笑いながら涙が出て来た。

 

 

何やってんだろう?

 

 

ちくしょう!!!

 

 

吹きすさぶ雪の中で、大の字になって寝そべっていると。。。。

 

 

ふと、動く物が目に入る。

 

 

見ると白いうさぎ???

 

 

エゾウサギだった。

 

 

デカい。5、60cmはあろうか?

 

 

雪の下からヒョイと出て来て、パウダースノーを物ともせずに飛んでいく。

 

 

こんな所に住んでるのか???

 

 

見ると、縦穴だ。

 

 

そうか!横穴じゃダメなんだ。

 

 

俺も真似て、縦穴を掘る。

 

 

根雪に届いてから、横穴にするんだ!!!

 

 

なるほど。。。。。

 

 

ウサギに雪洞掘りを教えられた。

 

 

それからは、雪洞掘りが上手くなった。

 

 

こりゃあ、雪洞掘りの名人の菅井先輩に自慢が出来る。

 

 

 

東京45年【90-6】渋谷

 

 

 

1986年 冬

 

 

『馬力って言えばね、宇奈月温泉のお風呂で抱き上げられた時、ゾクゾクしちゃったわ』

 

 

『それって、お風呂に二人で入ったんですか?』と佐和ちゃん。

 

 

『そうよ。実家でも一緒に入るわよ』

 

 

『さすが、大人の女性だ』と菅井先輩。

 

 

『おばさん扱いするな。あんたと3つしか違わないんだぞ』

 

 

『でもオープンなご家庭ですね』と佐和ちゃん。

 

 

『そうでも無かったんだけど、

 

司と付き合い始めたらそうなったのよ。

 

真剣なら何も恥ずかしくないのよ。

 

だから彼のお陰なの。。。お風呂でSEXもするわよ』

 

 

『えっ、実家のですか?

 

ご家族が居てもですか?

 

どんな風にするんですか?

 

それってどんな感じなんですか?』


と佐和ちゃん。

 

 

『質問だらけだわ。。。。佐和ちゃんも早くしたいんだね。。。あははは』

 

 

『そんな。。。。。。あっ、済みません。でも佐藤さんなら教えて貰えそうなので。。。』と佐和ちゃん。

 

 

『まあ、良いけど。。。

 

えーっと、なんだっけ?。。。

 

ああ、家族が居てもそうだし、

 

いろんな風にするし。。。。

 

どんな感じかって言うのは、

 

したいって感じで、やっちゃうと幸せって感じかな。。。

 

まあ、やってみたら分かるわよ。

 

但し、真剣に愛していて、

 

信頼していないと恥ずかしいわよ。。。

 

それも司が真剣に愛してくれているから、

 

素の自分で居られて、恥ずかしくもなくて、

 

ただ、二人で快感を求めているのよ。。。

 

そんな事を感じたのって、

 

29歳で初めてなのよ。

 

だから、私は私の人生を全部預けたのよ』

 

 

『俺達は二人で、育ってきたんだよ。。。だから二人とも自身が持てたんだ』

 

 

『そうなんですよ。こいつは大人になりましたよ』

 

 

『あの、私達もそうなれますか?』と佐和ちゃん。

 

 

『なりたいと思えばなれるさ。


但し、二人でちゃんと会話をして、


心が通じ合えばね』と俺。

 

 

『そうね。会話が重要ね。

 

心の奥の襞まで見せて、分かり合う事よ。

 

それは簡単じゃないわ。


勇気を持って心を見せる事よ』

 

 

『きっとそうですよね。


輝いていますから』

 

 

『佐和ちゃん、分かる?

 

そうなの燃えているわ。

 

火を点けたのは彼よ。

 

それまでは、熾火の様に燻っていたの。

 

佐和ちゃんだって、菅井が好きで勇気を出したでしょう???

 

でも、それは、序の口なのよ。。。

 

恋は始める事よりも続ける事が大変なのよ。

 

それは二人で、感じ合って、

 

思いやりが必要なの。

 

でも、ハッキリ言わないのもダメなの。

 

だから、いっぱい話す事が大切なのよ』

 

 

『そうですよね。

 

佐藤先輩は以前に比べて本当に綺麗になりましたよね。

 

元々お綺麗でしたけど、

 

更に自信を持っている感じですよね。

 

近寄り難かったのに、今はフランクに話が出来ます』

 

 

『司、みんなに褒められて嬉しいわ』

 

 

『ああ、綺麗だよ。キラキラしているよ。玲』

 

 

『あー、良いなあ。


私もそうなりたいわ』


と佐和ちゃん。

 

 

『それはね、佐和ちゃん、菅井君の教育次第よ。まずは、言いなりにさせるのよ。特に、バカ男には必要よ!!!』

 

 

『それ教えて下さい。これからも連絡して良いですか?』

 

 

『いつでもどうぞ。菅井、あんた、佐和ちゃんを泣かしたら私が仕返しするからね。覚悟しなさいよ』

 

 

『そうだ、菅井先輩、あれどうするんですか?あの飲み会10人企画は?』

 

 

『ああ、そうだったな。山岳部の奴ら5人と彼女5人の飲み会なんです。どうですか?』

 

 

『良いわよ。ねぇ、佐和ちゃん』

 

 

『はい、大丈夫です。私もみきちゃんの彼女で良いんですよね?』

 

 

『そうか。さっき、そうなったんだった。。。』と菅井先輩照れた様に言った。

 

 

楽しい一時だった。

 

 

 

 

 

 

それから玲との日々を過ごした。

 

 

毎日研究室と自動車教習所行った。


どこに行くのも走って行った。

 

 

玲は会社との往復。

 

 

鉱物学は遅々として進まず、小川教授からは難問に次ぐ難問ばかりだった。

 

 

まるで哲学の様だった。

 

 

何の役にも立たない真理を追究するだけ。

 

 

1+1=2の真理は、なんだ?

 

 

0とは、なんなのか?

 

 

普遍的な価値とは存在するのか?

 

 

神は、サイコロを振るのか?

 

 

時には、宗教がかった質問もあった。

 

 

知らなくったって、生きて行けるのに。。。

 

 

小林先生は、全てに疑問を投げ掛け来た。

 

 

俺の恩師、小林亘。

 

 

先生が俺の今を作った。

 

 

 

 

 

 

 

月中に10人の飲み会を実行。

 

 

桜井主将は、彼女のご両親に許しを貰い、入籍をした。

 

 

2才の女の子を連れて来た。

 

 

嫁さんは見た事があった。

 

 

 

 

 

菅井先輩と佐和ちゃんは、もう初体験を済ませていた。

 

 

佐和ちゃんはそれほど痛くなかったと言った。



早すぎると玲は言った。

 

 

既に、菅井先輩は、佐和ちゃんの言いなりだった。

 

 

 

 

 

原は10月に結婚式を挙げる。

 

 

7月には子供が生まれる。

 

 

式場を決めたら早く子供が欲しくなったらしい。

 

 

身重の婚約者を連れて来た。

 

 

同期で、一緒にヒマラヤを登った友だ。

 

 

 

 

 

佐々木元主将は、慶応の彼女を連れて来た。

 

 

カップルの早慶戦は、珍しかった。

 

 

彼女は、慶早戦と言っていた。

 

 

 

俺は玲といて楽しかった。

 

 

玲は、のろけっ放しだった。

 

 

気分が良かった。

 

 

 

 

 

 

 

人生は日々変化する。

 

 

意志があれば早く変化することもある。

 

 

それぞれが、学生時代を過去にして行く。

 

 

過去は、みんなの事実を不溶の氷の中に閉じ込めて行く。

 

 

瞬間瞬間の思い出が、透明な氷の中に今もある。

 

 

氷を溶かして、取り出したい。

 

 

全てを懐かしいキラキラとした氷に変えていく。