東京30年【91-4】自由ヶ丘、まだ融けない | 東京45年

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東京30年【91-4】自由ヶ丘、帰宅

 

 

 

1986年2月、25才

 

 

俺は、深夜に風呂を沸かして入った。

 

 

ゆっくり入った。

 

 

と、玲が入ってきた。

 

 

一緒に湯舟に浸かった。

 

 

『明日、お休みして一緒に病院に行くわ』

 

 

『一人で大丈夫だよ』

 

 

『一緒に居たいの』

 

 

『分かったよ。ありがとう』

 

 

『ありがとうは要らないわ。

 

本当にあなたと一緒に居たいの。

 

甘えたいの。

 

私、しあわせよ。

 

私はあなたと一緒に居るわ。。。

 

それに、あなたが何かを見付けたのは感じるわ』

 

 

『モンテ・ビアンコ東壁を登った時が今までで一番きついと思っていたけど、それ以上だった。

 

その中ではっきり玲が見えたんだ。玲の暖かさや優しさや。。。。魂を感じた。

 

あれが愛なんだろうな。

 

それだけじゃない。それ以上の幸福感を感じた。

 

玲の幸福感も感じたんだ。

 

最後のピークで二人の幸福感を感じた。

 

それは、もう最強だった。

 

力強くて優しくて暖かかった。

 

でも厳しかった。

 

それを玲との生活の中で二人で感じる事が俺の証なんだって感じたんだ。

 

上手く言えないんだけど、もう少ししたらちゃんと説明できると思う』

 

 

『良いの。私も感じているわ。

 

司が持って持って帰って来た物を感じるわ。

 

あなたが言っていた糧ってこれなんだって感じるわ。

 

大きな安らぎを感じるわ』

 

 

『玲、俺はこんな奴だけど、これからも宜しくな』

 

 

『うん。こちらこそ、よろしくお願いします』

 

 

 

 

 

 

 

翌日、朝から順天堂病院に行った。

 

 

診断の結果は、軽い凍傷だった。

 

 

壊疽は、深部までは達していないので手術の必要は無いとの事だった。

 

 

病院が終わって、タクシーに乗って玲の実家に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

『あらあら、大変でしたね』とお母さん。

 

 

『凍傷は、大丈夫だったわ』と玲。

 

 

『軽度で済みました。ご心配おかけしました。

 

それから、今回の登山でやり尽くしました。

 

これからは楽しみの登山と後輩の指導の為の登山は続けますが、ご心配を掛けるような登山は終わりました。

 

これからは、玲との幸せを探す冒険に出発します。

 

応援よろしくお願いします』

 

 

 

『いいわね。どんな冒険になるか楽しみにしていますよ』とお母さんが言った。

 

 

『そうだ、田口さんを忘れてたわ。司、電話して』

 

 

『ああ、そうだった。了解』

 

 

 

 

 

 

『玲、田口さんが夕方会いたいって言ってるけど、自由ヶ丘に戻る?』

 

 

『そうね、6時以降なら大丈夫よ』

 

 

『そうだ、渡辺さんも、あとは副会長からも電話があったわ。あなた、電話してないわよね?』

 

 

『なんだ、またうるさくなるのかな?

 

そんな大して有名な山じゃあないんだけどな。

 

まあ電話だけするよ』

 

 

 

 

 

 

 

『あらら、また騒いでいるみたいだ』

 

 

副会長と渡辺さんに電話をして言った。

 

 

『そうなの。そんな騒ぎにはならないって言ってたのに?』

 

 

『それは田口さんが言ってた。渡辺さんも。。。。』

 

 

『何が違ったの?』

 

 

『それが良く分からないんだ。だけど、天気が悪かったから。。。どうとかって言ってた。

 

まあ、今日、田口さんに会えば分かると思うけど』

 

 

『副会長と渡辺さんは何て言ってたの?』

 

 

『副会長は、「この時期に良く頑張れた」で、渡辺さんは「よく戻れたな」だった。

 

とにかく会おうって言われた』