ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

スピリチュアル本で、

世界中でベストセラーになった本、

神との対話シリーズ

 

 

の内容で、

私の印象に残ったところを、

紹介、解説しています(^^;

 

 

前回、

人間の行動の動機や、

感情の源は、

 

「愛」か

「不安(怖れ)」か、

 

いずれかであると、

紹介しました。

 

私たちは、本来、

「愛」そのものの存在なのですが、

それを、

人生を重ねるにしたがって

忘れてしまう。

 

そして、しだいに、

「不安(怖れ)」を感じることが

多くなっていく。

 

何故か?

 

「愛」は条件つきだと

教えられたから。

 

誰に?

 

親や、世間から、

教えられたからだといいます。

 

 

でも、そもそも、

何で神さまは、

「愛」の存在である私たちに、

「不安(怖れ)」

の感情というものを、

与えたのでしょうか?

 

別に、「不安(怖れ)」

の感情などなくても、

もともと、すべてが「愛」

なのだとしたら、

「愛」だけを感じられれば、

皆、幸せなのに・・・

 

この疑問に、

神さまは、

 

「対極」を知るため。

そしてそれを、

「体験」するため。

 

と答えます。

 

「対極」を知る?

 

ちょっとイメージしにくいと

思いますが(^^;

 

「あなたでないものが

存在しなければ、

あなたであるものも

存在しない」

 

物質の領域

(相対性の領域)

では、

何ものも、

その対極がなければ

存在しない。

 

あなたが何かであると

宣言するとき、

それとは異なるすべてが

体験の中に

入ってくるだろう。

 

それによってあなたは、

宣言したとおりの

自分自身を

知ることができる。

 

あなたは

寒さを体験するまでは

「暑さ」も知りえない。

 

「遅い」を体験しなければ、

「速い」を知りえない。

 

比較する対象が

誰もおらず、

「背が低い」

者がいなければ、

自分は「長身」

であると知りえない・・・

 

ということなんですね。

 

う~ん、まだイメージしにくい?

 

「小さな魂と太陽」

という形で、たとえ話がありますので、

ちょっと長いですが、

そのまま引用させていただきます(^^;

 

―かつて、

自らが光であることを

知っている魂があった。

 

これは新しい魂だったから、

体験したくてならなかった。

 

「私は光だ」。

 

だが、いくら知っていても、

いくら口に出してみても、

体験にかえることはできない。

 

この魂が生まれた領域では、

光しかなかった。

 

どの魂も偉大で、

どの魂もすばらしく、

どの魂も

わたしの神々しい光を受けて

輝いていた。

 

そこでは、

その小さな魂は、

まるで太陽の前の

ロウソクのようだった。

 

偉大な光のなかでは、

その光の一部である魂は

自らを見ることができないし、

自分が何者であるかも

体験できない。

 

たしかに、

周りがすべて光であるならば、

小さな光の魂は、

埋もれてしまいますね(^^;

 

その魂は

自分自身を

知りたくて知りたくて

たまらなくなった。

 

あまりに知りたがるので、

ある日、

わたしは言った。

 

「小さいものよ、

その望みをかなえるには

どうすればいか、わかるか?」

 

「どうすればいいのですか、

神さま?

わたしは何でもします!」、

小さな魂は答えた。

 

「おまえは

わたしたちから

離れなければならない」

とわたしは言った。

 

「そうして、

闇を求めなければ

ならない」

 

「闇というのは何ですか、

聖なるかた?」

と小さな魂はたずねた。

 

「それは、

おまえではないものだ」

とわたしは答え、

その魂は理解した。

 

そこで、

その魂は全体から離れ、

べつの領域に行った。

 

その領域では、

魂はあらゆる闇を

体験する力を持っていた。

 

そして、闇を体験した。

 

その闇のさなかで、

魂は叫んだ。

 

「父よ、父よ、どうして、

あなたは私を

見捨てたのですか?」

 

たとえば、

あなたがたが

暗闇にいるときのように。

 

だが、

わたしは一度も

あなたがたを

見捨てたことはない。

 

つねにそばにいて、

ほんとうは何者であるかを

思い出させようとしているし、

いつも、

わが家に呼び戻そうと

している。

 

だから、

闇のなかの光になりなさい。

 

そして、

闇のなかにいることを

呪ってはいけない。

 

また、

まわりが

自分と違うものばかりでも、

自分が何者であるかを

忘れてはいけない。

 

そして創造物を

ほめたたえなさい。

 

たとえ、

それを変えたいと思っても。

 

小さな魂が、

自らが「光」だということを

体験するために、

対極である「闇」を体験する・・・

 

小さな魂とは、

すなわち、

私たち自身のことですね。

 

言い換えると、

「愛」を体験するために、

対極である「不安(怖れ)」がある。

 

そう考えると、

「不安(怖れ)」も、

方便のようなもので、

必要なものなんですね(^^;

 

「不安(怖れ)」とは、

ネガティブな感情ともいえます。

 

私たちの中には、

ポジティブな感情も、

ネガティブな感情も、

同じくらいあるといいます。

 

ネガティブな感情の存在も、

抑圧や否定をすることなく、

気づいて、認めてあげて、

感じて、味わう。

 

そうすることで、

はじめて、

対極の存在である、

ポジティブな感情(すなわち、愛、光)

を、みずから、

実感できるようになるのではないか

と思います(^^)

 

「不安(怖れ)」

も、必要なんですね(^^;

 

 

「対極の法則」は、

見渡すと、

いたるところに反映されています。

 

私の好きな映画、

スターウォーズの、

ジェダイ(善)とダークサイド(悪)

の対立もそうです(^^)

 

天使と悪魔、

磁石のN極とS極、

陰と陽、

右と左、

昼と夜、

天と地・・・

 

コインの裏表なんですね。

 

過去ブログ、

ディマティーニさんの、

 

 

でも、紹介させていただきましたが、

プラスとマイナスの

バランスがとれた中道の世界にこそ、

「愛」と「感謝」があるといいます。

 

マイナスの中にもプラスを見い出す。

 

それを中和させたところに、

「愛」と「感謝」がある。

 

 

私が大好きな

狐狸庵先生(遠藤周作さん)も、

過去ブログ、

 

 

でも紹介させていただきましたが、

 

病気というマイナスは、

他人の苦しみを察することができるようになる、

というプラスがある。

 

臆病というマイナスは、

慎重に計画する、

といったプラスがある。

 

口下手というマイナスは、

聞き上手になれる、

というプラスがある。

 

というように、

マイナスの中にはプラスがあると、

述べています(^^)

 

勇気が出ますね!

 

 

私たちは、

日ごろの雑事に追われて、

つい、忘れがちになりますが、

つらい時こそ、

自らが光の存在であることを、

思い出すようにしたいですね(^^;

 

 

次回に続きます。

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

前回から、

スピリチュアル本で、

世界中でベストセラーになった本、

神との対話シリーズ

 

 

を紹介しています(^^)

 

この本の成り立ちですが、

著者の、

ニール・ドナルド・ウォルシュさんが、

人生がうまくいかず、

やけっぱちになって、

神さまに向けて、

いくつか質問を書いたんですね。

 

そして、最後に、

 

こんなに、

もがきつづけて

いなければならないなんて、

わたしが

いったい

何をしたというのか。

 

 

とぶつけたところ、

突然、神さまからの返事が浮かんできた・・・

 

その対話を書き記したのが、

この本になります(^^;

 

私が、印象に残ったところ、

有益だと思ったところを、

要約、引用を交えながら、

紹介、解説していきますね(^^)

 

-------------------------------------

 

この神さまは、

神についての真実は、

指導者、聖職者、ラビ、僧侶、本、聖書、

などから語られるとは

限らないといいます。

 

えっ、

いきなり爆弾発言!

 

どういうことでしょうか?

 

 

自分の感情に

耳をすますことだ。

 

自分の最高の考えに

耳を傾けなさい。

 

自分の経験に

耳を傾けなさい。

 

そのどれかが、

教師に教えられたことや

本で読んだことと

違っていたら、

言葉のほうを忘れなさい。

 

言葉は真実の伝達手段として、

いちばんあてにならない。

 

 

いきなり、難易度高めです(^^;

 

自分の感情や経験に、

神の真実があるなんて、

にわかには信じがたいですが・・・

 

このような言い方もしています。

 

 

神は観察者であって、

創造者ではない。

 

(中略)

 

神はあなたがたが

自由に選べる選択肢を、

人生を好きなように

生きる力を与えた。

 

 

神さまは、

鬼ごっこをしたり、

かくれんぼをしたり、

おままごとをしたりする子供を、

見守る親のような存在だといいます。

 

その中で、

私たちは、

何をやって遊んでもいい。

 

う~ん、たしかに、

人間には、人生を好きなように、

生きる自由があると思いますが、

でも、自由に生きたくても、

人生には、

思い通りにならないことも、

多々あります・・・

 

神さまは、

こんなことも述べています。

 

 

人間の行動には、

二つの動機しかない。

 

不安か愛か。

 

じつは、

感情の源も

この二つだけだ。

 

「不安」か「愛か」

どちらかしかない。

 

この「不安」とは、

「怖れ」と同じ意味ですね(^^;

 

ちなみに、

この考え方は、

過去ブログ、

3つの真実

 

 

でも、少し紹介させていただきました(^^;

 

たしかに、

よくよく、突き詰めて考えてみると、

人間の行動の動機や、

感情の源は、

 

「愛」か「不安(怖れ)」

 

のどちらかに、

当てはまると思います。

 

たとえば、私の場合ですと、

「怒り」は、

「不安(怖れ)」からだし、

「妻とけんかする」のも、

「不安(怖れ)」からだし(笑)

 

「好奇心」は、

自分への「愛」からだし、

「このブログを書く」のは、

わくわくするから、

「愛」からだし・・・

 

仕事は・・・?

 

ある部分は「愛」からで、

ある部分は「不安(怖れ)」から

でしょうか。

(不安からのほうが多いかな?苦笑)

 

 

この本には、

人間は、本来、

「愛」そのものの存在なのですが、

それを、人生を重ねるにしたがって

忘れてしまう。

 

そして、しだいに、

「不安(怖れ)」を感じることが

多くなっていく、

 

というようなことが

述べられています。

 

では、なぜ、

「不安(怖れ)」という感情が、

発生するのか?

 

「愛」は条件つきだと

教えられたからです。

 

誰から教えられたのか?

 

親、だといいます。(・・;)

 

あなたがたは

自分が何者であるかを

知らず、

だめな存在だと

考えている。

 

では、

どうして自分は

だめなんだと

思い込んだのか。

 

そう思わせたのは、

あなたがたが

無条件で信じた

唯一のひとたち、

母親と父親だ。

 

親は、

あなたをいちばん

愛している。

 

それなら、

どうして

偽りを教えるのだろう。

 

・・・

思い出してみてほしい。

 

親は、

こうしてはいけない、

こうしなくてはいけないと

叱りはしなかったかだろうか。

 

子供は

おとなしく言うことを

聞いていればいい、

うるさく口を出しては

いけない、

とは言わなかっただろうか。

 

あなたが元気いっぱいな

ときに、

たしなめはしなかったか。

 

大胆な発想を

めぐらしているときに、

そんなことはやめなさいと

言わなかったか。

 

その言葉を聞いて、

あなたは、

それが神のメッセージの

基準にあわず、

神のメッセージでは

ないにもかかわらず、

そうだと思った。

 

あなたにとっては

宇宙の神々とも思える

ひとたちから送られた

メッセージだったからだ。

 

愛は条件つきだと

教えたのは親だ。

 

あなたはそれをたびたび

感じとった。

 

そしておとなになってから、

その経験を

愛するひととの

関係にあてはめる。

 

さらに、

神との関係にも

あてはめる。

 

(中略)

 

あなたがたは、

無条件に愛される

というのは

どんなことかを

忘れている。

 

 

う~ん、

たしかに・・・

 

子供にとって、

親は、神さまのような存在です。

 

しかし、親自身、

「不安(怖れ)」を感じながら

生きているので、

子供にも、悪気なく、

「不安(怖れ)」を与えてしまうんですね。

(自分も、そうやって育てられたし・・・)

 

もちろん、

子供が生きていくうえでは、

しつけやルールも必要ですし、

「無条件に愛する」

というのは、

現実的には、なかなか、

難しいところではあると思いますが・・・

 

神さまは、

こうもいいます。

 

 

(不安が勝ってしまうのは)

不安を抱えて

生きるように

教えられているからだ。

 

あなたがたは

適者生存、

いちばん強いものが

勝利を得る、

いちばん利口なものが

成功すると

聞かされてきた。

 

いちばん

愛らしいものの

栄光については、

ごくわずかしか

語られない。

 

だから―

いろいろな方法で―

あなたがたは

適者になろう、

いちばん強くなろう、

利口になろうと

必死になり、

どんな状態でも、

少しでも劣っていれば

負けてしまうという

不安におびえる。

 

子供のころからすっと、

劣ったものが負けると、

言い聞かされてきたためだ。

 

あなたがたはもちろん、

不安に支えられた行動を

選択する。

 

そう教えられてきたからだ。

 

 

う~ん、

その通りですね。

 

たしかに、行動の原動力の多くは、

「不安(怖れ)」から

きているような気がします・・・

 

食うか食われるか。

弱肉強食の世界・・・

 

もちろん、

「不安(怖れ)」

が原動力となって、

頑張れる時もありますので、

一概に否定はできません。

 

でも、そればかりでは、

いずれ、行き詰ってしまいますね(^^;

 

つらい人生になります・・・

 

では、どうすればいいのか。

 

だが、

教えてあげよう。

 

愛に支えられた

行動をとれば、

生き延びるだけではなく、

勝利するだけでなく、

成功するだけではなく、

それ以上のことができる。

 

そのとき、

自分はほんとうは何者か、

そして

何者になりえるのかという、

栄光に包まれた経験が

できるだろう。

 

そのためには、

善意ではあるが

間違った教師たちの

教えを退け、

べつの種類の知恵を

もったひとたちの教えに

耳を傾けなければ

いけない。

 

そういうすぐれた教師は、

昔もいまもたくさんいる。

 

私は、

真実を教え、導き、

思い出させる

ひとたちなしに、

あなたがたを

放っておきはしない。

 

しかし、

いちばん偉大な教師は

外にあるものではなく、

あなたがたの心の声である。

 

(中略)

 

その声はたったいまも、

あなたが読んでいる

この言葉が、

愛の言葉か

不安の言葉かを

教えてくれるはずだ。

 

 

私の中では、

このブログで

今まで取り上げてきた、

本や著者、

 

それに、

皆さまが書かれている

ブログの記事が、

「すぐれた教師」

です(^^)

 

ああ、ありがたや~。

 

しかし、

いちばん偉大な教師が、

自分自身の「心の声」とは・・・

 

私、ちょっと自信がありませんが(^^;

 

う~ん、

 

「心の声」

 

たとえば、

どんなことだろう・・・

 

無理をすることなく、

自然体で、

人に親切にしたり、

与えたりすることができた時に、

「心があったかく」

なること。

 

それが、

「心の声」

なのでしょうか。

 

あとは、

瞑想や坐禅をする時に、

たまに感じる、

満たされたような感覚でしょうか。

 

ネガティブな感情や、

自分の至らなさを、

受け入れられた時でしょうか。

 

 

私たちは、

仕事や生活に追われる日々を

過ごしていますが、

心の声に耳を傾けて、

「愛」を思い出す時間、

感じる時間を

少しでも、

増やしていきたいですね(^^)

 

神さまいわく、

私たちは、もともと、

「愛」そのものなのですから・・・

 

 

と、

ここまでお読みになって、

疑問に思う方も、

いらっしゃると思いますが、

何で、神さまは、

そもそも

「愛」の存在である私たちに、

「不安(怖れ)」の感情というものを、

与えたのでしょうか?

 

別に、「不安(怖れ)」

の感情などなくても、

もともと、すべてが「愛」

なのだとしたら、

「愛」だけを感じられれば、

皆、幸せになるのに・・・

 

次回に続きますね(^^;

 

今回も、

最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

花粉症の方は、

つらい日々が続きますね😞

 

私も花粉症なのですが、

今のところ、そんなに重くはなく、

処方してもらった点鼻薬

(鼻に突っ込んで、シュッシュとやるやつ)

で何とか、しのげています(^^;

 

で、今日は、天気がいいので、

散歩がてら、

鶴見川の河川敷に行って、

の~んびり、動禅(太極拳のようなもの)

をしたり、

ぼーっとしたり、しました(^^)

 

(ちなみに、動禅は、

無料・自由参加のオンライン坐禅会

関守研悟さんの会に参加すると、

体験できますよ!)

 

日差しをいっぱい浴びながら、

深呼吸をして、

とても気持ちよかったです!

(傍から見ると、アヤシイおじさんですが(^^;)

 

今回から、

神との対話

シリーズ

 

 

を紹介、解説していきます。

 

世界中で、

ベストセラーになったシリーズですね(^^)

 

写真は、私が持っている、

1998年発行のハードカバーですが、

(けっこうボロボロ(^^;)

今は、文庫も出ていますので、

安い文庫版をオススメします(^^)

 

この本、思い出深い本で、

私が20代後半のころ、

(もう20年以上前ですね・・・)

読みこんだ本です(^^;

 

当時、読書会のようなものにも

参加したりして、

ずいぶん熱心に読んだのですが、

その後、20年近く、

本棚の奥で眠っていました(^^;

 

そして、

最近、古宮昇先生

のオンラインサロンで、

取り上げられることがあり、

久しぶりに読み返しているのですが、

私なりに、人生経験や、

心の学びを積み重ねているせいか、

20代の頃にはわからなかった、

気づきがあったりします(^^;

 

著者は、

ニール・ドナルド・ウォルシュさんという、

アメリカの作家。

 

それにしても、

神との対話

というタイトル、

ちょっとアヤシイですよね(^^;

 

私は、はじめ、

ちょっと抵抗がありました・・・

 

ちなみに、

私の先輩は、

実家で、父親に本のタイトルを見られて、

「おまえ、神さまと対話できるようになったのか!」

と、からかわれたそうです(笑)

 

ということで、

誤解を生みそうなタイトルではありますが、

内容は、

特定の宗教のドグマのようなものではなく、

スピリチュアルな自己啓発的なものです。

 

今、読み返しても、

「いろいろな自己啓発本の源流なのでは?」

と感じられるほどの、奥深さを感じます。

 

それと同時に、

対話形式なので、

親しみやすさも感じる本です(^^)

 

著者のウォルシュさんの、

神さまへの突っ込みや、

食い下がり方が、

読者を代弁してくれて、

いい味だしているんですね(^^)

 

「神さま、そうはいっても、

それを現実にどう生かすんですか?」

みたいな(笑)

 

そんな問いにも、

神さまは、丁寧に、時にはユーモラスに、

応えてくれます(^^)

 

この対話のきっかけは、

ウォルシュさんが、

神に、怒りを込めた手紙を

書いたところから始まります。

 

著者は、

仕事もプライベートもうまくいかず、

やけっぱちになって、

神さまに質問したんですね(^^;

 

どうして、

人生がうまくいかないのか。

 

何が必要なのか。

 

どうして、

幸福な人間関係を結べないのか。

 

どうして、

お金に苦労するのか。

 

そして、最後に、

こんなに、

もがきつづけて

いなければならないなんて、

わたしが

いったい

何をしたというのか。

と書いたところ、

 

ふいに、

ペンが勝手に動き出します。

 

あなたはほんとうに、

すべての質問の答えを

知りたいのか、

 

それとも

八つ当たりをしてみた

だけなのか?

 

えっ、これは

神さまのメッセージ?

 

という形で、

ウォルシュさんと神さまとの対話が始まり、

口述筆記をしたものが、

この本なのです(^^;

 

次回から、

私が、印象に残ったところ、

有益だと思ったところを、

紹介、解説していきますね。

 

今回も、

最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

今、話題のビジネス書

(というか思想書でしょうか)、

ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す

 

 

を紹介、解説しています。

 

著者は、

山口周さんです。

 

他の著作だと、

光文社新書の、

世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?

が有名ですね(^^)

 

今回が、最終回です(^^;

 

前回を簡単に振り返ります。

 

これからの社会の課題を

解決するためには、

経済合理性を超えた「衝動」

すなわち、

人間性に根差した「衝動」

が必要になってくる。

 

たとえば、

Linuxの開発に協力した人々のように。

 

しかし、

それらの人は、

一部の生活に余裕のある

エリートであって、

庶民は、

人間性に根差した「衝動」だけでは、

食っていけない(^^;

 

では、

どうすればいいのか?

 

著者は、

ユニバーサル・ベーシック・インカム(UBI)

(個人が就労中か否かに関わらず、

世帯所得を保障するという考え方)

の導入が必要不可欠だと主張します。

 

たしかに、

私も、そんなことが実現できれば

最高だと思います(^^)

 

そうすれば、

前回、紹介したような、

人間性、すなわち、

喜怒哀楽に基づく「衝動」

を中心にして、生きていくことができる。

 

しかし、

「原資」は?

 

経済成長がない

「高原社会」で、

ベーシック・インカムの

原資はどうするのか?

 

と、せこい私は考えてしまうのですが、

著者は、すばり、

「増税」が、手段のひとつであるといいます。

 

えっ、増税・・・

 

ただでさえ、消費税10%や所得税などで、

国民はあえいでいるのに!

 

などと私は、

まっさきに思ってしまいましたが(笑)

この本を読んで、

少し考え方が変わってきました。

 

多くの人は

「日本の税金は高い」

と漠然と持っているようですが、

日本の国民負担率は

諸外国と比較して

決して高い水準に

あるわけではなく、

OECE加盟国36か国のうち、

8番目に国民負担率の

低い国となっています。

 

そうなんですね(^^;

 

でも、税率を上げれば、

生活が苦しくなり、

不幸な人が増えるのではないか?

 

いや、

そうとも言い切れないようです(^^;

 

幸福度ランキングの上下と

国民負担率の高低には

ほとんど関係がないこと。

 

特に幸福度ランキングの

高い国は

おしなべて

国民負担率の

高い国であることが、

わかると思います。

 

この本には、

プロット図で説明されているのですが、

ちなみに、

幸福度ランキングの高い国は、

皆様の想像の通りで、

やはり、

デンマーク、フィンランド、ノルウェー

などの北欧諸国。

 

対して、

低い国は、

韓国や日本・・・

 

日本人は、慎ましい?国民性のため、

このような調査では、

幸福度が低く出るという説もありますが、

それにしても、

(いろいろな要因があるので、

一概には言えませんが)

少なくとも、税金が高い方が、

むしろ、幸福度が高くなる

という傾向があるのは、

事実のようです(^^;

 

もちろん、

税金の使い道が、

ポイントだとは思いますが、

福祉が充実すれば、

国民は、安心感が高まり、

幸福度もアップするような気がします(^^)

 

著者は、

国民負担率を上げることによって、

付加的な効果も

期待できるといいます。

 

高負担率の税制を

寄付による税控除の仕組みと

組み合わせることで

「贈与の文化」を

生みさすことができる。

何に使われるか

分からない税金を払うよりも、

応援している組織や個人に

贈与したほうがいいということですね。

 

「お金のために

あくせく働いても仕方がない」

という価値観を広められる。

これは、

おもしろい考え方だと思いました!

 

たとえば、

2000万以上の所得については

70%の所得税を、

5000万以上の所得については

90%の所得税をかけたらどうなるか?

 

あくせく働いて年収を上げるのは、

バカらしくなる。

 

そして、多くの人は

お金のためではなく、

活動それ自体が喜びとなるような

仕事を選ぶようになる。

 

と、著者は述べています。

 

また、企業が、

良い人材を採用するための、

「高額の報酬」というニンジンの

効果が薄れます。

(ほとんど税金で持っていかれる

わけですから(^^;)

 

こうなると、

良い人材を採用するためには、

仕事のやりがいや、

一緒に働く仲間、

自由な働き方、

といった要素が、

企業側に必要とされるわけです。

 

このシフトは社会から

 

「クソ仕事=

報酬そのものは

魅力的だけど

仕事の内実は空虚で

本人自身も

意義や意味を

感じられていない仕事」

 

を減らすための

後押しになるはずです。

 

「クソ仕事」

とは、思い切った言い方ですが(^^;

 

でも、ほんとそうですね。

 

意味や意義を感じられない仕事は、

いくら報酬が高くても、空虚です。

 

有名な、

レンガ積みの寓話を想起します。

 

---------------------------------

 

旅人が、

レンガ積みの現場を

通りかかりました。

 

一人のレンガ積み職人に、

声をかけました。

 

「あなたは何をやっているんですか」

 

職人は、

いまいましく答えました。

 

「見りゃわかるだろ。

この重てえレンガを積んでいるんだ。

食っていくために、

仕方がねえんだ!」

 

別の職人にも、

声をかけました。

 

「あなたは何をやっているんですか」

 

職人は、

目を輝かせながら答えました。

 

「人々が祈りをささげる

大聖堂をつくっているんだ。

みんなが楽しみに待っている。

早く完成させたい!」

 

---------------------------------

 

「何のために」

 

「誰のために」

 

「その先に何を見つめているか」

 

やっぱり、仕事には、

自分自身が納得できる、

意味や意義が必要ですね(^^)

 

(それと適度な報酬も、やはり必要(^^;)

 

もし私たちが、

自分の本来の感情、

幸福感受性に根差して

仕事を選ぶことができれば、

私たちの幸福に

貢献しない仕事や活動は、

社会から消えていくことに

なります。

 

なぜなら、

私たちの社会には

市場原理が働くからです。

 

ここに、私が

「資本主義をハックする」

と言っている意味があります。

 

UBI

(ユニバーサル・ベーシック・

インカム)

の考え方は

かつての社会主義と

近接していることから、

これを

「資本主義の否定」

と捉える向きもありますが、

本当の狙いは真逆で、

むしろ労働市場に

市場原理をより徹底的に

働かせるためにこそ

UBIの導入が必要だ、

というのが

私の考えであることを

強調しておきます。

 

著者の、

山口周さんは、

「資本主義をぶっこわせ!」

といっている訳ではないんですね。

 

UBI

(ユニバーサル・ベーシック・インカム)

を導入して、

人々が安心できる

「安全地帯」

をしっかり確保したうえで、

それぞれが

幸福を感じられる仕事を

選択していく。

 

そうすれば、

「市場原理」が働いて、

いわゆる

「クソ仕事」は自然淘汰されていく、

 

そして、真に、

ヒューマニティ溢れる社会が

実現する。

 

それが、

「資本主義をハックする」

という意味なんですね(^^)

 

---------------------------------

 

以上、4回にわたって、

山口周さんの話題のビジネス書、

(というか思想書ですね)、

ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す

 

を紹介、解説してきました。

 

本の内容の一部分しか、

紹介できておりませんが、

基調として流れている、 

「エコノミーにヒューマニティを取り戻す」

という考え方には、大いに共感します!

 

ただ、

正直、ビジネスの現場に

どっぷりつかっている身としては、

 

「たしかに、理想だけど、

はたして、実現できるのかな~」

 

という気も、正直します(^^;

 

増税は、そもそも、

選挙でなかなか、

賛同を得られないだろうし・・・

 

う~ん・・・

 

時代が変わりつつある

今の時期、

私たちは、真剣に、

「真に豊かで生きるに値する社会」

とはどういうものかを、

考える必要があるのかもしれませんね。

 

「Z世代※、頼んだぞ!」

(※1990年代半ばから

2000年代の初めに生まれた若年層)

 

と、若者に委ねたくもなりますが(^^;

 

でも、よくよく考えると、

人生100年時代、

私自身、まだ50年近く、

生きるかもしれないのです(^^;

 

まだまだ先は長い・・・

 

他人事ではない(笑)

 

 

新型コロナの

外圧の影響ではありますが、

急速にテレワークが

普及したように・・・

 

都市部の求心力が

薄れているように・・・

 

ビジネスの変化は、

思ったよりも

加速度的に進むかもしれません。

 

で、

私は何をする?

 

どう生きる?

 

 

そうですね・・・

 

「人生」と「生活」の間、

すなわち、

「理想」と「現実」の間を、

揺れながら、迷いながらも、

 

地に足をしっかりとつけて、

自分を見失わず、

自分の気持ちを大切にしながら、

心ゆたかに生きていく。

 

そして、その影響の輪を、

少しずつ広げていきたいです(^^)

 

今回も、

最後までお読みくださって、

有り難うございました(^^;

 

次回は、

別の本を紹介します(^^)

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

今、話題のビジネス書

(というか思想書でしょうか)、

ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す

 

 

を紹介、解説しています。

 

著者は、

山口周さんです。

 

簡単に、前回を振り返ります(^^)

 

経済成長が終わった

「高原」社会で、

残されている課題は、

問題の普遍性が「低く」、

難易度が「高い」もの。

 

たとえば、

「子どもの貧困問題」や

「希少疾病」

(罹患する人が希少な難病)

などですが、

それは、

「経済合理性限界曲線」

の外側になってしまう。

 

要は、採算が合わない。

 

だから、ビジネスとしては、

なかなか手が出せない。

 

したがって、

市場原理に頼っていたら、

永久に解決されることはない

 

ということなのです(^^;

 

別の本からの引用になりますが、

こんな文章を思い出しました(^^;

 

大企業までもが、

考えているのは

自分の組織の

利益のことだけである。

 

(中略)

 

会社命のかれら

(企業の幹部)には

正社員をも恫喝する

「会社は慈善事業

やってんじゃねえぞ」

という常套句がある。

 

慈善事業をやれよ。

 

(勢古浩爾氏

会社員の父から息子へ (ちくま新書)」より)

 

最後のセリフが痛快!で、

私の中に、

こびりついて離れない文章です(笑)

 

思わず紹介してしまいました(^^;

 

ほんと、

たまには、慈善事業もやれよ!

と思います・・・

 

で、戻りますが、

どうすればいいのか。

 

「経済合理性限界曲線」

の外側の、

いわゆる、

採算の合わない、

問題の普遍性が「低く」、

難易度が「高い」問題を

解決するためには、

何が必要なのか。

 

著者は、

経済合理性を超えた「衝動」

すなわち、

人間性に根差した「衝動」

が必要になってくるといいます。

 

(中略)

 

そのような

モチベーションの源泉は

「人間性に根差した衝動」

しかないと

考えています。

 

「衝動」とはつまり

「そうせざるにはいられない」

という強い気持ち

のことです。

 

損得計算を

感情に入れれば

「やってられないよ」

という問題を

解決するためには、

経済合理性を超えた

「衝動」が必要になります。

 

現在の世界が抱えている

根深い問題の多くは、

そのような「衝動」によって

自己を駆動する人によってしか

解決することができません。

 

 

「人間性に根差した衝動」

とは、

「喜怒哀楽に基づく衝動」

ともいえます。

 

それはたとえば

 

「歌い、踊りたい」

という衝動であり、

 

「描き、想像したい」

という衝動であり、

 

「草原を疾走したい」

という衝動であり、

 

「木漏れ日を全身に浴びたい」

という衝動であり、

 

「美しい海に飛び込みたい」

という衝動であり、

 

「困難にある弱者に手を差し伸べたい」

という衝動であり、

 

「懐かしい人と酒を酌み交わしたい」

という衝動であり、

 

「愛しい子供を抱きしめたい」

という衝動であり、

 

「何か崇高なものに人生を捧げたい」

という衝動です。

 

そうですね・・・

 

私は、

私たちが、この世に生まれてくる

理由のひとつとして、

「喜怒哀楽」の感情を、

感じて、味わうためだと考えています(^^)

 

そう考えると、

経済活動というのも、

合理的な要素だけでなく、

本来は、人間性、

すなわち、ヒューマニティ、

人間の喜怒哀楽に基づく衝動に

根差したものであるべきなのかも

しれませんね(^^;

 

この本には、

例として、

Linux(リナックス)の開発が

挙げられています。

 

Linux(リナックス)

とは、スーパーコンピューターや、

スマホのOSのことですが、

このOSは、

世界各国の優秀なプログラマーが、

「無償」で創り上げたものなんです(^^)

 

つまり、

Linuxというのは、

巨大な、

「知識の贈与」

「能力の贈与」

「時間の贈与」

によってこそ

成立しえたということです。

 

(中略)

 

Linuxの開発プロジェクトは、

共感と衝動さえ喚起できれば、

労働市場で

調達しようとすれば

数千億円にもなるような

巨大な問題解決・

知的創造の資源を

社会から引き出すことができる、

ということを示唆しています。

 

(中略)

 

彼らがなぜ、無償で、

自分の知識・技能・時間を

「贈与」したのでしょうか。

 

理由は単純で

「楽しかったから」です。

 

 

「楽しかったから」

というのは、

やらされ仕事ではなく、

自ら主体的に取り組んだ仕事だから、

そして、

自分の得意なことが、

社会の役に立っているという

貢献感を、

直接、感じられたからだと思います(^^;

 

 

ここで、

疑問を持たれる方が、

いらっしゃるかもしれません。

 

「Linuxの開発に協力した人は、

しょせん、

生活に余裕のある一部の人たちだ!」

 

「庶民は、そんな余裕はない!」

(と、私は思ってしまいました・・・)

 

そうです。

著者の山口周さんも、

同じ意見なのです。

 

彼らは、

IBM、ヒューレット・パッカード、

シリコングラフィックス、

インテルなどの、

名だたる企業に

フルタイムで勤め、

そこから十分かつ安定的な

経済的報酬を

得ていたからです。

 

これらの経済的安定性が

あったからこそ、

彼らは「遊び」に

あれだけの知識・スキル・時間を

投入することができたのです。

 

 

では、

一部のエリート以外は、

「人間性に根差した衝動」など、

活かすことはできないではないか?

 

そうなんです。

このままでは・・・

 

解決策として、

著者は、

ユニバーサル・ベーシック・インカム

(UBI)

の導入が必須だと主張しています。

 

次回に続きます(^^;

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)