ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

前回から、

スピリチュアル本で、

世界中でベストセラーになった本、

神との対話シリーズ

 

 

を紹介しています(^^)

 

この本の成り立ちですが、

著者の、

ニール・ドナルド・ウォルシュさんが、

人生がうまくいかず、

やけっぱちになって、

神さまに向けて、

いくつか質問を書いたんですね。

 

そして、最後に、

 

こんなに、

もがきつづけて

いなければならないなんて、

わたしが

いったい

何をしたというのか。

 

 

とぶつけたところ、

突然、神さまからの返事が浮かんできた・・・

 

その対話を書き記したのが、

この本になります(^^;

 

私が、印象に残ったところ、

有益だと思ったところを、

要約、引用を交えながら、

紹介、解説していきますね(^^)

 

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この神さまは、

神についての真実は、

指導者、聖職者、ラビ、僧侶、本、聖書、

などから語られるとは

限らないといいます。

 

えっ、

いきなり爆弾発言!

 

どういうことでしょうか?

 

 

自分の感情に

耳をすますことだ。

 

自分の最高の考えに

耳を傾けなさい。

 

自分の経験に

耳を傾けなさい。

 

そのどれかが、

教師に教えられたことや

本で読んだことと

違っていたら、

言葉のほうを忘れなさい。

 

言葉は真実の伝達手段として、

いちばんあてにならない。

 

 

いきなり、難易度高めです(^^;

 

自分の感情や経験に、

神の真実があるなんて、

にわかには信じがたいですが・・・

 

このような言い方もしています。

 

 

神は観察者であって、

創造者ではない。

 

(中略)

 

神はあなたがたが

自由に選べる選択肢を、

人生を好きなように

生きる力を与えた。

 

 

神さまは、

鬼ごっこをしたり、

かくれんぼをしたり、

おままごとをしたりする子供を、

見守る親のような存在だといいます。

 

その中で、

私たちは、

何をやって遊んでもいい。

 

う~ん、たしかに、

人間には、人生を好きなように、

生きる自由があると思いますが、

でも、自由に生きたくても、

人生には、

思い通りにならないことも、

多々あります・・・

 

神さまは、

こんなことも述べています。

 

 

人間の行動には、

二つの動機しかない。

 

不安か愛か。

 

じつは、

感情の源も

この二つだけだ。

 

「不安」か「愛か」

どちらかしかない。

 

この「不安」とは、

「怖れ」と同じ意味ですね(^^;

 

ちなみに、

この考え方は、

過去ブログ、

3つの真実

 

 

でも、少し紹介させていただきました(^^;

 

たしかに、

よくよく、突き詰めて考えてみると、

人間の行動の動機や、

感情の源は、

 

「愛」か「不安(怖れ)」

 

のどちらかに、

当てはまると思います。

 

たとえば、私の場合ですと、

「怒り」は、

「不安(怖れ)」からだし、

「妻とけんかする」のも、

「不安(怖れ)」からだし(笑)

 

「好奇心」は、

自分への「愛」からだし、

「このブログを書く」のは、

わくわくするから、

「愛」からだし・・・

 

仕事は・・・?

 

ある部分は「愛」からで、

ある部分は「不安(怖れ)」から

でしょうか。

(不安からのほうが多いかな?苦笑)

 

 

この本には、

人間は、本来、

「愛」そのものの存在なのですが、

それを、人生を重ねるにしたがって

忘れてしまう。

 

そして、しだいに、

「不安(怖れ)」を感じることが

多くなっていく、

 

というようなことが

述べられています。

 

では、なぜ、

「不安(怖れ)」という感情が、

発生するのか?

 

「愛」は条件つきだと

教えられたからです。

 

誰から教えられたのか?

 

親、だといいます。(・・;)

 

あなたがたは

自分が何者であるかを

知らず、

だめな存在だと

考えている。

 

では、

どうして自分は

だめなんだと

思い込んだのか。

 

そう思わせたのは、

あなたがたが

無条件で信じた

唯一のひとたち、

母親と父親だ。

 

親は、

あなたをいちばん

愛している。

 

それなら、

どうして

偽りを教えるのだろう。

 

・・・

思い出してみてほしい。

 

親は、

こうしてはいけない、

こうしなくてはいけないと

叱りはしなかったかだろうか。

 

子供は

おとなしく言うことを

聞いていればいい、

うるさく口を出しては

いけない、

とは言わなかっただろうか。

 

あなたが元気いっぱいな

ときに、

たしなめはしなかったか。

 

大胆な発想を

めぐらしているときに、

そんなことはやめなさいと

言わなかったか。

 

その言葉を聞いて、

あなたは、

それが神のメッセージの

基準にあわず、

神のメッセージでは

ないにもかかわらず、

そうだと思った。

 

あなたにとっては

宇宙の神々とも思える

ひとたちから送られた

メッセージだったからだ。

 

愛は条件つきだと

教えたのは親だ。

 

あなたはそれをたびたび

感じとった。

 

そしておとなになってから、

その経験を

愛するひととの

関係にあてはめる。

 

さらに、

神との関係にも

あてはめる。

 

(中略)

 

あなたがたは、

無条件に愛される

というのは

どんなことかを

忘れている。

 

 

う~ん、

たしかに・・・

 

子供にとって、

親は、神さまのような存在です。

 

しかし、親自身、

「不安(怖れ)」を感じながら

生きているので、

子供にも、悪気なく、

「不安(怖れ)」を与えてしまうんですね。

(自分も、そうやって育てられたし・・・)

 

もちろん、

子供が生きていくうえでは、

しつけやルールも必要ですし、

「無条件に愛する」

というのは、

現実的には、なかなか、

難しいところではあると思いますが・・・

 

神さまは、

こうもいいます。

 

 

(不安が勝ってしまうのは)

不安を抱えて

生きるように

教えられているからだ。

 

あなたがたは

適者生存、

いちばん強いものが

勝利を得る、

いちばん利口なものが

成功すると

聞かされてきた。

 

いちばん

愛らしいものの

栄光については、

ごくわずかしか

語られない。

 

だから―

いろいろな方法で―

あなたがたは

適者になろう、

いちばん強くなろう、

利口になろうと

必死になり、

どんな状態でも、

少しでも劣っていれば

負けてしまうという

不安におびえる。

 

子供のころからすっと、

劣ったものが負けると、

言い聞かされてきたためだ。

 

あなたがたはもちろん、

不安に支えられた行動を

選択する。

 

そう教えられてきたからだ。

 

 

う~ん、

その通りですね。

 

たしかに、行動の原動力の多くは、

「不安(怖れ)」から

きているような気がします・・・

 

食うか食われるか。

弱肉強食の世界・・・

 

もちろん、

「不安(怖れ)」

が原動力となって、

頑張れる時もありますので、

一概に否定はできません。

 

でも、そればかりでは、

いずれ、行き詰ってしまいますね(^^;

 

つらい人生になります・・・

 

では、どうすればいいのか。

 

だが、

教えてあげよう。

 

愛に支えられた

行動をとれば、

生き延びるだけではなく、

勝利するだけでなく、

成功するだけではなく、

それ以上のことができる。

 

そのとき、

自分はほんとうは何者か、

そして

何者になりえるのかという、

栄光に包まれた経験が

できるだろう。

 

そのためには、

善意ではあるが

間違った教師たちの

教えを退け、

べつの種類の知恵を

もったひとたちの教えに

耳を傾けなければ

いけない。

 

そういうすぐれた教師は、

昔もいまもたくさんいる。

 

私は、

真実を教え、導き、

思い出させる

ひとたちなしに、

あなたがたを

放っておきはしない。

 

しかし、

いちばん偉大な教師は

外にあるものではなく、

あなたがたの心の声である。

 

(中略)

 

その声はたったいまも、

あなたが読んでいる

この言葉が、

愛の言葉か

不安の言葉かを

教えてくれるはずだ。

 

 

私の中では、

このブログで

今まで取り上げてきた、

本や著者、

 

それに、

皆さまが書かれている

ブログの記事が、

「すぐれた教師」

です(^^)

 

ああ、ありがたや~。

 

しかし、

いちばん偉大な教師が、

自分自身の「心の声」とは・・・

 

私、ちょっと自信がありませんが(^^;

 

う~ん、

 

「心の声」

 

たとえば、

どんなことだろう・・・

 

無理をすることなく、

自然体で、

人に親切にしたり、

与えたりすることができた時に、

「心があったかく」

なること。

 

それが、

「心の声」

なのでしょうか。

 

あとは、

瞑想や坐禅をする時に、

たまに感じる、

満たされたような感覚でしょうか。

 

ネガティブな感情や、

自分の至らなさを、

受け入れられた時でしょうか。

 

 

私たちは、

仕事や生活に追われる日々を

過ごしていますが、

心の声に耳を傾けて、

「愛」を思い出す時間、

感じる時間を

少しでも、

増やしていきたいですね(^^)

 

神さまいわく、

私たちは、もともと、

「愛」そのものなのですから・・・

 

 

と、

ここまでお読みになって、

疑問に思う方も、

いらっしゃると思いますが、

何で、神さまは、

そもそも

「愛」の存在である私たちに、

「不安(怖れ)」の感情というものを、

与えたのでしょうか?

 

別に、「不安(怖れ)」

の感情などなくても、

もともと、すべてが「愛」

なのだとしたら、

「愛」だけを感じられれば、

皆、幸せになるのに・・・

 

次回に続きますね(^^;

 

今回も、

最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)