前回は、
遠藤周作さんの小説、
アウシュビッツ強制収容所における、
コルベ神父と、ヘンリックという若者に、
焦点を当てて紹介しました。
今回は、
遠藤周作さんの人生論、
を紹介したいと思います。
この本、
私が20代のころに、初めて読みました。
氏の人生論・エッセーは、
読み応えのあるものが多いですが、
その中では、
かなり読みやすく平易な方だと思います。
(別で、ぐうたら狐狸庵ものもあり、
それは、くすっと笑えるシリーズです(^^)
若かりし頃は、もう少しパンチの利いた、
ポジティブで刺激的な本に惹かれたこともありましたが、
この本、何故か忘れがたく、
読みやすいこともあり、何度も読み返しています。
メインターゲットは、若者だと思いますが、
ある程度、年をとってから読んだほうが、
この本の「深さ」がわかるかもしれません。
ただ、残念ながら、
この本、今は「品切れ重版未定」
となっております・・・
(古本ならアマゾンで買えますが)
ですので、
このブログを読んで、
皆さまの生き方の参考に、
少しでもなれば嬉しいです。
この本は、
「自分をどう愛するか」
というテーマで、
第一集、第二集に分かれています。
第一集は「生活編」
第二集は「生き方編」
氏は、「生きること」と「生活」することの違いを、
こう定義しています。
(以下引用)
生きることと、生活することとは違う。
生きることは世間や他人という壁を無視して
自分の心にあくまでも忠実であろうとすることだ。
だが生活することとは世間や他人をやはり考慮して
自分の未来をつくることだ。
―「ただいま浪人」より
(引用終わり)
要は、
「生きる」とは、理想
「生活」とは、現実
ということでしょうか。
今回は「生活編」のほうですので、
すなわち処世術的なことが多いですが、
いわゆるハウツー本のような、
薄っぺらいものではないです(^^;
「はじめに」
が、とてもいいです。
(以下引用)
私は人間が人間である一つの要素は
自分にたいする劣等観念だと思っている。
絶対的に自分は正しい、
絶対的に自分は強い、
絶対的に自分は自信がある、
と思っている人はこの世のなかに
まず存在しないのではないか。
そして、われわれはこの劣等観念に
ふりまわされてばかりいる。
時には背のびをして強がってみせたり、
時には逆に意気阻喪してウジウジしすぎたりする。
私も長い間、そうだった。
だが年の功のおかげで
私は自分の弱さにたいする扱いかたを憶えた。
無理をして強がらなくてもいいのだ。
ありのまま、自分の弱さを承知して、
その弱さを
「できるだけ自分に有利に活用してみよう」
と思うようになったのです。
だから、これからあなたに話すことは
自分の弱点をいかに活用するか
ということに盡きると思います。
(引用終わり)
この爺さんの話なら、
聞いてみたいと思いませんか(^^)
以下、私がためになった文章を、
紹介していきます。
(以下引用)
「口ベタで人とつき合うのが下手なら、
聞き上手になりなさい。
人間というものは、
どんな人でも自分の話を誰かに聞いてもらいたい、
わかってもらいたいと思っている」
(引用終わり)
この文章がおそらく遠因になって、
私はカウンセラーの資格を取りました(^^;
(以下引用)
「あんまりみんなと調子よくつき合うやつを
八方美人というけど、
ぼくはたいへんいいことだと思う。
~
やたらとおべっかを使うのも困りもんだけど、
それによって利益を得るという下心がなければ、
八方美人も大いに結構ではないですか」
(引用終わり)
今、読むと、
この文章に救われます。
私は「敵を作ってでも、自分の信念を貫き通す」
というよりも、やっぱり、
できれば「敵を作らずに、みんなで仲良くしたい」
というタイプの人間だからです。
(以下引用)
「能力的なマイナス点は
別のプラス点に転化できると思う。
計算が下手なやつは、
計算以外のことで必ず長所がある。
自分が、能力的な自己嫌悪になったら、
それじゃ、何ができるのかを思い浮かべて、
そこでカバーすることだ」
(引用終わり)
例として、
非力なやつは、弁舌でカバーする。
三流大学なら、逆に頭角を現せば、
教授にかわいがってもらいやすい。
小規模な会社なら、
比較的早く上にいきやすい。
音感のすばらしいやつが、
ドストエフスキー読まなくたって、
一向にかまわない。
野球の選手が、
微積分や高等数学なんか知らなくたって、
恥でも何でもないんだ。
と述べられています。
勇気が出ますね!
(以下引用)
「さて、今度は対人関係とか道徳的な劣等感による
自己嫌悪をもつというやつだ。
これは、キザないい方だけど
人間修行にいちばんいいんだって。
これはいわないでもわかってくれるだろうと思うけど、
古今東西の宗教がいっていることは、
自己嫌悪をもったやつこそ救われるということです。
親鸞さんも、キリストもいっているわけだ・・・」
(引用終わり)
自己嫌悪で悩んだり、葛藤してもいいんですね。
成熟した大人への通過儀礼です。
(以下引用)
「昔、ある雑誌の企画で二十人くらいの社長と
連載対談をしたことがあった。
そのとき、毎回かならず、
『あなたはスランプのとき、どう克服しましたか』
という質問をした。
その時に気がついたことは、
積極的で闘志あふれる人は、
そういうスランプの時に、
嵐に立ち向かっていくという感じで、
どんどん手を打って克服したということだ。
ところが、
そうでない非積極的な人は、
『いや、私は嵐が吹き去るのを辛抱強く待っていました』
というような意味のことをいう」
(引用終わり)
人それぞれ、
タイプを見極めることが大切だということですね。
私は、う~ん、後者です(^^;
(以下引用)
「ライバルを抜こうと思うな。
ライバルを立てて、風よけにしてうしろから走れ」
「憎しみをいだかせないという点では、
ライバルとの付き合い方も『生活の知恵』なんだ。
大切なのは、ライバルを自分の見方にして、
友だちになることだ、
ライバルから助けてもらうことを考えた方が楽です。
~
人生というのは長距離競争・・・」
(引用終わり)
「ライバルを立てて、風よけにしてうしろから走れ」
このセリフ、
小賢しいようですが、
私は、氏の愛情を感じます。
人生を深く見つめ、経験を重ねた方でないと、
なかなか言うことができないセリフだと思います。
たしかに、人にはそれぞれタイプがありますが、
意外と、このやり方のほうが、
うまくいく人が多いような気がします。
少なくとも私はそうですね(^^;
次回に続きます。
今日もお読みくださいまして、
有り難うございました。