ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

私、ちょっとしたボランティアを

始めてみることにしたのですが(^^;

 

そこで、直接は関係ないのですが、

たまたま、

BS11の「報道ライブ」を見ることになって、

 

奥田知志

さんの存在を

初めて知ることとなりました。

 

氏は、牧師さんですが、

抱樸(ほうぼく)

というNPO法人で、

ホームレス・困窮者支援を、

32年以上も実践されている方です。

 

NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」

にも2回出演されています(^^)

 

今回は、

その奥田知志さんの本、

 

「逃げおくれた」伴走者

 

 

を紹介・解説いたします。

 

(ちなみに、今、話題の、

「逃げ恥婚」とはまったくは関係ありません(^^;)

 

さておき、(笑)

 

この本、

「はじめに」

から、いきなり掴まれます!

 

 

「『逃げ遅れた』

伴走者」。

 

本書はそう

名付けられた。

 

「伴走者」は、

私たちが提唱し

実践してきた

伴走型の支援者

のことであるが・・・。

 

 

『逃げ遅れた』

支援者とは、

どういうことでしょうか。

 

 

時折取材を受ける。

 

「なぜ、

三十年以上も

このような活動を

続けられるのか」。

 

質問の答えに窮する。

 

「揺るがない信念」

「消えない情熱」

「海よりも深い愛」

・・・。

 

そんな言葉が

ちりばめられた返答が

期待されているのだろうが、

申し訳ないが

そう答えるわけには

いかない。

 

 

えっ、

そう答えるわけには

いかない?

 

 

始めた頃、

少しは

「そんな大それたこと」

を考えた。

 

だが、

それは瞬く間に

現実の中で潰えた。

 

正直

「逃げ出したい」

「もうやめたい」

そんな思いに

何度もなった。

 

どれだけ手を伸ばしても

届かない人の現実は、

私たちを諦念へと

常に誘った。

 

 

う~ん、

そりゃそうですよ。

 

ホームレス・困窮者支援。

 

理想と現実は、

違いますもん・・・

 

 

一方、

「出会った責任」

ということが

常に問われた。

 

人は出会ってしまうと

「なかったこと」

にはできない。

 

だから

「出会った責任がある」

と自分たちに

言い聞かせていた。

 

だが

「責任」って何だ。

 

そもそも、

人が人に対して

「責任を取る」

ことなどできるのか。

 

そんな

葛藤の中で

「出会った責任がある」

ということと

「出会った責任を取る」

ということは

全く違うということに

気づかされた。

 

私たちは、

「責任を取ること」

はできない。

 

どんなに頑張ったとしても。

 

だから

「出会った責任がある」

と、

ただただ言い続けたのだ。

 

責任を取れないまま

三十年の月日が過ぎた。

 

 

責任は取れないまでも、

見て見ぬふりは、

できなかったのですね・・・

 

 

「引き受ける勇気」

はない。

 

しかし、

厄介なことに

「逃げる勇気」

もなかった。

 

神は、人に

「強靭な勇気」

をお授けには

ならなかったのだ。

 

「引き受ける」

と思うと腰が引ける。

 

しかし、

この脆弱さには

「皮肉な恵み」

が含まれていた。

 

そんな

「気の弱さ」

ゆえに

「逃げる」

こともできなかった

ということだ。

 

「引き受ける」

こともできず、

「逃げる」

こともできない。

 

結果、

「逃げ遅れた人々」

が現場には

残された。

 

 

「逃げ遅れた」

という意味は、

こういうことだったのですね・・・

 

 

「逃げる勇気が

なかっただけ」

 

と正直に言ってしまうと、

「立派」

と評価された活動の

メッキは剥げる。

 

別に嘘をついた

覚えはない。

 

良い、悪いの

問題ではなく、

それが私の、

そして

抱樸(ほうぼく)

の現実だった。

 

「嫌だなあ」

「逃げたいなあ」

「なんで俺が」。

 

そんなつぶやきが

とめどなく現場から

聞こえてくる。

 

でも、

「逃げる勇気はない」。

 

仕方なく

今日も現場に通う。

 

私たちは、

「すばらしく弱かった」

のだ。

 

何が

「すばらしかった」

のか。

 

それは、

たとえ

仕方なくとも

赴いた現場で

思いがけない

出会いを経験したことだ。

 

それは、

大変だけど

決して不幸ではなかった。

 

逃げ遅れたことに

感謝さえできた。

 

 

現場とは、

ホームレス支援の

「炊き出し」

のことですね。

 

ホームレスや困窮者を、

「引き受ける勇気」

もなければ、

そこから、

「逃げる勇気」もなかった。

 

なぜなら、

弱かったから、

単に、逃げ遅れただけ・・・

 

(正直と言うか、

とても誠実で謙虚ですね・・・)

 

しかし、

逃げ遅れることが、

弱さだとしたら、

この「弱さ」って、

人間として、大切だと思います。

 

たしかに、

逃げ遅れただけ

というのが、

本音なのかもしれないですが、

人間、たまには、

「逃げ遅れる」ことも必要かも。

 

と思いました(^^;

 

 

今の世の中は、

基本的に、

「効率主義」

「損得勘定」

で動いています。

 

「損」なこと、

「めんどくさい」ことからは、

できるだけ、遠ざかった方がいい。

関わらない方がいい。

早いとこ、逃げた方がいい。

 

という風潮があります。

 

もちろん、私も、

ご多分に漏れず、

「効率主義」

「損得勘定」

で動いている人間です(^^;

 

自慢ではないですが、

けっこう、逃げ足も、

早い方かもしれません(^^;

 

たとえば、

収入には、限度がありますので、

生活していく上では、

まず、これは、

「効率的」か、

「得」かどうかを考えて、

生きているところがあります。

 

しかし、

人生、図らずも、

行きがかり上、

逃げ遅れてしまうことは、あります。

 

私だって、もちろんそうです。

 

それは、

生活上では、

「損」なことかもしれません(^^;

 

しかし、

そんな時には、

それはそれで、逃げ遅れたことを、

受け止めたい。

 

そして、

同じように逃げ遅れた人

とのご縁を、大切にしたい。

 

いや、

むしろ、時には、

あえて、逃げ遅れてみることも、

必要なのではないか。

 

そんなことを考えます(^^;

 

 

遠藤周作さんの、

「愛するとは、棄てないこと」

 

という言葉を、

ふと思い出しました・・・

 

-----------------------------------

 

次回に続きます。

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

中村元先生の

ブッダ伝 生涯と思想

 

 

の内容から、

私の印象に残ったところを、

紹介・解説しています。

 

ちなみに、

引用箇所以外は、

私個人の勝手な解釈であって、

必ずしも、学術的に正しいというわけでは

ありませんので、ご容赦くださいね(^^;

 

で、

今回は、

 

「自灯明 法灯明」

(じとうみょう ほうとうみょう)

 

というブッダの教えを紹介します(^^)

 

この教えは、

ブッダ最後の説法だといいます。

 

 

この世で

自らを島とし、

自らをたよりとして、

他人をたよりとせず、

 

法を島とし、

法をよりどころとして、

他のものをよりどころと

せずにあれ

 

 

「島」は「洲」という意味だそうです。

 

インドでは大洪水のとき、

よく大地が水浸しになりますが、

その中にできる「中洲」が拠り所、

すなわち、

人々の命の綱となるようです。

 

そういう意味で、

この世の拠り所になるのが、

 

まずは

「自分」

 

それと

「法(ダルマ)」

(ブッダの教え)

 

ということなんですね(^^)

 

「他人」ではなく、

「自分」が拠り所になる

 

というのが、

ブッダの教えの

すばらしさだと思います!

 

少し横道にそれますが、

カウンセリングでは、

 

「答えはクライアントの中にある」

 

といいます。

 

過去の様々経験から、

たとえ、深い傷つきや、

認知の歪みを持ってしまったとしても、

それを、解決する力は、

クライアント自身の中にある。

 

カウンセラーは、

受容と共感を通じて、

そのお手伝いをする。

 

という考え方ですね(^^)

 

臨済宗の

白隠禅師坐禅和讃

(リンク張らせていただきました)

では、冒頭に、

 

「衆生本来仏なり」

 

といいます。

 

人はもともとは、仏である。

(仏性を持っている)

ということですね。

 

しかし、

私たちは、生きていると、

いろいろな煩悩(エゴ)にまみれてしまいます。

 

私などは、

ほんと煩悩の中にどっぷりつかっていて、

自己嫌悪に陥ることも多いのですが(^^;

 

そんな時こそ、

「自灯明」

 

まずは

自分を見つめる。

 

自分自身の

いま・ここ

に目を向ける。

 

そして、

「法灯明」

 

ブッダの教え、

すなわち、

「中道」

(その時その時の最適なバランス)

を心がける。

 

煩悩に

覆い隠されてはいますが、

ほんとうは、

自分の中には、

「仏性」が宿っている。

 

そんなふうに、

考えたいですね(^^)

 

(ちなみに、この解釈は、

私の勝手な解釈で、

中村元先生の解釈ではありません)

 

ブッダは、

最後の説法、

「自灯明 法灯明」

のあと、

旅を続ける中で、

鍛冶工の子チェンダから、

食事の接待を受けます。

 

そこで出された、

キノコ料理で、

食あたりを起こしてしまいます・・・

 

こういったエピソードも、

ブッダが実在した人間、

「人間ブッダ」

だったのだと感じさせます。

 

しかし、それが原因で衰弱し、

やがて死に至ってしまうのですが、

ブッダは、チェンダを恨むことなく、

むしろ、傷つけないように、

 

「このおかげで、

ニルバーナ(涅槃の境地)

に入ることができる」

 

と述べています。

ブッダの深い慈愛を感じますね(^^)

 

ブッダは、

屋外の木の下で、

多くの弟子たち、

さらに、

多くの動物たちにも囲まれて、

入滅された(亡くなった)といいます。

 

涅槃図

(リンク張らせていただきました)

 

よく、お寺や博物館にありますよね。

(涅槃仏像もよく見ます)

 

私、この涅槃図が好きで、

よく見とれてしまうのですが、

動物たちにも惜しまれつつ、

亡くなるお姿、

これは、たとえ、フィクションだとしても

いいですよね。

 

イエスの十字架の死、

私たちの罪を背負いながら

亡くなるお姿も、

ドラマティックで感銘を受けますが、

ブッダの、

動物たちにも囲まれながら、

穏やかに入滅されるお姿も、

自然と一体な感じが、

東洋的でいいな、と思います(^^)

 

中村元先生は、

 

「人間は苦なる存在である」

というのは、

仏教の出発点であって、

数十年の熟慮反省の結果、

ついに

「人生の味わいの深さ、

美しさ、楽しさ、喜び」

を体得するのが

本当の仏の教えだと

思います。

 

 

と述べています。

 

私も、人生を終える時には、

 

「人生の味わいの深さ、

美しさ、楽しさ、喜び」

を体得した!

 

と心から思える生き方をしたいなあ、

 

と憧れます😊

 

今回も、

最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^;

 

次回は、

別の本を紹介しますね(^^)

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

前回まで、

ブッダの「苦」の考え方、

すなわち、

 

「思い通りにならないこと」

 

から、ちょっと脱線して、

飯田史彦さんの

生きがいの創造

という本から、

 

「思い通りにならないことこそ、

価値がある」

(ブレイクスルー思考)

 

という考え方を紹介してきました(^^)

 

今回から、

中村元先生の

ブッダ伝 生涯と思想

 

 

に戻りますね。

(まだ、この本から取り上げたい

すばらしい考え方がありますので(^^;)

 

まずは、

「中道」

という考え方です。

 

ブッダは、

「琴」のたとえを使って説いています。

 

中村元先生は、

こう解説します。

 

 

琴の弦は

張りすぎても、

緩んでいても、

うまく音が出ません。

 

やはり適度に

張ったところで、

妙なる響きが

奏でられるのです。

 

仏道の修行も

琴の弦と同じなのです。

 

何も激しい修行に

張りつめていたから

といって、

安らかな境地に

達することが

できるわけではない。

 

もちろん、

怠惰になっては

いけませんが、

やはり調和のとれた

修行こそが

さとりへの道なのだと

説くのです。

 

ブッダは、

きっと自分が

さとりをひらく前、

苦行に打ち込んで

いたころを思い出しながら、

この説法をしたのでは

ないでしょうか。

 

何ごとも

調和のとれた中道が

肝心だという教えです。

 

 

ブッダは、

王侯貴族としての、

何不自由ない暮らしと、

苦行林での、壮絶な苦行。

 

いわば、

「両極」を味わったからこそ、

調和、すなわち、

「中道」の大切さに、

目覚められたのだと思います(^^)

 

ちなみに、

「中道」

とは、両者の中間というわけでは

ありません。

 

 

例えば、

病人に投与される薬は、

多すぎると

副作用があったり、

かえって悪化したりして

しまいます。

 

少なすぎては

まったく効き目が

ありません。

 

ちょうど適量でなければ

薬の用をなしません。

 

「中」

はこういう意味で、

決して両者の中間という

意味ではないのです。

 

 

なるほど・・・

 

その時、その時に応じて、

最適なバランスをとる、

ということでしょうか。

 

「最適なバランス」

 

と言うのは簡単ですが、

実際は、

これが意外と難しいんですね(^^;

 

心理学用語で、

「ビリーフ」

(スキーマ)

というものがあります。

 

日本語でいうと、

「思い込み」

「信念」

という意味ですね。

 

「認知の歪み」

「自動思考」

ともいえます。

 

人は皆、

それぞれ特有の

「ビリーフ」

を持っています。

 

たとえば、

朝、職場に出勤して、

同僚に、

 

「おはようございます♪」

 

とさわやかに挨拶したとします。

 

しかし、返事がない(・_・;)

 

ノーリアクション・・・

 

う~ん、ショック・・・

 

 

 

「失礼じゃないか!」

 

と怒りを感じる人は、

「人は礼儀正しくあるべきだ」

というビリーフを

もっているのかもしれませんし、

 

「嫌われているのかな」

 

と不安になる人は、

「私は受け入れられない人間だ」

というビリーフを

もっているのかもしれません。

 

同僚は、

単に、深く考え事をしていて、

リアクションがとれなかっただけ

かもしれませんし、

(私もよくあります(^^;)

 

仮に、私のことを

よく思っていなかったとしても、

こちらに

明らかに落ち度がない限りは、

それは相手の課題であるので、

その責任を負う必要はないのです。

 

しかし、

人はそれぞれ、

どうしても特有のビリーフを

持っています。

 

ビリーフに縛られてしまいがちです・・・

 

それがあまりにも強い場合は、

「生きづらさ」を感じますので、

それを、緩めるために、

「認知行動療法」

というものがあったりするのですが・・・

 

 

ちょっと、心理学の専門分野に

入ってきました(^^;

 

話を仏教に戻しますね。

 

「中道」

 

すなわち、

 

「その時、その時に応じて、

最適なバランスをとる」

 

というのは、

人は、皆、認知の歪みをもっているので、

なかなか難しいのです。

 

では、

私のような凡人は、

どうすればいいのか?

 

やっぱり、

「両極」を揺れ動きながらも、

葛藤を抱え、試行錯誤しつつ、

手探りで、

自分で自分の最適な場所を

見つけていくしかないのかなあ~

 

と思います(^^;

 

もちろん、

多少の痛みは伴いますが・・・

(それが、ある意味修行ですね(^^;)

 

そう考えると、

人生、多少、

「ブレてもいい」のだと思えます。

 

ブッダだって、

悟りを開く前は、

贅沢三昧したり、苦行をしたりして、

いってみれば、

「ブレた」わけですから(^^;

 

ちなみに、

過去ブログ、

 

 

も、よかったら参考にしてください(^^;

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回も、この本の紹介・解説、

続けますね(^^)

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

前回から、

飯田史彦さんの

生きがいの創造

 

(写真はハードカバーの「新版」です。

今は、リンクを張った「完全版」が

文庫ででています)

 

という本を紹介しています(^^)

 

前回、

 

「思い通りにならないからこそ、

価値がある」

 

という

「ブレイクスルー思考」

 

を紹介しましたが、

今回、さらに、

それを掘り下げて

紹介・解説してみたいと思います。

 

著者は、

「意味が現象に優先する」

といいます。

 

どういうことでしょうか。

 

引用します。

 

 

人生というのは、

「自分が自分に与えた、

自分にとって最適な問題集」

です。

 

つまり、

 

「人生では、

まず求められる価値

(学ぶべき課題)が存在し、

その価値を身に付けるために

最適な現象

(喜びや試練などの経験)

が生じてくる」

 

というわけです。

 

この原則を、

「意味が現象に優先する」

という、

私の言葉でご紹介しましょう。

 

「人生では、

まず全てのことに意味

(学びの材料)が存在し、

その意味を

実現化するために

最適な現象が生じてくる」

 

と仮定すれば、

世の中に、

マイナスの物事など

存在しなくなるのです。

 

 

「意味が現象に優先する」

 

という考え方。

 

 

でも紹介させていただいた、

フランクル博士

夜と霧

(ドイツ強制収容所の体験記録)

に出てくる名言、

 

「人生から

何をわれわれはまだ期待できるかが

問題ではなくて、

むしろ

人生が

何をわれわれから期待しているかが

問題なのである」

 

を連想しました。

 

 

ライフネット生命創業者で、

立命館アジア太平洋大学学長の

出口治明さんは、

 

「人生の豊かさは喜怒哀楽の総量で決まる」

 

とおっしゃっていますが、

この、

「喜怒哀楽」という経験も、

何かしらを学ぶ

「意味」があるから

ということでしょうか。

 

 

飯田史彦さんは、

 

「失恋」

(ああ、ほろ苦い言葉・・・)

 

にたとえて、

説明しています(^^;

 

 

解釈1

(プラス思考)

 

自分は、

今回、

たまたま運が悪くて

失恋した。

 

しかし、

ふさぎ込んでいては

いけないので、

どうせならば

失恋したことも

「これで良かったのだ」

と受け止め、

そこから大いに学ぼう。

 

そうすれば、

失恋も、

自分にとって

プラスにすることが

できる。

 

あの人に

失恋することによって、

これから、

もっと

良い人に出会えるかも

しれないのだ。

 

 

いわゆる、

 

「過ぎたことをクヨクヨしても

仕方がないので、

前を向いて、頑張ろう!」

 

という、ふつうのプラス思考ですね。

(ちょっと無理して

言い聞かせている感じもありますが(^^;)

 

では、

「意味が現象に優先する」

という

「ブレイクスルー思考」

では、どうなるか・・・

 

 

解釈2

(ブレイクスルー思考)

 

自分は、

今回、

生まれる前に

自分で計画しておいた

予定通りに、順調に、

失恋した。

 

それは、

人生のこの時期・

この段階で、

「異性関係」について

大いに学ぶように

人生計画を

立てていたからであり、

そのために

最適な現象として、

「失恋」という「試練」が

生じてきたのだ。

 

しかも、

失恋する相手が

その人であったと

いうことにも、

大きな意味があるはずだ。

 

自分にとって、

人生のこの時期に、

その人に対して

失恋するという経験が、

どうしても必要だったのだ。

 

そして、

予定通りに順調に、

その体験をすることが

できたのだ。

 

これからは、

順調に、

その体験を

活かしていけるはずだ。

 

 

う~ん、

 

経験上、

「失恋」直後は、

とてもとても、こんなふうには、

捉えられませんが(笑)

 

でも、たしかに、

時が経ってみると、

不思議なもので、

このような考え方も、

すっと心に入ってきますね(^^;

 

 

解釈1(プラス思考)は、

単なるプラス思考

にすぎず、

 

「もともと

意味がなかった現象に、

後から自分で

意味を見い出しながら

生きよう」

 

とするので、

そこに無理が生じてきます。

 

よほど悟りを開いた、

精神力の強い人でなければ、

もともと意味のない

偶然な失敗・挫折・不運

のすべてに

意味を見い出すことなど、

とうてい不可能です。

 

しかも、

「プラス」という言葉を

用いるということは、

その対極にある、

「マイナス」の存在を

認めることであり、

 

「人生では、

マイナスの現象

(意味のない失敗・挫折・不運)

が生じることも

あり得るのだ」

 

という、

辛い現実を、

無意識のうちに

認めることに

なってしまいます。

 

 

表面上は、

プラス思考をしても、

心の底、本音の部分では、

 

「ツイてなかった・・・」

「やっぱり、失敗したのは事実・・・」

「もっとうまいやり方があったのではないか」

 

と、過去を悔んだり、

自分を責めたりするかもしれません(^^;

 

 

これに対して、

解釈2は、

私が本書でご提案する

「ブレイクスルー思考」です。

 

この解釈には、

そもそも

「マイナス」

という観点が

存在しません。

 

一見すると、

どれほどマイナスに

思えることであっても、

本当は

すべて予定通りに順調な、

プラスの意味や価値を

持っているという

前提に立つのです。

 

つまり、

現象よりも先に、

 

「人生のこの時期・

この段階で、

異性関係について学ぶ」

 

という意味が存在しており、

その意味を

実現化させるために

最適な現象として、

「失恋という試練」

が発生してきた、

と解釈するわけです。

 

これが、

「意味が現象に優先する」

という、

人生の基本原理です。

 

この場合、

まず先に

意味が存在しているので、

それを実現化させるために

生じてくる現象は、

すべて

「予定通りに順調な現象」

であり、

「意味を実現化させるという価値」

を伴っていることになります。

 

だからこそ、

失恋という経験は、

異性関係について

学ぶために生じてきた

素晴らしい現象であることに、

間違いないのです。

 

このように

考えることができれば、

人生から、

マイナスの現象は

全て消え去ってしまいます。

 

 

・・・なるほどです。

 

私は、自慢ではないですが、

若い頃は、

たくさん「失恋」をしまして・・・

(とほほ(^^;)

 

今、思い返しても、

「赤面」するような、

恥ずかしい、カッコ悪い経験も、

数多く重ねてきました(^^;

 

その後、しばらくは、

めちゃくちゃ執着したり、

落ち込んだりするのですが・・・

 

たしかに、今となっては、

「異性関係について

学ぶために生じてきた

素晴らしい現象」

だったのだと、素直に思えます(^^;

 

「失恋」だけでなく、

すべての

「思い通りにならないこと」

 

たとえば、

仕事だったり、人間関係だったり、

病気だったり・・・

 

それは、

自分が生まれてくる前に、

自分で計画して、決めてきた試練。

 

そこから学ぶための、予定通りの現象・・・

 

私自身は、

生まれる前の記憶はないので、

もちろん、確証はもてませんし、

辛いことに直面している最中には、

こんなふうに、広い視野でとらえることは、

なかなかできないのが現実ですが(^^;

 

少なくとも、

このように考えれば、

自分自身が納得できる、

悔いの少ない人生を歩めるような

気がします。

 

人生、

大きなスパンでとらえて、

 

「すべては順調」

「すべては必然」

 

そう、思いたいですね😊

 

 

今回も、

最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

 

-------------------------------------

 

 

生きがいの創造

 

は、改めての機会で、

全貌を紹介・解説させていただきますね(^^;

 

今回、その部分は紹介していませんが、

「喪失体験」をされた方にも、

とても有益な本だと思います。

 

この本(完全版)、

改訂の度に、増補されていますので、

かなり分厚くて、一見、ビビりますが(^^;

とても読みやすい文章、

されど深い内容ですよ(^^)

 

オススメします!

 

次回は、

ブッダ伝 生涯と思想

の紹介・解説に戻ります(^^;

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

前回、

仏教思想の大家、

中村元先生の

ブッダ伝 生涯と思想

 

を紹介していましたが、

 

ブッダがいう、

人生とは「一切皆苦」

 

その「苦」とは、

すなわち、

「思い通りにならないこと」

 

というところで、

 

生きがいの創造

 

(写真はハードカバーの「新版」です。

今は、リンクを張った「完全版」が

文庫ででています)

 

という本を、

無性に紹介したくなりました(^^;

 

したがって、

今回は、

生きがいの創造

から、

「思い通りにならないこと」

の考え方について、

皆さまとシェアしたいと思います(^^)

 

著者は、

飯田史彦さん。

 

福島大学の教授(経営学)を経て、

現在は、経営心理学者、

光の学校のカウンセラー、

として活躍されています。

 

私は、20代後半の頃、

たまたま、この本を読んで、

(まだ完全版ではないオリジナル本でしたが)

人生観が変わるほどの衝撃を受けました!

 

ちなみに、

野口嘉則さんも、

人生で最も影響を受けた一冊として、

この本を挙げられています(^^)

 

内容は、

一言でいうと、

 

「生まれ変わり仮説」

に基づいた人生論です。

 

私は、

そんなに感性が鋭い方ではないので、

あまりにも「ふわふわした」

スピリチュアル本は、

自分の中に入ってこない感じがするのですが(^^;

 

この本は、

きちんとした科学的研究を根拠としながら、

「生まれ変わり仮説」

について述べられているので、

とても説得力を感じました。

 

だからといって、

固い内容ではなく、

とても優しく丁寧な語り口調で、

何よりも「愛」に溢れた内容なので、

読んでいると、

すっと引き込まれるような感じがして、

ページをめくる手が止まらなくなります(^^;

 

この本の全貌は、

改めて別の機会に、

何回かに分けて詳しくご紹介するとして・・・

 

今回は、

「思い通りにならないこと」

に絞り込んで、

私なりの解釈も含めて、

解説していきますね。

 

飯田史彦さんは、

 

人生は、

「思い通りにならないからこそ、価値がある」

といいます。

 

えっ・・・?

 

ふつう、

人生は、自分の思い通りになったほうが、

価値があると思いますよね。

 

そのほうが、

成功者の人生といった感じもしますし、

満足感も高いような・・・

 

しかし、

著者は、そうではないといいます。

 

 

「思い通りにならないこと」

こそが、

この物質世界が生み出す

価値の源ではないでしょうか。

 

う~ん、

どういうことでしょうか?

 

私たちは、

「思い通りにならない」

という価値ある現実の中で、

いかに正しく苦悩しながら生き、

ふだんは

思い通りにならないからこそ

時おり出会うことができる

「願いがかなうという喜び」を、

いかに正しく味わって

感謝するかということを、

日々の人間生活の中で

学んでいるのではないでしょうか。

 

私たちは、

わざわざ、

「思い通りにならない」

という状況を体験し、

この物質世界で

人間として生きる

人生の妙味を味わうために、

自分の意志で、

生まれてくることを

選んだのです。

 

(中略)

 

私たちはみな

「強い成長願望を持つ意識体」

であり、

自分の意志で

地球という

研修センターを訪れ、

わざと自分自身に

「思い通りにならない」

という物理的環境を

与えながら、

自分を磨いているのでは

ないでしょうか。

 

自分から求めて訪れてきた

「思い通りにならない

物質的環境」

の中で、

生まれる前に

自分自身で用意しておいた

「人生という名の問題集」

を説いているというのが、

私たち人間の姿なのです。

 

私たちは、

なぜ生まれてくるのか・・・

 

それは、

生まれて来なければ

経験できない

貴重な学びの機会が

あるからこそ

生まれてくるのであり、

その機会、

たとえば

「死」や「病気」や

「人間関係」などに

代表される、

「思い通りにならないこと」

を通じて学ぶことこそが、

人間として生きる

目的・意義・意味なのだと

言えるでしょう。

 

 

この考え方は、

 

人間は、

意識体として成長するために、

あえて、

「思い通りにならない」この世に、

自分の意志で生まれてくる。

 

という仮説に基づいて

述べられています。

 

仮説といいましたが、

本書には、

主に大学教授や医師による、

退行催眠や臨死体験などの研究、

様々な学術論文からの引用を踏まえて、

この説が述べられているので、

とても説得力があります(^^;

 

「思い通りにならない」

からこそ、

私たちは、成長できますし、

たまに、願いがかなったときには、

喜びが味わえるし、

感謝の気持ちが湧いてくる。

 

つまり、

「対極を知る」

からこそ、

ありがたみがわかると

いうことですね(^^)

 

この考え方、

過去ブログ、

 

 

で、「神との会話」という本を通じて、

詳しく紹介していますので、

よかったらご参照ください(^^;

 

 

生きがいの創造

から、引用、続けます。

 

これまで、

あなたは、

「人生は、

思い通りになればなるほど

価値がある」

と、

誤解しながら

生きてきませんでしたか?

 

はい、ふつうは

そう思ってしまいます・・・

 

このように、

「思い通りになればなるほど

価値がある」

という大前提で

生きるということは、

常に

「思い通りにならないこと」

(不運・失敗・挫折・

トラブル・病気・死など)

に出会わないように逃げ回り、

それらに見舞われて

しまうことに

ビクビクしながら

生きることになってしまいます。

 

たしかに、

そうかも・・・

 

しかも、

「どうすれば、

思い通りになるだろうか」

という欲望ばかりに

労力を使い果たし、

いざ

「思い通りにならない」

という事態に

見舞われた時には、

がっかり落胆してしまい、

もう復活する余力が

残っていないということにも

なりかねません。

 

なぜなら、

「思い通りになればなるほど

価値がある」

という生き方の場合には、

「思い通りにならないことは

無価値」

であるため、

うまくいかないことに

直面するたびに、

「ああ、また無価値なことに

時間・労力・お金などを

浪費してしまった」

という、

喪失感・疲労感に

襲われるだけだからです。

 

なるほど・・・

 

若い頃の私は、

そういう面があったかも、

 

ついつい、

損得勘定で考えたり・・・(^^;

 

いや、

今でも、ある(苦笑)

 

 

しかし、

本書のように、

「思い通りにならないからこそ

価値がある」

という人生観を採用すれば、

そのような喪失感・疲労感に

襲われることはありません。

 

人生では

数々の

「思い通りにならないこと」

(試練)

が現れてくるのが

当たり前であり、

それらの

「思い通りにならないこと」

こそが、

人生に価値を与えているのだと

考えるためです。

 

このような

「ブレイクスルー思考」

さえ身に付ければ、

どのような

「思い通りにならないこと」

が起こってきたとしても、

「よし、予定通り順調に、

試験問題が現れてきたぞ。

さあ、どのように対処して、

高得点で解き終えてやろうかな」

などと、

余裕を持って

受け入れることが

できるはずなのです。

 

 

飯田史彦さんは、

 

「思い通りにならないことこそが、

人生に価値を与えている」

 

という考え方を、

「ブレイクスルー思考」

と名付けています。

 

一冊の本にもなっていますよ(^^;

ブレイクスルー思考

 

興味をもたれた方は、是非ご一読を!

(紙の本は残念ながら絶版ですが(^^;)

 

 

「思い通りにならないからこそ、価値がある」

 

よほどインパクトがあったのか、

飯田史彦さんの本を読んで以来、

私は、ふとした瞬間に、

この言葉が、

胸をよぎることがあります。

 

何故か、忘れられない言葉・・・

 

私の「座右の銘」

のひとつとなっています(^^;

 

もちろん、

常に、

このように物事を捉えられるわけではなく、

 

「ああ、ついてないな・・・」

と落胆してしまったり、

 

「なにか、ラクして

うまく切り抜けられる方法はないか?」

などと

姑息な手段をとろうとしてしまうことも、

実際は多いのですが(^^;

 

そんな時には、

「思い通りにならないからこそ、価値がある」

という言葉を思い出せば、

 

「人生、無駄なことはひとつもない」

と思えますし、

「失敗を恐れずに、思い切ってチャレンジしよう!」

という気になれますよね!

 

「思い通りにならないからこそ、価値がある」

 

次回、

具体例を交えて、

もう少し掘り下げてみます(^^;

 

今回も、

最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊