ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

今回は、

東豊(ひがしゆたか)先生の、

セラピスト誕生―面接上手になる方法

 

 

というカウンセリング関連の本から、

私が、皆様に有益だと感じたところを

紹介します(^^)

 

東豊先生は、

システムズアプローチ、

家族療法の第一人者で、

カウンセラー(セラピスト)業界では、

「匠」といわれている有名な先生です!

 

とはいえ、

この本には随所に

謙虚なユーモアがちりばめられていて、

堅苦しい感じはまったくありませんよ(^^;

(内容は深くて、濃いです)

 

家族療法、

システムズアプローチの

「システム」とは、

 

「部分と部分が

相互に影響を与え合っている全体。

あるいは

そこで繰り返し見られる

円環的な相互作用パターン」

 

のことです。

 

 

部分は

全体のあり方に規定され、

全体は

部分の在り方に

規定されています。

 

部分は

全体のあり方の結果であり、

全体は

部分のあり方の結果である

ということです。

 

 

ちょっと、抽象的ですね(^^;

 

家族療法の視点から、

具体的に補足しますと・・・

 

たとえば、

子どもの不登校の場合、

 

「子どもの自尊心が低いから、

不登校になった」

 

とか、

 

「母親の育て方が悪かったから、

不登校になったのだ」

 

というような

直接的因果論で、

犯人(原因)探しをするのではなく、

円環的(循環的)因果論で、

家族全体をみていくという

アプローチのことです。

 

「家族システムの

バランスの歪みを表面化する役を、

今は子どもが引き受けていて、

不登校という形で表現している」

 

と考えるのですね。

 

で、この本に戻りますが、

東豊先生は、

特にセラピスト(カウンセラー)など、

対人援助、教育のプロに求められるのは、

 

「他者への思いやりを中心とした生き方」

「利他的な考え方と生活態度」

 

だといいます。

 

なぜなら、

このような、生き方や考え方が、

自分の中で円環的に循環しますし、

対人関係の中、

すなわち、

家族、組織の中でも、

(セラピストの場合は、

クライアントとの間にも)

円環的に循環するからです。

 

 

私たちは皆、

「幸福な生活」

「喜びに満ちた生活」

を望んでいます。

 

しかし、

実際には

「不幸な生活」

「悲しみに満ちた生活」

を送っている人が

たくさんいます。

 

もちろん、

「常に幸福な人」

「常に不幸な人」

は存在せず、

人によって

幸福と不幸の割合は

違うとはいえ、

皆その中間のどこかに

位置しています。

 

では、

その割合の違いは

どこから生じて

いるのでしょうか。

 

 

・・・どこから生じているのか?

 

知りたいですね(^^;

 

東豊先生は、

 

「P(ポジティブ)要素」

「N(ネガティブ)要素」

 

という仮説を示しています。

 

「P要素」も「N要素」も、

等しく万人の心の中にありますが、

そのバランスのあり方によって、

幸福感・不幸感が

決定されるというのです。

 

 

「利他主義」

「精神主義」

「肯定的意味づけ」

を、

本書では、

心の「P(ポジティブ)要素」

と呼びます。

 

「利他主義」

とは、

自分の利益よりも

他者の利益を優先する

姿勢のことです。

 

その背景には、

「精神主義」

が存在します。

 

精神的な喜びを

重視することです。

 

「肯定的意味づけ」

とは、

現象の受け止め方の

一方法で、

日常生活上の

さまざまな出来事に対して、

それを良いこと・

価値あることとして

意味づけることです。

 

(中略)

 

果実として、

 

「愛」

「慈悲」

「思いやり」

「勇気」

「喜び」

「楽しみ」

「安心」

「信頼」

「分かち合い」

「一体感」

 

などといった類の感情が、

 

その人自身の内面や

その人の所属する

組織内に

循環する割合が

大きくなります。

 

本書では、

これらを

「P感情」

と呼びます。

 

 

自分だけでなく、

周りにも循環するんですね(^^;

 

対して・・・

 

 

一方、

「利己主義」

「物質主義」

「否定的意味づけ」

は、

本書では、

心の「N(ネガティブ要素」

と呼びます。

 

「利己主義」

とは、

自分の利益を重視し、

他者の利益を軽視

あるいは無視する

姿勢のことです。

 

背景には、

「物質主義」

が存在しがちです。

 

物質主義とは、

お金や物(人)などの

獲得・所有などを

重視することです。

 

「否定的意味づけ」

は、

日常生活で生じる

さまざまな出来事に対して、

それを悪いこと・

価値のないこととして

意味づける方法です。

 

(中略)

 

結果として、

「妬み」

「恨み」

「不満」

「怒り」

「悲しみ」

「軽視」

「憎悪」

「復讐」

「疑い」

「傲慢」

「恐怖」

「不安」

「絶望」

「ゆううつ」

 

などといった類の感情が、

その人の内面や

所属する組織に

循環する割合が

大きくなります。

 

本書では、

これらを

「N感情」

と呼びます。

 

人は皆おおむね、

PN各要素の

バランスに応じ、

PN各感情を

体験する機会をもつと

考えます。

 

 

つまり、

「P(ポジティブ)要素」

の割合が多ければ、

P(ポジティブ)感情を

感じる割合も高くなり、

自分や周りの人の幸福感も高くなる。

 

「N(ネガティブ)要素」

の割合が多ければ、

N(ネガティブ)感情を

感じる割合も高くなり、

自分や周りの人の不幸感も高くなる。

 

ということですね(^^;

 

それらの感情は、

自分の中だけでなく、

周りにも

「循環」する・・・

 

なるほど~、

 

私は、

「空気」を読むという言葉は、

同調圧力を連想するので、

あまり好きではないのですが、

でも、たしかに、

「場の空気」

というのはあるような気がします。

 

家族でも、組織内でも、

特に、キーマンと呼ばれる人

(影響力の強い人)

が発している、

感情というか波長のようなものが、

周りに大きな影響を与えているというのは、

実感としてあります。

 

たとえ、キーマンでなくても、

私たちは、多かれ少なかれ、

対人関係の中で、

影響を与え合っている・・・

 

 

で、私は、どうだろうか?

 

「P感情」を多く発しているか・・・

 

 

 

う~ん、

ちょっと自信がありませんが(^^;

 

(時と場合による・・・苦笑)

 

-----------------------------------

 

 

対人援助職や、

教育者でないとしても、

私たちは、皆、

対人関係の中で生きているわけですから、

 

「P(ポジティブ)要素」

の割合、

多く持ちたいものですね😊

 

(そのためには、まずは自己受容!)

 

次回、

もう少し掘り下げますね。

 

今回も、

最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

 

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

前回から、

歴史関係(関東戦国史)の本、

 

乃至(ないし)政彦さんの、

謙信越山

 

 

という本から、

私の印象に残ったところを、

紹介しています(^^)

 

この本は、

上杉謙信が、

なぜ、わざわざ、

越後(新潟県)から、十数回も、

山深い三国峠を越えて、

関東に遠征を繰り返したのか?

 

ということを中心軸にしながら、

謙信や、彼を取り巻く群雄について、

解説をした本です。

 

小説ではなく、

ノンフィクション(というか解説書)

ですが、

作者の乃至(ないし)政彦さんは、

在野の歴史家らしく、

いわゆる、

権威のある大学教授が書く

学術書のような固い文章では

ありません。

 

といっても、

いいかげんなわけではなく、

きちんと、

一次史料で裏を取っている説が多く、

説得力があって、

ぐいぐい読ませます(^^)

 

で、前回は、

謙信が1560年以降、

大規模な関東遠征を

繰り返すことになった大きな要因が、

時の関白、

近衛前久

の存在だという説を紹介しました(^^;

 

今回は、

ライバルの武田信玄

交えながら、

上杉謙信の

「人となり」

に迫ってみたいと思います!

 

 

元亀4年(1573年)、

甲斐の武田信玄は

死を前にして、

息子の勝頼に

遺言を告げた。

 

「謙信と和睦せよ」

 

武田家にとって

長年の宿敵である

上杉謙信と

停戦するよう

伝えたのである。

 

理詰めの思考を

好む信玄は、

続けてその理由も延べた。

 

「謙信は勇ましい

武士だから

心配はいらない。

 

若いお前の弱みに

つけこむこともないだろう。

 

みんなで『頼む』

とさえ言えば、

間違いが起こることもない」

 

謙信の人格を

ずばりと評論して、

後事を託すに値する

として言っているのだ。

 

そして

自らの後悔も告げた。

 

「わたしは

大人気なかったので、

謙信に『頼む』

と言うことができず、

とうとう和睦することが

できなかった」

 

だが勝頼ならできる―

と信玄は考えたのだ。

 

「必ず謙信に『頼む』

と言うのだ。

そうすれば、

お前に悪いことはしない。

それが謙信という人間だ」

 

とまで言った。

 

 

宿敵に、ここまで言わしめる、

謙信の魅力とは、

いったい何だったのでしょうか?

 

通説どおりですが、

私は、やはり、

 

「義の心」

 

だったと思います。

 

ただ、その「義の心」は、

生来のものというより、

必要に迫られて

身に付けたのだといいます。

 

 

若い頃の謙信は、

その勢力基盤が

脆弱だった。

 

なにせ

長男ではなかった。

 

つまり、

国主、大名になる予定など

なかったのである。

 

 

謙信の長尾家は、

越後守護の家柄ではありません。

(守護代の家柄)

 

兄が病弱だったので、

仕方なく家督を継ぎ、

しかも、その後、

守護も亡くなったので、

結果的に国主となったのです。

 

謙信は、これを、

私利私欲の「下剋上」だとは

思われたくなかったようです。

 

 

信玄は

甲斐守護職である。

 

為政者としての正当性は

問題ない。

 

これに比べて

謙信の立場は、

大いに見劣りがする。

 

これで争うには、

普遍的な正義を

掲げるしかなかった。

 

 

つまり、

謙信は、実力はさることながら、

次男だったことや、

家柄に関して、

おそらく劣等感があったんですね(^^;

 

「このままでは、

諸将がついてきてくれない・・・」

 

これを埋めるために、

上洛して、

「上杉7免許」を取得したりして、

権威を得たのですが、

それと同時に、

「義」というもので、

自分自身を磨いていったのです。

 

 

そもそも

利害で人の心を操る技量で、

信玄にかなうわけがない。

 

ポーズや恰好だけ

それらしく飾ったところで、

現地の支持を

得られることもない。

 

そこで謙信は、

その装いに

説得力を与えるため、

普段からの言動が

善であり、

美であるように

心がけていったと

考えられる。

 

謙信の

プロパガンダとは、

表層的な

評価の獲得ではなく、

奥底から人々を

心服させる

精神性の誇示にあった。

 

その後も謙信は

「義」の一文字に

恥じない行動を

心がけていた。

 

人々を制度や圧力で

屈服させるのではなく、

おのれの個性を

惚れ込んでもらうことで、

自発的に服属して

もらえるように

努めたのだ。

 

 

つまり、

「義」というもので、

自分自身を律して磨き、

それを、

自分の魅力、

「強み」としたんですね(^^)

 

もちろん、

謙信は、完璧な人間ではありませんでした。

 

前回も少し紹介しましたが、

短慮な行為で、

成田長泰に大恥をかかせてしまい、

それが原因で、

関東連合軍を瓦解させてしまった

エピソードや、

若かりし頃には、

家臣同士の領土争いに嫌気が差し、

なんと、国政を投げ出し、

高野山に出奔してしまったこともあります。

(説得されて、連れ戻されますが(^^;)

 

しかし、

宿敵の武田信玄からも、

最後には、頼られ、

後世にも、

「義に熱い武将」

として、語り継がれるところをみると、

 

彼の、

「義」の心というものは、

はじめは、

自分の劣等感や負い目を

補うためだったのかもしれませんが、

最終的には、

ほんものの境地、

精神的な高みにまで、

達したのだと思います。

 

 

過去ブログ

 

 

でも述べさせていただきましたが、

 

武田家、北条家、織田家・・・

ライバルたちが、

すべて戦国時代に事実上滅んだ中で、

何故、上杉家は、幕末まで、

大名家として存続したのか。

 

もちろん、

さまざまな偶然が

重なったからだと思いますが、

その遠因となったのは、

謙信の「義」の精神なのではないかと

私は、考えています。

 

 

信玄の

「利」に対して、

「義」を

自分のリーダーシップの「看板」にした

上杉謙信。

 

偉大な謙信公のあとで、

大変おこがましいのですが・・・

 

私も、一応、

部下や取引先と接する、

まがりなりにもリーダーの役割を担っています(^^;

 

私の「看板」ってなんなのかなあ~

と、ふと考えましたが、

 

う~ん・・・

 

「特にないかも・・・」

と、思ってしまいました(苦笑)

 

(看板、作りたいです)

 

以上、

乃至(ないし)政彦さんの、

謙信越山

という本の内容を題材にして、

今回は、

上杉謙信

人となりを語らせていただきました(^^;

 

なお、

今回は触れませんでしたが、

この本には、

 

「謙信女性説は本当か」

「越山は乱取り目的だったのか」

「車懸りという伝説の正体」

「敵に塩を送るの史実性」

 

といった、

謙信ファンなら興味が湧くテーマにも

触れられています。

 

謙信ファンにはもちろんのこと、

戦国時代が好きな方、

東国戦国史に興味のある方にも、

この本、おすすめします!

 

今回も、

最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回は別の本を紹介します(^^;

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

今回は、

私の完全な趣味の世界ですが(^^;

 

歴史関係(関東戦国史)の本、

 

乃至(ないし)政彦さんの、

謙信越山

 

 

という本の内容の一部を、

要約、解説させていただきますね(^^)

 

おつきあいいただければ

嬉しいです😊

 

私、戦国武将の上杉謙信が好きなので、

興味を持ち、読んでみたのですが、

新しい説もあったりして、

なかなかおもしろかったです!

 

上杉謙信に限らず、

戦国当時の、関東の武将たち、

すなわち、

 

簗田(やなだ) 晴助

里見義堯(よしたか)

小田氏治

北条氏康

上杉憲政

成田長泰

太田資正(すけまさ)

横瀬成繁

佐野昌綱

 

らが登場するのですが・・・

 

ご存知ない方が多いですよね(^^;

 

(私も、シミュレーションゲームの

「信長の野望」で

名前だけは知っている程度の

武将が多いです(^^;)

 

この時代、

織田信長が活躍した時代なので、

どうしても、

中部、近畿地方の武将たちに

目が行きがちですが、

東国(関東)でも、

もちろん、

いろいろなドラマがあったわけで、

それを知る意味でも、

なかなか興味深い本でした(^^)

 

「謙信越山」

 

すなわち、

上杉謙信は、

越後(新潟県)から、

十数回も、

山深い三国峠を越えて、

関東に遠征を繰り返したのですが、

 

そもそも、

それは、いったい

何故なのか?

 

小田原の北条氏康との抗争に敗れた

上杉憲政から請われたというのも、

もちろんあると思いますが、

謙信は、

実は、その前に、

1500名の精鋭を引き連れて、

京の都へ上洛を果たしているんですね。

 

将軍足利義輝に謁見して、

「上杉7免許」という権威を

得たりしているのですが、

そこで、

関白の近衛前久(このえさきひさ)

と出会うのです。

 

この若き関白は、

お公家様のイメージにそぐわず、

とても「やんちゃ」なんです(^^;

 

謙信と一緒に、

越後から関東に攻め入り、

北条氏を制圧。

 

鎌倉公方(東国の事実上の将軍)となり、

兵馬を養い、一挙に上方に攻め上る。

 

そして、

室町幕府の体制を、

盤石なものにする!

 

という野望を、

謙信と一緒に企てるのです。

 

この野望は、

半ば、うまくいきます。

 

なんと11万人!を超える

(多少誇張された数字のようですが)

関東諸将の連合軍で、

北条氏康の拠点、小田原に圧力をかけ、

鎌倉で、謙信が関東管領に就任!

(これは謙信の本位ではなく、

成り行き上、仕方なくだったようですが)

 

と、まあ、

ここまではよかったのですが、

謙信と成田長泰

(のぼうの城の主人公の叔父です)

のトラブルによって、

成田長泰が連合軍から離脱。

 

それにつられて、

諸将は続々と離脱・・・

 

謙信が越後に帰国したのちも、

近衛前久は、

下総の古河城に踏みとどまり、

気概を見せますが、

古河公方との人間関係がうまくいかず、

2年後に結局、越後に戻ります。

 

そして、

もう嫌気が差してしまったのか、

あろうことか、

謙信が越中に出陣中に、

逃げ出してしまう・・・

 

無断で、

勝手に帰京してしまうんですね(^^;

(子供か)

 

 

関白の東国下向は、

現地に大きな混乱と

悲鳴をもたらし、

さらにそこから

尽きることのない

闘争の火種を

残したのだった。

 

輝虎(謙信)は

関白が去ったあとの

状況を

「東国鉾盾際限なき事」

と呼んだ。

 

ここから輝虎は

毎年のごとく

関東に越山し、

烈戦を繰り広げることに

なる。

 

その戦いは、

営利目的で行なった

ものではない。

 

もちろん、

この地を統治する意思が

あるわけでもなかった。

 

ここに

終わりなき戦場が

広がった。

 

 

関東に大乱を招いた

張本人なのに、

さんざん泥沼にしたあとに、

一人で、とんずらするとは・・・

 

ずいぶん身勝手な

お公家さんなのですが(^^;

ただ、結果的に、

彼の野望が、謙信を動かし、

関東の歴史を

大きく動かすことになったのは事実です。

 

もし、

近衛前久と謙信が

京都で出会っていなかったら・・・

 

出会ったとしても、

意気投合していなかったら・・・

 

謙信の大規模な関東進出は

なかったかもしれませんし、

その分、

北条氏が関東を早く平定したかも。

 

武田と上杉の対決がさらに激化して、

どちらかが滅んでいたかも・・・

 

そして、その勝者が

本格的に上洛して・・・

 

などど、空想が膨らみますが(笑)

 

 

ちなみに、

お騒がせの近衛前久さんは、

京に戻ったあとも、

懲りることなく、

ずいぶんアクティブに活動して、

織田信長とも親交を深め、

石山本願寺との調停にも活躍したようです。

 

意外と、やり手の

お公家様だったのかもしれません。

 

何だか、

憎めないキャラクターですね(^^)

 

そういえば、

NHK大河ドラマ

明智光秀主人公の

「麒麟がくる」でも、

キーマンとして、

けっこう登場していましたよ(^^;

 

と、今回は、

はからずも、

近衛前久さんが

主人公のようになってしまいましたが・・・

 

次回に続きますね(^^;

 

今回も、最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

奥田知志さんの本、

 

「逃げおくれた」伴走者

 

 

から、

私の印象に残ったところを、

紹介・解説しています(^^)

 

奥田知志さんは、

牧師さんですが、

抱樸(ほうぼく)

という北九州のNPO法人で、

ホームレス・困窮者支援を、

32年以上も実践されている方です。

 

NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」

にも2回出演されています(^^)

 

今回は、

2010年に社会現象になった、

「タイガーマスク現象」

に関する、

奥田知志さんの所感を、

紹介しつつ、

私が感じたことも、

少し述べたいと思います(^^;

 

 

「タイガーマスク現象」

ありましたよね~

 

あれから、 

もう10年以上経つんですね(^^;

 

 

2010年のクリスマス、

児童養護施設に漫画

『タイガーマスク』

の主人公

「伊達直人」名で

ランドセルの贈り物が

届いたことが報道されると、

各地に

同様の寄付が広がった。

 

寄付された物品は、

ランドセルの他に

プラモデル、玩具、筆記用具、

現金、商品券、

食品、紙おむつ、

金塊などがあり、

年末から2月までで

同様の寄付は千件を超えた

(タイガーマスク現象)

 

2010年末から相次いだ

タイガーマスクによる

贈り物の一件は、

この世界は捨てなものではない

という気持ちを

私たちに

取り戻させてくれた。

 

 

思い出しますね・・・

 

一連の報道を聞いて、

胸が熱くなった記憶があります(^^)

 

 

その一方で、

「無縁社会・孤立社会」

が生み出した

独特の課題をも

突き付けたように思う。

 

 

「独特の課題」

とは、

いったい何でしょうか?

 


「匿名」で

支援物資が

贈られたことに

二つの意味を見る。

 

匿名性の保持は、

それが名誉欲からの

行為でないことを

証しした。

 

 

「匿名」 

だからこそ、

尊いのだと思いますが・・・

 

 

だが同じく、

この「匿名性」が、

「直接出会うことを

回避するため」

だったようにも

見えたのだ。

 

 

 匿名は、

「直接出会うことを回避するため」

 

なるほど・・・

 

手厳しい意見ですが、

たしかに、

いわれてみれば、

そういう面は、

あるかもしれない。

 

 

多くの人が

「困窮者を助けたい」

と思っている。

 

同時に、

「深入りするのは怖い」

とも思っている。

 

正直

「出会い」は

危険を伴う。

 

ホームレス支援

においてもそうだ。

 

裏切られること、

嘘をつかれることもある。

 

こちらが

逃げ出すことも。

 

直接会うと、

「かわいそうな当事者と

善意の第三者」

という

「美しい構図」

は崩壊する。

 

生身の人間の

出会いと

ぶつかり合いが起こる。

 

そして、

お互い少なからず

傷つく。

 

 

しかし、

この傷こそが、

私たちを癒すのだ。

 

長年支援の現場で

確認し続けたことは、

 

絆(きずな)には

「傷(きず)」が

含まれている

 

という事実だ。

 

誰かが

自分のために傷ついて

くれる時、

自分は生きていて

いいのだと知る。

 

同様に、

自分が傷つくことによって

誰かが癒されるのなら、

自分の存在意義を

見出せる。

 

傷を伴う絆が、

自己有用意識を

醸成する。

 

 

絆(きずな)には

「傷(きず)」が含まれている。

 

たしかに、

そうかもしれませんね。

 

自分事として考えてみると・・・

 

私も、やはり、

「困窮者を助けたい」

という思いはあっても、

「深入りするのは怖い」

と感じてしまいます。

 

正直、

他人に深入りするのは、

なかなか難しいところがある。

 

かなりの覚悟が必要です。

 

でも、

 

絆(きずな)には

「傷(きず)」が含まれている。

 

というのは、

家族(特に親子関係)で考えてみると、

なるほど、と思います。

 

家族は、ごまかしがきかず、

生身の人間をさらけ出しますから、

傷つけあうことも、

もちろん、ある。

 

でも、その分、

絆も深まっていく。

 

逆にいえば、

 

弱さを含めた人間らしさを

さらけ出さない限り、

絆は深まらない・・・

 

 

ランドセルを

贈ることは

容易ではない。

 

費用がかかるし、

何よりも

勇気がいったと思う。

 

本当に

ありがたく、

あたたかい。

 

だからこそ、

タイガーマスクに

申し上げたい。

 

できるならば、

あと一歩踏み込んで、

あと一つ

傷を増やしてみませんか、

と。

 

 

もし子どもが、

「こんなもの、いらねえ」

とランドセルを

けとばしたとしたら、

どうだろうか。

 

支援現場では、

そのようなことが

しばしば起こる。

 

(今回そんな子どもは

いないと思うので、

たとえ話として

聞いてほしい)。

 

「なんと不遜な子どもか」

と思うだろう。

 

しかし、

対人支援と

いうものは、

実はそこから

始まるのだ。

 

叱ったり、

一緒に泣いたり、

笑ったり。

 

なぜ、

贈りものを

けとばさねば

ならなかったのか、

 

その子の苦しみを

一緒に考え悩む。

 

人間の現実に

肉薄せねばならない。

 

だから

傷つく。

 

しかし、

 

それがどんなに

恵みに満ちた日々で

あったことか。

 

「匿名」では、

この恵みには与れない。

 

 

私たちの前には

二つの道がある。

 

傷つくことを恐れ、

出会いをさけるか、

 

傷ついても倒れない

仕組みをつくるか。

 

 

絆(きずな)には

「傷(きず)」が含まれている。

 

その「傷」を、

独りで背負うのは、

さすがに困難なので、

奥田知志さんは、

抱樸(ほうぼく)

というNPO法人のしくみを

作られたといいます。

 

それが、

「人が健全に傷つくための仕組み」

だというのです。

 

 

人間は、

そもそも弱い存在である。

 

だからこそ、

「傷」を分かち合う・・・

 

私は、

「深入り」する覚悟は、

まだ、なかなか持てないのですが、

 

Better than nothing

(何もしないよりは、何かやったほうがまし)

 

「やらない善よりやる偽善」

 

の精神で、

身近なところから、

できる範囲で、少しずつ、

 

「傷」を分かち合う

 

ということを

やっていきたいと思っています(^^)

 

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以上、

奥田知志さんの本、

「逃げおくれた」伴走者

 

から、

私の印象に残った箇所の一部を

紹介・解説させていただきました(^^;

 

ちなみに、

今回、紹介はしませんでしたが、

本書には、

 

奥田知志さんと

 

上田紀行さん、

若松英輔さん、

玉木幸則、

茂木健一郎さん

 

それぞれの

対談も収録されています。

 

とても興味深い内容で、

ぐいぐい、引き込まれますよ(^^)

 

また、

奥田知志さんと、茂木健一郎さんが

対談している本、

 

「助けて」と言える国へ ―人と社会をつなぐ (集英社新書)

 

 

も、おすすめします(^^)

 

新書なので、割と気軽に読めます!

 

まずは、

この本から読まれた方が、

いいかもしれません。

(私は、そうしました)

 

この新書の最後の章、

 

「絆は傷を含む」

―弱さを誇るということ

 

を読むと、

奥田知志さんの考え方の

エッセンスが理解できると思います。

 

息子さんが不登校になったことを

自己開示して語る場面は、

胸を打たれます・・・

 

(私は、息子さんが、

シャドーの肩代わりを

してくれたのかもしれないと感じました)

 

興味を持たれた方は、

是非、ご一読ください(^^)

 

 

奥田知志さんは、

「出会った責任がある」

とおっしゃっていますが、

私は、

本やインターネットを通じてですが、

奥田知志さんと、

たしかに、出会うことができました。

 

そして、

私の心の中に、

消すことのできない痕跡を残してくださいました。

 

そのことによって、

自分の中で、何だか、

世界が少し広がったような感じがします(^^)

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回は、

別の本を紹介します(^^;

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

奥田知志さんの本、

 

「逃げおくれた」伴走者

 

 

から、

私の印象に残ったところを、

紹介・解説しています(^^)

 

奥田知志さんは、

牧師さんですが、

抱樸(ほうぼく)

というNPO法人で、

ホームレス・困窮者支援を、

32年以上も実践されている方です。

 

NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」

にも2回出演されています(^^)

 

この本の中で、

「生笑一座」の公演活動

というものが紹介されています。

 

この一座は、

元ホームレスの方で構成されています。

 

全国の学校に出張して、

自らの体験談を語ったり、

ワークショップや歌などを披露したりします。

 

ある女性座員が、

子どもたちに、こう語りかけます。

 

 

しゃぼん玉の歌、

知っていますか?

 

この歌の歌詞を

作ったのは

野口雨情さんです。

 

歌詞をちょっと

読んでみましょう。

 

 

「しゃぼん玉飛んだ、

屋根まで飛んだ、

屋根まで飛んで、

こわれて消えた。

 

しゃぼん玉消えた、

飛ばずに消えた、

生まれてすぐに、

こわれて消えた。

 

風、風、吹くな。

しゃぼん玉飛ばそ」。

 

 

ちょっと悲しい感じが

しますね。

 

実は、

雨情さんの娘さんは、

生まれてすぐに

死んでしまったのです。

 

「生まれてすぐに、

こわれて消えた」

 

というのは、

自分の娘のことでも

あるのです。

 

野口雨情さんは、

子どもが死んで、

とっても悲しかったのです。

 

みんなはどうかな。

 

死んだら悲しい。

 

誰かがとっても

悲しい思いになるよ。

 

死んだらいかんよね。

生きようね。

 

生きていれば

笑える日が来る。

 

実は、

私も住む家がなくなって

しまったことがあります。

 

そのままだったら

死んでしまったかも

しれません。

 

本当に困りました。

 

その時思い切って

「助けて」

と言いました。

 

そしたら、

何人もの人たちが

ちゃんと

助けてくれたのです。

 

困った時には

「助けて」

と言おうね。

 

そしたらきっと大丈夫。

生きようね。

 

 

そして彼女は

「しゃぼん玉」を歌う。

 

涙を流し聴いている

子どもがいる。

 

 

涙を流している子供・・・

 

きっと、いろんなことに、

我慢しているんですね。。

 

 

2020年の自殺者数は、

11年ぶりに増加に転じていますが、

特に深刻なのが若年層で、

小中高生では、

過去最多を記録しているといいます。

 

では、何故、

子どもたちは、

「助けて」と言えないのか?

 

奥田知志さんは、

こう述べます。

 

 

様々な理由があると思う。

 

しかし、

大きな原因の一つは、

私たち大人が

「助けて」と言わないからだと

私は思う。

 

私たち大人は、

少し頑張りすぎている

のではないか。

 

「頑張ればなんとかなる」

と言って歯を食いしばり、

「助けて」

を封印してしまった

大人社会。

 

「自分だけの力で生きる」。

 

「他人に迷惑をかけない」。

 

それが

立派な大人だと

子どもたちからは

見えているのかもしれない。

 

 

たしかに・・・

そうかもしれません。

 

ウチは、子どもはいないのですが、

自分が、もし、今の時代、

子どもだったらとしたら、

そう、感じてしまうかもしれません。

 

 

自己責任を強調し、

「助けない理由」

とした大人社会は、

「他人と関わらない」、

 

特に

「困っている人と

関わらない」。

 

それが

「正しく、賢い生き方」

であるかのように、

子どもたちには

見えているのではないか。

 

子どもが

助けてと言えない責任は

私たち大人にある、

 

と言うのは、

そういうことだ。

 

 

う~ん、

考えさせられますね・・・

 

特に、ここ一年以上、

コロナ禍で、

人と人との接触がしにくい日々が

続いています。

 

私自身、

それを免罪符にして、

他人と関わらないことを、

正当化しているところがあります。

 

「他人と関わらない」

 

ある意味、

ラクな面もあるのは、

否定できません・・・

 

「自己責任の世の中」

 

そうやって、

クールに生きるもの、

それは、それで、

ありなのではないか?

 

と感じることもあります。

 

しかし、

よくよく考えてみると、

人は、そもそも、

自分の力だけで生きていくことは

できません。

 

とんだ思い上がりです(^^;

 

世の中、

多くの人がいるおかげで、

成り立っているわけです。

 

無人島に一人でいたら、

無力さを、痛感するでしょう。

 

そして、あまりに孤独で、

いずれ発狂する・・・

 

若い頃、

北海道の一人旅で

野宿したことがありますが、

寂しくて、不安で、怖くて、

一日が限界でした(^^;

 

ちょっと、弱すぎですが・・・(笑)

 

そう考えると、

ほんとうに、つらい時は、

「無理だ」「助けて」

と勇気をもって人に伝える。

 

それは、決して、

恥ずかしいことではない。

 

寂しい時には、

自分で、その感情に気づいて、

感じて、味わう。

 

そうやって、

自分の「弱さ」を認めて、

受け入れる。

 

そして、

人と人とが、

お互いの「弱さ」を

分かち合う。

 

そういう姿、

すなわち、「弱いところ」を

大人たちが、ある程度見せあうことが、

子どもたちに、

よい影響を与えるのではないか。

 

ひいては、

それが、

「お互いが生きやすい世の中」

というものに

繋がっていくのではないか。

 

そんなことを考えました(^^;

 

次回に続きます。

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊