ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

3回にわたって、

遠藤周作さんの、

私のイエス―日本人のための聖書入門

 

 

から、

私の印象に残っているところを、

紹介・解説しています(^^)

 

前回を要約して、振り返ります。

 

前回は、

 

十字架にかけられたイエスですが、

裏切った弟子たちを、

恨むどころか、

 

 

「主よ、

彼等を許したまえ。

 

彼等は

そのなせることを

知らざればなり・・・・・」

 

 

と、彼らの救いを神に祈った。

いわば、究極の「愛」を示した。

 

それ自体が、

人間のなせる業ではない。

 

すなわち、それが、

「奇跡」である。

 

そして、

彼等は、

イエスの「愛」が、

イエスの死後も、

彼らの心の中に

生き続けていることに気づいた。

 

それが、

「復活」である。

 

そして、

「罪深き自分たちでさえ、愛される」

すなわち、

「自分たちは、無条件に愛されている」

 

ということが、

実感できた弟子たちは、

 

「弱き人」

から

「強き人」

に変貌した。

 

ということを、

述べました。

 

このように、

イエスが十字架に

かけられたことで、

弟子たちの心の中に、

いわゆる、

「奇跡」や「復活」

が生じたのですが、

 

ただ、

2000年近くも前の

出来事ですので、

いまいち、ピーンとこない方も

いらっしゃると思います。

 

まるで、ファンタジー、

神話の世界のようだと。

 

しかし、

このような

「奇跡」や「復活」は、

ほんの70年前にも、

実際に起きているんです。

 

本書にも紹介されている、

コルベ神父

の身代わりの死です。

 

コルベ神父

の生きざまについては、

遠藤周作さんの、

女の一生 二部・サチ子の場合

 

 

という小説に、詳しく述べられています。

 

私の過去ブログでも、

紹介、解説させていただきました。

 

よかったらご覧ください(^^)

 

 

 

で、

コルベ神父

は、戦前の日本の長崎にも

いらっしゃったんですね。

 

しかし、

資金集めのために、

ポーランドに帰国した際に、

ナチスに捕まり、

アウシュビッツ強制収容所に

送られてしまいます。

 

その強制収容所での出来事・・・

 

何人かの囚人が脱走するが、

捕まってしまいます。

 

脱走者は、

「飢餓死」という刑で

処刑されることに

なっています。

 

一人の若者が泣きはじめます。

 

「私には妻子がいる」

「まだ死にたくない」

 

と・・・

 

その時、

コルベ神父が、よろよろと歩み出て、

こう言ったのです。

 

 

「じつは、

私はカトリックの神父です。

 

ですから、

私には妻も子どももいません。

 

私が死んでも、

直接、

悲しむ人がいません。

 

しかし、

ここで泣いている男には

妻もおります。

 

だから、

この人を助けて、

私を飢餓室に放り込んで

くれませんか」

 

 

・・・これは、実話です。

 

もちろん、

何か「奇跡的な出来事」

たとえば、

天変地異が起こって、

コルベ神父が奇跡的に助かった

ということはありませんでした。

 

(最期は、ナチスの親衛隊に、

石炭酸を注射されて亡くなりました)

 

そういった、いわば、

神が奇跡を起こすということは

ありませんでしたが、

イエスが十字架で、

弟子たちの身代わりとなって

死んでいったように、

コルベ神父も、

一人の若者の身代わりとなって

死んでいった・・・

 

これこそが、

まさに、

「奇跡」

 

そして、

イエスがコルベ神父の中に、

「復活」した。

 

のだと思います。

 

ちなみに、

この時、助けられた若者は、

この後も生き延びて、

戦後、世界各地を回って、

コルベ神父の「奇跡」を

語り継いだそうです。

 

本書では、

精神科医・心理学者である

フランクル博士

の有名な、

夜と霧

(ドイツ強制収容所の体験記録)

 

 

にも触れられています。

 

そこでは、

コルベ神父のような、

聖職者でなく、

おそらく、ふつうの人

(遠藤周作さんは、

八百屋さん?といっています)

が、

瀕死の病人の枕元に、

そっとパンを置いていった逸話が

紹介されています。

 

(これは、フランクルが

実際に目撃した事実です)

 

収容所での、

一日一個のパン。

 

それを食べなければ、

自分が栄養失調で倒れるかもしれない

極限状態。

 

それでも、

病人に、

そっとパンを置いていった人がいたのは

事実なんですね。

 

これを読むと、

本当に、人間は、

捨てたもんじゃないと痛感します。

 

遠藤周作さんは、

「自分なら、むしろ、

病人のパンを盗んでいた」

と自虐的に書かれていますが、

 

もちろん、私も、

その場にいたら、

そうしていただろうと思います(^^;

 

極限状態のサバイバル。

 

そうしなければ、

明日、倒れるのは

自分かもしれないのですから・・・

 

しかし、

実際に、

病人にパンを残していった人がいる。

 

しかも、

名も知れないふつうの人が・・・

 

そう考えると、

昔から、いや今この瞬間でも、

この世には、一定数、

隠れた聖者がいるのかな、

とも思います。

 

人知れず、

慎ましく暮らしているけれど、

見えないところで、

ささやかな「愛」の行為を行っている。

 

そのおかげで、

この世界は、

さまざまな理不尽や、

不幸があるにしても、

総じて健全に機能している・・・

 

イエスの「愛」は、

今でも、

いろいろな人に

「復活」しているのだと思います。

 

ちなみに、

さきほどの過去ブログですが、

女の一生 二部・サチ子の場合

から、

コルベ神父(すなわちイエス)の愛が、

ある男に「転生・復活」するのを

ドラマティックに描いている場面を

引用しています。

 

この場面、心打たれますよ!

 

よかったらご覧くださいね(^^)

 

 

なかなか自覚はできないのですが、

私の中にも、

イエスの「愛」が眠っていて、

「復活」するのを待っているのかも・・・

 

と思うと、

ちょっぴり勇気が湧いてきます(^^;

 

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以上、3回にわたって

紹介・解説させていただいた、

遠藤周作さんの、

私のイエス―日本人のための聖書入門

 

遠藤周作さんが、

イエスについて、平易な言葉で、

とても分かりやすく

解説してくださいっています。

 

文庫本で安いですし、おすすめします!

 

今回も、最後までお読みくださいまして、

有り難うございました。

 

次回は別の本を紹介します(^^;