私は結婚して数年経つが、子どもを持つことに対していくつかの懸念材料があるため
どうしても欲しいとは思えずにいた。そして避妊用ピルを服用している。
ちなみにいうと、私は子どもが大好きで学生時代は幼児教育に関わるボランティアをしていた。できるなら、欲しい。できないなら、仕方ない。という考えである。

・長期服薬している(ストラテラ、リタリン、ゾロフト)事による子どもへの影響。
・妊娠中に服薬を中断した時の自分自身の精神状態への影響。
・つかれやすく、子どもをケアし続ける自信がない。
・毎日のルーティンワークのような規則正しい生活が苦痛。
・家事担当の夫(定型発達)の更なる負担の増加。特に子どもに発達傾向があった場合。

まあ下の方の懸念は単なる甘えなんだろうけど、大人になって様々なものが落ち着いてようやく安穏と生活できるようになったのでそれをまたかき乱されるのは嫌だって言う恐怖心。

本当は1番の心配なところは服薬による子どもへの影響と、彼らが発達傾向がある場合の対応。

夫も内臓疾患で服薬しているので、妊娠と薬情報センターという機関で我々の飲んでいる薬について問い合わせたいのだが、いかんせん海外在住で日本の病院に行って手続きをするのも簡単にはできない。

みんなそれぞれの悩みはあるのだろうと思うけど、具体的な解決法を考えて実行するしかないな。

あと、ADHDで精神的に不安定な私を育てあげてくれた家族には本当に感謝しかない。
昔の私のような子どもの対応なんて、、、する自信がない。。。。。

やっぱり、子ども無しコースかな、、、、、。



幸いなことに、年を重ねるにつれて私の周りにいる人たちは私のADHDによる特性を理解してくれている人たちだけになった。
私が発達障害だと伝えている人も、そうでない人もいるが、皆私の特性を好意的に受け止めてくれる人ばかりだ。

大人になるということは私にとってはとても良いことだった。同じ地域に同じ時期に住んでいるというだけで、ひとつの教室に押し込められて同じ価値観を強要される義務教育というのは地獄でしかなかった。
私にとって学校が地獄のようなところだと、その事実に気づいてしまった後は、
学校だけが全てではないという意見と学校に行くことがマジョリティ的に絶対的正しいという意見に挟まれ悩んだ。

私は常に変わってるといわれて悲しかったし、なぜそう言われるのか理解できなかった。

そのような学生時代を過ごして、大人になりむやみやたらにカテゴライズされたグループに属する必要が減った。

生きて生きやすくなった。

だけど今でもたまにつまづいてしまう。
特に職場の人との関係で。
言っても理解されない。向こうの言うことが理解できない。

そういう時は、子どもの頃に同じ経験にあった時よりも深く傷ついてしまう。

同じ傷を反復でうけてるから、強く傷ついてしまうのか、
近頃はあまり傷を受けないから、些細な傷に敏感になってしまってるのかわからない。

今日のロンドンはー2度。
雪のチラつく寒い日にはロクな事は思いつかない。

優しい人にあいたい。

日本でもいま住んでいる国でもADHDと診断するにあたって私の日常の様子を近しい人間に聞き取りをするという過程は避けて通れない。
私が日本で診断された時もいま住んでる国で再度診断した時も、親元を離れ夫と暮らしていたので日常生活の聞き取りは全て彼が様子を説明していた。
もちろん離れて住む母にも医師からの質問(箇条書きで細かくランク分けする)を転送し、私の子どもの頃の行動を評価をしてもらったのだが、、。

帰って来た返答は驚きの事に、ほとんどの項目に発達障害の傾向は当てはまらないような回答であった。
子どもが落ち着きないのはそういうものだし、あなたが特に変だと思った事はない。とのこと。
まあ、年の近い弟がやんちゃでそれに霞んでいたのかもしれないが、、、、。
私は自分の子どもの頃の問題行動を頻繁に思い出し、自分の行動を恥じ両親に申し訳ない気持ちでいっぱいだったので拍子抜けしてしまった。

成績表には落ち着きがないと書かれ、ひとりでおしゃべりしすぎと先生に呼び出され、忘れ物が多く、家でも学校でも机も汚かったし、決して普通というわけではないのだけれど。


私が子どもの頃は知能に問題がなければ特別学級ではなかったし、そんなものなのかもしれないけど。
今の子どもみたいに療育にかかれたら違ったのかな?とも思うけど、飽きっぽい私につきっきりで勉強を教えてくれたり激しい感情の波に根気強く付き合ってくれた両親には感謝しかありません。

大人になりadhdだと診断され薬も処方されて生きて行きやすくなりました。

だけど、わたしのことを普通の子どもだったよと言ってくれる両親にもありがたいと思います。
わがままかもしれませんが、親のもとでは大事な彼らの子どもと思われたかったのです。
私の問題行動で彼らに数え切れないほどの迷惑をかけ、恥をかかせ、それが原因で嫌われたのではないかととても心配してしたので。