これは私の性格の問題なのか、ADHDに由来するものなのかどちらとも断定出来ないことなのだが、毎日毎時間の感情の揺れ幅がとても激しい。
朝起きるのがとても苦手なのだが、ごく稀に気分良く起きられた時は大変だ。突然躁状態になって頭の中で4つのラジオがそれぞれ別の事を話しているのを、断片的に拾い上げて全てこなそうとする。エネルギーが有り余って、体の中に溢れる希望が私の体を凄い勢いで支配する。
朝起きれないときも、それはそれで大変だ。体と頭のギアがうまくはまらずに金縛りのような状態になる。夢と現実の境目がわからず、からだも動かせず、数時間夢と体とまどろみと戦い、とても疲弊する。
朝起きる時から自分の事をコントロールできないのはとても大変で、コンディションが一定に保てない体を持つ私は、精神状態も体調に左右され安定する事はない。
毎日なぜ朝に起きるのか。
朝が来なければ体と心が疲れないのに。
1日のスタートである眠りから目覚めるだけでこの有様なのだから、一事が万事この様子であるのは推して知ることができる。
ご飯をたべるストレス、食べないストレス、朝のニュースで悲しい事件を見て泣くストレス、忘れ物をするストレス、街並みを見て昔の辛い事をフラッシュバックするストレス、感覚過敏による電車内での音がうるさいストレス、、、、
が主な朝の感情を振り回す原因だが、もちろんほかの人にはわからないので毎日定時に仕事に行けない事を怒られる。
仕方ない。彼らは知らない。私は知っている。
感情に体力を奪われ、思考力が落ちた私は更に多動傾向が顕著にでる。
同じ毎日なんてないくらいに疲れる。
そんな私に母は言う。
「絶対に死んではいけない。」
そうか。私には毎日の生活をこなすだけで死にそうに見えるのか。
ポンコツな生き物でつらくてつらくて消えたい生活だけど、母の言いつけは守ろうと思う。
死んではいけない。
だから、どんなに感情の渦に飲まれて色んな事が頭をよぎっても、他の人にも死なないでほしい。
なんとか、なんとか、生活する時間をのばしてほしい。
社会の仕組みは発達には優しくないけど、人間の体の仕組みは死ぬまでは生きるようにできてるから、せめてその間は生きる努力をしようと思う。
息がとまるときまで。
朝起きるのがとても苦手なのだが、ごく稀に気分良く起きられた時は大変だ。突然躁状態になって頭の中で4つのラジオがそれぞれ別の事を話しているのを、断片的に拾い上げて全てこなそうとする。エネルギーが有り余って、体の中に溢れる希望が私の体を凄い勢いで支配する。
朝起きれないときも、それはそれで大変だ。体と頭のギアがうまくはまらずに金縛りのような状態になる。夢と現実の境目がわからず、からだも動かせず、数時間夢と体とまどろみと戦い、とても疲弊する。
朝起きる時から自分の事をコントロールできないのはとても大変で、コンディションが一定に保てない体を持つ私は、精神状態も体調に左右され安定する事はない。
毎日なぜ朝に起きるのか。
朝が来なければ体と心が疲れないのに。
1日のスタートである眠りから目覚めるだけでこの有様なのだから、一事が万事この様子であるのは推して知ることができる。
ご飯をたべるストレス、食べないストレス、朝のニュースで悲しい事件を見て泣くストレス、忘れ物をするストレス、街並みを見て昔の辛い事をフラッシュバックするストレス、感覚過敏による電車内での音がうるさいストレス、、、、
が主な朝の感情を振り回す原因だが、もちろんほかの人にはわからないので毎日定時に仕事に行けない事を怒られる。
仕方ない。彼らは知らない。私は知っている。
感情に体力を奪われ、思考力が落ちた私は更に多動傾向が顕著にでる。
同じ毎日なんてないくらいに疲れる。
そんな私に母は言う。
「絶対に死んではいけない。」
そうか。私には毎日の生活をこなすだけで死にそうに見えるのか。
ポンコツな生き物でつらくてつらくて消えたい生活だけど、母の言いつけは守ろうと思う。
死んではいけない。
だから、どんなに感情の渦に飲まれて色んな事が頭をよぎっても、他の人にも死なないでほしい。
なんとか、なんとか、生活する時間をのばしてほしい。
社会の仕組みは発達には優しくないけど、人間の体の仕組みは死ぬまでは生きるようにできてるから、せめてその間は生きる努力をしようと思う。
息がとまるときまで。