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手術室発、日本の医療へ

毎日の麻酔業務におけるミクロなことから始まり、そこから浮かんでくるマクロな日本の医療全体についてまで、感じること、考えることを書き残していきます。専門的なことも書きますが、一般の方にも読んでいただければと思います。

マーティン・ルーサー・キングの有名な言葉であるが、私も好きな言葉だ。

私の夢は・・・と聞かれたら、
長年温めていたこと、すなわち、「心臓手術の集約化」と答えるだろう。

かつて所属していた東京の大学病院での非効率な心臓手術に見切りを付けて、一つの理想郷を夢てみて名古屋の市中病院に移動してきた。
ここなら、心臓手術の集約化が進む可能性もあるのではと。

そして、集約した施設であれば、そもそも心臓外科医が症例を多く経験できることから、彼らの技術が上がること、人材の育成ができること、と同時に我々麻酔科医も効率的に心臓麻酔を習得でき、安全な麻酔を提供できること、またスタッフも技術、知識レベルも向上するわけで、すべてがよりよい手術が提供できることにつながり、患者にとっても良いことばかりになるはず。

これが私の信念であり、麻酔科からも、集約化を後押しすべく、この数年を過ごしてきたつもりである。

私の残りのキャリアをかけて、この集約化にどれだけ貢献できるだろうか。
ますます気が引き締まる思いである。



企業とは違って、連休中の狭間にあっても病院はもちろん開いています。
そして、オペ室も、いつになく、連休中ゆえ、混んでいます。

そんななかで、普段思っていたことを院内広報誌に書いてみましたので、それをそのまま転載したいと思います。

ご興味のある方は、拙著「手術室からの警鐘」もご一読いただければ幸甚です。
手術室からの警鐘 (最先端医療の現場から)/平凡社

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以下、掲載される予定の原文です。

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各科麻酔について―麻酔科医の役割を再考する



副院長、麻酔科部長
石黒芳紀



手術を受ける人口の8割は75歳以上の高齢者であると言われています。団塊の世代といわれる層の厚い世代が高齢化していくにつれて、手術を受ける人数も比例してこの10年で約1.5倍に増加することが予想されています。しかし、その増加に対してはおろか、麻酔科医の数は現在でもまったく足りていないため、全国的に麻酔科医以外の各科の医師や、または、公にはされていませんが、事実上その医師の監督下にME(臨床工学技士)や看護師が麻酔をかけている、いわゆる「各科麻酔」が常態として行われており、また今後はさらに増えることが予想されます。



麻酔科医以外が麻酔をしても、結果に大きな違いがなければ患者への不利益はないし、コストが削減できるのであればそのほうがいいわけです。そもそも麻酔症例の9割以上は、我々麻酔科医がやっていても何も重大な問題が生じない、無事に終了する症例です。そうした症例では、おそらく、専門技術や知識が十分でない、麻酔科以外の医師や他職種が担当しても問題なく終わることでしょう。



かつて、麻酔は、非常に安全域の狭い薬物を使い、モニタもないなかで行なっていたため、経験のない者が行うと、ばたばたと患者が命を落としていたという現実がありました。そこで、麻酔科標榜医制度ができて、標榜医を持たない医師は麻酔を行なってはいけないとしたわけですが、それははるか50年以上前の話しであります。現在は、私が医師になった20年以上前に比べても、はるかに安全な麻酔薬、安全に麻酔が行えるモニタが充実していますので、ただ単に麻酔をかけて無事に麻酔を覚ますという仕事自体は、おそらく、9割方の症例で知識技術レベルの未熟な人がやっても大過なくできることでしょう。実際に、大学病院などでは、右も左もわからない研修医に、麻酔を担当させているのは常のことですし、麻酔科医の少ない地域では、外科医が担当するほうが多い病院もざらにあります。MEや看護師が心臓手術の麻酔を担当している病院さえもあります。



各科麻酔が成立するのはこうした裏付けがあるからです。ただ、それでは麻酔科医は要らないのかといいますと、残りの数パーセントで生じる、生命の危機にかかわるような重大な事態が発生したとき、あるいは、そもそも安全域の非常に狭い状態の悪い患者の麻酔、侵襲の非常に大きな手術の麻酔でこそ、麻酔科医としての本領が発揮されることになります。



こうした状況においては、やはり訓練を積んだ、知識、技術のある麻酔科のプロでなくては対処ができない場面があります。麻酔科医のプロであれば、通常はまず、このような事態をある程度予期し、正確に状態を把握することができるでしょうし、予期することで、事態が悪化する前に手を打つことができます。さらに、事態が悪化した後に遭遇しても、プロとそうでないものとでは、対処の仕方で差がつきますので、患者の運命は大きく分かれてきます。



そうした意味で、クリティカルな状況に際しての精緻なマネージメントやトラブルシューティングができるかどうかに、麻酔科医としての存在が問われているのだと思います。しかし、患者の安全域、機器の進歩、外科医の腕に寄りかかって事なきを得ているだけで、なにか異常な事態に遭遇したときに適切に対処ができない実力のない麻酔科医も相当数います。また、麻酔は麻酔科医がするものという暗黙の約束事にあぐらをかいて、他の誰がやっても結果がかわらないような麻酔であっても、麻酔科医不足を逆手にとって大きな態度で権利ばかりを主張して外科系のドクターを困らせたり、法外な報酬を請求してはばからないフリーランス麻酔科医が跋扈しているのも事実であります。ただでさえ、少ない麻酔科医なのに、本当の実力をもって他科の外科系ドクターとともに医療を支え、真摯に働いている麻酔科医がさらに少ない現状では、「各科麻酔」が増えていくのもやむを得ないことなのかもしれません。



このように、今後は、「各科麻酔」が必然的に増える中で、万一の事態に備えて真の実力を備えたプロの麻酔科医の存在が絶対に必要になるでしょうし、また、逆にそうした実力をもっていないと、麻酔科医としての存在意義がなくなるともいえるでしょう。さらには、そうしたプロの麻酔科医を常時配置できない病院も淘汰されていくことになるでしょう。麻酔科医の効率的な配置を考える上でも、施設の集約化ももちろんひき続き重要な課題となることでしょう。我々麻酔科医にとっては、今後はプロの麻酔科医として認められて高い評価を受けられるか、それとも、そうでないその他大勢の単なる麻酔のかけ手に甘んじるかという差別化も進んでいく、非常に厳しい時代が到来するように思います。私自身、そうした危機感を常々感じていますし、今後の厳しい時代に備えて、特に今の若い麻酔科医には、そうした真のプロを目指してもらうべく、当院では日夜厳しいトレーニングを行なっております。



今後共、どうか引き続き当院の麻酔科にご支援を賜れますよう、心よりお願い申し上げます。

久しく行っていなかったコンサート。

日本が誇る逸材ピアニストである辻井伸行さんのコンサートは前々から行ってみたかった。
たまたま、応募していたコンサートのチケットを入手できたので、かなりの期待をして行った。

前座の曲はどうでもよかった。
ラフマニノフの協奏曲2番。
いきなり背筋がゾクッとするほどの美しさ。

しかし、曲が盛り上がってくると肝心のピアノが聴こえない。
オーケストラの音は鳴っているのだが、ピアノが聴こえてこないのだ。
これには閉口した。
辻井さんも懸命に弾いているのに、音がオーケストラにかき消されている。
オーケストラが鳴らしすぎなのか、ホールが大きすぎたのか、わからない。

しかし、ここは悪名高いNHKホール。
やはりホールがでかすぎるのだろう。

昔もホールのでかさに音の伝わりが悪くて泣けたことがあったのを思い出した。

ここはクラシックのコンサートなどするところではない。
なんで、よりによって、ここで開催するのか。。。
主催者のエゴが見えたような気がした。

気の毒なのは、演奏者たちだ。
・・・否、そうは思いたくないが、共犯者かもしれない。

今後は、ホールを選んで、リサイタルを選ぶことにしよう。
せっかく期待していた辻井さんのコンサートであったが、ちょっと不完全燃焼。
演奏者は頑張っていたのだが、いかんせん、ホールがひどすぎて。。。

主催者には音の物理的な限界を考えてほしい。

まあ、久しぶりのナマの音楽に、リフレッシュはできたのはよかったが。



今年の4月から、当科のスタッフは私以外、総入れ替え。
これまで居てくれた、ベテランのスタッフが退職し、同時に研修生も入れ替えとなったので、
今月からは、新人ばかりのスタートなった。

常勤スタッフが一人減ったのを、非常勤で補っているので、その分の新人も入っている。

まるで新人だらけである。

この時期には、コミュニケーション不足、その他で事故が起こりやすいので、
よくよく注意していかないといけない。

それでも、新人と仕事をするのは毎年ながら楽しいものである。
各人、新鮮味を持って仕事をしてくれているし、またこちらで話すことにも興味を持って聞いてくれているので、話していても話し甲斐があるというもの。

この仕事もいつまでやっていられるかわからないが、若い人がどんどんと吸収して、上達、進歩していってくれるのをみていると、こちらも幸せを感じる。
教師冥利に尽きるというところだろうか。

こちらも、若い人にいつまでも魅力を感じてもらえるような存在でいられるように努力したい。

名古屋では桜満開である。
当科での春の訪れを祝福してくれているようである。


今年もまた3月が来た。

毎年研修生を迎えては送り出す私としては、毎年ながら、微妙な気持ちになる時期である。

今年の卒業生は、研修を満足してくれただろうか、実力が伸ばせただろうか。。。などなど。
もし、もう一年いてくれたら、もっといろいろなことを学んでもらえたのに・・・・という思いもあり、
非常に複雑な心境になる。

と、同時に、結局こちらがいくら、熱心にいろいろと指導しても、学ぶ姿勢がなければ、学ぶことはないだろうし、また自らの探究心が持続している人であれば、こちらに来なくても伸びていけるのかな、ということも考えてしまう。

指導ということを、突き詰めて考えてみると、結局は学習曲線を少々、早い時期に急峻に上昇させてあげることかなという気がする。ただ、それにより、到達できるレベルは、個人個人の資質で決められていて、そのプラトーレベルへ到達できる時間が早くなるか、少々時間がかかるかだけのように思われる。

人間教育によって変えられるなぞという、傲慢な考えは持っていないつもりだが、
自分の日々している仕事が、どれだけ、若い人たちの役に立っているかということを考えるとふと、寂しくなる季節でもある。

近頃読んだ本で、面白かったので一節を紹介する。
京セラの会長の稲盛さんの書かれた本で「生き方」という本がある。

生き方―人間として一番大切なこと/サンマーク出版
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そのなかで、
人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力
という一節があった。

指導者として一番影響をあたえることができるとすると、
考え方の部分かと思う。もちろん、熱意に火をつけることはできるかもしれないが、
これも、もともと本人のもっている資質によるところが多いような気がする。
熱い人間は元から熱いし、冷めている人間は、どうやっても熱くはならない。

本人の持って生まれた資質を最大限に活かせるよう、考え方の部分で、うまく良い方向に導いていければよしとする。

来年の研修生を迎える心の準備をするこのごろである。
直接はあまり面識はないのだが、我々の麻酔の業界では知らない人はいないほどの大御所の先生が亡くなったという知らせを聞いた。

直接ご指導を受けたわけではないが、静岡こども病院の麻酔科部長を20年以上されていた方なので、我々の業界では関東近県では知らない者はいないほど。

それが、突然の訃報。

しかも高山の奥地で、遭難されたと。

本日のネットでもいくつもニュースが掲載されていた。

奥様と日帰りで山に入られたのだが、奥様が滑落して骨折し、動けなくなり、
救助を待つうちに天候が悪化して、捜査が難航してそのまま2日が経過。

本日発見された際には、お二人寄り添うように亡くなっていたとのこと。

あまりに突然のことだけに、同門の方、あるいは病院関係者は驚いておられると同時に悲しみに暮れられていることだろう。

こんな真冬の山に登られたのはなにかあったのだろうか。
麻酔科医として、日頃から危機管理をしている者としては、日頃の仕事のままであれば
こんなことにはならなかっただろうにと残念でならない。

やはり日常を離れて、ほっとしたいとき、仕事ではきちんとされいてたことも忘れて、
危機管理を怠ってしまったのであろうか。

いずれにしても、亡くなられたことに変わりはなく、いまからあれこれ言っても始まらない。
それにしても立派な指導者を失ってしまった。
我々の業界ではまだまだご活躍して欲しかった先生であった。
ご冥福を祈るばかりである。

合掌。
果たしてこのブログで私の職場のスタッフを募集するのが適当かどうかは、判断に迷うところであるが、こういう募集方法があってもいいのかと思って、募集をすることに。

実は、昨年末に、これまでなんでもカバーできた実力のあるスタッフが退職することになった。この3月までということで、かなり急な申し出だったので、実は少々慌てて、募集をすることにした。

募集する対象は4月から当科の常勤スタッフとして週4日以上働ける人。
卒後10年目以上20年目以下くらい。
専門医、指導医などを取得済みで、心臓麻酔にもそれなりの経験のある人。
場所は愛知県春日井市高蔵寺町にある某有名病院。

当院は、心臓手術が非常に多いので、若手の心臓麻酔研修生を指導しながら、自らも実力を伸ばして行きたいと思っている人には是非とも来ていただきたい。

日本でも有数の心臓手術の数があり、それ故、技術レベルも大学病院などではあまりないほどの高いレベルの手術を行なっており、大学での臨床にあまり満足していない人、どこか外でもっと自由に心臓をやりたい人にはもってこいの施設かと思う。

ついでに宣伝しますと、再来年度には新病院が竣工予定。
新しい施設で思う存分腕を奮ってみたいひと、急募である。

とりあえず、今回募集するのは1人だが、状況を見ながら、今後もっとスタッフを拡充して行きたいと思う。

ご連絡はこちらのブログへコメントあるいはメッセージで送っていただきたい。



今日も、大学の同期の心臓外科医の入る病院に手伝いに行った。

正直、それほど近いわけでもなく、自分の時間もなくなる上に、体力的にもそれなりに消耗するので
行かなくて済むのであれば、行きたくないというのが本音ではある。

しかし、今日一緒に働いた若者は実に気持ち良い若者だった。

本人は昨晩当直であったにもかかわらず、
本日、私と一緒に長~~い心臓外科の手術に当たっていたのである。
それでも、疲れた顔ひとつ見せず、きもちよく働いている。

そういう頑張りやはほっておけないのが性分なので、こちらも、あれやこれやと質問攻めにしながら、
いろいろな知識も伝授する。

するとそれを嬉しそうに吸収してくれるのが、またこちらとしても心地よい。

おかげで、12時間にわたる長丁場も、心地良い疲労感とともに終えることができた。
その若者もさぞ疲れたことだろう。
それでも、終わった後ににこりとしながら、お礼も忘れない。
素晴らしいの一言に尽きる。
こうした素晴らしい人材をもっているこのdepartmentには、
本当に頑張って欲しいと思うし、こちらとしても最大限の応援をしたいと思う。

今日は働いた若者以外にも、私と働くのを楽しみにしてくれている別の若者もいる。
なんと有難いことか。

そして、こうしたやる気のある若者には、素晴らし前途があらんこと祈るばかりである。
昨日は、衆議院選挙があり、御存知の通り自民党が圧勝した。

自民が勝ったと言うよりは、幹部も口をそろえて、民主が負けただけともいう。

どちらにしても、しばらくの間、政権を握り、この国の方向性を作っていくのは自民である。

前政権からの負の遺産には相当に悩まされるだろうが、年金ならびに医療改革も待ったなしというかすでに手遅れ状態。ただちにテコ入れ、大胆なメスをいれないと、ますます後世に負担を増やしているだけの状態が続いている。

現場においても、それをいいことに、好き放題、やりたい放題の医療が行われている。

例を上げればきりがないが、先日遭遇したパターンはこうだ。
80台半ばの男性が、10日前に心筋梗塞になった。
そして、それに対して、PCIが行われて血行再建された。
しかし、運悪く、遅発性合併症で心室中隔穿孔(というか破裂)が生じたことで
一時心停止になった。蘇生はされたものの意識は回復せず、誤嚥も生じて肺の状態も悪化の一途。
そこで、穿孔の穴が相当に大きかったこともあり、当然ながら、ジリ貧になり、ショック状態が遷延し、腎不全になる。大動脈バルーンパンピングを行うが、奏功せず。

ここで、何を思ったか、手術適応があると考えて、手術のできる病院に転送することになった。

転送された病院では、紹介元との関係もあることから、緊急手術を行うも、
心臓は回復せず、人工心肺から離脱できないので、経皮体外式補助人工心肺を装着して
帰室することになった。

機械による除水(腎不全のため)、引き続きの懸命の手当を行うが、
甲斐なく、血圧はじりじりと低下し、意識の戻らないまま患者は多臓器不全で亡くなる。

よくあるストーリーであるかと思うが、
すべてのコストを合わせれば、おそらく1000万は超えてくるだろう。

もちろん、外科医の立場、考えも理解できないわけではない。
他院からの依頼であれば尚更のこと、手術も断りにくい。
少しでも見込みがあるのであれば、最善を尽くそうという心がけももちろん
医師としては当然のことかもしれない。

しかし、ここらで、もうそろそろ、余命いくばくもない、というかほとんど回復の見込みがない年老いた患者に、ありったけの医療資源を全力で投入するような医療を続けるというのは考え直したほうがよいのではないだろうか。というか、こうした医療をささえらるだけの財政余力はないはずだ。

こうした際限のない高度医療をつづけることで、
年々医療費が膨張し続けているのである。
税収で賄い切れないほどの医療費を毎年かけているというのは明らかに異常事態である。
それなのに、前年度の民主党はこともあろうか、診療報酬のプラス改定を行い、
時代の針を逆行させてしまった。

この国の新しい為政者たちにも、この現実に早くに気づいてもらいたいものである。
これだけのお金があれば、何人の貧しい若者に教育のチャンスを提供できるだろうか。
そのほうが、この国の将来にとってどれだけプラスになるだろうか。
医療費の適正な使用、ならびに、福祉を含めた再配分について、
ただちに考えをめぐらし、適正な使用に向けての指針、あるいは
誘導の施策を講じてもらいたい。
先日来、見たかった映画『終の信託』をみた。



草刈民代演じる主役の女医、役所広司演じる喘息患者。
喘息の発作がひどくなり、あるとき、外出時に発作を起こし、そのまま心肺停止状態で、救急搬送されることに。
蘇生はなんとか成功し、数日後には、自発呼吸も回復するも、意識は回復せず植物状態に。

発作を起こす前に、主治医であった草刈民代に「意識がなくなったあとには、管につながれたまま生かされる肉のかたまりにはなりたくない、延命処置は望まない。」と託していた。

そのこともあり、気管チューブを抜いて、そのまま死期を迎えてもらおうと思ったのだが、予想外に患者は呼吸困難から咳き込み、(これは通常医学的にはあまりないことだが)その患者の苦悶様発作を抑えようと、鎮静剤(セルシン20mg)ならびに麻酔導入剤(ドルミカム60mg)という法外な量を使ってようやく息を引き取らせた。
(通常は、植物状態の患者の呼吸運動を抑えるのにセルシン20mgもあれば十分であり、通常元気な人間であっても、さらにドルミカム60mgを鎮静に要することはないので、ちょっと設定としてどうかと思うが。。。)

冷静に考えれば、安楽死としての用件をしっかり満たしているかどうかもわからず、鎮静薬を使わなくてはならないシチュエーションというのも、この状態ではなんとも想像しがたいのであるが。。。

実際の患者の詳細状態がわからないので、医学的には正確には論評ができない。
現状の法的な安楽死の用件をみたすかどうかを考えると、グレーを通り越して黒いことは予想される。

これに対して、何年かしてから、患者の家族から告発されて、殺人罪として検察から取り調べを受ける。安楽死と思ってしたことだが、結局は法的には、安楽死には該当せず、執行猶予付きの有罪判決を受けることになった。

周防監督の映画には、かつて、痴漢の冤罪をテーマにした、「それでも僕はやっていない」というものがあったが、そこでは警察、検察の取り調べの不条理がメインのテーマとして扱われていた。今回も、検察での取り調べの強引な誘導は見られたものの、そこがメインのテーマと言うよりは、法と医学の認識の差、扱っている対象が違うことから生じる齟齬に焦点を当てているように思われた。医師として、どこまで患者の希望に踏み込んでいくか・・・。

もちろん、今回の被疑者である女医は、通常の医療基準からしてもやや行き過ぎた感情移入、処置を行なっているので、判決に関しては至極妥当だと思われる。ただし、今後、安楽死の問題はもっと患者本人の意向、家族の意向も踏まえて、法律も現実に向き合い、本人、あるいは残された家族にとっての本当の幸せに役立つよう整備していってほしいとの周防監督の願いが聞こえるような気もする。

われわれ医療人にとっては、法律を扱う人たちとはベースになる考えの背景がそもそも異なることをきちんと認識し、あまり法の枠からはみ出し過ぎることなく、患者、家族の幸せ、望みと真摯に向き合うことが重要と、あらためて痛感した。

・・・・私の亡き恩師が存命中に、法曹と医療界の相互理解に尽力していたことつくづく思い返される。やはり、医師が萎縮することなく安心して、患者にとっての最善の医療を行うことができるためには、法曹と医療の相互理解は不可欠なのだろうし、誰かがその遺志をついで進めていかなくてはならないだろう。