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手術室発、日本の医療へ

毎日の麻酔業務におけるミクロなことから始まり、そこから浮かんでくるマクロな日本の医療全体についてまで、感じること、考えることを書き残していきます。専門的なことも書きますが、一般の方にも読んでいただければと思います。

先日、入院していた最中に、差し入れてもらった雑誌に大変興味深いものがあった。




上記の週刊ダイヤモンド10月27日号である。

これはあくまでも、いくつかの指標をもとに、病院の評価をしたもので、
このランキングが高いからといって必ずその病院が良いかと言われれば、また別ではあるが、
私が見ている限りでは、病院の実力をかなりよく表しているように思える。

大きな傾向としては、病床数の大きな公立系または大学系の病院が高評価を占めていたが、
よくみると、規模の小さな300床程度の病院でも評価の高い病院もあった。

しかし、そうした病院は、非常に例外。
なにか、特殊な事情がないと、そこまでの高評価は得られていない。
やはり、病院の規模、集約化により、医師をはじめとする医療スタッフも厚くなり、
より充実した、質の高い医療が実現できるのだろう。
病院の集約化、大規模化が急がれる所以であろう。

そして、もし、中小病院に生き残る道があるとするのであれば、
その地域あるいは、人々の絶対的なニーズをうまく取り込むことが必須となる。
例えば、専門病院はそのひとつの道であろう。
あるいは、記事にも取り上げられていた、川崎市の川崎幸病院などがよい例となる。

ここでは、悪名高い川崎市内の患者の救急のたらい回しを解決すべく、この規模の病院にしては、
驚異的な救急車の受入数を誇っている。
これにより、補助金もえているだろうし、急性期医療につながることから採算性も向上して臨床豊富な現場ができあがり、
医師数も増やすくこともでき、経営もうまく成り立つという
好循環が生まれているようにも思う。そこに生き残りをかけた病院の経営者の経営力に脱帽である。

自分のしっている病院の評価を自分のいま勤務している病院と比較してみると、
いろいろな問題点が見えてくる。
これらをうまく反省して、今後の医療に取り込むことができるかとどうかが鍵となるのであろう。

最後に、私の務める病院グループの理事長のコメントに、「本当に自分の病院が地域の人達に必要とされているのか、
それが一番心配だ。」とあったが、これが、まさに医療の原点であるだけに、御意を得た感がした。

医療関係者の方には、是非とも手にとっていただき、自分の勤務する病院評価を直視して、改善に役立てていただければと思う。


前回、帯状疱疹の実体験について公開していたが、実はその後の経過がさらに大変だった。

咽頭部、頚部の激痛は、バルトレックスの服用により、消退したかに思えたのだが、
次に現れたのが、「しゃっくり」 だった。

「しゃっくり」といっても、一回、二回のことではない。なにしろ、三時間でも四時間でもずっと持続するのである。

しゃっくりも、それくらい持続するとかなり体力を消耗する。

さらに、疲れて一時期止まったかと思っても、またすぐ再発する。
そう、夜も眠れなくなる。

ひどいのは、しゃっくりの持続とともに、胃も荒れていたのか、荒れたのか、
加えて嘔吐まで催すようになる。

こうなると、食べることも、飲むこともできなくなり、さらには、消耗してしまい、とどめを刺された。

恥を偲んで、我が病院に入院することになってしまったのである。

しかし、通常の体力を100とすれば、入院当時の体力は2-3くらいのもの。
まさに風前の灯火で、生きた心地がしなかったが、なんとか点滴で命をつないでもらった。

しかし、それでも、しゃっくりと嘔吐はとまらず、苦しんでいると、
友人から、それはヘルペス脳炎ではないかとの指摘がはいる。

ヘルペスに続発して、脳の一部をやられることがあり、そうなると、やられた部位に応じて、
しゃっくりがとまらない、など、特殊な症状がでることがあると。

あわててMRIをとらされたり、さらに髄液検査、他追加検査を山のようにさせられたが、
見切り発車で、ステロイドの大量投与を行うことになっった。

すると、それまでのしゃっくり、嘔吐はすーっとかなり軽減していくのがわかった。
やっと生きた心地がした。

その後は、なんとか、徐々に経口摂取も開始できるようになり、
点滴の栄養補給もあいまって、なんとか、体力も回復できるにいたり、
10日間の入院を経て(平均在院日数もちゃんと考慮して(笑))退院することができた。

まったく、ひどいめにあった。

今回はかなりレアなケースだとは思うが、帯状疱疹もひどくなると
こんなに重症化することがあるという、ひとつの教訓として記録してみた。
内容はいつもとは異なり、私事についてである。

今回非常に面白い、というか困難な体験をしたので、皆さんで共有していただきたく思い
こうしてブログに書くことにした。

事の始まりは、かれこれ2週間ほどまえにさかのぼる。
いつもはあまり異常を感じることのなり舌根部になんとなく違和感を感じており、
食事をしていた店で出された水が苦く感じられて、危うく文句をいいそうになったというのが
そもそもの前兆だった。もちろん、その時には、それが、その後、どんなことになるかは想像だにしていなかった。

のどの違和感は特に変化はなく経過していたが、先週の木曜のこと。
水曜までの疲れが相当に溜まっていたのか、朝が起きられない。
身体もだるい。さらにはこれまで違和感だけだった喉も舌根部が激痛を放つようになり、
何を食べても苦い、いわゆる舌炎の状態となってしまった。
仕事もちょうどなかったのをいいことに寝ていることに。

一日も寝れば治ると思いきや、発熱はするは、身体はだるく、痛く、
かなりの重症感だったので、翌日も寝ていることになった。

さすがに、この咽頭炎、ただものではないと思い、さっそく、手元にあった
抗生剤(クラリス)ならびに抗炎症剤(ロキソニン、のちにはイブプロフェン)を開始した。

しかし、症状は一向に良くならず、咽頭痛はひどくなるばかり。さらには、頸部にかけて
ビリビリ、ズキズキとする激痛が走るようになり、夜も眠れないほどになった。
呆れるほどの抗炎症剤を飲んでやっと、数時間痛みが忘れられる程度で、
この痛みのひどさにはさすがに閉口した。

状態の改善を見なかったので、抗生剤が効いていないか、適正なのか確認をするためにも、
週末に地元の病院の救急外来に受診に。
快く受け入れてもらえ、待たされもせずに受診できて、感謝。

余談だが、こんな時に、日曜に救急外来で見てもらえることに
有り難さをひしひしと感じる。我々の日々の仕事も、人には感謝してもらえているのではないかと実感した瞬間でもあった。

さっそく血液検査。
結果は、WBCもCRPも正常。
????そんな馬鹿な。これだけ、激烈な症状があるのに、
全然動いていないなんて。。。
ということで、診断は、おそらくウイルス性ということに。

翌月曜にはさすがに仕事は休むわけにはいかず、
衰えた体力で電車にのり、這いずるように遠路はるばる我が病院へ。

廃人同様の身体では、まともに働けるわけもなく、
たまらず、空き時間に、内科の外来を受診して、症状を事細かに述べると
感染がまだ進んでいないこともあるし、抗生剤を入れておいていいんじゃない、と
軽いノリで、セフェム系抗生剤を点滴してもらった。
うーん、内科のドクターにはちょっと診断は難しかったようだ。

しかし、よくよく考えると、ウイルス性感染症で、舌、咽頭がやられるのは、それほどあるわけではない。アデノウイルス、EBウイルス、ヘルペス(単純、帯状疱疹ともに)くらいである。
そうなると、他の検査値から考えても、どうも、帯状疱疹が怪しく思えてくる。
これだけの咽頭舌炎、片側性の神経にそった痛み、それに、よくみると、
ニキビかとおもった目の下の発疹がひとつ。さらに、自分では見えないが
頭にも発疹らしい有痛性の隆起が触れる。
数日前から、頭皮も触れるだけでビリビリとするような神経過敏性もある。

これは帯状疱疹に間違い無いだろう、ということで、抗ウイルス薬(バルトレックス)を大量に服用開始。
翌日からのどから耳に至る激痛は和らいできて、夜も眠れるほどに。

気のせいか、舌、咽頭の炎症も下火になってきたようだ。

本日も血液検査したが、やはりWBC,CRPは正常値のまま。
やはり、すこしも細菌感染が関与していなかったようだ。
とりあえず、ウイルス抗体価も測定したが、結果はしばらくしてから。

おそらく診断に間違いはないと思われる。

今回、身を持って、帯状疱疹を経験したわけだが、
それにしても、しんどい症状だった。
これほどウイルスが暴れるだけ、免疫力が落ちていたということか、と
あらためて考えると、あまり無理はできないかと思う。

ゴルフでシングルになろうなどという、馬鹿な夢は
諦めろと神様に言われたのかもしれない。
(まだ諦めているわけではないが・・・^^;)

しかし、それにしても、診断には苦労する症状だった。
下手に医者にいってもなかなか正確な診断はつかないだろう。
帯状疱疹の確定は、発疹と抗体価だが、これが頭皮に隠れていれば
見逃されることも多い。舌炎、咽頭炎からの発症となると、かなり非典型的だ。
自分のことならがら臨床の難しさも思い知らされた症例だった。
と同時に、自分のことだったので、かなり早くに正確な診断に至ったのだろうとも思う。

中年以降の人には、誰でもこうした帯状疱疹の再燃がありうるので、
十分注意してほしい。


先週、来年度の医師の初期研修先の病院のマッチングの中間結果発表があった。
もちろん、上位は、医科歯科大学、東大、などの名だたるブランド病院、そして、研修プログラムで有名な大病院などが上位に並んでいる。

対する、わが病院はというと、当然ながら、初期研修先としてのブランドイメージはないに等しく(心臓麻酔の研修先としては、ある程度の知名度を得ていると自負しているが(笑))、毎年、院長、副院長などが、全国の大学の説明会を走り回り、地元出身の学生、あるいは、名古屋に興味をもった学生が何人か見学にきてくれるよう、勧誘する。

そして、その見学者のなかで、最終的に、当病院を研修先に選んでくれれば、そこでマッチとなり、晴れて当院で研修開始ということになる。

しかし、現実にはその過程は、そう簡単にはいかない。

そもそも、病院のポジションの方が、実際の国試合格者数よりはるかに多いのだ。

最初から基本、研修医の売り手市場である。
さきほどの人気病院はいざしらず、ほとんどの病院は、研修医を募集するのに
四苦八苦の状態である。

募集活動を行わなければ、基本、ゼロである。

そのうえ見学に来てくれた学生も、初期研修医の働きぶりをみて、「当直がつらそう」「上級医が厳しそう」などと思えば、さっさと候補から外してしまう。

いかに、研修医にとって、良い環境をアピールできるか、高待遇をアピールできるかが
かなり重要になるのだが、それにも限界があるだろう。

病院によっては、研修医の当直は月に3回、給料は手取りで30万以上を保証。
その上、宿舎は手当され・・・と至れり尽くせりの病院もあるという。

そこまでしないと、研修医がこないとなると、これはちょっと問題かと。

昔話をすると、もう歳がしれてしまうのであまりしたくないのだが、
小職が研修医のころには、給料は月4万(給料とは言われず、研修費とかなんとか書いてあったように思う)。さらに、当直は、研修医の数によって、ころころと変わったが、ひどい時は、
3日に一回当直。その合間に、アルバイトの当直に行かないと生活ができないので、月の半分は当直していたような月もあった。

しかし、それも、また臨床経験を浴びるようにするという意味では、良い体験だったようにも思う。

今の研修医は、どうだろうか。
ゆとり世代と言われて、競争をすることになれないなか、ちょっとつらいことがあると、
すぐに「心が折れる」とか、「限界です」といい、
周りがかまってくれないと、「私は誰からもかまってもらえないので、もう辞める」
となる。

だんだんと、骨のある、やる気のある研修医が減ってきたように思う。

しかし、現実は、病院として研修医の採用がなくなると、存続の危機に瀕することになるので、
小職も病院の要請により、週末沖縄まで飛んで募集活動に協力してきた。



空港につくなり、いきなりソーキそばば目に入り、
思わず、食してしまう。


仕事の合間に、こうした楽しみは忘れない。

果たして、学生さんの気持ちはうちの病院に向いてくれただろうか。
なんとか、来てくれることを祈るばかりである。

と同時に、この馬鹿げたシステム、早く誰か直してもらえないかと
切に願う。



医療の人材派遣のコンサルタントの方を、偶然紹介していただく機会があった。

私自身、特に、職を探しているわけでもなし、うちの施設で特に人材に困っているわけでもないので、特に現時点での直接のお付き合いはないのだが、いただいた著書を読んでみて驚いた。

正直、この手の医師の人材派遣業の方に対しては、あまりよいイメージがなかったのだが、
どうして、このかた、我々医師よりもずっと医療のことをよく知っておられて、しかも、医療のことを真摯に考え、改善のためのお手伝いをしてくれている。

医師の初期研修制度が始まって以来、これまでの医局体制が崩壊し始めており、従来、地域の病院への医師の人材派遣を担っていた制度が崩壊することになった。
しかし、医師の側にも、病院の側にも、これまで、就活、あるいは医師のリクルートをすることには全く慣れておらず、その専門の部署すらないという。

そのために、こうした人材派遣、紹介の業者の活躍する場がどんどん増えているという。

この業者さんは、相当に多くの医師とこれまでに接し、医局の人事を司る偉い医師から、医局を離れて活躍するフリーランスの医師にいたるまでの、立場、考え方など熟知しておられる。当たり前といえば、当たり前であるが、そうした背景を有効に生かしながら、仕事をしておられるなか、
エゴの強い医師もいただろうが、決して、そうした批判をすることなく、終始、暖かい語りで本を締めくくっている。

まことに恐れいった。

しかし、こうした業者さんが、うまく活躍してくれることで、医師の偏在、医療の効率化が劇的に進む可能性があるとみる。いや、これからの時代、医療再編のキーになるべき人たちだと痛感した。
医師ではないことが、逆に、フラットに各科の医師にも接していけるだろうし、大学、医局にかかわらず、人材をまとめていける可能性を秘めていると思う。

私の中でも、こうした業種の人と出会えたことは、記念すべきことと思っている。
人との出会いに感謝するとともに、違う立場であっても、日本の医療の効率化、偏在の解消に役立てれば幸いと思いを新たにした。





医師集めに困っている責任者の人にも、あるいは、フリーの医師、医局を離れて途方にくれている医師にも是非とも読んでもらいたい本である。

マスコミにも紹介されて話題になっていたようである。
発売されて久しいようだが、第二弾でも出してもらえないだろうか。





私の所属する心臓血管麻酔学会が仙台で開催されている。

本日、大会一日目が終わった。
久しぶりに朝からいろいろな講演を聞き、
思ったことをいくつかあげてみる。

幾つかの演者は、非常によく準備していて、内容も整った、素晴らしい講演をしていた。

しかし、その反面、何人かの演者は、到底聞くに耐えない内容の講演をしていた。

能力の差ももちろんあるのだろうが、やはり、学会主催者たるもの、個人的な関係だけに頼ることなく、きちんと聞くに耐える演者に講演は依頼すべきと強く感じる。
そして、依頼された演者はしかるべき準備をしてから臨んでほしい。

そして、かならず、聴衆からのフィードバックを得て、演者の評価も行い、
良い演者、悪い演者の選別に役立てるあるいは、今後の講演の改善に役立てるなどすきであろう。。
こうした単純なことができていない学会が情けない。

無駄に広い会場、無駄に豪華な招宴もあり、学会費をかなり無駄に使っている印象も免れない。そのあたりも今後の反省に活かしてもらいたい。

それには、厳しい監査の目も必要だろう。
これまでのような丼勘定では、学会員も納得しないのではないだろうか。
大会開催費用に余裕があるなら、学会参加費、資格費用、試験受験代などもっと再考の余地があるだろう。

まだまだ改善の余地があると痛感した大会である。

明日の自分の発表もそのように思われないよう、努力しているつもりであるが。。。
評価はあくまでも他人がするもの。
厳しいご批判もあれば素直に受け入れて今後の改善に努めたい。


富山和彦氏の書いた「30代が覇権を握る!日本経済」という本を読んだ。



これがなかなかおもしろい。

特に、医療に関することについても、痛快なほど、問題の本質を突いている。
医療関係の人にも、是非とも読んでもらいたいものだ。
本書のなかで、私が普段から考えていたことを実に的確に表現してくれたので、
以下に引用する事項は、富山氏の考えていることではあるが、私の考えでもある。

「70代80代の人に大金をかけて病気をなおし、そこからさらに10年、20年と生きながらえさせる。そのお金があるならば、その分を子供たちの教育に充てたほうがよほど社会全体のためになる。 少なくとも、平均寿命を超えた人の命を一分でも一秒でも延命することに、公共の福祉が全力をあげて取り組むというスキームはそろそろ見なおしても良いのではないか」

「社会的コストとして許容範囲なのか」

「何がなんでも延命しなくてはならないという風潮は間違っている」

「こんな贅沢な制度を維持したいなら、経済力のある人々には、もっと自己負担を増やしてもらう。」
「社会主義的な綺麗事ですまそうとすると、次世代にツケが回る」

「人間老いていき、いつかは必ず死ぬ。その老いて死んでいくというプロセスを、どれだけミニマムな社会的なコストで賄えるか。どれだけ次世代の人に負担をかけないような老い方、死に方ができるか」

このほか、上げればきりのないほど、正論がてんこ盛りで読んでいて実に痛快である。
しかし、これらのことをいざ、実行に移していこうとなると、30代の人たちに頑張ってもらうということになるのが、ちょっと弱いところだ。

富山氏の指摘することは、全くもって、至極もっともで、こうしたことをできるだけ早急に仕組みづくりをしながら、対応していくかが喫緊の問題である。

しかし、だれが主導するのか。。。

30代は今の多数派ではない。
今の多数派は、圧倒的な数を誇る、団塊の世代を含むそれより高齢の老人たちである。
この多数派をどう説得して、資産を禅譲させて、若い人達に活き活きと生活ができる社会をつくっていくか。
これが大きな問題である。

富山氏は「高齢者に品格をしめしてもらう」と言っていたが、
大部分の高齢者は、そのようなことには無関心で自分たちのことばかり考えているかもしれない。

今年の医療費も37兆円を突破して、過去最高を毎年更新し続けているのに。

前回も書いたが、医療の進歩はとどまるところを知らない。
それはそれでよいのだが、それを裏付ける財政の問題があって初めて
成り立つものである。

経済力、国民の富に見合った、身の丈相応の医療をすべきなのは、誰でもわかるはずだが、
それを見て見ぬふりして通り過ぎている今の政治家たち。
早くにかれらには引退してもらわなければならない。
いまアクションを起こさなければ、どんどんとツケが大きくなるだけなのに。
待ったなしと思っているのは、私だけだろうか。

それとも、この国も行き着くところまで行かないと、わからない、某南欧諸国となんらかわらない国だったのだろうか。
そうでないことを願いたい。 

皆で大いに議論し、考えていきたい問題である。






私の勤務する病院は、現在、東海地方では唯一の、埋込型補助人工心臓の実施認定施設である。ある意味、技術力の高さが評価されて、認定されているわけで、喜ばしいことではある。

先週、東京の某大学病院の有名な教授をお招きして、埋込型の人工心臓の講演をしていただいた。今後の埋込型の人工心臓の実施にむけての準備ということもある。

内容は、国内で承認された、国産の人工心臓、「EVAHEART]である。
本当に小さくなっただけでなく、なかで血栓が発生しない、また出力も十分にあるということで、
実に素晴らしいものができた。

そもそも、左室の補助として、心臓移植までの橋渡し的な役割で承認されているのであるが、
実際に、日本ではそれほど、心臓移植が行われているわけではないので、
橋渡しといっても、これで数年しのいでもらうことも多くなる 

結果的には、長く装着されて補助人工心臓をつけながら生きながらえるという、
一時的な使用ではない最終目的としての使用になってきているというも、日本ならではのことである。
そして、それが皮肉にも、この日本製の人工心臓が、長期使用にも耐えることを証明することになったという。

長年、心臓移植を待てずに亡くなっていった人に、たいへんな福音となる。
医療の技術、科学の進歩というのは素晴らしい。
日本のものづくり技術も捨てたものではない。

・・・と両手をあげて絶賛したいところであるが、
一方で大きな問題がないわけではない。

値段である。

一式、1800万円なり。
そして装着の費用、術後の管理なども入れれば、
装着した年の一人あたりの一年の医療費は、おそらく軽く3000万円は超えてくるであろう。

いまは、適応を絞って、年間100例くらいになるように制限しているという。

しかし、これが評判になり、中高年の虚血性ならびに、後天性の弁疾患による心不全などにも適応を広げていくことになるのは目に見えている。


そもそもが移植までのつなぎであるから、移植の適応年齢である、60歳以下というのが現在の適応年齢である。しかし、移植も今回法改正があり、適応年齢を65歳に引き上げることになるという。

そいうなると、移植に連動している、補助人工心臓も適応年齢は上がる。
対象となる人もどっと増えることになる。


これから適応が広げられると、おそらく容易に10倍にはなるだろう。 

医療費はいったいどうなるのか。
だれが払うのか。

今年も医療費は37.8兆円となり、過去最高を年々更新している。
しかるに、税収は減る一方。このままでは30兆も切るのは時間の問題だろう。
いまの税収では医療費すら賄えないのである。

誰が医療費を払っているのか?
ほかならぬ、国民自身。
国は出しているといっても、税収で足りない部分は赤字国債を発行して
一部負担しているだけ。
残りは、結局、国民個人が負担している。

しかも、それは、すくなっている現役世代の給料から差し引かれているのである。
これから増えていく、高齢者の医療もすべて、現役世代の給料から差し引かれている。

国が発行した赤字国債で将来の世代に借金を積み上げ、そこから支払っているのが
現在の医療費である。

そんななけなしの、というかもう、赤字で出処もあってないような、日本の医療費から、
こんな高額な医療がどこまで許されるのか。。。。
非常に由々しき問題である。
というか、もう、破綻しているとしか言いようがない。

その点を質問すると、その教授いわく、「透析医療にはもっとケタ違いのお金がかかっているので、それにくらべれば、微々たるものです」と。

まったく議論になっていない。

開発に携わってもいるので、そんな否定的なことは言えないのはわかるが、
もっと、根本的に対策をしないといけない。

せっかく、国産なのだから、日本の強みである技術にものを言わせて、
いまの10分の一くらいの値段でできるようにしたらどうだろう。

そうなれば、多少、適応患者が増えてもそれほど痛くなくなるだろう。
数をこなしていけば、それなりの安全に手術をするノウハウも全国的に広がることだろう。

さらには、これを一大輸出産業に育てることだ。

医療機器は現在、完全に欧米のメーカーにやられており、完全な輸入超。
年間6000億ともそれ以上とも言われている。

これを、ここらで、一発逆転させて、一気に、輸入超を輸出超に変えてやる。
それだけでも、かなりの財政への貢献にもなる。

すべては、医療政策、政策の後押しにかかっている。

まだまだ、日本の生き残る道はたくさんあるのだから、いまから、積極的に、
そうした数少ない生き残れる道に資源を集中していかなくてはならない。

しかし、行き着くところまでいかないと、だれもいまのぬるま湯から抜けだそうとはしないのだろう。人間の弱いのは、洋の東西、否、ギリシャも日本も変わらないかもしれない。


先日、大学の同期で整形外科医の小林誠先生が本を出版された。




これまでの整形外科の常識を覆す、というか、あまり大きく扱われてこなかった内情を
詳しく描いている力作である。

ただ、単に腰痛、膝痛の指南本というよりは、整形外科という医療がどのような体系でなりたっていて、代替医療とどのように補完していけばよいのかがよくわかる。

これまでにない切り口の本である。

腰痛、膝痛に悩む人はもちろん、整形外科医療に疑問持つ人、すべてに読んでもらいたい。

ちなみに、現在、発売されて3週間で品切れのようである。

拙著とは雲泥の差である。(笑)。

あまり医学には関係はないのだが、

最近、『学問のすすめ」を読んだ。
内容についてはおおまかには知っていたつもりだったが、
恥ずかしながら、この年になるまで、通して読んだことがなかった。
最近では、読みやすいように現代語訳されたものが出版されており、
人に勧めるに当たり、やはり読んでからでないとまずいと思ったわけである。

私が読んだのは


学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)/筑摩書房
¥798
Amazon.co.jp


これが非常に読みやすい。

内容も実に面白い。

明治のはじめに、福沢はこのようなことを考えていたのだから、
彼の見識の広さには驚かされる。
実利に基づいた行動、仕事、学問など、
日頃のわれわれの研究、知識などの役立て方にも大いに参考になる。

官に頼りすぎていた明治の初期に、独立した事業を起こすことの重要性を説いた
福沢の見識、すばらしい。今の時代にもまったく古めかしさが感じられない。

慶應義塾にその開学者の精神が受け継がれているのであれば、
これは素晴らしいこと。
あらためて、自分の卒業した某国立大学との思想の違いを感じる。

現在、一民間病院に勤める者として、民でできることをもっと広めていくのは
医療の世界においても非常に重要なことかと思われる。

最後に、気に入った一節を引用しておく。

学問で重要なのは、それを実際に活かすことである。
実際に生かせない学問は学問でないのに等しい。
学問本来の趣旨は、ただ読書にあるのではない。
精神の働きが重要である。精神の働きを利用して、学問を実施するには
「observation」と「reasoning」が重要だと・・・

この一節は、学問の本質を突いており、私も常々感じていたことを簡潔に言い当てており、
痛快でもある。今更ながら、福沢の慧眼に感服した。

内容のないビジネス書が氾濫しているなかで、
学問のすすめは、キラリと光る。

今の時代、誰が読んでも非常に参考になる本ではないだろうか。