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手術室発、日本の医療へ

毎日の麻酔業務におけるミクロなことから始まり、そこから浮かんでくるマクロな日本の医療全体についてまで、感じること、考えることを書き残していきます。専門的なことも書きますが、一般の方にも読んでいただければと思います。

2月の天皇陛下の手術に続いて、こんどは96歳の三笠宮様の僧帽弁形成術が行われた。

手術は成功したとのことで、天皇陛下に続いて、心臓外科手術の成功が華々しく報道されて、なにより・・・という気もするのだが、今回は私としてはあまりすっきりしないものを感じる。

たしかに、もともとの心機能がそれほど悪くなく、全身状態が悪化していなければ、手術をすることも「できる」し、おそらくは、回復して退院することも「できる」であろう。

医学の進歩は素晴らしく、その程度のことは可能にしているのである。
そんなことは私の施設でもふつうに90代の人が心臓手術をしているので、
特段医学的に違和感があるわけではない。

しかし、それを行うのに、どれだけの医療資源ならびに社会保障費(税金)が投入されることになるのかを考えると、いつもながら、社会的な違和感を感じるのである。

VIPであるから、病院の収支とか人件費とかは度外視でされたことは容易に想像がつく。
しかし、96際でショックになりかかっていた人を手術して退院にまでもっていくには、
相当のきめ細やかな治療と絶え間ないケアが必要であり、その医療費はともかく、人件費たるや、本来は60代、70代の患者のケアにかかる手間の倍はかかるであろう。
そこに投入された医療資源はかなりなものであることは想像に難くない。

日本の国が豊かで、ありまあまる財政に使い道がないほどであれば、お金を湯水のように医療に投入して、どんなひとにも、人工心臓でもつけて、長生きさせてあげればよいだろう。

しかし、現実の日本はどうだろう。

景気も悪化して、税収はどんどんと減る中、高齢化社会が進んでいる。
社会保障費もうなぎ登りなのは誰しもしるところである。

そこへもって、元気な高齢者がどんどん増えてきて、90代後半になっても心臓手術をうける人が増えてきたりしたら・・・・。

確実に財政は破綻する。

まだそれでも、赤字国債を発行して、将来につけをまわしながら、現在の生きている人に冨を享受させ続けられるうちはそれでもいいのかもしれないが、もう実際、それも限界にきており、消費税を増税せざるをえないところまで追い詰められている。
このまま放漫財政、垂れ流しを続けていけば、いまのギリシャ、南欧諸国をみるまでもないことはだれしもわかるであろう。

そう。ない袖はふれぬ、なのである。身の丈で甘んじる必要もあると感じる。

それを いくらVIPといえど、象徴的な人に心臓手術を行うことで、これで、高齢者に手術できるのだと、高齢者の多くが手術を希望するようになったらどうするのだろうか。
今回の関係者は、そうした影響を考えて手術をしたのだろうか。

豊かなアラブの産油国ならまだしも、
日本の財政を考えた時に、そこまで負担するだけの財源はない。
そこまでするなら、消費税率30%程度まであげないといけないだろう。
否、それでも足りないかもしれない。
正直、医療にお金をかけていけば、技術の進歩も相まって、
どんどんと高額な医療が登場し、いくらお金を投入してもきりがないであろう。
実際埋込型の人工心臓などが保険適応になったが、一件3000万円は下らないだろう。

これ、だれが負担するのだろうか。

ひとの命を差別することは難しいが、限られた財源で、伸ばしたところで数年のびるだけの命を延ばすような医療にお金を費やすことをやめることで、いったい、どれだけの貧困で困っている若い人達を救うことができるのだろうか。あるいは将来につなががる政策にお金を使うことと比べて、どうちらが、より建設的なお金の使い方か、考えてみえれば、明らかなようなきがするのだが。
もう少し考えて医療にお金を使って欲しいように思うのは私だけだろうか。

どこかで医療に歯止めを掛けることは絶対に必要である。
本日、系列病院の麻酔科の統括責任者(大御所)の先生が、
わざわざ私のいる病院にたずねてこられた。

はるばる数時間、新幹線にのってこられたのにはわけがある。

別の系列病院の麻酔科医で、心臓手術を専門にしていた麻酔科医が
急遽、解雇されたことが発端でいろいろと波紋が生じているからだ。

まえまえから、うすうすうわさレベルでは伝わってきていたが、
この麻酔科医が、通常の麻酔科常勤医の給料の〇〇倍ももらっていたことが
問題となり、解雇されたというのだ。

ただ、解雇したのはいいが、当面、そのかわりが見つからないので、
我々の病院にも援助を要請にこられたわけである。

なぜ、このようなことが生じたか、分析してみるに、
やはり、問題は10年以上にわたる仕事のパートナーとして
慣れ合いが生じ、病院の経営に相当な悪影響を及ぼす行為を
許させていた病院の土壌、経営者の資質に問題があるのだろう。

これまで15年以上、同じような体制でやってきていたわけで、
この体制を許していた、心臓外科医、院長、事務方、すべてに責任があるわけである。

そこまで、高額報酬をはらってでも、その麻酔科医に頼らなくてはならないほど、
麻酔科医が欠乏していたかというと、そんなことはない。
近隣から募集するつもりであれば、はるかに低い(正常な)報酬で
いくらでも雇うことができたはずである。

やはり、経営をきちんとする、経営のプロがいないために生じた、
出来事と思われる。

しかし、ここにきて、どうやら、グループの最高責任者がいよいよ、各病院の細部に目を光らせ、悪の巣窟からメスを入れ始めて、粛清を始めたということのようだ。

人間、目の前に甘い汁があれば、吸いたいと思うのはやむを得ない衝動かもしれない。
それをきちんと監視する目が働かくことで、そうした悪に手を染めずにすむわけである。
もしそうした監視体制がないと、人間の弱い自制心、良心に頼ることになり、
そうなると時間とともに組織はすぐに腐敗していく。

ちょっとしたチェックの体制の有無だけで大きな違いを生むはずである。

この系列病院こそ、腐敗してしまったいたようであるが、束ねている組織がまだ、
そこまで腐りきっていなかったということで、
ほっと安堵している。
まだまだ捨てたものではない。

おもしろい時代になってきた。
先週、青森県の福祉の事情、医療の事情について書いた。

ちょうど、タイムリーに先週発売の週刊ダイヤモンドで生活保護が取り上げられていたので
つい手にとってみた。



働くより貰い得なので、生活保護がどんどん増えている。
芸能人の母親が生活保護を受けていることを知って、
多くの人が生活保護の申請に殺到して受付もパンク状態。
生活保護のための支出が、自治体の税収も超えているところもかなりあるという。
審査も厳密にする余裕もない。
不当な受給者も大きな問題になっているが、それを審査や追跡をするのもままならない。
生活保護を受けながら、携帯は使い放題、パチンコ三昧、上限いっぱいの家賃をもらって良い暮らしをしているという人も。
不正な受給者は、医療費が無料であることを利用して、自由に医療をうけるだけでなく、
薬剤を過剰に処方してもらい、それを横流しする不法ビジネスに加担する人もいると聞く。

その一方で、生活保護に認定されていないために、
医療費の自己負担を払えず、病院にかかれない貧しい人も多い。

要は、生活保護が手厚すぎて、偏っているために、相当な福祉の偏在、不公平を招いていることが原因なのだろう。欧米のように、福祉が広く浅く行き渡っていないことによるのだろう。
やはり、根本的に、制度疲労、モラルハザードを生じているようだ。

消費税の増税をして、予算のつじつま合わせだけで、根本的な問題解決、改革を先送りしているだけの能なし政府は、さっさと撤退して、
必要な人にわずかでも保護が行き渡るような制度への改革のできる政治家の出現を望みたい。


先日、初期研修を青森でしてきたという若い医師と話をしていて、唸ってしまったことがあった。
青森だけではなく、過疎化の進んだ、産業のない地方は同じ問題を抱えているかと思うが、
今回の話は青森県の福祉の事情だ。

1.若い夫婦は、当たり前のように偽装離婚して、生活保護、母子家庭手当をもらっていたという。そのため、生まれた子の戸籍は私生児であることが多いという。

2.お年寄りも、とにかく、どんなことをしてでも長生きさせてもらえるよう家族から頼まれるという。もちろん、意識があろうが、不治の病であろうが、関係なく。
それは、もちろんそうでないことを祈りたいが、その老人の年金を目当てにしているからだといわれている。

3.さらには、在日韓国人が非常に増えているという話も聞いた。
永住権をもっている韓国人がまず、その家族親戚を呼び寄せて、日本での永住権をとらせ、皆が生活保護を受けているという。制度を悪用して、日本の福祉を食い物にしている格好だ。

4.医療機関にしても、老人や生活保護の人相手に、無制限に高額医療をしている現状に、
その若い医師も常に疑問を感じていたという。

これは、かなり極端な面をみていることと祈りたいが、現実的にこのようことが横行しているのであれば、本当に日本の未来は寂しい。
福祉を受ける方も、出す方も、完全なシステムエラーというか、モラルの崩壊である。

やはりここらで、日本の福祉、特に生活保護、高齢者への高額医療については、
考えなおして見る必要はあるだろう。
無い袖は振れないのである。
借金して大盤振る舞いしている時代はいつまでも続かない。
ギリシャをみれば明らかである。
とある病院の心臓手術の麻酔を手伝いに何度か行った。

大学の同期で心臓外科医になった友人のたっての願いで、
とにかく麻酔科医がいなくて手術ができない。
手術を入れたくても、麻酔科医から反対されて手術がいれられないとのことだった。

同期のよしみということもあり、はるばる家から車でドライブすること1時間半。
ドライブとしては、適当な距離だが、その合間に仕事がはいるとなるとちょっと疲れないわけではない。

しかし、ここでの仕事が結構楽しい。
同期の友人が術者なので、気軽に世間話、馬鹿話をしながら、というのもあるが、
ここで働く、まだ独り立ちにまでは至らない若い麻酔科医と一緒に働くのも楽しいのだ。

私がかつて所属していた大学では、モチベーションの低い麻酔科医が非常に多く、
ほとほと嫌気がさして、現在の職場に移ったということもあったが、
こちらの若者たちは、非常に活き活きとして、やる気にあふれている。

核心をついた質問もどんどん飛んでくるので、
こちらとしても非常にやりがいのある立場で仕事をさせてもらっている。
こういうモチベーションの高い若者たちを、伸ばしていってほしいとつくづく思う。
施設のトップの先生方には、切に祈るばかりである。

そして、なんといっても、この同期の友人の手術を見るのが楽しい。
決して名人クラスではないものの、真剣に頑張っているのがよく伝わってくる。
オペ枠がない、麻酔科医がいないので、手術を入れたくても入れられないせいか、
厳選された、疾患が熟成した患者ばかりがくるのも面白いところである。

ちまたの病院にありがちな、症例を増やしたいための、
ちょっと適応が??という手術は見かけない。

先日、彼のオフポンプのCABGの手術を見たが、
これが師匠である某有名大学教授のやり方を
とことんコピーしている。
圧巻だ。
おかげで、麻酔管理も非常に楽チン。
麻酔科の技術に頼らずとも、安定した血行動態を保つための
いろいろな工夫がされているので、こちらですることがほとんどないくらいだ。

吻合もスムースで、本人も、やはりCABGはやっていてもconfortableのようだ。

あっぱれ。師匠の技術が高いと、弟子の技術も自ずと高くなるということか。
果たして、その後、師匠を超えることはできるのだろうか。
師匠が得意としていなかった、他の弁形成などは、
やはりまだまだ改善の余地があるのだろうが、
どこまでうまくなれるのだろうか。

同期なだけに、視力、体力、気力の衰えをどこまで克服していけるのかも鬼門だろう。
あまり無理をすると、身体によくない。
自分の身体も大事にしてほしいと思いながらも、
遅すぎる、技術習得期を迎えている同期の友人に祝福あらんことを祈るばかりである。
昨年一年間、うちの施設で心臓麻酔のトレーニングに来ていた研修生が先月末で旅立っていった。

私がこちらの施設に移ってから、かれこれ3回目の修了生を出したわけで、毎年のことながら、
振り返るとその研修生の進歩には驚かされる。

彼が昨年、こちらに移ってきた時には、とにかく、ひどかった。
基本的な麻酔に対する考え方ができていない。
基本的な手技も未熟。
安全をどう担保するかもわかっていない。
それに、本人の独特の気まぐれな気質が相まって、とても安心して見ていられるような
状況にはなかった。

それがこの一年で、心臓手術の麻酔を通して、さまざまな知識、考え方を吸収して
なんとか、独り立ちしていけるだけの力量を身に付けてくれたように思う。
今後は本人の努力をいかに継続してもらえるかである。

毎年、そのような若い人を迎えては見送っていると、ついつい、昔の映画
愛と青春の旅立ち」を思い出してしまう。


鬼教官が毎年、海軍パイロットの希望者をトレーニングして士官として送り出していく。
その中で、繰り広げられる若者の人間としての成長を描いた映画である。
日本では、リチャード・ギア主演ということもあり、恋愛映画として、当時大学生だった私も
流行に遅れまいとして見たものだった。
しかし、私の目には、単なる恋愛映画というよりは、最後のシーンで、
また翌年の研修生を迎えて、また素人入隊希望者を相手に、全く同じセリフを使いながら、
トレーニングを繰り返す鬼教官の姿が強く印象に残っていた。

ん?今の自分とどこか重なりを感じる。

日本の医療もやはり、海軍のような職業訓練学校が必要なのだろう。
ミスの許されない我々の仕事も、時には、軍の規律、厳しさをもってトレーニングすることも
必要なのかもしれない。
少なくとも、こちらにきてから、集中的にトレーニングを行うことがどれほど有効か、あらためて思い知らされている。

それに比べると、うちに来る前の研修生たちの所属する施設での教育のお粗末さに
本当に驚かされる。総合病院、大学病院の良さはあるものの、教育がされていないで
野放し状態にされていることが圧倒的に多いようだ。

今年の研修生も4月からトレーニングをはじめているが、
こちらも手強い存在だ。(笑)。
しかし、本人が強い意志をもって、知識技術を吸収する気持ちがある限り、
こちらの施設での研修は、野放し大学や総合病院にいる数倍の実力を伸ばすことができると確信している。

いまから、来年、彼がどこまで伸びるか楽しみである。
本日、NHKで順天堂の心臓外科の天野教授がテレビで放映されていた。

今年の2月には天皇陛下の冠動脈バイパス手術もされて、さらに一般の人にも有名になった名医だ。

私も、昨年末、実際に彼の手術を見学させてもらう機会があり、手術のやり方には非常に感銘を受けたことを
昨日のように思い出した。

確かに、彼は一流の外科医であり、その意味では素晴らしい名医である。
私もこれまで相当数の心臓外科医の手術を見てきたが、彼はある意味一流であることは間違いない。
すべてにこだわりをもち、こだわりぬいて、決して妥協をしない。

決してスピードは早くないものの、完璧なまでの技術で、非常に高い完成度の手術をする。
私がこれまで、見たことのないほどの完成度の高い手術だった。
このような番組が企画されるのももちろん頷ける。

しかし、だ。
これらの報道、テレビ番組にありがちであるが、まわりを支えているスタッフに
カメラが向く時間はほとんどない。
その陰には、そのこだわりの手術を忍耐強く支えている、手術室のスタッフ、麻酔科医、MEがいることは
あまり報道されることはないのである。

もちろん彼が主役であるから、彼にスポットがあたるのは当たり前である。
しかし、彼の決して早くない手術に文句もいわずに付き合っている、麻酔科医をはじめとする、
スタッフの存在をむしろ私は大きく感じていた。

今回のテレビでも彼の顔ばかりが映り、麻酔科医の顔が映ることはなかったが、
同じ麻酔科医の立場からは、陰で彼の主役の立場を支えている、麻酔科のドクターたちを讃えたい。
どれだけ頑張っても、決して外科医のように賞賛されることはなくても、黙々と、麻酔で患者を支えている
麻酔科のドクターたちに、私は、心から賞賛を贈りたい。

そして、順天堂の麻酔科のドクターには、
天野教授が相手でもあまりに理不尽なことを言うのであれば、
同じ医師、対等なプロフェッショナルとして、
堂々と意見を言い、よりよい患者の管理をしていって欲しいと思う。
それが、我々麻酔科医の責任でもあり、義務でもあると思っている。

天野教授の迫力ある画像がこれでもかと流されていた反面、
そうした対等な立場の麻酔科医が映っていなかったことに
少々いらだちを覚えた。
先月末より開催されていたアメリカ心臓麻酔学会に参加してきた。

今年の開催地は、私の古巣であるボストンであることもあり、しかも
先月よりボストンへの直行便がJALより就航したので、行くことにした。

まず、JALの直行便のおかげで、これまで乗り継ぎもいれて18時間くらいくらいかかっていたボストンまでの時間が大幅に短縮されて、12時間あまりで到着できたことが大きい。

この歳で、エコノミークラスでは厳しいかとおもいきや、ボイーイング最新鋭の787のおかげで(?)
あまり疲労感を感じずに現地に到着できた。

後で知ったのだが、787の特徴として、通常より、高めの機内気圧を維持していること、高めの湿度を維持していることなどが疲労の軽減に大きく貢献しているのではということが大きいかと思った。

さらには、なんと、エコノミーのシートにRECAROを使っていたことである。
そのおかげで、12時間一度も席をたつこともなく、座りっぱなしであったが、
なんとか腰痛にもならずに済んだ。

技術の進歩とは有り難いものである。

Boeing787に乗れたことで、今回の学会出席の目的の半分は達成できたと思っている。(笑)
それほど、違いのある機体だった。

と同時に、今回、面白かったのは、機内での映画サービスである。
ありきたりの最新ハリウッド映画はもとより、かなり古い映画も放映していたのは
有り難かった。

なかでも、”The Verdict"(邦題「評決」)という映画をやっていたことだ。
実はこれはボストンでの教育病院(私のトレーニングを受けた病院)での麻酔事故に基づいて作成された映画である。
私もアメリカで留学している最中、この映画の存在は聞かされていたが、
ついぞ見る機会がなかったので、今回は貴重な機会とばかり、眠い目を押して見通してしまった。。

1970年代に帝王切開の麻酔に、絶飲食が不十分な妊婦に、
マスクによる全身麻酔をかけた結果、誤嚥を生じ、植物状態になってしまった女性がいた。これに対して、これを麻酔科の過失を訴えて訴訟を起こした家族側に立った、ポール・ニューマン扮する弁護士が、麻酔科の権威ある教授相手に、勝訴に導く過程を描い映画である。

1970年代にこのような映画を作って、麻酔の怖さを伝えていた米国の啓蒙活動には
頭がさがるし、またこの映画をボストン便で公開したJALのセンスも賞賛に値すると思っている。(もっとも、そこまで考えて映画をチョイスしていたかどうかわからないが)

麻酔事故を1970年代に啓蒙していた米国の麻酔学会には頭がさがると同時に、
本邦での麻酔への啓蒙がいまだ進んでいないことに対する、憤りも覚える限りである。
麻酔事故を扱った映画、ドラマとしては、20年前の渡辺淳一作の「麻酔」という小説ならびにそれを原作としたテレビドラマがあるが、これも、結局麻酔事故の本質に迫ることなく、植物状態に陥った妻への愛を描いた、愛情描写で終わっている。

本格的な麻酔事故を扱ったドラマ、小説などがない日本の麻酔事情は、それなりに社会からの認識も薄いのも当然のことだろう。

麻酔科学会をあげて、麻酔の重要性、重大性をもう少し啓蒙してもよいのではないかと思う。
あらためて、アメリカの麻酔科の歴史の厚さを感じた、機内だった。
本日、ちょっとした事件があった。

私の知っている心臓外科医が病院から解雇通告を受けたという。

腕は並以上であったし、スピードもそれなりにあった。
なにしろ、何時間連続で手術をしていても疲れを知らないような
不屈の肉体、精神をもった外科医だった。

とにかくよく働いていたと思う。
我々の2倍は働いていたかもしれない。

それが病院からの解雇通告。

もちろんそこに至るには、それなりの過程があったわけで、
その病院の麻酔科医との不協和音も聞こえてきてはいた。

要するに、麻酔科医を取るか、心臓外科医を取るかという段になって、
総合病院としては、麻酔科医を取ったということになる。

たしかに周囲を見回せば、麻酔科医を確保するのは困難で、
心臓外科医はいくらでもいるといういう。

あえてその外科医をなにがなんでも守る理由がなかったのだろう。

過酷な時代だ。

それだけ心臓外科医は、過酷な状況に置かれ、
麻酔科医は、重宝されるといういびつな産業構造。

理性的に考えても、どうして、過酷な労働条件に耐えて、
高度な技術を身に付けた心臓外科医が簡単に解雇されて、
麻酔科医は問題があっても不問にされるのか。
あるいは、技術も知識も不十分な麻酔科医が高給で優遇されるのか。

理不尽ではあるが、それが現実。
資本主義社会のしくみ、市場原理。

ものごと、通常の感覚とは異なる経済観念が必要な所以か。

しかし、それは、絶対に間違っている。市場原理では解決されない
根本的な理念、理想があるはず。
解雇された心臓外科医も、これに腐ることなく、
優れた技術で人を救っていってほしい。
むしろ、拙い技術で人を殺めている心臓外科医にとって代わって欲しい。

麻酔科医も奢ることなく、精進すべきと我が身を振り返る。

ちょっと酔いが回ってしまった。
これくらいにしておこう。
現在、ほとんどの科で専門医制度ができている。

心臓外科の専門医制度も意味があまりないことは周知のごとくであるが、
振り返って、麻酔科医の専門医制度はどうだろうか。
桜
私自身は、はるか昔に試験を受験して、資格を得ているので、
現在の試験の難易度は知る由もないが、相当に難易度は上がっているという。

しかし、それでも、合格率を一定にしているために、難易度とはあまり関係がないとも言われているt。

現在の専門医試験では、知識を問う書面の試験のほかに、実際の臨床の場に即した場面を想定した口頭試験がある。

これを両方合格して、初めて資格が得られることになっている。

実際には、この資格、うまく知識、臨床実務が専門医としてふさわしい者を選んでいるのだろうか。
否、どうもそうでもないようだ。私の知りあいの若い医師で、アメリカの一流病院で麻酔科のレジデント終了し、専門医を取ったものが、日本の専門医試験に落ちている。もう一人も、優秀なのに、落ちたという。ある大学病院では受験者の半分が落ちているとも言う。

どうもうまく機能していないような気がする。

しかし、この制度があるおかげで、若い人達が、勉強する動機づけになっているということは真実であるので、存在意義は十分にあるのだろう。
ただ、この資格をもって、安全な麻酔がかけられるか、難易度の高い麻酔ができるかと言われると、必ずしも???ということになるかもしれない。

試験で問われるのは、あくまでも知識である(口頭にしても)。
そこに臨床実務能力を問うのは、やはり限界があろう。
麻酔科の知識レベルのアップには意味がないとは言わないが、
実務でのレベルアップには、やはり現場のスタッフの力がひつようだ。

私の専門としている、心臓麻酔の世界では、心臓麻酔専門医制度なるものができており、その試験も今年から行われる予定である。
たしかに、心臓麻酔のような特殊性の高い麻酔は、ある程度の専門知識がない状態で行うのは時として危険であるので、最低限の知識を担保する必要あるだろう。

しかし、これも所詮は試験である。
実務能力が問えるわけではない。
もちろん知識のレベルが低くては、話にならないが、
逆に知識だけあっても、役に立たないこともある。

心臓麻酔には経食道心エコーの知識、技術は必須であるが、
この資格試験も学会は早々と作っている。
この試験、大人気で、学会の文字通りドル箱となったのだが、
果たして、まったく心臓麻酔の経験がなくても、知識だけで合格してしまえるところがすごい。

おそらく、今後、できあがる心臓麻酔専門医の試験制度も同様だろう。
いくら、症例数、研修期間などを制定しても、結局は試験は知識しか問うことができない。
実際の臨床実地の経験は問うことはできない。
試験問題を作成する立場ではあるが、臨床問題をつくることの難しさと、他の試験問題作成委員の人たちのあまりの臨床離れした問題に辟易しているほどである。

すると、何をもって評価できるだろう?
つまるところ、「どこの施設でトレーニングを受けたか」ではないだろうか。

アメリカでも、どこでレジデントをして、どこでフェローをしたか、
そして、そこの責任者にどれだけよい推薦状が書いてもらえるかで
その先の就職、キャリアー、運命が決まっていった。

私の施設では、心臓麻酔のトレーニング制度を設けて4年になるが、
卒業していくときには、「修了証」を渡している。
もちろん、それぞれに、伸びたレベルは異なるのだが、
とりあえず、これまで修了証を渡せなかったほど伸びなかったものはいない。
皆、ここでトレーニングしてくれた前後は見違えるようによくできるようになっている。
これは、私としては非常に嬉しい限りなことである。

そうした施設での経歴が本当のその人の実力を一番表しているのではないだろうか。

各教育施設は、どれだけ優秀な人材を集め、どれだけ優秀な人材を輩出できるかに
もう少し熱をあげるべきだろう。

それが本当の意味での専門医を育てることであり、医療のレベルをあげることになるのだろう。