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手術室発、日本の医療へ

毎日の麻酔業務におけるミクロなことから始まり、そこから浮かんでくるマクロな日本の医療全体についてまで、感じること、考えることを書き残していきます。専門的なことも書きますが、一般の方にも読んでいただければと思います。

自分も、小さいながらも組織のトップとなり、直属の部下を持つようになってから、
いろいろと組織のマネージメントについては考えることが多くなった。
また、周りから聞こえてくる、大学の麻酔科の興亡、とくに崩壊の危機に瀕している麻酔科の話などを聞くにつけ、他人ごととは思えず、ついつい我が身のように考えてしまうのである。

まずは、組織のリーダーとしては、その部署をまとめるだけの力量、其の分野での
実力が秀でていることが必要である。そうでなければ、部下がついてこないからである。
部下が目標にできるようなものを持っていることが必須となるだろう。
小さな部署ではリーダーが身近になる分、なおさらである。

組織が大きくなると、その要素は少なくなり、多様な人員をまとめるためのマネージメント技術が必要になる。多様性に対応するのは、一人のリーダーでは限界もあるので、その多様性に応じられるような、仕組みづくりと中間管理職(リーダー)を置くことになる。

総勢50人を超えるような大学の麻酔科などでは、トップが一人ですべての人員を個別対応することは無理になる。したがって、何らかの仕組みづくりを行う、その仕組を動かすリーダーを作っていく必要があるのである。

これらの仕組みを創りだしておかないと、すべてが個別対応では、身がいくらあっても足りない。そして、そうした仕組みの方向性を間違わないようにリードしていくのがトップの仕事ともなるだろう。

大学の麻酔科をみていると、トップの人次第で、栄える医局があれば、崩壊する医局があり、
他人ごとではあるが、みていると非常に興味深い。個人的な人望がまるでなくても、仕組みづくりが機能しているので、崩壊を免れている大学もあれば、仕組みもないところで、もがいている医局もあり、崩壊が目前に迫っていながら、抜本策を打ち出さずに他の仕事にかまけているトップもおり、、、さまざまである。

いずれにしても、大学病院の主任教授や、大病院の麻酔科の科長たるや、自分の地位に甘んじることなく、組織のトップとして組織の人員のあるいみ運命も担っていることを強く自覚すべきなのだが、その自覚がない人が多く見受けられるのが非常に残念だ。

しかし、ひとつの朗報は、組織の大きな麻酔科は、それだけで、今は追い風が吹いていることである。これから、麻酔業務も大病院へとどんどんと集約化が進んでくる(はずだ)。一人二人の麻酔科医しかいないような病院での手術は、効率が悪すぎて、存続が難しくなり、まもなく消滅するだろう。

そうなると、中小病院にいた麻酔科医も自ずと、大病院に還流してくると見ている。
であれば、努力せずども、大病院の麻酔科は安泰となるか・・・というところだが、
それほど世の中は甘くもないのかもしれない。

大病院の麻酔科でもまだまだ苦労が続くのだろう。
傍で見ている限りでは、もどかしくも思えることが多いのだが、
大所帯の舵取りを任されている先生方におかれては、想像を絶する苦労もあることだろう。
どうかつくづく身体を悪くしないよう、しかし、組織の運命を担う
司令官として、 若い人達のためにもっと頑張っていただきたい。

私の元上司は、そういう意味では理想の上司であった。

私のいるような中小病院には、これからますます逆風が吹いてきて、今以上に麻酔科医を集めるのが、難しくなることだろうが、微力ながらも私も常に我が身を振り返り、亡くなった我が元上司に対しても恥ずかしくないような生き方ができればと思っている。





最近は、どこの病院も看護師の獲得には力を注いでいる。

それなりの労力と、お金をかけて集めて来た看護師も、これまでは、うちの病院では
離職率が20%を超えていたという。

これでは、まるでザルであって、募集に使ってきたお金のムダももちろんだが、
病院としての業務も滞り、看護のレベルアップ、病院の実力アップにも程遠かったことと思う。

ところで、数年前から病院の執行部が総入れ替えとなり、看護部長も外からベテランの方を招いた。看護師の募集にももちろん力をいれるが、離職率の低下にも力を注いだ結果、昨年は、5%程度の離職率になったそうだ。

しかし、ここにきて、私の職場である手術室の看護師が相当数辞めたがっているという。
もちろん、手術室は、病院のなかでは基準が引かれていないので、これまでもいつも充当が後回し、いつも、かつかつの人数で回し、パートさん、派遣さんに頼る率も高い。

緊急手術も多い当院としては、手術室看護師にかかる負担も半端ではなかった。

などなど、上げればきりがないほどの退職の理由はあるのだが、
ただ、これほど大量の人数が、しかも常勤の看護師でまだ入って1年に満たないものが
そろって辞めたいというのには理由があったようだ。
特定の医師からの言葉の暴力が原因と。

これは、これで、非常に原因としては、重大なので、ただちにあらためてもらうようにすることがまずは先決であるが、
私の目から見ると、それが根本の解決にはならないことが以前から感じられていた。
当の医師に限らず、外科系の医師からも、看護師のレベルの低さに相当のクレームがあり、
多かれ少なかれ、常に怒鳴られっぱなしの状態なのである。

つまり、指導者不在のなかで、いきなり現場に放り出されるので、特に慣れない新人たちが、
現場の荒波にいきなり曝されて、溺れている状態なのである。
それは、みていてもあまりにかわいそうであり、放置しがたい。

本来は、医師が関与せずとも、看護部の問題として優秀な指導のできる看護師をリクルート
することで解決できるのかもしれないが、我々医師としてもできることがあれば、協力しない手はないだろう。

ということで、麻酔業務に関するレクチャーを最近はじめることにした。
これまで、自分の部下たちを指導するのに精一杯であったが、
現状を見るに、少しは、職場の他職種にも目をむけていかないといけないと思っている。

少なくとも、麻酔業務、あるいは手術中の流れ、術中の管理についての理解を深めてもらうことで、すこしでも興味をもってもらい、また、仕事の上でも、よい協力体制ができればと思う。

これにより、看護師のスキルアップ、モチベーションのアップ、
仕事への誇りに結びつくのであれば、なによりの離職防止策にもなるだろう。
それは、病院全体の実力アップにつながり、病院全体の評判のアップにもつながるものと
信じている。

先日もレクチャーをやったが、ある看護師からは、「めちゃめちゃわかりやすくかったです」と好評を博した。果たして、これが彼らの実務にどれだけ役に立つか、あるいは、モチベーションのアップ、やめようと思う気持ちを変えさせることができるかは、まだ未知数であるが、ある程度の手応えを感じるのは確かだ。

こうなったら、看護師さんも巻き込んで、手術室の医療レベルアップと行きましょう。
目指せ日本一の病院!^^
(ちょっと話がでかすぎるかな)
最近、若手の心臓外科医を見ていて思うことがある。

時代の流れから、過酷な生活が当然のような心臓外科医であっても、
若手のドクターのなかには、やはり、自分の家庭や
私生活を優先するひとも多くなっているように思う。

また、下働きや雑用を嫌い(誰でもそうだろうが、それをあからさまに表に出す)、
自分が執刀させてもらわないと不平不満をすぐにぶちまける。

おまけに、自分の要求が通らないと思うや否や、すぐに職場をかえてしまう人もいる。

もちろんこれは、心臓外科医に限ったことだではないが、特に
複雑な技術の精度を高めていく必要のある技術者にとって、どれだけの時間を集中的に若い時代に自分の技術を伸ばすことに費やせるかで、伸びがきまるわけである。

そのあたりの認識がないのか、うまくなって一流の外科医になろうという自覚がないのか、
卒後10年も経っていても、技術的には初心者の域をでておらず、見ていて気の毒になるほどのひともいる。

心臓外科は、不幸なことに、今はまだ相当に供給過剰な分野である。
とくに、中年の外科医が腐るほどいるために、若い人までに手術が回ってこないのである。
しかも、そのために、集約化がすすんでおらず、あちこちの中小施設でもほそぼそと手術をしているのが現状である。

これは由々しき事態である。
過剰な中年の心臓外科医が引退していく今後10年、20年したのちに、
きちんとトレーニングを積んだ、若手が育っていないということになるからだ。

今の若手もそのようなわけで、症例が回ってこず、うまくなる機会もなく、
歳を取ってしまうわけだから、気の毒である。
その不幸に気づいた者は、遅ればせながら、他科に転向していくものも多いが、
気づかないまま(気づかせないまま)ずっと不幸を引きずるひともいる。
そうなると、非常に気の毒な運命をたどることになるのだが、本人はわからないかもしれず、
年取ってから、不満をぶちまけることになるのだろう。

それでも、数少ない施設では、若手にもどんどんと手術をやらせているところもある。
私の勤務する施設では、若手もどんどんと手術をさせているので、本当によく伸びている。
卒後7年で、かなりの手術をこなす医師もいる。
しかし、それには代償も必要だ。

見ていても、ほとんんど休みがない。
夜も昼も働き続けている。
ストイックを超えて、こちらが心配してしまうほどであるが、
それでも、本人たちは、幸せなのだという。
そうした過酷な生活をしながらも、手術への暴露時間が増えていいるわけで、
どんどんとうまくなる。

そうした若手は、今後10年したら、非常によいポジションにたてるのではないだろうか。
いや、ぜひともそうあって欲しいと、願っている。
実力社会は、先日の天皇陛下の手術でも明らかだ。

どうか、ストイックに頑張っている若手の心臓外科医に幸あれ。
また、そうした、よいトレーニングができる施設が、今後発展していってくれることを切に願う。
先月半ばに、心臓のバイパス手術を天皇陛下が受けられた。

幸い、経過は順調で、今週、来週にも退院されるとのことで、何よりである。

ところで、この天皇陛下の手術の執刀をされたのは、順天堂大学の天野教授。

これまで、天皇陛下の手術といえば、東大系の医師が担当していたのが常だったが、
今回ばかりは違ったようだ。

心カテを担当した私の同級生もその内情までは明かしてくれなかったが、
要は、東大の心臓外科には任せるわけには行かなかったということだろう。

循環器内科の医師は、患者を心臓外科に回しても、その後のフォローは自分たちが行うわけで、
その際に、術後のグラフトの開存率が低ければ、すぐにわかってしまう。
そうなると、あの心臓外科医には、手術は頼まない、ということになる。

おそらく、これまでにも、自分たちの患者はあまり、東大の心臓外科には紹介しなかったのだろう。
少なくとも、VIPは。。

というわけで、白羽の矢が立ったのが、ご近所順天堂の天野教授だったわけだ。

たまたま、私自身、年末に、手術の見学に訪れた際にも、快く迎えてもらえて、
朝から晩まで、手術を見学させてもらう機会を得た。

正直、カルチャーショックだった。

彼の手術は、決して速いわけではなかった。
しかし、ほとんどすべて手術を自分で行い、
しかも、そのすべての処置が、丁寧、繊細、完璧を極めている。

通常、うまくて速い、か、遅くて下手という基準で、外科医の稚拙を判断していた私としては、
このような極め方もあるのかと、恐れいったものだった。

決して、天才的な器用さに頼ることなく、確実、洗練された動きで、ひとつひとつ丁寧にこなしていく。まさに、安全を絵に書いたような手術だった。

なるほど、うちの心臓外科部長をして、「心臓外科医のナンバーワン」と言わしめるだけのことはある。

天野教授が天皇陛下の手術を担当されたことは、なんの不思議もなく、至極当然のことと思えた。

そして、今回の事件は、東大の心臓外科医、あるいは、東大の外科系の医師たちにも良い教訓となったことだろう。

外科医は、手術がうまくてなんぼである。

このことが、世に広く知られることになった、天皇陛下の手術は、私にとってもちょっとした事件であった。

普段から主張している、心臓外科の集約化がこれで、すこしでも進んでくれることを祈るばかりである。
昨日は、麻酔科として待機していたところ、夜中の2時に外科医から、虫垂炎の手術をさせてほしいと連絡があった。

ふだん、虫垂炎くらいでは夜中に連絡がこないよう、配慮しくれる外科ではあるが、よほどの理由があったのだろう。

なるほど、患者は腹痛で苦悶していた。

開けてみて、びっくり。お腹は完全に汚水にみちていて、虫垂も炎症でがっちりくっついていてなかなか剥がれない。よくここまでほっておいたものだ。というか放置された患者がかわいそう。

聞けば、地域の市民病院で、痛み止めだけ入れられて、帰らされていたとのこと。
確かに、抗生剤の進歩もあり、虫垂炎も内科疾患とも言えるかもしれないが、
ここまで穿孔して腹膜炎を起こしていると、手術なしでは厳しいだろう。

そのあたり、どのように考えているのだろうか。

これまでも、別件で、???と思うような患者の扱いしていることが多かった市民病院からの転送だっただけに、ちょっと怒りがこみ上げる。

自らのFBページにそこのことを書き込んだどころ、
さまざまな反響があったが、そのなかに、「後医は名医」という言葉と、
卒後教育の充実、地域のフィードバックをという冷静な意見もいただいた。

なるほどもっともなことだと思う。

これまで、他病院との競争が激しい地域だったので、相手が公立病院であろうと
ひどい医療を行なっている医療機関は淘汰されるべきとの信条を持っていたが、
たしかに、これから、医療資源が枯渇するなかでは、競争相手とばかり言っていられないかもしれない。

病院間でのフィードバックを強化し、地域の医療体制の質の向上をしていくという
前向きの姿勢も必要な時代だと認識を新たにした。
友人の指摘には非常に感謝している。

ところで、それは理性的な結論だが、個人の心情としては憤懣遣る方無いというのが実情だ。
なにせ、相手は公立の市民病院だ。税金をたっぷり投入されて赤字垂れ流しのゆるい経営をしていて、それでいいかんげんな医療をした尻拭いが、われわれ民間病院に回ってくるというのは筋違いも甚だしい。

やはり、怒りは収まらない。
最近、話題になっているロボット手術のダビンチについて思うことがある。

私の所属する病院にも導入されて、早何例かの手術がされている。
やはり、評判通り身体の深部の手術は圧倒的に視野がよく手術もやりやすそうだ。
これまでは、苦労して剥離していた前立腺が、簡単にどんどん剥離でき、
あっという間にとれてしまう。
それも周りの物にも3D画像がみられるようにもできるので、
麻酔をしながら、画像を見ていると、ついつい見とれてしまい、
麻酔を忘れてしまうほどだ。

下手な3D映画よりもよほど面白い。

術者の習熟度も早く高くなるようだ。

患者にしても、お腹に小さな穴が数個開くだけで、
これまでのような大きな傷がつかない分、痛みも少ないし、
故に、退院、社会復帰も早い。

いいことづくめのような手術であるが、
ひとつ大きな問題がある。

コストである。

まずダビンチの機械本体は、3億円。
そして、使用してもしなくても、メンテにかかるコストが月に150万円。
さらに、消耗品分(機械メーカーの意図的な消耗品とも言われているが)の
一回の手術あたりのコストが30万円くらいという。

機械のコストだけでも、うちのように月に4例しかやらない施設では、
一例あたりのコストは約、200万近くかかっていることになる。

これに、外科医が3人ほど、さらに麻酔科医、看護師、ME、機械メーカーの立会、
他もろもろの人手をかけているので、とても安い値段で手術が提供できるわけはない。

これを、現在は、大安売りで、15万だか、そこらで提供している。
4月以降は保険適応になるとのことだが、決して、医療機関側のコストは吸収できるような
点数はつくわけではないだろう。

完全赤字の手術。
そして、喜ぶのは、ロボットを作るアメリカのメーカー。

どうした!ロボット大国日本!
なぜ、こうした実用的なロボットを日本で作らないのか。。。
歯がゆいものがある。

このままでは、どんどん、日本の富がアメリカに流出していく。
そして、日本の医療機関は疲弊していく。
患者のためになるのが、唯一の救いか。

問題の多い医療だ。


先日以下のようなブログ記事があった。
medg.jp 
主旨は、症例数の少ない(年間100症例以下)の病院が日本の心臓外科では非常に多く、それが、レベルの向上を妨げているというもの。

当然ながら、心臓外科学会でもそうしたことは周知の事実で、集約化の議論もされている。
しかし、実際に集約化を行うとなると、仕事を失う心臓外科医が相当数でてくるので、自分たちから集約化を口にすることができないのが現実である。
内部つまり、心臓外科医たちの集団から自発的な動きとしてはありえないのである。 

そうした現実をもとに、粛々と、症例数の少ない病院で、拙い手術が行われているのが日本の現実である。

現実でも問題がないのであれば放置しておいてもよいだろう。
しかし、拙い技術で手術をされた結果、助かる命が助からず、またさまざまな合併症を生じた挙句に、余計な医療費がかかって、それが国民の負担となって跳ね返ってくるのだから、これは見過ごすことはできない。

しかも、心臓手術にかかる費用は半端ではない。通常のバイパス手術であれば、入院費用すべてあわせて300万円程度かもしれないが、人工弁を使う手術、人工血管を使う手術になると材料費がかかり、400万、500万にすぐに跳ね上がる。
手術がうまくいかず、合併症を起こせば、その倍にまでなることすらある。

では、こうした現実をどう変えていくのか。

外圧をかけてかえていくしかない。
すなわち、政治力あるいは、受療者である国民がきちんと意識をもって、
成績の悪い、あるいは、症例数の少ない病院では手術をうけないという行動をとることだ。
これにはマスコミの誠意ある対応も必要になる。
商業主義的な偏った意見ではなく、公正な立場で、医療機関、あるいは、医師を評価して、評判を作っていくのはマスコミの責任でもあろう。
よりよい医療を整備し、粗悪な医療を撤退させるのは、そうした受療者の行動でしかない。
実際に、韓国では心臓手術の集約化は口コミによって行われたと言われている。

日本にもできないことではないはずだ。

ただ、心臓外科を廃業した医師をうまく利用できる環境も構築する必要があるだろう。メスをすてた外科医が、地域医療に家庭医あるいは足りない分野の医師として貢献するのであれば、医師不足解消の有力な手段となることだろう。

すでに、医療の状況もまったなし。
高度医療をいまから集約化しないと10年後の医療は崩壊している可能性が高いかもしれない。
先日、厚労省と財務省の長い駆け引きの末に、ついに来年度の改訂において、診療報酬のわずかながらの引き上げと、薬価、材料費の引き下げが決定された。

これはこれで医師としては喜ぶべきことなのかもしれないが、どうも釈然としない。

詳細に、どの分野にどのような診療報酬の割り当てがされているのかが不明なので、
いまだコメントはしないほうがいいのかもしれないが、ひとつ言えることは、
手術点数を引き上げることで、確実に集約化が遅れるということだ。

日本の医療、特に高度な技術を必要とする心臓外科や脳外科を始めとする手術医療では、
相当数の症例をこなして初めて、技術を習得、向上、維持ができる。しかし、現在の日本の医療施設では、規模が小さい医療施設が多く乱立することで、その技術レベルを落としている。

一年間で、心臓手術を50もやらない施設では、そもそも、いろいろな道具が無駄になるばかりか、安全性も保証されない。そのような施設で手術をうけるのはまさに自殺行為でもある。

しかし、手術の保険点数(診療報酬)を上げることで、そうした非効率、安全でない施設も採算があってしまい、少数でも手術を行うことの経済合理性が成り立ってしまう。それにより、さらに少数乱立を招き、集約化から逆方向へと向かうことになる。

こと、医療施設の集約化には、診療報酬の引き上げは逆効果であることは間違いない。
そして、集約化が遅れれば、それだけ、非効率的な施設で、過重労働を強いられる勤務医が減らないことが厚労省はわからないのだろうか。

そもそも診療報酬を上げられるほど、財政に余裕がある国とはとても思えないが。
今年もあと数日で終わることになります。

本当に月日が経つのは早いものですが、
そのなかで、日々感じたこと、考えたことも
書き残して行かないと、そのまま過ぎてしまい、
自分の存在そのものも、世の中に何の役にも立たずに
終わってしまうかもしれません。

そんな思いから、今年は、自分の考えていることをまとめて
本を出版しました。


手術室からの警鐘 (最先端医療の現場から)/石黒 芳紀


本を出版してみて思うことは、

自分の考えも人に伝わってなんぼ、ということです。

本も多くの人に読んでもらい、共感してもらわなくては
意味がありません。

そんな思いから、ブログを通しても、
自分の考え、思いをいろいろと発信して
より多くの人に思いを共有していただければと思い、
ブログを始めることにしました。