医療ガバナンス学会のブログ記事を読んで | 手術室発、日本の医療へ

手術室発、日本の医療へ

毎日の麻酔業務におけるミクロなことから始まり、そこから浮かんでくるマクロな日本の医療全体についてまで、感じること、考えることを書き残していきます。専門的なことも書きますが、一般の方にも読んでいただければと思います。

先日以下のようなブログ記事があった。
medg.jp 
主旨は、症例数の少ない(年間100症例以下)の病院が日本の心臓外科では非常に多く、それが、レベルの向上を妨げているというもの。

当然ながら、心臓外科学会でもそうしたことは周知の事実で、集約化の議論もされている。
しかし、実際に集約化を行うとなると、仕事を失う心臓外科医が相当数でてくるので、自分たちから集約化を口にすることができないのが現実である。
内部つまり、心臓外科医たちの集団から自発的な動きとしてはありえないのである。 

そうした現実をもとに、粛々と、症例数の少ない病院で、拙い手術が行われているのが日本の現実である。

現実でも問題がないのであれば放置しておいてもよいだろう。
しかし、拙い技術で手術をされた結果、助かる命が助からず、またさまざまな合併症を生じた挙句に、余計な医療費がかかって、それが国民の負担となって跳ね返ってくるのだから、これは見過ごすことはできない。

しかも、心臓手術にかかる費用は半端ではない。通常のバイパス手術であれば、入院費用すべてあわせて300万円程度かもしれないが、人工弁を使う手術、人工血管を使う手術になると材料費がかかり、400万、500万にすぐに跳ね上がる。
手術がうまくいかず、合併症を起こせば、その倍にまでなることすらある。

では、こうした現実をどう変えていくのか。

外圧をかけてかえていくしかない。
すなわち、政治力あるいは、受療者である国民がきちんと意識をもって、
成績の悪い、あるいは、症例数の少ない病院では手術をうけないという行動をとることだ。
これにはマスコミの誠意ある対応も必要になる。
商業主義的な偏った意見ではなく、公正な立場で、医療機関、あるいは、医師を評価して、評判を作っていくのはマスコミの責任でもあろう。
よりよい医療を整備し、粗悪な医療を撤退させるのは、そうした受療者の行動でしかない。
実際に、韓国では心臓手術の集約化は口コミによって行われたと言われている。

日本にもできないことではないはずだ。

ただ、心臓外科を廃業した医師をうまく利用できる環境も構築する必要があるだろう。メスをすてた外科医が、地域医療に家庭医あるいは足りない分野の医師として貢献するのであれば、医師不足解消の有力な手段となることだろう。

すでに、医療の状況もまったなし。
高度医療をいまから集約化しないと10年後の医療は崩壊している可能性が高いかもしれない。