せめて月くらいの距離だったら良かったのに ~マルスのほほ咲み~
OPENのプレートが掲げられたドアが開くと、大ぶりのベルがカランカランと歓迎の音を響かせた。夕方前の店内には、食欲をそそる匂いが微かに香った。「いらっしゃいま……って、なんだアランさんか……ちぇっ」「おいおい、客商売ならそんなに露骨に期待外れって顔すんなよ。俺だって一応客だぜ?」「客だったら、ちゃんと注文してよね? どうせまた、いつもの通りお酒……」 カウンターの隅に陣取ったアランと呼ばれた男は、女店主が言い終わらぬ内に、悪びれる風もなく持ち込みの酒瓶をテーブルに乗せた。ラベルには年代物のアイリッシュウィスキの銘柄が書かれている。早速コルク状になったキャップを捻ると、キュポッと小気味良い音が店内に響いた。「流石まー姐、分かってんじゃん! そんじゃ、“いつもの通り”マイ・タンブラー頼むわ!」「はいはい……ちゃんと食べながら呑まないと身体おかしくなるよ?」 まー姐と呼ばれた女店主は、呆れたような諦めたような表情を作ると、肩をすくめながら奥のキッチンボードに向かった。他に店員と思しき姿はない。 そんな背中を見送ったアランは、食事を注文する気は端からないと言わんばかりに、タンブラーの到着を待たずに瓶に直接口を付け始めた。勢いよく嚥下した琥珀色の液体が喉を焼く。複雑な味わいや奥深いアロマを堪能できたとは到底思えないが、本人は至って満足そうに幸せな表情を浮かべた。「くぅぅ~~~っ! これこれ! 生きてるって実感するねぇ!」「ほんっと、アランさんの人生って単純って言うか、安上がりでいいよね」 CMのワンシーンと見紛うばかりの見事な感嘆の声と同時に、まー姐がタイミング良くタンブラーを差し出した。よくある形の平凡なグラスは、彼が自ら持ち込んだ私物ではない。元々店にあったものに油性ペンで「あらん」と書いただけのものだ。店主に無断で書かれたサインは見様によっては味わい深く見えなくもないのだろうが、残念ながらそんな稀代の客は未だ現れず、実質的に彼専用に成り果てている。 まー姐の皮肉の言葉も意に介さず、早速アランは鼻歌交じりにウィスキを注ぎ始めた。グラスに入った大きめの氷がカランと音を立てる。この店では名水を使った酒用の氷をわざわざ購入しているため、店としては完全に赤字の格好だ。 何とも図々しい客ではあるが、二人の息の合ったやり取りからは、長年連れ添ったようなどこか親密な空気を感じられた。 ここは、かつて「天牢のパーフェクトシェル」と謳われた伝説の守護騎士・まー姐が構えるこじんまりとした飲食店である。 今風に言えば「ダイニングバー」となるが、料理の方については今一つジャンルがはっきりしない。敢えていうなら「各国料理」とでもなるだろうか。名物は山賊焼きならぬ「山賊討伐焼き」――槍に突き刺した肉塊を僅かな香辛料で炙っただけの豪胆な料理である。 店の内装も特徴的だ。エスニック調の調度品であったり、侘び寂びを意識した小物があったり、壮麗な西洋風シャンデリアがあったりと一切の統一感がない。 極めつけはメニューである。観光都市に見られるように複数の言語でメニューが書かれているが、異様なほど言語数が多い上、中にはどう見ても黒魔術的な不吉な記号にしか見えないものまである。「ほら、これでも食べながら呑みなよ。私特性の貝柱の燻製。どんなお酒にも合うと思うよ」 眉間に皺を寄せてメニューと睨めっこをしていたアランに、まー姐がさり気なく酒の肴を差し出した。この店のメニューには魚介類が極端に少ない。この貝柱の燻製もいわゆる裏メニューだ。 本人はその理由を決して明らかにしないが、かつて王国直轄の守護騎士として共に剣を取った仲であるアランには心当たりがある。あれは「エピロス島」を訪れた夏だったか。滑った身体をテカらせた半魚人型のモンスターと遭遇した時、まー姐は別人になったように取り乱し少女のように震えていた。恐らく魚類系全般を生理的に受け付けないのだろう。「ふ~ん、貝柱ねぇ……」 摘まんだ貝柱を口に放り込みながら、壁面にずらっと並んだ写真に視線を巡らすアラン。 遠目には水着のグラビアポスタに見えなくもないが、よく見ると違和感に気付く。天然の貝殻に紐を通しただけの水着を身に着け、羞恥心の欠片もなくポーズを決めるモデルは、何れもまー姐本人だ。口中に広がる香ばしい燻製の風味に、苦いものが混じったのは気のせいか? 写真の下には撮影日と思われる日付がある。毎年撮っていたのか年代順に並ぶ写真は、数年前で途切れていた。それは、丁度まー姐が騎士を引退した時期と重なる。不意に「パーフェクトシェル」の異名が貝殻ビキニ――枯れた花を揶揄する「咲殼」の蔑称でもある事を思い出した。「貝殻ビキニ、もう着てねぇの? あれ、毎年楽しみにしてたんだけど。酒の肴にもピッタリだったのにな」「さすがにこの歳になったら、あれはもうちょっと無理だよ。ってゆ~か、酒の肴ってちょっとエッチな響きじゃない? 歳とか関係なく女性に下ネタは厳禁だよ! まぁ、アランさんに言っても無駄だと思うけど」「いや、そういう意味じゃなくって、どっちかっていうと宴会の一発芸的なヤツなんだけど……『まー姐100%』的な……」 聞こえないようにそっぽを向いてボソボソと言った後、チラとまー姐に視線を戻すと、両手を頭の後ろに回しておもむろに髪をアップに纏め始めた背中が目に入った。貝殻ビキニは無理と言いつつ、今身に纏っている衣類は若干紐の幅が広くなった程度のもので、露出度という意味では大差ない。大きめのエプロンを付けていなければ、碌でもない異名の復活は避け難いところだろう。いや、見る角度によっては「裸プロン」に見えなくもない事を考えれば、既に手遅れの可能性も十分ある。 心中そんな事を思いながらも、髪留め紐を口に咥え白いうなじを見せるまー姐を眺めていると「あれはあれでありだな」と年甲斐もなくドキッとした。「ん? なんか言ったぁ~?」 髪を纏め終えて振り向くまー姐。思わず声が漏れていた事に気付いたアランが、慌てて取り繕うように会話を繋げる。「い、いや、別に!……ところでさ、店の方は順調なの?」「う~ん、ぼちぼち。何とか潰さずに済んでるって感じかな?」「この辺って観光客が来るようなところでもねぇし、街とのアクセスも不便だから店やるには条件良くないでしょ? 常連がいるような感じでもないし……」 そう言って狭い店内を見回す。全ての席が空席であり、今のところ客はアラン一人のみである。無論、彼を客としてカウントできればの話であるが。 だが、この客入りだけから店を評価するのは酷というものだろう。ここが城下町から遠く離れた山の麓である事を考えれば、寧ろ当然の結果とも言える。「一見さんとかブラっと来てくれると話してて楽しいよ。訳ありの人も多いし、ちょっと変わった客も来るから、取り敢えず私自身楽しみながらやってるよ」「変わった客ねぇ。この辺って中立地帯になるよな? これ……あの国の文字だろ?」「さすが……よく知ってるねぇ」 アランが指し示したメニューの文字は、今も尚戦争状態が続く隣国の文字だった。 まー姐は騎士としての力がピークの時に引退した。 恐らく、繰り返される隣国との戦争に対して消化できない思いが積もり積もって、引退という結論に至ったのだろう。もやもやした気持ちを胸に日々闘える程器用な人間ではない事を、アランは良く知っていた。 そんなまー姐が片田舎で店を開いたという噂は直ぐに耳に入った。「客を選ばない万人に対して平等にサービスを提供する店」……この統一感のない装飾や多言語対応の全てが、その噂が正しい事を裏付けていた。先ほどの不気味な記号の文字、あれも友好的であればモンスターだってウェルカムだっていう意思表示なんだろう。無論半魚人は除外されると思うが。 ここが山の麓である事も思い出し、実にまー姐らしいと自然と笑みが漏れた時、ベルの音が軽やかに響いた。二人が同時にドアの方を向く。 入ってきたのは、5~6歳くらいに見える少年だった。* * *「おばちゃん、ここ、ご飯食べれるの?」「坊主。ここは酒を呑む場所だ。残念ながらお子ちゃまに出すミルクはないぞ」「ちょっとアランさん、そういう事言わない!……ボク、6歳くらいかな? 大体のものは作れるよ。魚介類以外なら。何がいい? あ、後、おばちゃんじゃなくてお姉さんね、お姉さん!」 何処にも見当たらないお姉さんの姿でも探しているのか、キョロキョロしながら6歳と答えた少年はオムライスを注文した。 若干の抗議の表情を浮かべながらも、「少々お待ちを」と答えたまー姐が慣れた手つきで料理を始める。手際の良さは流石のものだ。相手が少年でも卵の火の入れ方の好みまで確認するあたり、料理の世界でも職人気質を発揮しているんだなと感心する。少年の目の前でレアに仕上げた卵をナイフで切り開くと、半熟の卵黄が蕩けて湯気が立つ。仕上げにケチャップで器用にハートを描くと、どうぞと差し出した。「6歳の小僧にレアは早い、レアは」と毒づくアランを無視して、少年はがっつくように食べ始めた。「ボク、小さいのに一人で偉いねぇ」「偉くなんかないよ。今日、運動会だったんだ。でも、帰ったら怒られるから一人で来ただけ」「何だ小僧? 陸上部のエースをダブルエントリさせるために、担任を買収してサボりに目を瞑ってもらったのがバレたのか?……って、そりゃ高校時代のワシか?」 そう言って舌を出すアランに、少年がムキになって言い返す。「そんな事しないよ! ボク、頑張って走ったもん!……走ったんだけど、でも、ビリになっちゃったから……」「ビリでも一生懸命頑張ったんでしょ? 結果ってのは必ず付いてくるものじゃないけど、努力は嘘を付いたりしない。きっとお家の人も怒ったりしないでしょ?」「ううん。ボク、運動だけじゃなくて勉強も苦手だから、みんなにバカにされてるんだ。お母さんだってきっと恥ずかしいって思ってるよ」 不貞腐れたように黙々とオムライスを口に運ぶ少年。困った顔をするまー姐。そんな二人を前にチビリとグラスに口を付けたアランが口を開く。「まぁ、順位を付けるってのは、必ず1位とビリが生まれるって事だからな。ゆとり教育ってのが持てはやされた事があったろ? あの時期、手繋いでみんな仲良く一等賞みたいな運動会があったけど、結果的にそういう教育が逆に思いやりに欠ける人間を育てたって結論も出てる。まぁ、当然だよな? みんな一位ならボトルネックに合わせる事になる。暗黙的に皆が平等で皆が同様の可能性を持っている事が前提になると、そのボトルネックの奴は努力が足りなかったと見なされる訳だ。だからまぁ、優劣を付ける事自体の是非は一概には言えねぇわな。少なくとも平等の意味を熟考する必要はある」 食べる手を止めた少年が、ポカーンと目を丸くする。「ちょっとアランさん! そんな風に言っても分かる訳ないじゃない!」「ん、そうか? つまり学校ってのは、結論ありきの共通価値観を生徒全員が受け入れる事を前提にプログラムされてる。そのシステム自体にあーだこーだ言ったところでそれは通じない。それどころか、プラトンが共和国から詩人を追放したってのと同じ現象が起こるだろうな。共同体的アイデンティティを危機に晒す存在――詩人を積極的に排除する事で、独我論的秩序を維持するのが学校って装置だからだ。それに対してできる事って言ったら、王は奴隷の奴隷だって自分を慰めるくらいか?」「だ・か・らっ! それじゃダメなんだって!」 そう言ってカウンターを回ってきたまー姐は、少年の前でしゃがんで両手を握った。「いい、ボク? 学校の勉強も大事だけど、点数とか順位にされるものが全てじゃない。寧ろ点数にできるものは、点さえ取れれば誰にでも同じようにできる事なの。だからお姉さんは、ホントに大事なものは他にあるって思うよ」「でも、勉強ができないのは、やっぱりボクがダメだからだよね? 勉強ができないとダメだって大人の人はみんな言うし」「間違っちゃいないが、それは二重の意味で大人の理屈でもあるな。いいか? 学習成果ってのはインプットとアウトプットの相関関数で表現できるんだ。で、インプットには大別して教育機関という資源の他に……」 まー姐が現役時代を思い出させる鋭い眼光でキッとアランを睨む。ヤベっという顔で言葉を飲み込むアラン。キョトンとした表情で二人の顔を交互に見る少年に、まー姐が語り掛ける。「学校の順位は人間としての順位と同じじゃないんだよ? 勉強と運動がダメでも、絵や歌が上手な子もいる。それをどっちが偉いなんて誰にも決められないでしょ? それが心の優しさなんてなったら尚更。ほら見てよ」 そう言ってまー姐は、店内の雑多なインテリアを紹介するように腕を広げた。「ここには色んな国から集まった物があるけど、好き嫌いはあってもどれが1番なんてないの。このメニューの言葉も同じだし、学校の勉強も同じじゃないかな?」「じゃあ、絵とか歌が上手になれば勉強しなくてもいいんだ?」期待するような目で聞く少年。「坊主が何かの天才ならそれでも構わんが、自分の適性が分からない内は可能性を潰すような事はオススメできないな」 一瞬考えるように天井を眺めたアランが、まー姐の咳払いがない事を横目で確かめてから続ける。「例えば数学なんてのも四則演算が使えれば日常生活に不便はない。高度な金融工学の恩恵に預かっていても、微積分は昔学校で習って以来すっかり忘れたって奴も多いだろう。だが、実際に微積分はある。そして現実にはそれを知るか知らないかの二択しかない。知らないものに微積分を金融に応用するなんてできっこない訳だ。量子論の波動関数やトンネル効果を現実感覚と一致しないと拒否すれば、量子コンピュータなんて発展も有り得ないってのと一緒だな。今となっちゃ量子コンピュータを空想の産物って非難する奴はいないけど、量子論ってそもそも何って奴はいっぱいいるだろ? 可能性ってのはそういう事だ。分かるな?」 話を聞き終えたまー姐が「このおじちゃん見てると、分からなくてもいい事がいっぱいあるって分かるでしょ?」と真顔で言うと、少年は「うん!」と大きく頷いた。「おいおい、そりゃねーぜ! まぁ、もっと分かり易く言うなら、そこに貝殻ビキニの写真並んでるだろ? 勉強なんてのも案外そんなもん。大して違わない写真を比較して優劣付けてるだけかもな。ここに“本物”のグラビアポスタでも持ってくれば、二人は比較対象じゃなくジャンル違いだって直ぐ分かるってもんだ」「あー! それは分かり易いかも!」と少年。「がーん! 子供の一言は何気にショックなんだけど」とリアルに項垂れるまー姐。「ともかく! お姉さんはね、勉強以上に点数を付けられないものも大事だって思ってるの。それは優しい心だったり、頑張って努力できる力だったり。ありきたりの言葉だって思うかも知れないけど、同じ点数ならみんなが同じ答えになる中で、個性ってやっぱりこういうところに出るのかなって思えて」「それならボクも、ビリだったけど一生懸命頑張ったよって、胸張ってお母さんに言っていいのかな?」「言っていいんだよ。そういう素直で純朴なところとか、点数や順位じゃ分からない本当の個性を一番見ているのがお母さんなんだと思う。だからきっと怒ったりしないよ」 オムライスを食べ終えた少年は「ちょっとスッキリした」と笑顔で言った。ついでに「なんか全部どーにでもなるような気もしてきた」と付け加えられると、まー姐とアランは顔を見合わせて苦笑した。「お姉さん、ごちそうさま! あの、お代はいくらですか?」「お、お姉さん!? そ、そうだね……今回はお代はいいよ、お姉さんの奢り! その代わり、今度はお母さんと一緒に来てね!」「うん! 絶対また来るからね、約束! ありがとう、お姉さん!」 ドアを開けて駆け足で家まで帰る少年。時折振り向き手を振る姿を、二人は見えなくなるまで見送った。 店内に戻りながら、ふぅ~と大きく息をつくまー姐。「子供ってホントはこのインテリアみたいに比較できない個性に溢れてるのに、目に見える成果と効率を重視する社会が、杓子定規に用意された型にはまる事を強制するんだよね。最近の子供も大変だわ」「確かにな……つか、さっきのお代はいいってのは何だ? 一体どんな商売してんだよ!」 まー姐を突っつき、部外者ながら文句を言いたげなアランを遮るように、再びドアのベルが響いた。 そこには思春期くらいの年頃だろうか、腕に包帯を巻いた少女が立っていた。* * *「こんばんは、お嬢ちゃん。今日はご飯食べに来たのかな?お好きな席にどうぞ」「つか、さっきから何だ? いつから託児所まで始めたんだよ!」 入り口でたったままの少女は、そんな二人のやり取りを俯いたまま聞いていたが、やがて意を決したように顔を上げた。「あの……私なんかやっぱりいない方がいいんでしょうか?」「おいおい、唐突だな嬢ちゃん! ここは託児所じゃなけりゃお悩み相談室でもないんだぜ?」おどけた調子のアラン。「アランさん、いいの。でもまぁ確かに、ちょっと……唐突かな? ねぇ、もうちょっとお話聞かせてくれる?」「おばさんとお話して元気になった人がいっぱいいるって聞いたの。だから私も来てみたんだけど、やっぱりお金とかいっぱいないとダメでしょうか?」「あぁ、そういう事……大丈夫、お金なんていらないよ。さぁ、こっちへいらっしゃい。何か食べたいものある? あ、後、おばさんじゃなくてお姉さんね、お姉さん!」 おばさんはともかく、来店経緯には満更でもない様子のまー姐に促されて、カウンターにちょこんと腰掛けた少女が律儀な事にアランにも会釈する。さり気ない所作に育ちの良さが現れている印象だ。 改めて「何かつくる?」と聞かれ「ローストビーフありますか?」と答える少女。ちょうどいい塩梅なのがあると、冷蔵庫から取り出した塊肉を手早くカットして皿に盛り付けるまー姐。横目で見ていたアランが「ガキにローストビーフは早え。ハンバーグでも食ってろ」と毒づくが「よかったら一緒にどうですか?」と皿を出されると途端に表情が緩んだ。「割り勘だからな」と現金に言うアランに「私が頼んだので、私が払います」と返す少女。それを見たまー姐は、例の諦めたような表情で心底残念そうに頭を振った。「で、さっきのはどういう意味かな? いない方がいいっていうのは?」まー姐が切り出す。「実は私……交通事故で怪我をしたんです」 来店時から右腕の包帯に気付いていた二人は、重い話を予感しながらも取り敢えず「それは大変だったね」と無難に声を掛ける。「随分大きな怪我に見えるけど、もう大丈夫なの?」「この前、お医者さんが言ってたのを聞いちゃったんです……障害が残るかもしれないって……だから私、すごく不安で」「そいつは無責任に大丈夫だなんて言えねぇし、実際苦労もするかもしれねぇな。勇気を持って受け入れるってのも、言う程簡単じゃないのも分かる。けど、だからって自分がいなくなってもいいってのは飛躍しすぎだろ?」言葉を選びながら返すアラン。「違うんです。私の事はどうでもいいんです。でも……お母さんの人生の邪魔になっちゃうのだけは嫌なんです」「え?」思わず聞き返す二人。「あ、勿論自分の事もちょっとは不安だし、結果的にお母さんに嫌われちゃうかもってそういう怖さもないって言ったら嘘になります。でも……やっぱりそれ以上に、私のせいでお母さんが不幸になっちゃうかもしれない……それが本当に心配なんです」 思いがけない少女の言葉に驚く二人。 年端のいかない子供が障害を抱える事になるかもしれない我が身よりも、親の幸せを心配している。瞳に薄っすらと涙を浮かべる少女に、中身はともかく多弁だけが取り柄のアランも掛ける言葉に迷っている様子だ。「ねぇ、アランさん? なんて言ってあげればいいのかな? ねぇ、聞いてる?」 まー姐が声をひそめて話しかけるが反応がない。怪訝に思い軽く肩を揺すると、崩れ落ちるようにテーブルに突っ伏しそのままいびきをかき始めた。つい先程まで喋っていた姿を見ていれば、狸寝入りと思うのが自然だろう。だが、限界を越えて酒を呑み続け、気が付いたら一瞬で眠りこけている……そんな様子を幾度となく見てきたまー姐は、一度こうなると簡単には起きない事も知っていた。 本日何度目かの呆れ顔で溜息をついたまー姐は、改めて少女と一人向き合った。「ねぇ、子供のいない共働きの世帯がお金の面では一番有利って言われてるの知ってるかな?DINKSって書いてディンクスって読むんだけど」「いいえ。初めて聞きました」「じゃあ、お金があれば幸せになれるって思う?」 敢えて迂遠な話題から入ってきたまー姐を推し量っているのだろうか。「ん~」と考えるような仕草で人差し指を口に当てる少女。「幸せの実現にお金は重要ですよね。でも、お金では買えない幸せもあるんじゃないかと思います」教科書的な模範解答に頷くまー姐。「そうだね。子供のいる世帯の多くも同じ事を思っているようで、DINKSには絶対得られないものとして、子育てを通した親自身の成長とか、子供だけが与えられる幸福があるって言うのね」「実際はどうなんですか?」「子供がいる事で授かれる幸せを考慮しても、結局DINKSの方が幸福度が大きいって言う学者さんもいるの。何だかんだでお金は大きいって事ね。実際、DINKSは何かと非難されるけど、社会貢献云々言いながらも何だかんだで嫉みにも似た感情論に因るところが大きいし」「じゃあやっぱり、私なんかいない方がお母さんたちは幸せなんですよね……」 そう言って腕の包帯に目を落とす少女。生活への支障に加え、医療費の経済的負担も大きいと知ってか、その表情に深刻さが増したように見える。「違う違う。そういう事じゃないの。今のお話は怪我とか関係なしに、子供がいる家庭全部に言える事なの」「結局お荷物でしかない子供が、親のためなんて思う事自体が間違ってるんでしょうか……」と目を伏せる少女。「ううん、私はそうは思わないよ。DINKSが有利である事も、子育てにお金がかかる事も知っていながら、それでも人は子を持ちたいと願う。子供を持たない事への引け目ってのもあるだろうけど、それこそ近所付き合いが希薄な集合住宅に住んじゃえば、昔ほどは気にならない筈だし」「確かにそうですね」私の家もマンションですしと頷く少女。「もしかしたら子供のいる家庭を築く事自体が、愛情確認の手段であるとか、当たり前で標準的な事だって思い込みもあるかもしれない。それでもお金に代えられない幸せはある。だってどんな人も子供だった時がある訳でしょ? 小さい頃に家族で過ごす幸せを経験するからこそ、いつか大人になった時に、自分も同じように子を持つ喜びを得たいと願う……そう思わせてくれる確かなものがある、私はそう信じてるんだ」 まー姐の確信に満ちた力強い言葉に、勇気付けられたような表情を見せる少女。「私でもお母さんに喜びをあげれると思いますか? 怪我のせいで自分一人でできない事も多いから、きっと迷惑をかけちゃうと思います。介護疲れって言葉ありますよね? いつかお母さんも疲れて邪魔だって思う時が来るかもしれません」「怪我してても元気でも、人は一人じゃ生きられないよ。だからみんな誰かに迷惑を掛けてる。ほら、この人見てみなよ?」 そう言って、傍らでいびきをかくアランを顎で示す。 だらしなく涎を垂らしながら「もう呑めねぇよ」とムニャムニャ寝言を言ったのが可笑しくて、二人でプッと噴き出した。「こんな人だけど、私はそんなに迷惑だとも思ってないんだよね」と優しい眼差しで言ったまー姐が、自分のショールをアランの肩にそっと掛ける。「そんな誰もがかける迷惑を、誰よりもいっぱい受け止められる人……それがやっぱりお母さんじゃないかな? それにね、子育てが大変だったから幸せじゃないってのは、ちょっと違うと思うな」「でも大変だって言う人は、決まってみんな疲れた表情で溜息ついたりしますよね?」 遠くを見るまー姐。人と人が争う事に疑問を持ち続けていたかつての自分を思い出しているのだろうか。「疲れてる時は苦労ばっかりが印象に残るんだよね。実際は嬉しい事もあった筈なのに。きっと今幸せな人だけが、大変な事もあったけどあの時は楽しかったって振り返れるんじゃないのかな。……ねぇ、瞬間的な幸福って即物的だと思えない? 美味しい物食べたり、お酒呑んだりとか」「食べ物は食べればなくなるし、酔いはいつか醒めますしね」 そう言って、酔い潰れたアランの脇の皿から、最後の一切れのローストビーフを摘まむ少女。目を覚ました時に、割り勘じゃなく4割にしろとか言い出すのではと苦笑いをするまー姐。「だから子供のせいで幸せじゃないって言う親がいたら、その人自身にも問題があると思うの。どんな状況であれ、まずは自分で自分の幸せを見つけなくちゃいけない。子供に依存する幸せが全てじゃないからね。さっき喜びを上げられるかって聞いたでしょ?」「はい……自分には何も上げられるものがないって思えて」と不安そうな少女。「実際は幸せって、そんな大げさなものじゃないんじゃないかな? 小さな喜びが程々にあれば、それだけであの頃は幸せだったっていつか思える時が来る。私はそう思うな」 例えどんなに小さくとも、その一つ一つが未来に続く確かな幸せの糧になる。 そう言ったまー姐は、少女の両頬を優しく摘まむと口角を上げるように持ち上げた。「親ってのはね、子供の幸せが一番幸せなの。だからお嬢ちゃんがいつも笑顔でいてくれたら、それはどんな大金にも代えられない喜びになるかもしれないよ」「そう……ですね! 他にあげられるものもないし、まずは笑顔の練習でもしてみます!」 まー姐が手を離した後も、口角を上げたままの少女の隣で、突然ムクッと身体を起こしたアラン。 「な、なにアランさん、起きてたの!?」とビクッと驚く二人を無視して、欠伸を噛み殺したアランは締まりのない顔のまま話し始めた。「俺、ちょっと思ったんだけどさ、もし自分の子供が障害を抱えて死にたいって言ったら、なんて声を掛けるべきか……」 珍しく真面目な調子のアランに、更に驚く二人。「恐らく、死にたいって気持ちを打ち消せる第三者の言葉なんてない。どれだけ説得の言葉を並べても、どんなに感情に訴えかけてもきっとダメだ。例え思い留まらせる事に成功しても、死にたいと思う気持ちは完全には消えない。だからこそ逆に、生きたいって思える事が重要になる。生きたいって持続的に思えるだけの喜びや幸福が絶対的に重要になる」 そう言って、少女の頭の上にポンと手を乗せる。「だから、嬢ちゃんが心の底から笑顔を見せるなら、親にとってそれに勝る幸せは絶対ない! 大体ガキが親の心配するなんざ100年早ぇんだよ。分かったら余計な事考えないで、嬉しい時は子供らしく元気に笑ってやりな!」ドヤ顔のアランの横で眉をひそめるまー姐。「ちょっとアランさん……それさっき私が言ったのと殆ど同じじゃん! 何かいいセリフ持ってこうとしてない!?」「嬢ちゃん……まー姐のセリフ、全部カットで頼む」 子供のようにポカポカ叩くまー姐とたじろぐアランを交互に見た少女は、屈託のないとびきりの笑顔で声を上げて笑った。「何かお母さんと話したくなってきちゃったので、私、そろそろ行きますね! お姉さん、お会計をお願いします」「お、お姉さん!? そ、そうだね……今回はお代はいいよ! その代わり、今度はお母さんと……」「おいおい! だからそれじゃ商売にならねぇだろ!」割り込むようにしゃしゃり出るアラン。「大丈夫。ちゃんとアランさんからは貰うから。割り勘だったでしょ? えっと……6,500Gになります」作った笑顔で爽やかに言うまー姐。「ま、待て! 割り勘じゃねぇ! 断じて割り勘なんかじゃねぇ! 嬢ちゃん、確か私が頼んだから私が払うって言ったよな? なぁ?」「私、そんな事言ってないです」クスッと笑いながら返す少女。「ちょ……おかしいだろっ! つか、割り勘で6,500Gって何だよ! ただのぼったくりバーじゃねぇか!」「ちょっと子供の前でみっともないよ、アランさん。観念して払っちゃいなよ、7,000G」「つか、何で増えてんだよ、このぼったくりババア!」と大声で喚くアラン。眉を上げて肩をすくめるまー姐。既に日も落ちた閑静な夜に、3人の笑い声だけがいつまでも響いた。* * *「そんじゃ、そろそろ俺も行くわ。まー姐の手料理、ホント美味かったよ! 今度来る時もまた頼むな!」「オッケー! 新作考えとくよ。あ、今度はもうちょっとマケてあげるから安心してね!」 「当たり前だ!」と玩具のようながま口財布を逆さまに振りながら、物悲しそうな顔でツッコむアラン。口の開いた財布から何も出てこないところを見ると本当に代金を払ったらしい。最も足りたかどうかは怪しいものだが。 少女を見送った後、暫く談笑に興じていたアランもお暇しようとドアを開けたところで、思い出したように足を止めた。「あ、そうそう。いつか言ってたよな? 胸の中の宝箱に全部しまったって。それ、今でもキラキラ輝いてるみたいで安心したよ。やっぱ、まー姐はまー姐。いつまで経っても何処で何してても、俺にとって本物の姉貴のような存在だよ!」 背中でそう言うと、上げた右手をブラブラ振りながら店を出た。 外に出ると、僅かな星明りだけが光源となる。山の夜に肌寒さを感じ、僅かに残ったウィスキを瓶ごと煽るついでに空を見上げた。澄んだ空気が距離感をはっきりさせるのか、漆黒の夜空はどこまでも遠い。眩暈がするような無数の星々は今にも降ってきそうだ。 この星たちは決して光の美しさを競っているわけではない。されど、その一つ一つが無条件に美しい。そして、この光を辿ったその先には、実態ある星が確かに存在している……そう思わせるに十分過ぎるほどの鮮やかさだった。「今日は火星がいつもより明るく見えるな……でも、どんなに明るくても、やっぱり火星は何処までも遠い。せめて、月くらいの距離だったら良かったのに……まぁ、どっちにしろ、手、届かねぇけど」 2018年夏、火星大接近という天体ショーの当日に、意図せず空を見上げたアラン。 「Mars」の音の響きにまー姐の笑顔を浮かべながら思い出す。「咲」という字は「笑」から来ており、古来「わらう」の意味しか持たなかったものが、「鳥鳴花咲」という慣用句の読み下しから、花が「さく」の意に転用されたと。 「火星」も「花の星」だったなら、まさにまー姐にピッタリだったのにな……『花は咲き、星は微笑む』 まだ店内にいるだろうまー姐のキラキラした笑顔が目に浮かぶ。 また逢いたくなるのをグッと堪えて、胸中一人ごちる。「もし俺が、この手をもっと伸ばしてたなら、あの時、彼女の笑顔に届いてたのかな?」 また無意識に声が漏れていた事に気付く。 その呟きは火星には届かなくとも、もしかしたらお月さまには聞かれていたかもしれない。一瞬過った想像に思わずクスっと笑いながら、今出たばかりの店を振り返った。 店前には、店内と同じく統一感のないオブジェが所狭しと並んでいる。たくさんの言語が書かれた立て看板は、オススメのメニューでも紹介しているのだろう。何やら色々書いてありながら結局何だか分からない有様に、金額と共に写真とか絵でも載せとけばそれで十分だろうにと思わずにいられない。でも、その拘りがまた彼女らしいのだろう。 そんな懐かしい気持ちを胸に、改めて入り口の上に掲げられた看板を見上げる。 そこには、まー姐の名を冠する店名が書かれていた。「欧陽婆婆(オーヤン・バーバー)」 ∧_∧ パーン( ・∀・) ⊂彡☆))Д´) <…って「欧陽爺爺」に引きずられただけじゃねぇか!?つか寧ろ、理髪店と間違えて入っちまうわっ!?<入らんわ(爆)※まーさんが家庭の事情もあって引退したという事実を、事後で耳にしました。結局最後に何も声を掛けられなかったとずっと気がかりだったので、今回やっさん休眠に便乗して勢いだけで執筆させていただきました;直接お話できませんが、どこかで繋がっていたらいいなと願うばかりです(;・∀・)こちらも画像アップのみが主目的で、当初頭にあった文章はごく短文。やっさんの物語と比較してボリューム感に差がつくとそれはそれで問題だよな?なんて思いながら、いざ書き始めたら実に3倍近い文量になっていたと(爆)まぁ、中身の質が比例していないあたりは、ある意味才能と諦めて下さいw#ちなみに当初構想では「病気がちな子」が2人目に登場する予定だったけど、紙面の都合で全面カット(´-ω-`;)ゞ##直前になって、やっぱりやっさんの方もバランス取るため加筆したので、同じくらいの量になりました(核爆)さてさて、まーさんがいつか言った「胸の宝箱に全部しまった」という言葉。ボクもまーさんに倣って、抱えきれないくらいの宝物を持ち帰ってきたつもりです。またいつの日か、互いの宝箱の蓋を開け、紅茶でも飲みながら思い出話に花を咲かせましょう!大丈夫!咲殻なんて、ボクが誰にも言わせませんので!(*''艸3`):;*。 プッ取り敢えず、火星が大接近する2018年7月31日にはティーカップを掲げます。夜なので、中身はアルコールにすり替わっている可能性が高いですがw※マーレンジャーの焼けた肌からの連想で、一応南国仕様という事でw※つか、エアコンが壊れてて暖房器具がなかったのでリアルに寒かった。二重の意味でwwwそうそう、お茶菓子はこちらで用意しておくので!私が左の『ガトーフェスタハラダ』を食べますので、まーさんは右の『森永ミルクキャラメル』と『白い風船』で頼んます!!( ‘д‘⊂彡☆))Д´) パーン(爆)つか、ガムじゃなくキャラメルなところに、私の優しさを感じ取って下さいヾノ´∇`)ムリムリ(笑)2016年4月まーさんランク100到達記念ナイトの記録by あらん ※英雄になる前<もういいw【関連】【イベント告知】新規入団者歓迎ナイト! [2016.3.30]https://ameblo.jp/layer-zer0/entry-12144875982.html※マーレンジャーの件はこちらまでw【関連】帰るべき場所であるように ~八海山からのギフト~https://ameblo.jp/layer-zer0/entry-12346107746.html※「欧陽爺爺(オーヤン・ジージー)」の件はこちらまでwww【参考】国立天文台 NAOJ|火星大接近2018https://www.nao.ac.jp/astro/feature/mars2018/