若ければ 道行き知らじ 賄はせむ 冥途の使 負いて通らせ
 
※年端もゆかない子供だからあの世への道も知らないだろう。贈り物は捧げよう。だから黄泉の国の使いよ、どうか我が子を負ぶって連れていってくれ。
 
(山上憶良『万葉集巻五・905』より)
 
 
親子の関係性を自然のものと見做すならば、それ以外の関係性は人為的という事になるだろうか。
家族という共同体は生活の核には成り得ても、それが全てにはならない。社会は重層的に成り立っている。共同体自体、決して根底ではない。
 
では、今この瞬間この時代において、基礎に成り得る共同体があるとすればそれはどのような形だろうか?
そして何を継承すべきだろうか?
 
行き過ぎた家族愛が外部の共同体を排撃する可能性がある反面、行き過ぎた個人主義が家族の絆でさえも形骸化させつつある現代において。
 
 
#現代の防人は何を歌い、何を護りたいと願うのだろう。
#気付けば自然の関係性さえも蔑ろにする自身がいる。
#反歌の意味さえ問わねばならぬのかもしれない。
 
 
 
【2017年9月28日のボクへ】
いつか過去となったボクに、何かを語れる日が来るその時まで……