22歳3月からの記録。
これまで約9か月分の日記を公開してきたところであるが、この習慣は実に約5年に及ぶ。その後プラットフォームをブログに移し、(技術系の専門コンテンツをメインに据えるようになるものの)更に2年強書き続ける事になる。
この先続く文章にざっと目を通して以前のものと比較すると、模索するように揺れ動いていた文体は一巡し、シリアスとコミカルの同居に落ち着いたようにも見える(苦笑)
後期の文章に至っては、文体の他、背景的な思考傾向についても今の自分から見ても違和感なく受け入れられるものだ。
その意味では、現在へと至る延長線として1本の線分で繋ぐ事ができると言えるが、敢えて特筆すべき傾向を挙げるなら、詩的な表現が多くみられる事にあるだろうか。
これは時が流れると共に今の自分からは失われつつあるもので、手前味噌ながら何度もハッとさせられた。
言葉とは、ある意味、共同的意識である。
話す側と聞く側で、想定としての共通意味を共有できて初めて意味が成立する。
ここで言う意味は、話す側が恣意的に制定できないという性質において、文字通り語る事で初めて立ち上がると言う事もできよう。
繰り返しになるが、ボクがこれまで語ってきた言葉は、それ自体に意味などない。
しかしボク自身においては、それを語るべき状況があり、そして語るべきでもあったのだろう。
そして、それがキミに届くかどうか?
それは、如何に時を隔てようとも、言葉にして文字に変え、伝えようとする思いを抱くと共に、同時に受け止める方も相応の覚悟を持つ…そんな両者の条件が成立しなければ、“確かめる”事さえできないものだとも思える。
そんな覚悟を持って跳躍する隔絶された空間…それこそが、キミとボクとの隙間だった、そういう事なのだろう。
最も、日記を綴っていた当時こんな事を考えていたのかと問われると、全く考えていない。今だからこそ可能になった完全なる後付けだ(爆)
さて、話を戻し、もう少し「詩」について書いてみよう。
詩人の描く世界は、社会の成熟度と密接な関係があると言われる。
哲学や政治が世界や社会を変え得るのに対し、“純粋な詩想”は外部の社会情勢そのものを直接の土台とする事が所以だろうか。
『さみだれや大河を前に家二軒』
同じ五月雨を読んだ句としては、俳聖と称された松尾芭蕉の『五月雨をあつめて早し最上川』が良く知られる。
だが、明治の世、当時最大の俳諧師として定着して久しい芭蕉の句を前に、正岡子規は与謝蕪村のこの句を高く評価した。曰く、技巧的な表現を排し、より絵画的であると。
正岡子規の時代が明治…初めて日本人が“国民国家”というものを手に入れ、帝国主義的激動に呑まれていった社会の中でなければ、現在歴史に残されたものとは異なる歌を詠んだのではないだろうか?
それは、明治時代に日本語における言文一致運動が高揚した事と、無縁でもないだろう。
後世、正岡子規は俳句・短歌の世界で革新運動を成し遂げたと評価されるが、それ以上に、芭蕉により完成されたとされ埋もれつつあった俳諧という文化に、スポットライトを当て直した功績が大きいとも思える。
だが、今でこそ正当な評価を得ているものの、当時の軍国主義の中では、その文学傾斜は非難の対象ともなっていた。
詩想が時代を背景にするという意味においては、時代が“プレモダン”となって初めて正当な評価が可能となるのだろう。
『清し世に 帰り去る間に 忍ぶ夏 誰がために鳴く 時鳥往く』
※清らかなあの世に旅立つ前に、また夏の気配が忍び寄ってきてしまった。あぁ、このホトトギスは何を思い誰のために鳴いているのだろう。
※虚子は、逝ってしまったあの人がこの世で返り咲くまで夏の終わりを偲ぶ。この涙は誰のためでもない、子規のため。
by 徘徊師 俺…(*''艸3`):;*。 プッ
一応解説すると、夏の到来を告げる「子規(ホトトギス)」と、夏の終わりに逝った「子規(正岡子規)」を掛けて、その思想を継いだ高浜虚子(清)をして、ホトトギスの「魂迎鳥」という異名を引き合…ry)
さて(笑)、当時は22歳。
ちなみに、正確に言うと既に23歳を迎えているのだが、普通に年齢更新すると誕生日が明らかとなるので、何となく満年齢の逆バージョン…若干サバを読み、切り捨てみたいな表記としている(爆)
当時の時勢と言えば、9.11米同時多発テロが発生した前後だ。
ちなみに、敢えて「前後」という意味不明な表現をしたのは、自称年齢不詳を公言する身として正確な年齢を特定されるのを嫌ったためだ。誤差として前後5年程度と解釈いただきたい(核爆)
そして現在はと言うと、テロとの戦いは続き、グローバリゼーションの加速、リーマン・ショックの発生、枢軸国アメリカの凋落と、歴史的視点から見ても“世界の構成”自体が変化するような大きなターニングポイントを迎えているように思える。
恐らく、現在という時を生きるこの瞬間が、プレモダンと呼ばれる時は近い。
それもきっと、ボク達がまだ余生を送っている時に、それは訪れるのだろう。
だが、22歳と23歳の“節目”も、プレモダンとポストモダンの“節目”も関係ない。
今に至る“連続した生”は、これまでも続き、これからも続く。
今という瞬間にどのように回想しようとも、この生を終えた暁に時代という波が如何様に回送しようとも。
ボクという存在を、歴史を構成する集合の一要素と見た場合は、その生はデノテーションであると同時にコノテーションでもある。
では、「個人と個人の連結の結果が歴史である」…そう解釈した場合にはどうであろう?
大局的に見れば同じだ。
だが、趣旨の通り徹底的に個をクローズアップすれば、また違った意味を見いだせる筈。
それは、時代の大局を事後決定するためだけの、後出しの価値…イミテーションなんかでは決してない。
自らの手で、自身を分断する階層を創り出す必要などない。
改葬による二度の埋葬など以ての外だ。
『キミとボクとの隙間にも』
これは今のボクが、過去のボクに贈る言葉。
この日記はまだまだ続く。
でも、もう大丈夫。
これ以上の言葉は不要だ。
だって、キミとボクとの間には、連続性を分断する何者も存在しない事を確かめられたから!
Tomorrows die out, one after another.
but you said "Hope... Tomorrow is better day!"
明日は今日となり、そして今日は昨日になる。
そして、今のボクは、何れ過去のボクへ。
今日という日を幸福に過ごせぬ者が、どうして明日という日が幸福であると言えるだろう?
だから、今日という日が昨日より良き日であるように、明日という日が今日より良き生であるように…
途絶える事なき季節の流転の中、今日という日、今この瞬間、連続した生の内に…
せめて、祈りを捧げよう!
※『不断の生滅を祈りに代えて』
Coming Soon...
【関連】キミとボクとの隙間にも(導入文)
※今のボクが形にする、過去の自分へ投げかける言葉。
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