ボクは犬である。名前はまだない。
 
どこで生まれたか頓と見当がつかぬが、ここがどんな世界か概ね知っているつもりなので、特に不都合は感じない。
ただ、名前がないのは何かと不便なので、取り敢えず「ドグ」と名乗りたいと思う。
 
そう。犬のドッグだ。
こう見えてボクはバウリンガルだから、英語は得意なんだ。えっへん!
 
え?何で小さい「ッ」がないのかって?
だって「ドッグ」が名前じゃ、他の犬と区別し難いだろう?それに小さい文字って漢文の捨て仮名みたいで、何となく捨て犬を連想しちゃうじゃない。
まぁ、どっちも実態なき名前ってとこは同じだから、「ドッグ」の方は意味充足されてる分だけアドバンテージはあるのかな?シニフィエとシニフィアンってやつね。
 
でもお生憎様。ボクがこれから語るのは「ホントの自分」を探す旅の物語。
「ドッグ」という名で呼ばれて充たされる程度なら、最初から自分なんて探さない。他の犬との区別がないドッグ…犬全般でオッケーさ!今はね。
 
だけどこうやって考えてる時点で、積極的差異に気付いちゃってるとも言えるんだよね。
ボクはドッグの外部に立っている。そして、ボクはボクの固有の名前を求め、同時に固有の名前は空白のシニフィエが満たされる事を欲する。
 
だからそれが見つかるまでは、今は小さい「ッ」のない「ドグ」でいいんだ!
 
 

 
ボクはバスに乗った。
 
「ホントの自分」が何処で見つかるかなんて分からないけど、取り敢えず「旅」と言ったからにはいつまでも住み慣れたここに留まっているわけにもいかない。行く当てはないけど、まずは「都会の街」に出てみようと思う。何でもある都会なら「ホントの自分」も見つかるかもしれないしね。バスやら電車やら幾つも乗り継がないといけないのがちょっと面倒だけど。
 
そうしていると、寂れたバス停で一人の男が乗り込んできた。
その男はサラッと車内に視線を巡らすと、迷わずボクの隣に座った。どの席も人が腰掛けていたので、小柄なボクの隣を選んだんだろう。
ちょっと太ったその男は、カーブの度に身体を押しつけてきてちょっと窮屈な思いをしたけど、それ以上にボクの気を滅入らせたのは、時折つく深いため息と陰気な表情だった。
周りの人も街に出てショッピングでも楽しむつもりだろうか。控えめな談笑の声の中にあって、ここだけが別の世界みたいに感じられた。まるで黄泉への道案内。いけないいけない、縁起でもない。
 
全ての絶望を一人背負ったような顔をするのは勝手だけど、ボクを巻き込まないでよね?
そう言いたいところだけど、そう言うわけにもいかない。一応自称「癒し系」だからね。時々こちらに視線を飛ばすその男もホントはボクに癒されたいんだ、そう思う事にして無難に声を掛けてみた。
 
 
「お兄さんも、これから街に行くの?冬休みの時期だから、セール品の売れ残り目当ての人がいっぱいいそうだよね?」
 
「ああ…これは街に行くバスなんだね…特に行く当てもなく乗り込んだから気が付かなかったよ…目的もないけど、取り敢えず何処か遠くに行きたいかな?誰もボクを知らないような、遠いところに…」
 
「お兄さんも行く当てがないんだ。じゃあボクと一緒だね!ボクはホントの自分って奴を探して旅してるんだ。まだ始まったばっかりだけどね!」
 
「キミもそうなんだ。実はボクもそうなんだ。なんか自分が空っぽな空洞にでもなったようで。」
 
「ボクは元々空っぽだからホントの自分を探そうと思ったけど、お兄さんは元々あった何かが空っぽに変わったんだね。旅は道連れ。よかったらお話聞きますよ?こう見えてボク、癒し系のバウリンガルだからね。えっへん!」
 
* * *
 
そうして男は訥々と語り始めた。
 
将来を誓い合った恋人がいた事。彼女と過ごした毎日が男を満たした事。彼女の存在が自分の全てになるくらいに大きく膨らんだ事。ある日突然彼女が何も告げずに消えた事。もしかしたら全てが嘘だったんじゃないかと思えた事。そうして男の中にあった全てがなくなり空っぽになった事。絶望のどん底に落ちて、自分を消すような気持ちで、衝動的に見知らぬ何処かに行きたくなった事。
 
そんな男に向けて、ボクは話した。いっぱい話した。
その内、男は気付かなかったものが突然見えたように、ちょっと目を大きく開いた。
 
* * *
 
「ね!お兄さんは空っぽなんかじゃないよ。大切な人と過ごした毎日が全部嘘ならそれはなかった事と同じ事。でも、お兄さんはそれが本物だって信じてるからこそ、こんなに悩んでるんだよね?だったらそれはなかった事になんてならないよ。素敵な日々の記憶はちゃんとある。それはプラスになる事はあっても、絶対マイナスなんかにならないでしょ?だから空っぽなんかじゃない。」
 
人は人の気持ちを真に知る事はできない。それは犬のボクも同じだ。
疑う事もある。傷つく事もある。そして全部忘れようとしたり、自分をマイナスにするものとして消し去ろうとする。
 
だけど、素敵な思いでは素敵な思い出。確かにそれは存在する。
だから、その思い出も消しちゃう事はないんじゃないかな?
 
そうしてボクは、男の心にそっと栞を挟んだ。いつでもキラキラと輝く気持ちを思い出せるように。
男の陰気な表情が、少し明るく見えたのは気のせいかな?
 
 

 
ボクは電車に乗り換えるためにバスを降りた。
 
ここから駅まではちょっと歩く。バスで駅まで行く事もできるけど、乗り継ぎの待ち時間が勿体ないから歩く事にした。ちょっとした気紛れだけど、そうして出逢う新しい風景が「ホントの自分」探しのヒントになるかもしれないしね?
 
そうして細い路地を歩いていると、申し訳程度に取って付けたような小さな公園が見えた。住宅街なのにあんまり人がいないなぁなんて思っていると、すべり台の階段のところに腰掛けている子供の姿が目に入った。遠目でも泣いているのが分かる。
 
お母さんに怒られて逃げるように公園に来たか、友達と喧嘩して独りになった、そんなところかな?
どっちにしろ、一人になって考える時間も教育上大切だ。それにボクはバスの待ち時間が惜しくて歩いてるんだ。積極的にお節介を焼く必要はない。
そう言いたいところだけど、そういうわけにもいかないよね。一応ボクは「優しい」事が売りなんだ。一人で解決できない悲しみに暮れている可能性があるなら、誰かが手を差し伸べる事も必要だ。そう思って声を掛ける事にした。
 
 
「ねぇキミ、何か辛い事でもあったのかな?」
 
「………」
 
「うん、喋りたくなければ喋んなくてもいいんだよ。話す気分になれない時もあれば、人に言い難い事だってあるもんね。でも独りでいたら余計寂しくなるでしょ?ボク、バスの待ち時間まで時間があるから暫くここにいるよ。あ!そのミニカー、カッコいいね!」
 
「…うん…でも、大事にしてたんだけど壊れちゃったんだ…だからスゴク悲しくて…」
 
「じゃあ、新しいミニカー買ってあげようか?あんまり高いのは買えないけど。こう見えてボク、癒し系で優しいバウリンガルだから、ミニカー買ってあげるくらいのお金ならあるんだ!えっへん!」
 
「新しいのなんていらないよ!ボクはこのミニカーがいいんだ!お婆ちゃんが買ってくれたこのミニカーが…」
 
* * *
 
そうして子供は訥々と語り始めた。
 
お父さんとお母さんは共働きで忙しい事。いつも家の中で独りで遊んでホントは寂しい事。足の悪い田舎のお婆ちゃんが年に1回くらい遊びに来る事。その時にミニカーを買ってもらった事。赤いスポーツカーが大好きな事。毎日ミニカーで遊んで楽しかった事。お婆ちゃんが大好きだって事。そのお婆ちゃんが今年は来なかった事。親戚のおじちゃん達が黒い服を着て集まってた事。来年もその次の年もお婆ちゃんは来れないって言われた事。
 
そんな子供に向けて、ボクは話した。いっぱい話した。
その内、子供は初めて自分がホントに好きだったものに気付いたように、小さな涙目を上げてボクを見た。
 
* * *
 
「要するにキミが好きだったのはミニカーじゃなくって、お婆ちゃんがくれたミニカー。つまりはホントに好きなのはお婆ちゃんって事だよね。じゃあ、キミがお婆ちゃんを好きって気持ちは何処にあるのかな?ミニカーの中?違うよね。お婆ちゃんがキミにミニカーを買ってくれた時の気持ちは?それもミニカーの中じゃないよね。
モノっていうのは形を変えていつか無くなる。壊れたミニカーもいつかはなくなる。その時にキミとお婆ちゃんの気持ちもどっかに行っちゃうのかな?この世界からキミとお婆ちゃんの気持ちも消えて無くなっちゃうのかな?違うよね。その気持ちは、決してなくなったりしないんだよ。」
 
気持ちっていうのは目に見えない。だから忘れそうになる時もある。
だけど、モノに宿るんじゃなく形のないものだからこそ、いつまでも壊さずにとっておく事もできる。
キミはお婆ちゃんを大好きだった気持ちを忘れたりしないでしょ?それはちゃんとここにある。だから大丈夫!
 
そう言ってボクは子供の胸をポンと叩き、その心にそっと栞を挟んだ。いつでもポカポカ温かい気持ちを思い出せるように。
子供の悲しそうな表情が、少し明るく見えたのは気のせいかな?
 
 

 
それからボクは再び駅に向けて歩き出し、電車に乗った。
電車を何度か乗り継いで、時々綺麗な景観に誘われるようにフラフラっと心のなすがままに見知らぬ土地を歩いて、ちょっぴり休憩を取ったりしながら、都会の街に向かって進んだ。
 
この後も色んな人に出逢った。
ボクと同じで、自分の名前を知らない猫ちゃんにも出逢った。
この猫ちゃんは名前がないから誰も呼んでくれない、名前がないから自分の存在はないかのように扱われている、そう言って自分の名前を求めていた。
だから、癒し系で優しくてセンスのいいバウリンガルなボクは、「ドグ」という名前を授けてあげた。さすがボク、センス抜群!えっへん!
 
え?猫ちゃんは受け入れたのかって?
ボクと同じ名前だし、自分は犬じゃないと言って嫌がったさ。だからボクは猫ちゃんにこう言ったのさ。
じゃあ「田中」って名前はどうだって。勿論猫ちゃんは嫌がった。名前じゃなくて寧ろ名字だってツッコミ付きで。
 
でもボクが言いたかったのは、名前なんてなんだっていいって事。
個人を呼ぶ時に名前を使う。だけど名前があるから個人ができるわけじゃない。決して逆じゃない。
「田中」って人はこの日本にいっぱいいる。もしかしたら「ブライアン田中」みたいな外国人も世界のどっかにいるかもしれない。でも皆はこの人を「田中」って呼ぶでしょ?これは「田中」って名前の発音の中にその人の概念が宿るんじゃない。お話しする文脈の中で「田中」って呼ぶからこそ、それはその人を指し示す記号として機能する。脈絡がなければ「くも」って言った時に「雲」と「蜘蛛」、どっちを指すか分からないのと似てるかな?
 
そうなると、人が発音する前の段階として、意識して何らかの意味を付けてくれないと言葉自体に意味も宿らないんだよね。強いて言うならこの「人が意味するもの」こそ、自分自身になるんじゃないのかな?
だから、名前は何でもいい、大事なのは周りの人がキミを認めて、キミの名を呼ぶ事なんだ。
 
そんなような事を話したら、憑き物が取れたようなスッキリした顔をしてたよ。
ボク自身、名前に拘っていた事があったのでそこは反省。
 
そうして、ボクは猫ちゃんの心にも栞を挟んだ。「田中ドグ」って呼びながら。ちょっと眉をひそめながらも満更でもないように見えたのは気のせいだったかな?
 
 
 
他にも色んな人に出逢ったよ。
 
職を失って、生きる気力も失ったと言った人。
子供の教育問題で家庭が冷え込んで、なくなった家族の絆を取り戻したいって言った人。
自分の居場所がないって塞ぎこんで、自分を分かってくれない周りの環境に恨み言を言った人。
人生に意味なんかないと言って、自暴自棄のお酒ばかり飲んでた人。
 
自分が生まれた時にお母さんが死んじゃったってヘヴィなお話もあったっけ。ボクは何処で生まれたか知らなければ、親の顔も親が今どうしてるのかも知らないから、知ってるって事は逆に状況をより深刻にする事もあるんだなぁって思ったね。
 
そんな皆に共通するのは、一様に何かを失ってしまって、哀しんだり困ってる人ばっかりだったって事。
でも、その度にボクは問いかけたよ。
 
ホントに失くしたものは何だったのか?それはホントに無くなったのか?無くなったと思える事はホントに悲しい事なのか?胸の奥底に残ったものはなかったのか?それこそがずっと大事に抱き抱えるべきものじゃないのか?
勿論、癒し系で優しくてセンスが良くて、それでいてクレバな印象は崩さないように気を使ったさ!なんてったってボクはバウリンガルだからね。えっへん!
 
そしてボクは、気のせいか表情を明るくした人たちに毎回こう伝えた。
 
今のその気持ち、忘れないように心のページに栞を挟むといいよ。
うん、普通の栞だと何かの拍子に落としちゃう事もある。だから、大切な気持ちと一緒に心のページそのものに折り目を付けてあげればいい。
 
この栞、ボクは「ドッグイア」って呼んでるんだ。
ボクが考えた魔法の言葉さ!
 
 

 
ボクは犬である。名前はまだない。
 
どこで生まれたか頓と見当がつかぬが、ここがどんな世界か概ね知っているつもりなので、特に不都合は感じない。
ただ、名前がないのは何かと不便なので、皆はボクを「ドグ」と呼ぶ。
 
名前はないんじゃなかったのかって?
 
そうだね。でも、ボクは気付いたんだ。
自分で名乗るから名前になるんじゃなくって、皆が読んでくれるから名前になるんだって。だからボクは今の自分に特段不便を感じていないんだ。
 
新しい土地に行く。新しい人に出逢う。
その度にボクはその人の心に栞を挟んできた。その度にその人はちょっぴり明るくなった表情で「ありがとう」って言ってくれた。その度に新しいボクが生まれた。
 
癒し系で優しくてセンスが良くてそれでいてクレバで、次はどんな新しいボクが生まれてくるのかな?
きっとそこには限界なんてないんだろう。少なくとも一生で全ての人や生き物に出逢うなんて到底不可能なくらい、たくさんの人生がある。そしてボクは、その一つ一つの人生に触れる事ができる。なんてたってボクはバウリンガルだからね!えっへん!
 
 
え?旅はどうなったんだって?
 
あれからほどなくして、ボクは「都会の街」に辿り着いたんだ。
だけど残念ながらそこには「ホントの自分」はなかった。だから、ボクの「ホントの自分」探しの旅はまだまだ続いている。
 
でも、ボクは何となく気付いている。
この旅に終わりなんかないって事に。そして「ホントの自分」なんてホントはないんじゃないかって事に。
 
「ホントの自分」なんか見つからなくても、周りの人の温かな心がボクをボクにしてくれる。
仮に「ホントの自分」なんてものがあったとしてら、それはきっと自分自身で見つけるものじゃなくって、周りの人が見つけてくれる…もしかしたら、周りの人が作ってくれるものなのかもしれない。
 
ボクの旅は続く。だけどもう、「ホントの自分」なんて探そうと思わない。
だから代わりと言ってはなんだけど、ボクはそんな気持ちを忘れないように、自分自身の心に折り目を付けたんだ。
 
『ボクは、ボクのままでいいんだ。
ボクのまま、ここにいればいいんだ。』
 
…そんな、思い出す度に温かくなる気持ちに。
 
さあ、今日はどんな出逢いがあって、どんな心に栞を挟む事ができるかな?
新しいボクを生み出してくれるまだ見ぬ出逢いに、感謝感謝!
 
 
 
 
 
Much peace, love and joy to you all in 2018!!
I wish you a Happy New Dog-Year!! (Dog-Ear!!)
 
 
 
 
 
2018/1/1追記
年賀状を出す習慣がなくなって10年以上になるが、今年は訳あって形だけ作ったので参考レベルでアップ;
 
 
これは、娘ちゃんと共同制作の絵本を作りたいと思い、即興で書いた物語である。
「気持ちは失われない」のテーマの下、何かを失くした子供に対しそれを説くストーリ展開。それに対峙する主人公は、できるだけとぼけた印象の方がいい。
そう考えて真っ先に浮かんだのが犬の「ブルテリア」である。あのとぼけた小さな目と大きな口、愛嬌の塊のような表情はまさにうってつけである(笑)
 
主人公の枠に犬が収まった事で、書き出しを夏目漱石の出世作『吾輩は猫である』から拝借する案が直感的に浮かんだ。付け加えればラストの「感謝感謝!」もここから取っている。
元々が絵本なだけに極力簡潔に短文でと思っていたが、主人公が犬に定まったと同時に文体もキャラクタもほぼ決定されたため、設定を膨らませるくらいのつもりで気軽に筆を取った結果、あっという間にこの有様になったと(苦笑)
 
ちなみに、作中端折ったような描写が目立つと思われるが、この辺は上記の「極力短文に」の葛藤により自制心が働いたものと好意的に解釈してもらいたい(爆)
結果的に中途半端なものが出来上がったわけだが、そこはそこ、当カテゴリ『夢見る羊、茫洋たるまだ見ぬ供物』が所謂「その他カテゴリ」として、思案中のテーマを箇条書きレベルで書ける場として設けた経緯と完全に一致する。
その意味で、当カテゴリを総括するコンテンツとしては、実に相応しいと言えるだろう。
 
 
さて、物語に話を戻すと今回省略した個所は、何れもプロセス・結論に相当する部分である。
ここで登場した「何かを失った者たち」。そうして嘆く人々に出逢った時、どんな言葉を投げかけてあげればよいだろうか?或いはどんな言葉を呑み込めばよいだろうか?
そんな事を考えながら読んでいただく事ができれば、絵本を意識したコンテンツとしては大成功というところだろうか。
 
現時点では、まだ共同制作として形あるものをアウトプットできていないところであるが、是非この企画は来年に持ち込み現実のものとしたい、そう思っている。
仮に啓蒙…蒙きを啓らむものがあるとすれば、それはそんな共同作業から生じる“考える思考の光”こそが照明するものに当たるのではないだろうか?
こうして考えた力は絶対に無駄にならない。学力試験で数値化されない非認知能力として将来絶対に役に立つ、そう信じて疑っていない。
 
 
『夢見る羊、茫洋たる未だ見ぬ供物』
Do Sheeps Dream of Dreamin' ... Scapegoat ?
 
夢の中の羊は、視線の先に向けて何匹も何匹も連なっていく。これはその場で円環を描いて足踏みするような見せかけの行列でなければ、犬に追い立てられて逃げ去っていく群れの姿でもない。
そうして、いつか茫洋としか見えない朧げな未来において、それは自らを捧げる糧となる。
 
…とは言っても、想像もできないずっと先の未来を思い浮かべたところで、どうしてもそれは漠然としてしまう。
では、取り急ぎ、間もなく迎える2018年に向けた言葉を改めて掲載する事で、締めの言葉に代えさせていただきたいと思う。
 
I hope all your wishes come true this year!!
 
 
 
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