昨日、東京レインボープライドのフリーライブ行きました。アリーナエリアに入れる整理券は外れてしまったけど、外から観てました。
長いけれど、読んでくれたら嬉しいです。
少し前に、女性ラッパーと男性ラッパーのラップバトルで、男性ラッパーの発言(バトル中のラップ)が女性蔑視ではないか?という話題があって、それに対して、女性ラッパーの発言(バトル中のラップ)も男性蔑視ではないか?という指摘もあったりして、話題になっていました。
それに対する意見で印象に残る言葉がありました。
「バトル中の発言には、社会で求められるルールやモラルは求められない。そこに女性蔑視を持ち出して、「女性に容姿の批判や性的な批判はしない」とするなら、「女性は保護しなければならない=女性はか弱い」ことを認める裏返しになる。
バトル中の発言に女性に対する気遣いを求めること自体に、女性への根本的な差別が内在している。女性も平等に、同じスタートラインに立って戦いたいと願うものからすれば、バトルにおける女性蔑視の訴えこそが女性蔑視を生むことにつながる行為である。
男性と同じフィールドで戦う女性が現れてきた今だからこそ、男性と女性が性に依存せず、本当の意味で平等なバトルができる日が来ることを望む」
また、男性ラッパーが「(バトルに)女がいない理由は?」と投げかけたのに対して、女性ラッパーが「かわいい・セクシー担当が(男性の中に)既にいるから」というような返しをしたらしく、それでは、女性がいる理由は「かわいい」と「セクシー」になってしまうという指摘もありました。
そのことは以前にもブログに書いてはいました。
浜崎あゆみは女の敵か味方か――浜崎あゆみから大森靖子と「ビバラポップ!」へ
https://ameblo.jp/laugh-rough-blog/entry-12359228566.html
ラップの世界とあゆがいる世界ではまた違うのかも知れないけれど、同じ世界であることには変わりなく。。。
私は、女の人がロックをする険しさを日本で誰よりも体現しているのが浜崎あゆみだ、と思っていました。
同じ女性として、そのことに大いに勇気付けられてきたし、今も勇気付けられています。けれども、あゆを「女性の味方」という風に表することに違和感を持っていました。
なぜなら、あゆは何かを自分が「女性」であることのせいにしたり、「男性」のせいにしたりしていない、と思っているからです。それに、あゆは「女性」だけに向けて歌ってるわけではなかったから。
しかし、それなら浜崎あゆみは「女性蔑視」といったことが見えていないのかといったら、私は誰よりも見えていると思っているし、女性ラッパーの方が持っている「問題意識」というのも痛いくらいにわかっているつもりです。
しかし、それを応援したい気持ちがありながらも、上記のような意見もわかる気がして、「うーん…」となってしまいました。
それは、何か、「人のせい」にしている感じがしたのか何なのか。。。
同じ女性ミュージシャンでも、そういった「問題意識」を持っていながらも、「でもこのままじゃ「オンナが廃る」と思ったのよ。もうオンナとして生まれた以上、自分の納得いく評価をオンナとして勝ち取らなきゃと思ったわ」と言って、自分が一番抵抗あった女子バンドをはじめた人もいました。そっちの方が私にはかっこよく見えたり。
「問題意識」は同じところにあっても、「答えの出し方」がそれぞれ違うのかな。
私は「マイノリティ」という言葉が苦手でした。何かを「マイノリティ」と言った瞬間に、また別の「マイノリティ」を生んでしまう気がしたり、「マジョリティ」にも「マイノリティ」にも入れない人がいるんだという思いが強くあったり。
「LGBT」という言葉も、あるいは「フェミニズム」も、最終的には、そういう言葉自体がなくなって、『東京レインボープライド』のようなイベントがなくなる=必要なくなること、それこそが最終的には目的なんじゃないか、と思っていました。今も心のどこかにそういう想いはあるかも知れません。
日常ではひとりのゲイであり仕事人だ 日本最大のイベントをまとめる彼が見つめる先
https://www.buzzfeed.com/jp/kensukeseya/trp-2018-2?utm_term=.dfONmQQpj
上記の記事にもありました。
「山縣さんが考える、東京レインボープライドの最終目標は何か。
「LGBTという言葉がなくなり、イベントを開催しなくなること、と言う人もいます。ですが、私は、将来的にはそういう垣根を越えてほしいです」」
私もまさに、「LGBTという言葉がなくなり、イベントを開催しなくなること」が最終的な理想なんじゃないかと思っていました。
でも、昨日の景色を見て、そして、あゆのライブ、あゆの言葉を聞いて、こういうイベントがあることは素敵なことなんだっと思えました。
差別がなくなってこういうイベントがなくなることが一番良い。それは確かにそうだけれども、そんな私の “奇麗事” よりも、この景色が素敵だなって思えたんです。
それは、「差別はなくならない」と諦めたわけではなくて、こういう素敵な景色があることが大事なんじゃないかって。
私は「マイノリティ」という言葉が苦手だったけど、あゆが「マイノリティ」と言ったとき、とてもぐっときました。それは、あゆが「たった一人」でそう言っていたからです。
私の中で「マイノリティ」という言葉の意味が少しづつ変化しています。
「LGBT」だから「マイノリティ」とか、○○だから「マイノリティ」とか、そういうことじゃないんだなっていうか。(ごめんなさい、まだうまく言葉にできません)
そして、昨日のあゆが「こんな可愛いあゆはじめて見た!」ってくらい可愛かったことを思い出して、ああ!これだったんだ!と思ったんです。
あゆは本気だけれど、それは何も険しい顔をしたりすることじゃなかった。
もちろん、そこには本気の怒りもある、本気の悲しみもある。
けれど、あゆはとても可愛くて、愛おしくて、そして、そこにいる誰もが愛おしくて、これだなあって思った。
女性ラッパーと男性ラッパーの件で、ずっと考えていたことに、一つの答えを見出した気がした。
あゆは、「差別をなくそう」とかじゃなくて、この「笑顔」を守りたいし、守ろうとしているのかなって。そして私もそれを守りたいって思った。あゆの解釈と違っていたらごめんなさいだけど、今の私はそう思いました。
「胸を張る」ってこういうことなのかな。
ありがとう、あゆ。
大好きです。
あなたがくれた「笑顔」、ずっとずっと大事にします。
pineapple
まとまらないから手紙形式でブログを書いてしまいました。エレカシ胎動記の連載中でしたが、どうしても書きたくて。
LGBTイベント参加のあゆにミッツがエール「どんどん進んでもらいたい」
https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/991492/
(記事より)
ミッツも当然、あゆのファンでコンサートに足を運んだことがある。「ついにLGBTのパレードにお浜さん(あゆの二丁目での愛称)を呼べる日がきたんだと感慨深い。あのスケールでずっと第一線を突っ走ってこられた方。これからも荒波に負けず、どんどん進んでもらいたい」と日本が誇る歌姫にエールを送った。
総合司会のブルボンヌさんのツイート。
正直お浜さんのことは、周りに大ファンが多い分、オカマ的な茶化し目線でも見てたし、だからこそミーハーに接しないように袖には行かず、楽屋でヅラをとって休みながら声と音だけを聴いてました。how beautiful you areで涙が止まらなくなった自分に驚きました。ありがとう。https://t.co/PAR3FY53BO
— ブルボンヌ (@bourbonne_campy) 2018年5月7日
浜崎さん「あなたが思うよりもあなたはずっと美しい」
— ブルボンヌ (@bourbonne_campy) 2018年5月7日
アギレラさん「人が何を言おうとあなたは美しい」
ルポール先生「他人を愛したいなら、まずは自分を愛しなさい」
LGBTは一つじゃないけど、贈られる言葉は一つ。すごい人たちは、自分を差別し嫌う一番身近な人は、自分自身だと分かってる。
あと!あと!どうしても書いておきたいことがある!
あゆの「how beautiful you are」に出てくる、
“You don't know how beautiful you are”
ってフレーズは、
U2 の「ゲット・オン・ユア・ブーツ」にも出てくるんだよ!
Mステに U2 が出たとき、あゆも出てたんだよ。