第4回 エレカシ胎動記 ~「ガストロンジャー」から「俺たちの明日」まで~ | ラフラフ日記

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主に音楽について書いてます。

少し話を遡って、『good morning』(2000年)のころの話をしたいと思う。

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私はこのアルバムを「RIJF でエレカシ観るから最新作を聴いておこう」くらいの軽い気持ちで聴いた。発売されてから数ヶ月が経っていた。「ガストロンジャー」もそのときはじめてちゃんと聴いたと思う。それからエレカシをはじめて観てファンになったから、この連載もどうしても “それ以降” の話になってしまう。

けれど今、この連載を書いていて、『good morning』が一体どういうアルバムだったのかを考えたくなった。連載のサブタイトルも ~「ガストロンジャー」から「俺たちの明日」まで~ として「ガストロンジャー」からだし、何より自分も、『good morning』後のエレカシからはじまっているじゃないかと。
(前に『good morning』について書いた記事はこちら → 2000年夏、ソウルレスキュー!

「ガストロンジャー」やアルバム『good morning』を聴いて、エピック時代からのエレカシを知る人が「戻ってんじゃねぇよ!」と言っていた。「今宵の月のように」で “売れ線” に走ったのに、また初期のような攻撃的なロックに戻って来てんじゃねぇよ!ということだったが、私にはどうにも違うように思えた。前回も書いたが、同じ攻撃的でも、このエレカシには “社会人” っぽいところがあるんじゃないか。

「ガストロンジャー」および『good morning』で、それまでのエレカシには出てこなかったものが突如として出てくる。それは、

“欧米に対する鬱屈したコンプレックス”

だ。
「so many people」など、

“幸か不幸かボクら島国の生まれで
 恋も革命もいづれ 一国に尽きる運命かい?
 (そんなのありかよ神様よ!!)”


とくる。
宮本がこんな歌詞を書くなんて…とびっくりした覚えがある。

もっとも、その時点で私はまだファンになっていないので、あとからじわじわ来たことだけど。

日本そして東京を愛する宮本が「一国に尽きる」運命を嘆いてみせるだなんて、と。
それはどこか唐突に思えた。

これはきっと、これまでのエレカシにはなかったことなんじゃないか?

これは、鎖国状態を終えたエレカシの開国宣言!? (「ガストロンジャー」は黒船か!?)


そんなエレカシに私も衝撃を受けたのだと思う。

それまでの私は、特にその時期は「洋楽」を熱心に聴いていたけれど、「欧米に対する鬱屈したコンプレックス」なんて考えてもいなかった。ただ単に音楽が好きで、それは L⇔R 時代から続いてるのだけど、「ロックミュージックはアメリカやイギリスで発祥し発展してきたもの(でも自分は日本人)」であるとかそういうことを特に考えずに来てしまった。

日本のロックに出会った、と思った。

いや、それどころか、「ロック」についてもろくに考えたことなかったと思う。ビートルズが大好きだったけど、それが「ロック」なのかどうかなんてことを疑ってみたり信じてみたりしたこともなかった。私は、エレカシに出会ってはじめて「ロック」に出会ったのかも知れない。

ロックとは?
日本のロックとは?
自分たちのロックとは?

いろいろなものが押し寄せてきた。
(私はそれを「ブリットポップとエレカシと」でも書いたのだけど、「ブラーほど「イギリスのロック」について考えたバンドもいなかったと思う」は「エレカシほど「日本のロック」について考えたバンドもいなかった」とも言えるのかも知れない)

同じ時期に好きになった椎名林檎にも似たようなものを感じていた。

洋楽が好きだと言ったって、自分日本人じゃねーか!みたいな、そういう気迫を感じた。それは洋楽を好んで聴いていた自分にとって、衝撃だった。

THE YELLOW MONKEY というバンド名は、欧米人が日本人を侮蔑する差別用語として昔使われていた「イエロー・モンキー」から来ているという。それについて書かれた文章で、THE YELLOW MONKEY が素晴らしいのは、「自分たちはどうしようもなくロックという異文化に囚われた。と同時に日本的な情緒に引かれもするし、誇りもある。それに、日本人であることから逃れることもできない。そうした二律背反的な事実をはっきりと受け入れ、「黄色いサルに何ができるのか?」まさにそこで、水準の高い独自の音楽を創造しているところなのだ」とあった。(「音楽誌が書かない「Jポップ」批評」より――THE YELLOW MONKEY “黄色いサル” に、何ができるか? 水村達也)

エレファントカシマシにも通じるところがある、と思った。前回書いた、THE BOOM もそうだ。


そして、私はこの「ガストロンジャー」から『good morning』へと続く一連の、表明にも似た作品は、「売れた」ことによって宮本浩次の中に生まれた “使命感” から来ているんじゃないか?と思った。

「今宵の月のように」でヒットした時期、『ポップジャム』で GLAY と共演した宮本は、ショックを受けて 3日間具合が悪くなったという。それは彼ら(GLAY)が自分たちのスタイルで自分たちのやりたいことを堂々と思い切りやっているように見えたからで、一方で自分たちは、それは全然悪いことじゃないんだけれども、「売れたい」とかそういうことばかりになっていたと。

『明日に向かって歩け!』で宮本が金大中のことをこう書いていたことを思い出す。

あの人が本当に凄いのは大統領になるまで温めてきたこと、勉強してきたことを一つ一つ実現しようと努力しているところだ。こうなると大統領になることが目的じゃなくて、自分の考えを実現するために大統領になったんだということがはっきりとわかる。
そう、つまり試験のために勉強するんじゃなくて、大統領になるために画策するんじゃなくて、自分の考えを実現するために大統領になったんだよ、あの人。
(宮本浩次『明日に向かって歩け!』より――2000年6月)


つまり、試験のための勉強ではないこと、大統領になることが目的ではないこと、「売れる」ことが目的ではなかったと、宮本は思い出したんだと思う。

そのとき宮本に生まれた使命が、「日本のロック」を鳴らすことだったのではないか。

だからこその “欧米に対する鬱屈したコンプレックス” だし、攻撃的なロックサウンドだったのではないか。
それゆえ、ロックファンにアピールする必要があったし、使命を帯びたことが “社会人” っぽさにもつながる。


しかし、思うのだ。「日本のロック」なら、エレカシは最初からずっと鳴らしてきたんじゃないのか?

“欧米に対する鬱屈したコンプレックス” は、何も「ガストロンジャー」ではじめて登場したのではなく、これまでの作品でもずっと歌っていたのではないか。

ただそれが、ごくごく自然に、当たり前のように鳴っていた。

どういうことかというと、さきほどの THE YELLOW MONKEY の文章でいうところの、「ロックという異文化」と「日本的な情緒」というのが、ごくごく自然に、当たり前のように共存していた。

洋楽ロックと日本文学の融合。

土手やスズメや火鉢や不忍池が、ロックサウンドと、ごくごく自然に、当たり前のように共に鳴っていた。

私が、ブリットポップにハマっていたころ、それでも気になっていたエレカシに感じた「素面(しらふ)」というのはこういうことだったのではないか。

この人、なんで「ロック」をやっているのにこんなに「素面」なの? なんで「素面」で「ロック」ができるの?

エレカシが気になっていたとき、自分の中でミッシェル・ガン・エレファント的位置付けかホフディラン的位置付けか処理できなかったと書いたのはそういうことで、「洋楽からの距離感」では測れないものに出会ってしまったということだったのだ。

なので、“欧米に対する鬱屈したコンプレックス” と歌いだしたのは、昔からのファンからしたら唐突に見えたかも知れない。「宮本!何を今さら言い出すんだ!」と。

そんなの、今までさんざん歌ってきたし、それを “自然” にやってきたのがエレカシの凄さだったじゃないかと。むしろ、“欧米に対する鬱屈したコンプレックス” なんて感じていなかったのがエレカシだったじゃないかと。

しかし、私はこの、宮本でありエレカシの「ロック表明」ではじめてエレカシに振り向くことができた。
恥ずかしい話かも知れないが、“欧米に対する鬱屈したコンプレックス” と、あえて説明的に歌ってもらったことで、やっと振り向くことができたのだ。

それは、宮本にとっても、はじめて「ロック」を意識したということだったのかも知れない。
今まで「ロック」なんて意識していなかった宮本が、はじめて「ロック」を意識したと。
そういえば、このころから宮本は自分のことを「ロック歌手」と言うようになった気がする。


それでも、今なら、昔は “自然” にやっていたじゃないかという人の気持ちがわかる。

なぜなら、「ガストロンジャー」で何より私が嬉しかったのは、“欧米に対する鬱屈したコンプレックス” を表明してくれたからではなく、「縄文時代」とか「高度経済成長」とか、自分もよく知ってる言葉が、それも素面の言葉が、でもなかなか自分の好きな歌の歌詞には出てこなかった言葉が、並んでいることだったからだ。そしてそれが「ロック」になり得ていた。

今回この連載を書いていて、やっとそのことに気が付いた。

まるで “和魂洋才” のような、「形式は西洋のものを取るが魂は日本人のままだ」的な、日本人丸出しの音楽スタイルを俺がここであえて表明したのは他でも無い。どうやらそのスタイルだけでは立ち行かない何かを、自分の中で感じ始めたからなのである。
(宮本浩次『東京の空』より――混迷模索時代(アルバム『ライフ』の時期))


宮本は、それまでの「洋楽ロックと日本文学の融合」というスタイルでは立ち行かなくなることを予見し、それまでの総決算であり、かつ、そこからの脱却への第一歩として、「ガストロンジャー」そして『good morning』を世に放ったのかも知れない。

そして、それまで気になりながらも出会えないでいた私が、エレファントカシマシに出会った。


吉井和哉(THE YELLOW MONKEY)と宮本浩次が一緒にテレビ番組に出たことがあった。そこで吉井和哉が「自分には洋楽へのコンプレックスがある」と言った。それに対して宮本は「ないです」と言った。

椎名林檎に感じた革新的な方法でもなく、黄色いサルに何ができるのか?という方法でもなく、エレファントカシマシは私に「日本のロックの未来」を見せてくれる。

THE YELLOW MONKEY は数年後に活動休止~解散し、THE BOOM はロックだけではなく世界の音楽に目を向けることで道を切り拓いた。

しかしエレカシは、あくまでロックでロックの未来を見せようとしてくれている。