第3回 エレカシ胎動記 ~「ガストロンジャー」から「俺たちの明日」まで~ | ラフラフ日記

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主に音楽について書いてます。

ここまで書いてきて気づいた人もいるかも知れないけど、私はエレカシを好きになってからまだ、

“今のエレカシ”

を捉えられていない。

『good morning』は RIJF に行くことになってから後追いで聴いたし、『sweet memory~エレカシ青春セレクション~』はベストアルバムだった。そのあとにシングルが二枚出たが、どれも単発的に感じた。

その間に、エピック時代の作品を聴いていった。そして、聴いていけばいくほど、不安になった。
このバンドが「今宵の月のように」でヒットし、「ガストロンジャー」を作り、アルバム『good morning』を作ったのか。今エレカシは、次の一手を決めあぐねているのではないだろうか。

『good morning』は、宮本が一人で打ち込みに走ったようなアルバムだった。歌詞も、それまでのポニーキャニオン期とは違う。抑えていたものが溢れ出し、むしろエピック期に戻ったのかというと、それもまた違う気がした。“社会人” っぽいというか。とっくにデビューしている彼らにそう言うのは変なのだけど。

そのあとのシングル『孤独な太陽』でも『暑中見舞-憂鬱な午後-』でも、“次のエレカシ” は見えてこなかった。けど、『good morning』とは違っていた。

そして 2002年2月、シングル『普通の日々』。



このシングルで少し、“今のエレカシ” が見えてきた気がした。

ああ今エレカシは、「普通の日々」に立ち返り、「歌」を聴かせようとしているのかな。
『暑中見舞-憂鬱な午後-』に続いて、小林武史と共同プロデュース。アルバムも小林武史と作るのかな。けどなんか、ジャケットのミヤジ怖い。。。

渋谷のタワーレコードでインストアライブがあり、『普通の日々』を買うともらえるカードを削って「男」が出たら参加できるというものだった。なんとか「男」を出して行ったよ。

そして 5月、アルバム『ライフ』発売。(その前にシングル『あなたのやさしさをオレは何に例えよう』が限定生産で発売された) 私がはじめて受け取る “今のエレカシ” 。

ライフライフ
1,793円
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伝わってくるのは、「孤独」「虚しさ」。

やはりプロデュースは小林武史だった。
初期からのエレカシを知る人に、「エレカシが小林武史?」と愕然とされたことを覚えている。その人はショックを受けていた。

まるで宮本浩次のソロアルバムのようで、そういう意味では前作『good morning』と同じだった。

なぜソロアルバムのようだと感じるのか。

それは、宮本浩次とバンドとの距離感だと思う。

エレカシは過去にも『生活』(1990年)というアルバムを出しているが、そのときもバンドというよりも宮本のソロアルバムのようなところがあったかも知れない。
けれど、そのときと違うのは、エレカシは「売れる」ということを経験していること。そして、宮本は昔から「プロデューサーとやりたい」(やったら売れる)と言っていたらしいが、それは売れる前は夢が詰まった想像の話だけれど、今は「プロデューサーとやって売れた」という現実を知ってしまった。

普通なら、それは喜ばしいことなのだけれど…。

前作『good morning』のとき、宮本は自身で紹介文(檄文?)のようなものを書いていて、その最後を「それが、エレファントカシマシ。すなわち俺だ。」と締めくくっていた。エレファントカシマシは俺なのだから、打ち込みだろうが何だろうが俺がやればそれがエレファントカシマシだろうと。そんな勢いが『good morning』にはあった。

それが一転して『ライフ』では、「エレファントカシマシは俺しかいないのか」というような孤独感に変わったというか。そして、「エレファントカシマシである前に一人の男である」というところまで立ち返らざるを得なくなったのか。

今までのままではいられない。
宮本とバンドの距離感に揺らぎが生じている。
『生活』のころとは違う、宮本とバンドが引き裂かれているのを感じた。

宮本はなぜこれをソロで出さなかったのだろう。
(一曲目の「部屋」など宮本は自分でドラムを叩いてるし、ビートルズ解散後のポール・マッカートニーの『マッカートニー』みたいなところがあるかも知れない)

しかし、もしこれが宮本浩次のソロアルバムとして発売されていたら、ここまでの「孤独」は纏っていなかったと思う。

美しいのか残酷か。エレファントカシマシの宮本浩次ではなく、宮本浩次が「ただの男」になることで、エレファントカシマシの純度は増した。

そう、「暑中見舞-憂鬱な午後-」ぐらいから、歌詞が良いなって感じてたんだ。

しかし、このころの宮本浩次の色気はやばい。

『ライフ』を聴いてすぐに「セクシー」って思った。

さっきからソロアルバムのようだと書いているけれど、この時期、『浮世の夢』(1989年)のジャケットも撮影した写真家のハービー・山口と一緒にメンバー 4人が、出身地である赤羽と月島をまわるという番組『the Roots』があった。昔のエピソードを話しながら、ときどきふざけたりするメンバーを見ながら、ああ、ずっとこの 4人でやってきたんだなあと思った。

番組最後、ハービー・山口に今後を聞かれて、「解散」という言葉を口にしていた宮本だったけれど。
「これでもう音楽続けていけるでしょ?」と言われても、「もはやね。もはや、それしかなくなっちゃったから」みたいに言っていたけれど。

ソロアルバムみたいな作品を作っていながら、エレファントカシマシの重みを感じていたんだろうなぁ。(『ライフ』には、バンドとの一発録りもある)


そしてすぐに、Life TOUR 2002 がはじまった。

初日の戸田市文化会館。引き裂かれたエレカシではなく、音楽的に素晴らしいライブをしていた…と思った。初日は。

しかしファイナルである渋谷公会堂 2日間、宮本は荒れていた(ように見えた)。悶々とした苛立ちを感じ、客に「お前ががんばれよ。やめた。もうやめた」とか言ったり、客の乗り方に何か言ったりしていた。それを見て私も悶々とした。(最終日 5月31日の模様がライブDVD『LIFE TOUR 2002』にノーカットで収録されている)

たまらずライブ後、友達と話し合った。「宮本はソロになった方が良い!直にソロになると思う」と主張する友達。うーーーん、エレカシがバラバラになるなんて、宮本がソロになるなんて、想像できないと私。

それでも、音楽は素晴らしかった。友達も私も「音楽は素晴らしい」ということは共通していた。

そういえば、「ハロー New York!」(『普通の日々』の C/W )がまさにそうだが、小林武史とのレコーディングでニューヨークに行った宮本は、「テロで空港が空いていた」という話をよくしていた。
初の海外レコーディング。テロ。しかもニューヨークへは宮本一人で行ったとのことで、「単身赴任」とか「海外出張」とか言っていた。そういうところも『ライフ』の「孤独」や「虚しさ」につながってるのか。(後からメンバーもニューヨークに行って一緒にレコーディングはしている)

しかしこの「ハロー New York!」、私は感動したなあ。
これからエレカシどうなっちゃうんだろう?ってときに、(世界的にも)シリアスモードが漂ってるときに、そのなけなしのユーモアに救われた。シンプルなロックンロール(でも無機的)に、<やっぱり空港 ガラガラだったの>とか<煙草高い ひぃー 500円よ>とかこんな歌詞乗せられちゃうんだみたいな。ルームサービス伝わらないのに、やたら歌詞カードに英語が出てくるのも滑稽に見えた。
そして、<American crub sandwitch 来ない YEAH!>のあと、しばらくしてから、<I am hungry>で、アメリカンクラブサンドイッチまだ来ないんだ!って。
この曲でも、宮本の sexy は極まってる。

ツアー最終日で悶々としたが、約一週間後に出演した JAPAN CIRCUIT-vol.5- では明るいライブをしていた。共演に GOING STEADY (銀杏BOYZ の前身バンド)がいた。

この時期、ロックフェスでもそうだし、こういうイベントでも GOING STEADY などの若い、しかも人気も勢いも熱もあるバンドと共演して、そういったバンドから影響やリスペクトを公言されたりしたことはとても大きかったと思う。ナンバーガールとも『FACTORY』で共演して、向井秀徳が緊張してるところをはじめて見たなあ。

そんな中に、Syrup16g もいた。


8月、RIJF に行った。

中学~高校のときに好きだった THE BOOM を観て、「星のラブレター」「からたち野道」「島唄」「風になりたい」など、もちろん良かった。しかし、印象に残っているのは「ひのもとのうた」。

“ロックンロールは無いけれど ロックシンガー星の数”

これを日本のロックフェスで聴けて良かった。

エレカシにも通じると思った。そういや、「ガストロンジャー」を THE BOOM の「手紙」のようだと(あるいは逆)言っていた人いたなあ。

<ちゃっかり主人を噛み殺す>を、<ちゃっかり教科書書き直す>に変えて歌っていた。

エレカシは、早くも『ライフ』のモードを脱したのか、「Baby自転車」や「かけだす男」など意外な曲(ポニーキャニオン初期の曲)をやっていた。とにかく丁寧に歌っていて、演奏もかちっとまとまっていた。

特に「普通の日々」は、宮本の魂込めて歌う姿に心を打たれた。

しかしこの日は、

山嵐
エレファントカシマシ
Dragon Ash

という順番で、私はエレカシを観るとき、あきらかに次の Dragon Ash 目当ての人たちに囲まれていた。その人たちは、真剣に聴く様子なく、ミヤジが何か言う度に笑っていた。

でもそんな中で、エレカシが「珍奇男」を一曲目にやったのにはゾクゾクした。

“世間の皆さん 私は誰でしょうね
 わたくしは珍奇男 通称珍奇男”


キレキレだった。
宮本はこの状況をわかっている。

同じく 8月、大阪WTCオープンエアスタジアムで行われた、FM802 SONIC STYLE LIVE SPECIAL -MARKE'S Rolling 50 に行った。
出演者が、エレファントカシマシ、ロザリオス、少年ナイフ、UA、JUDE、ハイロウズ、ミッシェル・ガン・エレファントという凄いメンツだった。

確か、エレカシはトップバッター。
他の出演者が好きな友達数人と行ったけれど、「エレカシは明るかった」と言った。確かに、これら “闇よりの使者” みたいな出演者の中で、エレカシ宮本の白シャツは眩しく、太陽のように明るかったかも知れない。

しかし、エレカシだって、他の出演者に負けないくらい “闇” を知っているのにな。

9月、野音のライブは、短くあっさり終わってしまったような記憶がある。

でも最後に宮本は言った。

「ありがとう。俺たち、もっとパワーアップして帰ってくるから。待っててくれ!」