2000年12月からはじまったコンサートツアー Rock! Rock! Rock! は、ホールツアーだった。
私は、千葉県文化会館に、ビートルズ好きの友達を誘って 4人で観に行った。ホールは満杯だったと思う。
はじめてのワンマン。私はエレカシを好きになったばかりだし、RIJF で見たエレカシがまた見られると思うと胸が高鳴った。遂にエレカシのワンマンに来れた! 特別な場所に来れたんだ!という思いがあった。
ライブは、私がはじめて買ったアルバム『愛と夢』の一曲目「good-bye-mama」からはじまった。『sweet memory~エレカシ青春セレクション~』発売後ということもあり、そこからの曲を中心にやっていたような気がする。とにかく、アルバム『good morning』や RIJF で観た激しいエレカシではなくて、「今宵の月のように」や「風に吹かれて」のようなメロウな曲が多かったように思う。
ああ、ワンマンではこうなんだ?と思いながら聴いていると、ところが一転、「ガストロンジャー」や「コール アンド レスポンス」になると(いずれも『good morning』収録)、打ち込み(機械)の音が目立ちだし、しかしそれによってかえってバンドが剥き出しになっているように見えた。
熟成し切ったバンドサウンドと、解体され剥き出しになったバンドの姿。
それが混ざり合うではなく、それぞれ別々に存在しているような。バンドと打ち込みの音に落差があったと思う。エレカシは引き裂かれていたのかも知れない。
翌年1月、武道館でのツアーファイナルにも行ったが、宮本は石森敏行のギターを奪って石森に大きく手拍子をやらせたり、途中で出入りする客に注意したりしていた。
どことなくバンドはぎくしゃくしていたのかも知れない。ほころびや疲れも見えていたかも。ホールだから余計にそういうところが見えたのか。
とはいえそれは、バンドが生まれ変わろうとしている姿だと思ったし、それを見ることができることが嬉しかった。
けれど、こうも感じた。やはり私は、「遅れてきて」しまったのかと。つまり、エレカシのピークは過ぎてしまったのか、と。
「今宵の月のように」がヒットし華々しい季節を迎えた瞬間のエレカシを、エレカシの「一番良いとき」を、私は見逃してしまったのかも知れない。バンドが「売れる瞬間」というのは必ずあって、一度それを迎えたら、作品の良し悪しに関わらず、もう一度それが来ることはまずないから――。
けれど、そんなことも気にならないくらい、今目の前にいるエレファントカシマシに私は惹きつけられた。
「売れる」という目標は現時点でのところでは果たした。
しかし、「その先」は?
ただ「売れる」だけでは意味がない。
エレファントカシマシの「その先」は?
華々しい季節のあとで、エレカシが「もがき」だしていた。
でも、「もがいていること」それ自体が希望だった。
だって、エレカシ…宮本浩次は「その先」を求めているということだろう?
他の三人はどうだったのだろう。
3月、シングル『孤独な太陽』がリリースされ、いくつかのテレビ出演。トークと歌とのギャップ。
ぶらぶらと、エレカシはどこへ行く。
5月から ZEPP TOUR 2001 がはじまった。
私は Zepp Tokyo に、前回のビートルズ好きの友達のうち 1人と一緒に行った。その友達が言ったんだ。
「宮本さんは良いけれど、他の三人は私には個性が感じられないな」
何も言い返せなかった。悔しかった。
ところで、打ち込みといえば、この時期は、レディオヘッドの『キッド A』『アムニージアック』などの影響もあってか、くるりが『TEAM ROCK』で電子音を導入したり、ロックバンドがこぞってテクノやエレクトロニカを取り入れていた。それは「ポストロック」と言われたりした。
エレカシ(というか宮本)もナイン・インチ・ネイルズやレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンに影響されたらしいし、時代性はあるけれど、前述したような「新しいロックバンド」とエレカシはどこか違った。打ち込みなのにかえって剥き出しになったり。もちろん世代やキャリアの違いはあるが、それだけではない。
例えば、浅井健一はブランキー・ジェット・シティ解散後、SHERBETS で活動し、UA と AJICO を組んだりした。THE YELLOW MONKEY は活動を休止し、ソロ活動に入ろうとしていたように思う。新しい場所で、新しい形で、新しい音を探し鳴らそうとしていた。
しかし、エレカシは何かを引きずっていた。引きずったままだった。
けど、引きずっていたからこそのグルーヴがあった。
古くさいんじゃない。
新しいバンドにも新しい挑戦にも新しい音にも、「俺たちはずっと前からやっている」という迫力がエレカシの音にはあった。
エレカシは遅れてきたんじゃない。
ずっと前からやっていたんだ。
7月、はじめてエレカシの野音ライブに行った。
この頃、私はプライベートなことで切羽詰っていて、そんな中野音の空の下で聴いた「so many people」で、ミヤジが “矛盾するようだが 激烈なる変化を求めるあまり そうさ 死んでしまう人がいる” のあと、
“だめ!だめっ!だめええーーー!”
と絶叫した。細胞が息を吹き返した気がした。
私の生活は一つの区切りを迎えた。
そして、シングル『暑中見舞-憂鬱な午後-』発売。
まるで本当にエレカシから暑中見舞が届いたようだった。
“幸せと言えば言える
俺たちの憂鬱を”
この曲は、小林武史プロデュースだった。あの Mr.Children で有名な小林武史だ。
この年の 8月、RIJF で観た Mr.Children は素晴らしかった。今セットリストを確認してため息が出た。こんな凄いのを私は観ることができたのか!?
中村一義も! 一曲目「犬と猫」! どう? (エレカシからの中村一義だったんだっけ)
9月、アメリカで同時多発テロ事件が起こった。
エレカシは 11月から、LIVE HOUSE TOUR 2001 をスタート。(この頃は年に 2回ツアーをやっていたのか)
ファイナルの渋谷AX 2日間に行った。7月の野音でファンになった友達や RIJF に一緒に行った友達と行き、凄く楽しかったことを覚えている。
その 11月、ジョージ・ハリスンが亡くなった。私はそれを、エリック・クラプトンのライブへ向かう道中で知った。