書いてないライブが溜まっていて、結構前の話になってしまうけど、書いていきます~。前の話なので、ライブレポートというより、それにまつわる話みたいになってしまうと思いますが。
浅井健一 OVER HEAD POP TOUR
2024年11月22日(金) EX THEATER ROPPONGI
前からじわじわとベンジー(浅井健一)のライブに行きたくなってきてたのだけど、2024年7月にブランキー(BLANKEY JET CITY)の曲がサブスク解禁され、ラストワンマンライブ『LAST DANCE』の映像がプレミア公開され、それを見て、いよいよ決定的にベンジーに会いに行きたくなった。行かなければと思った。
2021年6月に AJICO でベンジーを見てはいるけど、フルでベンジーが歌うのを観たくなったし、ベンジーの歌に触れたくなった。私は特に、SHERBETS のライブに行きたかったのだけど。一番ライブ観てるのも、思い入れがあるのも、SHERBETS だしね。
それで、2021年6月の AJICO は別とすると、私が最後にベンジーを観たのはいつなんだろう? もしかして、2004年7月の『0724 YAMABIKARI』? 東京事変、フジファブリック、エレファントカシマシ、JUDE が出演した神戸の真夏の夜の夢。ええ? それぶり? 20年ぶり?
というわけで、浅井健一のライブに行ってきた。SHERBETS、JUDE、AJICO は行ったことあるけど、ソロ名義ははじめて。
ちなみに、私がはじめてベンジーを生で見たのはブランキーの『LAST DANCE』なのだ!
ライブがはじまってすぐ、自分の中で「地殻変動」が起こってるのを感じた。と同時に、ああこういうことか!と、自分が求めてるものを感知した。
少し前に「2000年代 Jポップ・ベスト・ソングス100」を考えたり、振り返ったりしてる中で気づいたことがあって、それは、あゆ(浜崎あゆみ)を好きになってから聴かなくなってしまった音楽があるなってこと。私があゆを好きだと自覚したのは 2004年ごろで、そのころから聴かなくなってしまった音楽がある。
それは、浜崎あゆみショックというか、(あゆを)嫌いだったのが好きになったわけだから、それを噛み砕くのに必死で。まぁ、それくらい浜崎あゆみに夢中になったから、置いて行かざるを得ない音楽があったということだ。
今になってそのことに気がついて、最近また LOVE PSYCHEDELICO を聴いてやっぱり良いなと思ったり、あのころから聴かなくなってしまったけど、好きじゃなくなったんじゃなくて、好きだけどどうしても置いて行かざるを得なかったんだと。
そういう中に「浅井健一の音楽」もあるんじゃないか。いやむしろ、ベンジーの音楽こそ「聴かなくなってしまった音楽」のラスボス的存在ではないか。
ベンジーの場合、エレカシ(エレファントカシマシ)の存在も大きい気がするけど。前に書いた通り、私はサリンジャー(浅井健一)ではなくドストエフスキー(宮本浩次)を選んだのではないかというのがあるし。
とにかく、「好きだけど置いてきた音楽」を取り戻す。
それがここ最近(数年)の私が求めていることなんじゃないか。
だから、ベンジーのライブに行きたくなったんじゃないか。
そうして、ライブがはじまると、「好きだけど置いてきた音楽」が「今好きな音楽」に揺さぶりをかけてきて、自分の中で「地殻変動」が起こっているのを感じたのだ。
自分の中の音楽地図がもう一度書き直されていくみたいな。
ベンジー、かっこよかった。
これはもしかしたら今だから気づいたことかも知れないけど、ベンジーの音楽や存在に触れると元気になるなって。
ブランキーとか SHERBETS とか、その音楽に触れるのは、傷つきに行ってたようなところがあるというか、そのナイフに刺されに行ってるくらいなものだったけど、けど、そうじゃなくて、元気になってたんだ?みたいな。これは 20年越しだから発見したことかも知れない。
ベースの宇野剛史がベンジーのことをこう言った。
「日本でファンタジーを歌えるのはこの人しかいない!」
私、それだ!って思っちゃって。ブランキーも SHERBETS も「ファンタジー」かも知れない。
ベンジーのファンタジーが私を元気にするんだ!って気づいちゃって。
ファンタジーって言ったって、ベンジーのファンタジーはリアルよりリアルだったりするし。
ある曲で、“宝物はお前のその笑顔なんだ” って歌ってて、どきっとした。私が好きなアーティストってみんなそういうこと歌ってない?
それは JUDE の「宇宙的迷子」という曲で、
“忘れるなよ 目に見えるものが全てじゃない”
という歌詞と
“忘れるなよ 目に見えるものが全てなんだ”
という歌詞が出てくる。
これをどちらも書けて歌えるのが浅井健一だとえらく感動してしまった。
ブランキーの曲も聴けて、やはり、宮本浩次がソロでエレカシの曲をやるのとは違うなと思った。
どう違うのかというと、ブランキーの方は、ブランキーの方があくまで完成形で、それはベンジーがどんな形でやろうと崩れない。ブランキーが完成形として不動にあって、その上で、今ベンジーが演奏し歌うブランキーの曲を聴いているという感じ。それでいてソロっぽさはそんなになく、かといって不完全なブランキーという感じでもなく、フレッシュ。
エレカシは、エレカシの方も完成形ではなく、宮本ソロと一緒にエレカシも、常に変化してるというか。ソロにはソロっぽさがあり、エレカシにはエレカシしかないものがある。
どちらの曲も色褪せないけど、動かない色褪せなさ(ブランキー)と動く色褪せなさ(エレカシ)みたいな?
これはやはり、解散してるバンドと解散してないバンドとの違いかなぁ。
それと、浅井健一(ブランキー)と宮本浩次(エレカシ)という別れ道で、私がエレカシを選んだのは、エレカシは一緒に歳を取ってくれる感じがしたからなんだと思った。
ブランキーは、ピーターパンのように歳を取らない感じがしたのかなぁ?
ブランキーと同じ 3人編成で聴けたのも良かった。ベースの宇野剛史とドラムの小林瞳は若いのかな? ベンジーと同年代じゃなくて、若い人とやるの良いなぁって思ったし、何よりかっこ良かった。
この日がベンジー 50代最後のライブだったらしい!
「赤いちゃんちゃんこなんか着ないよ」ってベンジー笑いながら言ってた。
ダジャレ募集してて、すごいの言った人いたんだけど、なんだったっけ、「浅井健一、朝、意見、一致」だったっけ。
それで私は、「好きだけど置いてきた音楽」を取り戻せたのだろうか。ただ、ベンジーの音楽を必要としたから、ライブに行ったんだろうなとは思った。