私のブログは…

約9年前、
旦那悪性脳腫瘍 神経膠芽腫

発症した時から、現在までを振り返り、
その時の状況と自分の気持ちと向き合いながら書き綴っている、

35歳、
絶望未亡人這い上がり物語

です。

初めからお読みくださる方はコチラから
⬇︎⬇︎

病気かもはてなマークって思ったきっかけについては

⬇︎⬇︎

4回の手術後…

2歳と5歳の育児をしながら
33歳旦那
在宅介護が始まりました
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そして…
8年前に旦那は天国に旅立ちました
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脳腫瘍を患った旦那は…、

余命約1年ぐすん



病院での治療を終えた時、


「家に連れて帰りたいお願い


「家で子ども達と過ごして欲しいお願い


「貴重な残りの人生を…、

病院で過ごさせたくない笑い泣き



と、思い…、

なにも迷うことなく、
自宅に連れて帰ってきましたキラキラ



そこから私の、
認知症のような状態の33歳夫の
介護と…、

2歳と5歳の育児の、
ダブルケアが始まりました。


最初は、順調でしたキラキラ


毎日、バイタルサインから、
旦那の言葉や様子を記載した
カルテを作り、

食事は本で調べた、
「がんが消えるキョロキョロ
と謳っている精進料理みたいなやつウシシ

を作り…、
(本当にがんが消えるかなんて…
確証はないのですが…ぼけー

にんじんりんごレモンジュースを
ミキサーで1日3、4回作り…、


旦那の入浴介助、
排泄介助…、

子どもの幼稚園の送り迎え…、


1日に、
私がやらなくてはならないことは
とても多かったのですが…あせる


それでも私は、
苦しく感じることは少なく、
満たされていましたお願い


最初の頃は滝汗




でも…、

旦那の状態は、
旦那の脳内に残った1%の脳腫瘍のせいで…
少しずつ、
変化していったのですショボーン

1%の脳腫瘍とは、このことですにやり
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人からの指示が入っていかない
(「車に乗る、降りる…」とか、「布団に入る」とか)

徘徊が増えた

失禁が増えた

動きが減り、ソファから
動かなくなった

そして…、
私への暴力、暴言が増え…
子どもにまで暴力暴言を振るうようになってしまったぐすん




というような状況でしたショック





でも私は、

自分は大丈夫だと思っていました。
それに…、
私が在宅介護の道を選んだわけし、
最期まで、
やり遂げるべきだと思っていました。



ところが…

現実は、
そんな甘くはありませんでしたぼけー


なにも指示が入らず、
怖い目をした旦那が殴ってくる。

子どもをうしろから蹴っ飛ばす、叩く…。

大きな声で怒鳴る。

夜でも徘徊をする。


そんな中での2人の育児あせる
母として、
子どもの生命、生活を守らないといけないお願い



私の心身は…
疲弊していきましたネガティブ

 
もう…無理かも

私が、そう限界を感じた時に
書いた文字が、
実家の引き出しから見つかりました滝汗



昔から、
苦しい時には文章に起こしていたのですね。私キョロキョロ




    


もう…無理かもしない。
毎日が苦しい。

どうすればいいんだ…。

施設のショートステイの話をもらって、
私は救われた!

と思ったのに…、

義母にダメだと言われた。

あそこの施設には
知り合いがいるから


だから…
ダメなんだと。

ダメってなんですか?

もう…無理かもしれない…
私。

苦しい…。







そうだったチーン


私が限界を感じ、
助けを求めようとしたら、
その頼みの綱も…切られて…

絶望を感じたのだったショボーン




改めて感じたお願い



旦那を失ったこと以外の傷が…、
とても深いことを…笑い泣き笑い泣き


介護している人が、
「苦しい」と感じたら、
誰かに救いを求めて欲しい!!

状況を変える選択をして欲しい!!

それは、ダメなことじゃない。

正しい選択だと、私は思います。


だって…、

大切な人が苦しい気持ちになっている事の方が…、
ご本人にとっては苦しいことだと思うから…キラキラ


サムネイル
 

【かずママとは…】
・23年目の現役看護師
グリーフ専門士、アドバイザー
心理カウンセラー

 
自身の経験、知識、学びを元に…、
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