問題解決をしようとするときに
要因分析などをして
根っこが出てくるまで
深く深く掘り下げていきます。
ここで
どうやって掘るか
どんな道具で掘るか
どうしたら効率的に掘れるのか
もしかしたら掘ることにチカラを注がずに
根が腐り、木が朽ち果てるのを待つというやり方もあったり。
やり方を検討することは重要なプロセスのひとつで
闇雲に行動を起こして
大切な資源や時間を浪費することは愚かしいことです。
しかし
考えている時間も潤沢には与えられません。
この時間に余裕があるのなら
それは喫緊な問題ではないとも言えます。
現状の把握ができていないと
余裕のアリ無しや
チカラの配分のジャッジを狂わせます。
会議ばかり長いとか
いつまでも帰れないような雰囲気が充満していて拘束時間が異様に長いとか
特にベンチャー企業にはこのような傾向が強かったりします。
結果的に「考えているふり」が
企業やスタッフの体力も精神力も疲弊させ、削り続け
掘り方を考えているうちに
カラダを壊して退場しなければならなくなります。
「選択と集中」とか
「特化」するとか
そういう判断をしなければならない場面は
組織の大小にかかわらず
毎日のようにやってきたりします。
良く考えれば
個人レベルでも同じでしょう。
判断基準に
どんな、どこまでの、どこから発信された情報や
さまざな要因を詰め込んで検討するのか
これがキーポイントです。
さて
自分の周りを見まわしてみましょう。
このところガソリンの価格が高騰しています。
東京電力は、4月から大口利用の事業者に対して値上げを通達しています。
5月に北海道にある原子力発電所がストップすると日本にあるすべての原子力発電所が止まります。
この3つのことから
何が見えてきて
何を考え
何を判断基準とするのでしょうか。
原子力発電については
ぼくたち国民のほとんどが
その存在について知りながらも
メリットとデメリットについて真剣に考えたことがほとんど無いままに
設置され、運転され
招致をした自治体だけではなく
国民にとって便利なモノでした。
環境問題が取りざたされたときには
我が国におけるこれまでの原子力発電政策が誇らしいような気持ちだったはずです。
これは
安全、安心であることを大前提としていました。
今回の大震災で
その安全神話が崩壊し、ぼくらが無知であったことも同時に露呈しました。
いまでは
多くの活断層の上に乗っかっている日本という国には
原子力発電所はミスマッチなのではないのかなと思いつつも
これからやってくる夏場の電力需要について節電の準備をしながら
具体的な代替案は
環境問題に逆行する火力発電に依存度を上げていくしかないのかなと思っています。
技術大国日本ですから、再生可能エネルギー(バイオマス、太陽光発電、風力発電、地熱発電など)の活用などについて技術革新は加速するのでしょうが
残念ながら即効性は期待できません。
ここまでは
少し考えれば簡単に行きつくことでしょう。
でも
ガソリンの価格が高騰していることとの因果関係が出てきていません。
それに気付いても
原子力発電所を永久に止めるという選択ができるのでしょうか。
火力発電所を動かすのに必要なのは
言うまでもなく化石燃料です。石油、石炭、天然ガス。(最近ではメタンハイドレートやシェールガスの利用も検討させています。)
日本には、このような化石燃料となる資源は無いに等しいです。
ということは
資源産出国のさじ加減ひとつで(実は、石油備蓄をもっともしているのがアメリカであるという事実も)
もしかしたら水物と言われている投機相場などによって
今以上に
産業界や
もっとリアルな毎日の生活までもが
右往左往させられることになるということです。
日本という国の首根っこを押さえられてししまうということです。
一時の感情にまかせて
自分の不安を体制に向けることは反対しません。
何度も言いますが
反対の意思を表示するのと同時に
もっと広い視野に立って
代替案を出さなければ
国会で下品に叫ばれている
ヤジの類と
何も変わらないのではないかと思うわけです。
ぼくは原子力発電について推進派ではないです。
ただし
オール・オア・ナッシングで議論しているステージではないと強く思っています。
具体的な代替案が生み出されるまでの間
国が安全を担保して(これが難しいとか言っていないで)
段階的に稼働させてづけることを(なし崩しではなく、将来のビジョンを検討しながら)
支持することが
良いのかなと
いまは考えています。
夏場に我慢強いお年寄りが
率先してエアコンを止めて
命を削るのは
やっぱり違うと思うのです。
This is HASHIMOTO☆QUALITY