エキセントリックソリューションズ(株)          代表取締役社長のブログ -10ページ目

エキセントリックソリューションズ(株)          代表取締役社長のブログ

NO PASSION NO GLORY     This is HASHIMOTO☆QUALITY                                            

日頃


自分の年齢について考えたりする機会はあまりないのですが


そうは言いつつも


運動をするという場面を通して


知らず知らずを装いつつも


実はきっちり検証しています。


今回


あるテレビドラマを観ることで


なんだか


すっかり


あらためて


いまの自分の年齢について


顔をあげて


周りをぐるぐる、キョロキョロと


観察するきっかけをもらったことが


不思議な感覚です。


そのテレビドラマは


メインの演出家さんが女性だったことを後で知って


なるほどなぁ


と。


セリフが


生々しいというか


リアルで


それを


離婚経験のある


元アイドルさんたちや


元グラビアアイドルさんが


臆面もなく


口にする演出に


そして


なにより


それらのセリフや演出が


まったく違和感なく


見事なまでに


すっかりおばさんになってしまったリアルというか


いつのまにか


ぼくらの世代に近づいて来た


いや


二十年近く


いっしょに年齢を重ねてきたのだと


このドラマを見ていて


妻といっしょに


同じセリフや


そのセリフまわしに


思わず吹き出していたりすると


あらためて


しみじみと


長く生きてきたんだなあと


思ったりします。


ほんの少しだけ年上の


中井貴一さんが


その存在感とすばらしいワザとによって


太くてしなやかな柱になっていて


さすがだなぁを通り越して


近しい年齢の男性として


うらやましかったりもします。


たかがドラマかもしれませんが


やはり


されどドラマだなと。


自分がもう少し若かったころに勝手に想像していた


40歳代後半の


特に男性は


社会に出て二十年以上経過していて


仕事はバリバリとまさに脂がのっている状態なのだけれど


外見というビジュアルは


疲れて


たそがれて


なのに


夕方になると


ギラギラと


テカって


ヤニ臭くて


おなかがぷっくりしていて


ワイシャツがだらしなくて



髪の毛も


じゃっかんはじまっちゃった?


みたいな。


もちろん


衣・食・住をメインとした生活環境が変化したということもあります。


首都圏に住んでいなかったらとか


いっしょに生活するパートナーの性格によっても違うかもしれませんし


様々な要因があるにしても


実際そのゾーンに突入してみると


想像していた項目ほとんどにあてはまっていないことがリアルで


でも


国務大臣さんや


元気のよろしい大阪市の首長さんは年下だったりもします。


それこそ


キョンキョンが45歳で、おばさんを否定することなく


ナチュラルにおばさん役をこなしていたり。



「大人って、


 淋しすぎると


 笑っちゃう。」



このドラマのキャッチコピーが


じわ~っと


人肌に温められた


日本酒のように


その持っている熱やらなにやらを


伝えてきます。




年をとること



たまには立ち止まってみること



そして




いまを生きること




This is HASHIMOTO☆QUALITY

「今度、是非ごはんでもいっしょにお願いします。」


特に自分より年齢が下の若者に


こんな風に言ってもらえることは


そんな雰囲気、関係性でいられるということは


ありがたいものです。


ぼくは、それを社交辞令で終わらせることが好きではないので


予約を受け付けましたっていう感じで


具体的なスケジュールにして


できる限り、こちらから投げ返えすことにしています。


もちろん相手が


いつも受け身でいるような人の場合には


すべてのお膳立てをするのではなくて


それとなくきっかけを作って


言いだしっぺが


自ら動いて


目的を達成できたという達成感を味わえるような演出をしたりもします。



さて


いよいよ「いっしょにごはんでも」のリアルがスタートします。


その日の彼は


席に着くなり


「すみません、ちょっとよろしいでしょうか。」と


自分なりに精いっぱい礼を失することのないようにと気づかいのコトバを口にしました。


何をしでかすのかと思いながらも


「どうぞ、そんなにかしこまらなくてもイイよ、いつも通りで。」と声をかけると


おもむろに


カバンからスマホを取り出して


キーをたたき始めました。


「なにしてるの?ツイッターかなにか?」


彼は、ちょっと自慢気というか、自らの行動を承認されてホッとしたかのように


《青山でランチなう》というツイート画面を見せてくれました。


そのあとも料理が届くたびに写真を撮っています。


ぼくが、写真に写りこむことを好まないことだけは理解しているようで


工夫しながら撮影会を繰り広げています。


にこにこしながらその様子を眺めながらも


アタマに浮かんでくることは打ち消そうとは思いません。

それは



対面している人間との会話よりも、スマホの画面の向こう側のバーチャルなつながりを重視してる人なのかな、と。


彼にとってぼくとのこの時間は単なるネタってことなのかぁ。


そんなことしたいのなら一人で、それこそ自腹でメシ食えばいいんじゃないかなぁ。



言うまでもないのですが


興奮して、ちょっと調子に乗っちゃって


この、いわば彼にとってのよろこばしいイベントを


うれしい気持ちを


そんなアクションで表現してくれているのかもしれないし


こんな程度のことで


目の前の彼のことを嫌いになったり、イラッとしたりするわけではないです。


いっしょうけんめいさには


人柄がにじみ出ているとも言えなくもないです。


ここで


分岐点みたいなものが目の前にぶらさがります。



教え諭すのか、しないのか。



「しない」には2パターンの理由があります。


それこそ微笑ましく


いまの情報社会ってこんなもんなんだろうなと


理解のある大人を演じて右から左に受け流す


それとも


そもそも


目上の人間(目上でなかったとしても)の前で会食中にスマホをいじるみたいなことをやってしまえるような神経の持ち主は、その時点で、教え諭す価値のない人間として


あきらめて口をつぐむか。



「教え諭す」には


自分のあたりまえが、どんな場面でも通用するわけではないと気づかせること


それも直撃弾に耐えられる人なのかどうなのかを含めた伝え方に配慮しながら。




あたりまえのことで


思い出したことがあります。(何年か前のブログでも書いていますが)


しゃべりもそんなに悪くない、商品知識も問題ない


身なりも清潔感がある


情熱もイイ感じ


でも


営業成績が上がらない営業マンがぼくのところに相談に来ました。


話しをし始めて


2分くらいで


ひとつの要因が明らかになりました。


本人は気がついていません。


ぼくは「その」違和感にすぐに気がつきます。


営業マンは、時間を常に気にしていなければなりません。


お客様の貴重な時間をいただいているのですから。


新人営業マンは、それを意識しすぎて部屋にある時計に頻繁に目線を向けてしまったり


自分の腕時計を確認してしまったりします。


そんな気づかいからくるアクションが


結果的にクロージングの妨げになってしまっていることも知らずに。


目の前のお客様が受ける印象はどうかというと


ちょっとやさしい人は


「他に何か忙しい案件を抱えていてゆっくり話をしているどころじゃないのかな。」


気持ちがよく感じない人は


「時間ばかり気にしていて、注意力が散漫な人だ。」


です。


ぼくの目の前にいる彼は、あからさまにそのようなことはしていません


しかし


同じことを


無意識にしてしまっているのです。


とにかく頻繁に左手首につけている腕時計を右手で触ります。


クセ


なんです。


時間を気にしていることが


知らず知らずのうちに


ボディアクションとして現れてきてしまっているのです。


心の奥にしまってあるのは


「この場から離れたい、逃げ出したい。」


なのです。


彼にこんな質問をします。


「ここに来ることやぼくとの話が始まる前ってどんなこと思ってた?」


「はい、正直なところどんなところをダメだしされるのかと思ってちょっと憂鬱でした。」


「やっぱり、前向きな行動だったとしても、自分のことを他人に評価されるのってイヤだよね。ぼくだってそう思うよ。」


この短いやり取りが終わると同時に


彼は、腕時計を触ることがなくなりました。




という話をランチをいっしょにしている目の前の彼に話をしたのです。


センスというか、感覚が良い彼は


すぐさま


「あ、」と声を上げると頭をかきながらテーブルに置いてあったスマホを


カバンの中にしまいました。



スマホは、それを使う人に


とても柔軟でリアルタイムな、しかし、バーチャルであるという側面を持つ社会性(社会との接点、つながり方)をもたらしています。


スマホさえあれば、引きこもりだった人が外出できてしまったりするというような安心感や依存をもです。


一方で、人間が元来備えていたはずの社会的な常識をなし崩しにする副作用をも垂れ流しに生み出し続けているのです。


ぼくは


何も言わない代わりに


次から絶対に誘わないというタイプではないです。


こういう言い方こそオヤジ臭くて好きではないのですが


ぼくらの頃は


感じろ


気づけ


盗み取れ


まるで職人さんのように教育されました。


いまは


とにかくマニュアル、マニュアルです。



教え諭してくれる人


そんなことが言い合える仲間


そんな雰囲気


自分の周りに


在りますか。



This is HASHIMOTO☆QUALITY

あることに興味が湧いていたり


気になることがあったりすると


意識しているつもりが無くても


情報が


アンテナにひっかかってくるという経験をしたことがある人は少なくないと思います。


たとえば


奥さんが妊娠していたり


友人に赤ちゃんができたりするという情報がアタマにインプットされると


街を歩いていても


電車に乗っていても


ベビーカーを押しているおかあさんの姿がやたらと多いような気がしたり


あるメーカーの自動車を買おうかなと検討していたりすると


信号待ちをしている先頭の車が、どういうわけかそのメーカーの気になっている車種だったり


このあたりメルセデスがたくさん走ってるなぁとか


朝のニュースで


「今日は花粉が多いでしょう。」などと小耳にはさんだだけでも


気持ちが悪いくらいにマスクをしている人がウヨウヨいる感じがしたり


まぁ最近は、歩いていても電車に乗っていても


ケイタイの画面とにらめっこしてる人が多いので


伝わらない人が多いかもしれませんが


そうそう


携帯音楽プレーヤーで何かを聞いている人もそうなんだけど


そんなに自分のシェルターに閉じこもっていると


何かあった時に反応が遅れるから注意したほうがイイと思います。


それはさておき


なぜか


このところ


2~3歳くらいの子どもさんたちとおかあさんのコミュニケーションが


ツボにはまっていて


おもしろく


ほのぼのな情報がどんどん飛び込んでくるのです。


先日の雨降りの夕方


某私鉄の駅からバスに乗り込んでいました。


最近のバスは


限られたスペースを有効活用するためだと思うのですが


後方のシートに向かう途中に


階段などがあって


子どもやお年寄りには


なかなか厳しいスペックになっていたりします。


もちろん前方のシートがそのような方々が優先して利用できるように


十分な配慮がなされてもいますが


仕方がないとはいえ


どうにも悩ましいのも現実です。


それほど混雑していない始発の渋谷駅方面行きのバス


座席に余裕があったので


後方のシートに一人で座っていました。


そこに2歳半くらいの女の子とその子のおかあさんが乗り込んできました。


女の子は両手にスーパーマーケットで冷凍品などを別包装するために置いてある


そうそう、おばさ、いや賢い主婦の方々が、タダなのをイイことに


必要以上にぐるぐるぐるぐる巻きとって帰っていく


あの薄手のビニール袋を


両手に持って


楽しそうに歌を口づさみながら


後方のシートに進んできます。


さて、階段が前方で待ち構えています。


その女の子は


ビニール袋を両手で掲げたまま


よたよたと


階段に挑みかかります。


後ろからくるおかあさんは


その様子をしっかりと見ながら


後ろにひっくり返るなどの万が一に備えながらも


手も口も出すことをしませんでした。


後ろから誰も来ていないし


バスが動き出すタイミングではないことを理解した上ででしょう。


女の子がどうにか袋を持ったまま階段を昇りきるのと同時に


おかあさんが、女の子に向かってやさしく言いました。


まったく嫌味のかけらもなく


やさしく穏やかにです。




「ね~ぇ、その袋、そんなに重要?」




ぼくは、吹き出すのを我慢するのにたいへんでした。


知らない人が見たら、ひとりで変顔しているキモいオヤジにしか見えなかったと思います。


2歳半くらいの女の子に


「重要?」って


女の子の様子をなんとなくひやひやしながら見守っていた


オーディエンスに向けた


ユーモアたっぷりの一撃です。


その親子は


ぼくの後ろの席に座りバスが発車します。


聞き耳を立てていたわけでは無いのですが


おかあさんが女の子に話しかけはじめました。


「そういえば、○○ちゃんと梅まつり行く約束してたのにお祭り終わっちゃったね。」


少し食い気味に女の子がリアクションをします。


「なんでお祭り終わっちゃったの?なんで?お祭り」



「梅まつりやろうと思ってたんだけど、梅、咲かなかったんだよね。」



「・・・」



一度


ツボってしまっていますから


なにを聞いても


この二人の会話は


おかしくてたまりません。




そうかと思うと


自転車にようやく乗れるようになった男の子が


ぼくの自転車の前を横切ろうとします。


もちろん


予期せぬ何かが起きても対応できるようにスピードを極端に落として


彼の横を通り過ぎようとします。


「ケンちゃん、後ろから自転車!」


おかあさんが大きな声で注意を促します。


その声でビックリしてハンドルを急に操作してしまうのではないかというくらいです。


何ごとも無く通り過ぎたぼくの背中に


おかあさんの一言が突き刺さります。




「ケンちゃん、後ろから来る気配を感じなきゃ。」




オイオイ無理無理


け、気配って





耳や


目を


開いていても


気づけないのは


もったいない。



ほのぼのの



ツボ。




This is HASHIMOTO☆QUALITY

何年か前までは


おなかがすいて


朝、目が覚める


という感覚だったものが


最近は


「コーヒーが飲みたい。」


という欲求が


目覚まし代わりになっていたりします。


かといって


起きてすぐに


コーヒーメーカーのスイッチを入れることはせずに


水をゴクゴクと飲むことが習慣となっています。


脳の病気の発症リスクが低下するという認識が


毎日のアクションのトリガーになっています。


新聞を広げるころには


ホットなコーヒーが


すてきな香りをともなって


寄り添っていてくれることが理想的で


それが大好きなスタバ のコーヒーだったりすると


なんとなく気忙しいような朝のひとときが


ちょっとだけスローなテンポとなって


ぼくにとって


良いリズムを刻みはじめるアクセントだったりします。


近くに


もう一つのシアトル系のコーヒーショップがあります。


距離的なアドバンテージ(ぼくから近い)は、そのお店の方があるのですが


なんとなく立ち寄る機会もなかったのです。


明確な理由など無いのです。


マーケティング的に切り取れば


「なんとなく行動を起こさない。」


という状態が最も厄介で


裏を返すとそれがチャンスの種だったりするのですが


まぁとにかく


ぼくはそのお店に行ったことがなかったのです。


しかし、気まぐれというか


何を思ったのか


今日突然


そのお店に行こうと思いつくわけです。


これまた明確な理由などありません。


自転車で3分くらいの距離


はじめて入ったお店の雰囲気は悪くありません、というよりも好印象です。


喫煙席と禁煙席が完全に隔離されているのもナイスです。


「テイクアウトでコーヒーをお願いします。」


テイクアウトの場合、いつも一番大きなサイズをオーダーします。


今回は、初めてだったので中くらいのサイズにしました。


エキセントリックソリューションズ(株)          代表取締役社長のブログ


カップの熱さを緩和するスリーブがいっしょに入っていました。


エキセントリックソリューションズ(株)          代表取締役社長のブログ


ありがたい気づかいです。


それではさっそくそのスリーブを装着して


カップのふたを開け


ひとくち


「おや、ローストが深いはずなのに香りが薄いな。」


というか


何かにコーヒーの香りが邪魔をされていることにすぐ気づきます。


おじゃま虫くんの正体は


すぐに判明します。


熱さ対策のスリーブです。


最近、物事の例え表現が的確でかつおもしろい我が家の娘いわく




「多くの人が閲覧した、図書館の本のニオイ。」




カップの飲み口からコーヒーが滴り落ちて


そのスリーブが濡れると


さらにその芳香は強さを増してしまいます。


せっかくの気づかいが


もったいないです。


そのスリーブも


環境に配慮をした原料を使うなどして


コストをかけて


より良いお客様の満足に貢献するよう導入されたはずです。


それが結果的に


まったくの裏目に出ています。


一番コワいのは


このことに


運営者側が


誰一人として気がついていないのか


気づいていたとしても


マイノリティの意見として闇に葬られてしまっているのか


そこが


キモ


なのです。


「ほかの気づかいはできたのだけれど


 そこまで気が回りませんでした。」


というのでは


センスが無さ過ぎです。




なんとなく行ってみた初めてのお店で


粗探しをするつもりなど毛頭無かったぼくですが


残念ながら


次に


このお店(チェーン店)をチョイス可能性を


低くせざるを得ません。




コーヒーは


香りが



だと思っています。




「多くの人が閲覧した、図書館の本のニオイ。」




なんだか


もったいなくて


しかたがないのです。






This is HASHIMOTO☆QUALITY

東武鉄道の


業平橋(なりひらばし)駅が


東京スカイツリーのオープン(5月22日)にともなって


玄関口であることがわかりやすくなるようにと


「とうきょうスカイツリー駅」に改称されたようです。


このようなランドマークや名所にちなんだ変更のニュースを聞くときに


いつも思い出す駅名のブランディングについて事例があります。


それは


千葉県浦安にある


東京ディズニーランドの最寄駅


玄関口である


舞浜駅の命名のいきさつです。


JRと日本の運営会社オリエンタルランド社は「ディズニーランド前駅」で話を進めていましたが


ウォルト・ディズニー社の回答は「No」でした。


さて、ディズニー社がゴーサインを出さなかった理由は何だったのでしょう。


答えは、明日のブログで!


などというダサいことは言いません。


でも、読み進める前に少しだけ考えてみてはどうでしょう。


メリットとデメリットという切り口で。



その理由というのは大きく次の二つのことを懸念したからだと言われています。


第一に、ディズニーリゾートとは関係のない駅前の商業施設(たとえば、ラーメン屋やパチンコ屋、風俗店など)にまで「ディズニーランド駅前店」とか名前が付いてしまうこと。



第二に、この駅構内や近隣で事件や事故が起きたりした場合に


「ディズニーランド」と名前が付いていると、イメージ悪化につながること。


ウォルト・ディズニー社は


日本の駅名に「ディズニー」という名称がつけられるという名誉や宣伝広告効果よりも


ディズニーがディズニーであること


ブランドポリシーを優先させて


明確に


「No」と言いました。


結果、埋立て事業者のオリエンタルランドの提案によって


「舞を舞いたくなるような楽しい浜辺」という趣旨と


アメリカのウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートが存するフロリダ州の都市であるマイアミビーチにちなんで


「舞浜」と名付けられたのです。


この事例は


当時「ブランディング」という概念について比較的無知であった日本人には


「そこまで考えるのか。」と


ある意味、ショッキングな出来事だったといっても過言ではなかったのです。


さてさて


「とうきょうスカイツリー駅」は


どのような扱いを受けていくのでしょうか。


東京スカイツリーのメインの運営が


この駅の運営者と同じであることが


良いのか良くなかったのか


何年かが経過してから


ブランディングという切り口から


検証されることでしょう。




ネーミング


という


究極のブランディングは


思いつきや


語呂合わせを優先すると


後から後悔することになったりするものです。




東京スカイツリー



日本の


東京の


最新の名所




このブランドを


好意的に使おうとする人ばかりであることを


ココロから願います。




This is HASHIMOTO☆QUALITY