「今度、是非ごはんでもいっしょにお願いします。」
特に自分より年齢が下の若者に
こんな風に言ってもらえることは
そんな雰囲気、関係性でいられるということは
ありがたいものです。
ぼくは、それを社交辞令で終わらせることが好きではないので
予約を受け付けましたっていう感じで
具体的なスケジュールにして
できる限り、こちらから投げ返えすことにしています。
もちろん相手が
いつも受け身でいるような人の場合には
すべてのお膳立てをするのではなくて
それとなくきっかけを作って
言いだしっぺが
自ら動いて
目的を達成できたという達成感を味わえるような演出をしたりもします。
さて
いよいよ「いっしょにごはんでも」のリアルがスタートします。
その日の彼は
席に着くなり
「すみません、ちょっとよろしいでしょうか。」と
自分なりに精いっぱい礼を失することのないようにと気づかいのコトバを口にしました。
何をしでかすのかと思いながらも
「どうぞ、そんなにかしこまらなくてもイイよ、いつも通りで。」と声をかけると
おもむろに
カバンからスマホを取り出して
キーをたたき始めました。
「なにしてるの?ツイッターかなにか?」
彼は、ちょっと自慢気というか、自らの行動を承認されてホッとしたかのように
《青山でランチなう》というツイート画面を見せてくれました。
そのあとも料理が届くたびに写真を撮っています。
ぼくが、写真に写りこむことを好まないことだけは理解しているようで
工夫しながら撮影会を繰り広げています。
にこにこしながらその様子を眺めながらも
アタマに浮かんでくることは打ち消そうとは思いません。
それは
対面している人間との会話よりも、スマホの画面の向こう側のバーチャルなつながりを重視してる人なのかな、と。
彼にとってぼくとのこの時間は単なるネタってことなのかぁ。
そんなことしたいのなら一人で、それこそ自腹でメシ食えばいいんじゃないかなぁ。
言うまでもないのですが
興奮して、ちょっと調子に乗っちゃって
この、いわば彼にとってのよろこばしいイベントを
うれしい気持ちを
そんなアクションで表現してくれているのかもしれないし
こんな程度のことで
目の前の彼のことを嫌いになったり、イラッとしたりするわけではないです。
いっしょうけんめいさには
人柄がにじみ出ているとも言えなくもないです。
ここで
分岐点みたいなものが目の前にぶらさがります。
教え諭すのか、しないのか。
「しない」には2パターンの理由があります。
それこそ微笑ましく
いまの情報社会ってこんなもんなんだろうなと
理解のある大人を演じて右から左に受け流す
それとも
そもそも
目上の人間(目上でなかったとしても)の前で会食中にスマホをいじるみたいなことをやってしまえるような神経の持ち主は、その時点で、教え諭す価値のない人間として
あきらめて口をつぐむか。
「教え諭す」には
自分のあたりまえが、どんな場面でも通用するわけではないと気づかせること
それも直撃弾に耐えられる人なのかどうなのかを含めた伝え方に配慮しながら。
あたりまえのことで
思い出したことがあります。(何年か前のブログでも書いていますが)
しゃべりもそんなに悪くない、商品知識も問題ない
身なりも清潔感がある
情熱もイイ感じ
でも
営業成績が上がらない営業マンがぼくのところに相談に来ました。
話しをし始めて
2分くらいで
ひとつの要因が明らかになりました。
本人は気がついていません。
ぼくは「その」違和感にすぐに気がつきます。
営業マンは、時間を常に気にしていなければなりません。
お客様の貴重な時間をいただいているのですから。
新人営業マンは、それを意識しすぎて部屋にある時計に頻繁に目線を向けてしまったり
自分の腕時計を確認してしまったりします。
そんな気づかいからくるアクションが
結果的にクロージングの妨げになってしまっていることも知らずに。
目の前のお客様が受ける印象はどうかというと
ちょっとやさしい人は
「他に何か忙しい案件を抱えていてゆっくり話をしているどころじゃないのかな。」
気持ちがよく感じない人は
「時間ばかり気にしていて、注意力が散漫な人だ。」
です。
ぼくの目の前にいる彼は、あからさまにそのようなことはしていません
しかし
同じことを
無意識にしてしまっているのです。
とにかく頻繁に左手首につけている腕時計を右手で触ります。
クセ
なんです。
時間を気にしていることが
知らず知らずのうちに
ボディアクションとして現れてきてしまっているのです。
心の奥にしまってあるのは
「この場から離れたい、逃げ出したい。」
なのです。
彼にこんな質問をします。
「ここに来ることやぼくとの話が始まる前ってどんなこと思ってた?」
「はい、正直なところどんなところをダメだしされるのかと思ってちょっと憂鬱でした。」
「やっぱり、前向きな行動だったとしても、自分のことを他人に評価されるのってイヤだよね。ぼくだってそう思うよ。」
この短いやり取りが終わると同時に
彼は、腕時計を触ることがなくなりました。
という話をランチをいっしょにしている目の前の彼に話をしたのです。
センスというか、感覚が良い彼は
すぐさま
「あ、」と声を上げると頭をかきながらテーブルに置いてあったスマホを
カバンの中にしまいました。
スマホは、それを使う人に
とても柔軟でリアルタイムな、しかし、バーチャルであるという側面を持つ社会性(社会との接点、つながり方)をもたらしています。
スマホさえあれば、引きこもりだった人が外出できてしまったりするというような安心感や依存をもです。
一方で、人間が元来備えていたはずの社会的な常識をなし崩しにする副作用をも垂れ流しに生み出し続けているのです。
ぼくは
何も言わない代わりに
次から絶対に誘わないというタイプではないです。
こういう言い方こそオヤジ臭くて好きではないのですが
ぼくらの頃は
感じろ
気づけ
盗み取れ
まるで職人さんのように教育されました。
いまは
とにかくマニュアル、マニュアルです。
教え諭してくれる人
そんなことが言い合える仲間
そんな雰囲気
自分の周りに
在りますか。
This is HASHIMOTO☆QUALITY