こんばんは。
今週は、ハードな一週間でした…。でも、何事もなく今日も幸せ。
京都市内は、今、各地で、紅葉の見頃を迎えていますよ 今朝の一枚です。
注)今回も長いです。↓
先週の日曜日、京都市伏見区に出かけてきました。
「幕末維新回廊 龍馬通り商店街」で行われるという、「龍馬祭」を見るためです!歴友pちゃんに教えていただき、一緒に見に行きました。いつもありがとう♡
「龍馬通り」といえば、 あの「寺田屋」からもほど近い場所にある、龍馬さんとお龍さんがよく一緒に通ったという通り。
寺田屋事件が起こった夜、龍馬さんはこの通りの商店街の屋根づたいに逃げたという話が残っているそうです。
現在も、古きよき雰囲気の残る商店街です。 前回訪れたのは、もう一年以上前になってしまっていたので、行けてよかったです。 しかも、商店街の「龍馬祭」の日に
前日の「京都幕末祭」で行われた、「龍馬&おりょうコンテスト」の優勝者の方々が参加されるという、パレードの時間をめがけて、行きました。
pちゃんのご案内で、京阪「伏見桃山駅」から、龍馬通りへ。
どうしても、まずここへ行ってしまいますね(笑) ↓
あれやこれやと店内で騒いでいるうちに(笑)、パレードがやってきました!!
地元中学校吹奏楽部隊!かっこいい~♡
こちらが、「龍馬&おりょうコンテスト」で優勝された、平成の龍馬さんとお龍さん♡素敵です。
こちらは、京都龍馬会理事長さまご夫婦の龍馬さん&おりょうさん♡ お二方とも笑顔が素敵です。
この後に、京都龍馬会の方々が続いて、パレードは終了。
その後、近くの広場で、パレードにも参加されていた、「京都居合道会」の方々による居合の生演武。
真剣での演武で、空気がぴりっと引き締まっていました。 小学生や、留学生の方もいらっしゃるのが、素晴らしいですね。(ちなみに小学生も、真剣を扱っての稽古を行っているそうです。)
一晩水につけた畳をきつく巻いたものが、すっぱりと真っ二つになっていきました。
(その瞬間は撮れなかったorz)
居合というものを初めて間近で見せていただきましたが、ものすごい緊張感と迫力でした。
この畳が人だった時代を考えると、改めてその時代の重さを感じます。大変に貴重な機会をいただきました。ありがとうございました。
さて、その後は、宇治川派流に架かる蓬莱橋(素敵な名前ですね)を戻って、
歩いて数分のところにある、旅籠「寺田屋」を訪ねました。
大人気!
以前に来たときはお休みやったので、初めて中へ入ります。(ドキドキ)慎太郎さんもいらっしゃいました。当然ですね。
龍馬さんが詠まれたという歌です。
「裏梯子(うらばしご)」とは、主な階段とは別に、客商売の家などで家族や使用人が使用する、裏に設けた別の階段のことです。
こちらがその裏梯子。
そう、寺田屋事件の際、入浴中のお龍さんが、外を囲む伏見奉行所の役人たちに気づき、急ぎ二階にいる龍馬さんの元へ走り、逃げるよう伝えた際に通った、あの階段です!
この裏梯子を下りてすぐにあるのが、そのお風呂場です。
以前から心を通わせ極秘に結婚していたお二人ですが、この寺田屋事件でお龍さんが命を懸けて龍馬さんを救ったことにより、お二人は真のパートナーとなりました。
※そういえば、15日の、霊山歴史館主催の維新講座で学んだのですが、お二人は、正式には結婚していないそうです。
というのは、土佐では、新郎の家族親戚に新婦をお披露目して初めて、正式に夫婦として認められるというしきたりがあるからです。
龍馬さん&お龍さん夫妻はそれをしておらず、また当時の戸籍代わりだった寺請制度(個人が、お寺の檀家でありキリシタンなどの宗派でないことを、お寺に証明してもらう制度のこと)でのお寺への結婚報告も、していませんでした。
つまりお龍さんは、のちの西村松兵衛氏との結婚が、書類上、初婚だったそうです。
話が逸れました(;^_^A
こんな新聞記事(2008年ごろかな?)が飾ってありました。
この寺田屋は、幕末1868年の鳥羽伏見の戦いで焼失してしまい、現在のこの建物は、その後再建され当時の寺田屋を再現したものなのですが、寺田屋は、以前はそれを公にしていなかったようですね。
記事では、京都市が、見物客に誤解のないよう周知すべき、と指導しています。
当時の女主人、お登勢さんについて。
勝海舟先生に、「龍馬をもっともよく理解した女」と言わしめるとは、お登勢さんと龍馬さんとの間には、やはり相当強い信頼関係があったのですね。
外のお庭には、こんな素晴らしい銅像の龍馬さんが、皆さまを待ってくださっています。
幕末当時に使われていた井戸。龍馬さん、慎太郎さん、お龍さん、お登勢さんも皆、ここのお水を使っていたのですね。
これを、小学校で子どもたちに教えてほしい。↓
寺田屋をじっくり味わいました。
なんと現在も宿泊できるのです。いつかは泊まってみたいです。
これからも、ずっとずっと、歴史を重ねながら、営業を続けていただきたいです。
さて、その後は、「料亭 魚三楼」へ。
名水「御香水」のみを調理に使うという、老舗料亭です。(現在は9代目が切り盛りされているそうです)
幕末当時、ここは各藩の大名屋敷の台所番を務めていたそうですよ。
こちらが、鳥羽伏見の戦いで新政府軍(薩長軍)が撃った鉄砲で付いたという、表格子に残る弾痕です。平成の現在まで残っているんですね。ちゃんと案内板もあります。素晴らしいです。
道を挟んで向かい側には、美味しそうな羊羹のお店「駿河屋」が(*´Д`)=з
さらにとことこ歩いて数分、「伏見奉行所跡」です。
さらにさらに、また数分歩いて、「御香宮神社」へ到着。
鳥羽・伏見の戦いで、薩長軍は、高台にあるこの神社に本陣を敷き、下方の伏見奉行所を鉄砲で攻撃しました。
片や伏見奉行所の旧幕府軍(新選組)は、白刃で応戦。旧幕府軍にとっては、かなり厳しい戦いであったことと思われます。
受けた銃弾が奉行所の火薬庫を直撃し、火災が起こったことで、旧幕府軍は淀へ撤退します。御香宮神社の境内には、第61~61代内閣総理大臣、佐藤栄作氏が書かれたという、 「明治維新伏見戦跡碑」がありました。
ところで、後から知ったのですが、この「御香宮神社」の本殿は、あの徳川家康公の命によって建立されました。
境内に湧き出る水「伏見の御香水」は、名水百選に選ばれるほどの名水!またお水をいただきに参りたいと思います。
今回の、巡察範囲です。
pちゃん、素敵な伏見案内を本当にありがとう!
京都はどこへ行っても、歴史と感動が待っていますねいつもながら、長々とお読みいただいてありがとうございました。