こんばんは。
京都のこの週末は、絶好の紅葉狩り日和でした
みなさまも、どこかへ紅葉狩りへ出かけられましたか?
昨日、友達と大坂・京橋で会う約束をしていたので、
その途中、昨日から東福寺界隈で始まった、「窯元もみじまつり 大陶器市」へ寄りました。
京阪東福寺駅。大変なことになっています。
先日も訪ねた、「御寺 泉涌寺」へ向かって歩いてゆくと、ありました、旗が!
そして、こちらへ。
と、ここで初めて、こんな催し↓が行われていることを知りました。
こ、これは…!!Σ(・ω・ノ)ノ!大好きなスタンプラリー!!(しかもご褒美つき)
「御寺 泉涌寺」、そしてその塔頭(たっちゅう)寺院「戒光寺」へは訪れたことがありますが、他の塔頭寺院へは、ご挨拶がまだでした。
この機会に、窯元もみじまつりからこちらへ急きょ、目的変更です(笑)
まず、先日訪ねた「御陵衛士墓地」のお隣に位置する、「即成院」です。
門の真上にいらっしゃる鳳凰は、宇治の平等院鳳凰堂を見ていらっしゃるそうです。
「御修行 弘法大師」
仏教(真言密教)修行の場を求めて大師がここを通った際、2匹の犬が高野山へ導いたと伝わることから、対のワンちゃんとともにいらっしゃいます。
この即成院本殿の右側に、細い通路があります。そこを抜けると、
「戒光寺」の境内に、つながっておりました!
昨日の戒光寺境内は、珈琲店やら手作り市やら、前回とはまた違う、賑やかな雰囲気♪
続いて、「新善光寺」です。
そして、「今熊野観音寺」です。
この鳥居橋がかかる谷は、「もみじ谷」というそうです♡
夢のような紅葉の美しさに、目を奪われます。(写真に表せないのが悲しい…)
そして、先ほどのもみじ谷の横にある、細い細ーい道を、不安ながらに進むと、
「来迎院」です。
後ろ向きに滑りおりる童(笑)楽しそう。
そして、いよいよ、「御寺 泉涌寺」へ到着です。
「仏殿」
実は、泉涌寺まで登ったもう一つの目的が、こちらでした。
孝明天皇の御陵の参拝です。 私のような一般人でも、普通に通していただけました。畏れ多くも、有難いことです。
泉涌寺までは人が多かったのですが、この先は人もおらず、静かな空気が佇みます。
孝明天皇御陵の手前に、後堀河天皇御陵もございました。
後堀河天皇(1212年-1234年)は、この左に続く階段を登った先に、いらっしゃいました。
その高台から見下ろす、泉涌寺です。 さて、いよいよ孝明天皇御陵へ向かいます。こちらの道の先に、いらっしゃいました。
孝明天皇。
幕末時、幕末志士の方々の多く、将軍でさえも、この方の御為に生きられたと言っても過言ではありません。御陵衛士の方々は、即成院横で今もなお、こちらを護っていらっしゃいます。
泉涌寺へ行かれる機会がありましたら、ぜひこちらへも足をお運びになってください。
さて、こちらが「泉涌寺 大門」です。
泉涌寺といえば、絶世の美女、楊貴妃の、「楊貴妃観音堂」が有名ですね。(私は、ちょうど去年の今頃、母と観てきました。)
先ほどの「仏殿」のさらに奥に、「月輪陵(つきのわみさぎ)」があり、四条天皇をはじめ後水尾天皇から仁孝天皇までの25陵、5灰塚、9墓がございます。
そのすぐ近くで出会いました。べっぴんちゃん!
さて、泉涌寺大門横をさらに奥へ進み、「雲龍院」へ到着です。
中も拝観させていただきました。撮影可でしたので、載せますね。 「れんげの間」にある、「しきしの景色」です。
雪見障子の四角いガラスから、4枚の違った絵を眺めることができます。
左から、椿・灯篭・楓・松 です。私の写真で、伝わっておりますでしょうか。
そして、「悟りの窓」
中庭、通路の雰囲気も、とても雅でした。
こちらは、最後の将軍、慶喜公が寄進した灯篭です。
ちょっと、傾いて見えますか?
こちらは元々、先ほどの孝明天皇御陵にありましたが、 幕末の混乱時に薩摩藩が放り投げ?、この雲龍院の住職が夜中にこっそり持ち帰り、ここへ置いたのだそうです。
傾いているのはそのせいだとか。また、なぜかこの雲龍院敷地内には、京都をこよなく愛したサスペンスの女王、山村美沙さんのお墓もあるそうです。。
雲龍院でまったりしすぎて、時間がなくなり焦る…
急いで、次の「悲田院」へ。
こちらからの、市内の眺めが素晴らしいです。
そそくさと後にし、最後がこちらの「法音院」です。
これで、今回のお寺めぐりは、終了です。
そして・・・スタンプラリー、完成しました~!
最初の即成院に戻り、ご褒美「七色に光る、七福神さま」をいただきました。すっごく綺麗です。
お財布に入れて、大切にしたいと思います。ありがとうございます
お世話になり、また紅葉もたくさん楽しませていただいて、本当にありがとうございました。