あれから一年。
あっという間の一年。
1日たりとも失った子の事を思わなかった日はない。
今まで生きてきた中で何よりも辛かった出来事。
カリフォルニア在住の日本人女性数名(流産経験者)がボランティアでやっている、流産を体験した海外在住の日本人女性を集めてひたすら思いを打ち明ける会に参加させてもらったことがある。
その時、
どうやって乗り越えれば良いかわからないし、乗り越えられてしまったときはあの子のことを過去の存在にしてしまったような、忘れてしまったきがして…それはそれで辛い。みたいな事を言ったとき主催の方に、
これは”乗り越える”案件じゃない、前に進めば済むって問題じゃないんだよ。悲しければいつまでも悲しんでいい。受け入れられた時、思い返した時に心の痛みが和らいだからってあの子のことを忘れたことにはならないから大丈夫。
と言ってもらったことが、今になってすごく納得できる。
妊娠報告していた人たちから、赤ちゃんどう?と聞かれれば答えたし、
久々に会う友だちに近況聞かれた時も話してみたりした。
3人に1人は経験する物だから、とか
みんなシェアしないだけで同じ辛い思いをしてる、とか
慰めの言葉をたくさんもらったけど、はいはいわかってますよーみんなそう言ってますよーて感じだったかな。
そんな中、ただただ黙って話しを聞きながら一緒に泣いてくれた友だちが何人かいた
それが救いであり、癒しだった
半年以上、思い返しては泣くことがあった
出産予定日ごろは情緒が不安定になって、何度かパニックアタックを起こした
ずっとあの子を失ったことの意味を探してきた
なんで私たちが流産を経験したのか、
経験を通じて得たものはなんだったのか。
一年経ってわかったのは、私たちが夫婦として挑んだ初の、難関度の高い試練だったってこと。
共同のクリエーションを失った喪失感、お互いが気持ちをシェアできて気持ちを受け止め合えた事、2人で泣いた事、同じレベルの悲しみを共有でき、あの日のことを冷静に振り返った時にちょっと笑い話にできた事…
これから何があっても2人で支え合っていけるって、二人三脚で生きていけるって確信に繋がった経験。
もし彼が気持ちをシェアしてくれなかったり、一度でも私の気持ちを否定していたら、大きな歪みになっていただろう。
夫婦とて所詮、赤の他人同士。
人生のパートナーとして、どれだけ足並みをそろえて歩んでいけるかが重要だ
お互いの脚に巻いてる綱が今まで以上に強まった実感。
一年経った今になってようやく、あの子の存在に感謝できるようになった。
たった9週間の命だったけれど、私たちを強くしてくれてありがとう。
もう思い出して泣くことはないだろう
でもこれから何年経とうとも、いつも思い続けているからね



