橘 白扇 のひとりごと -16ページ目

中国残留孤児に関する報道について

現在中国残留孤児の来日調査が行なわれている。

しかし、新聞も、テレビもこれを大きく取り上げる事はしていない。

今回は来日中に1名の身元が判明したそうだが、それすら

小さなスペースで報道されているに過ぎない。


 一方で北朝鮮による拉致については具体的進展がなくとも

随時マスコミを賑わしている。


 拉致問題は外国が原因で日本がおこなった拉致ではないため

一方的に北朝鮮を責めれば良い。しかし中国残留孤児のそもそもの

発生原因は、日本が行なった戦争、殖民政策が原因であった。


 本来、日本が責任をもって解決すべきなのは、私には

中国残留孤児の身元確認、帰国、生活援助であると思う。


 しかし、残念ながら、やや改善されたとはいえ、帰国した残留孤児

に対する支援は、けっして充分とは言えない。日本語の習得から、

就学、就職のあらゆる面でいまだ不十分といわざるを得ない。


日本語ができる、拉致被害者にたいする手厚い援助を見ていると

自国の過去を糊塗したいからなのでは無いかと勘ぐりたくなってしまう。


 どうかマスコミよ来日調査に臨む残留孤児たちの写真、経歴などを

来日調査の当初のように、記事にニュースにして頂きたい。

駒澤大学の損失って。

駒澤大学が、金利スワップ、通貨スワップといったデリバティブに

より、154億円の損失を出したそうである。


 確か駒澤大学には経済学部、経営学部もあった筈である。

    経済学部   経済学科

             商学科

現代応用経済学科

    経営学部   経営学科

             市場戦略学科

 だつたと思うが。

大学当局は、こうした経済学のプロの教授陣に相談することは

きっと無かったんだろうな。


 相談しても、学者に実践は無理でしょうし。

 ノーベル賞に経済学賞があるのは、実は生身の経済を誰も

正確に解明できないから、いろんな説明が出て来るからなのかも

知れない。株で財をなした学者がいれば、ご高説を伺いたいものである。


確か駒澤大学は19年度の私立大学等研究設備整備等補助金、

いわゆる私学助成金を12,577千円受けているのでは。


 税金の援助を受けていて、ハイリスクな金融派生商品に

手を出すようでは、大学の理念はいったいどうなっているのか。


 110億円の融資を自分で返せるのなら、私学助成金も

辞退してもらいたいものだ。

元厚生事務次官襲撃はテロなのか。

どうもテロだと言われるとしっくり来ない。

ちょっとテロの定義を引いてみた。


 テロリズム  Terrorism


   一般に恐怖心を引き起こすことにより特定の政治的


   目的を達成しようとする組織的暴力行為、またはその手段


   を指す。


どうみても単なる連続殺人であって、テロと呼べるものではない

と思われる。 日本語があやしい総理大臣がいる国だから、

政治家全般の教養レベルに疑問符がつくのはやむを得ないが

知性を誇る?マスコミまでもテロなどという表現をむやみに

使うのはいただけない。


 テロだなどといわれると、本来誤った年金制度への単純な、

馬鹿な犯罪を政治的なものとしてしまうことになる。

まねをする馬鹿が続かないためにも、単なる殺人として処理

されるべきものであろう。


 それにしても、死者に鞭うたないのが美風とされるとはいえ、

こぞって被害者をいい人だったとする風習もいいかげんにすべき

ときが来ていると思う。

 年金制度は制度自身に欠陥があったのか、運用に欠陥があったのか、

いずれにしても、事務方の最高責任者は事務次官である。

歴代の次官たちが、現在の状況に目をつぶって知らぬ振りで、第二、

第三の職場で指導的役割を果たしている事には、釈然としないものがある。

 

 しかし、いったいどうして被害者たちの住所を犯人が知っていたのだろうか。


 社会保険庁、厚生労働省の内部資料が漏洩していないことを節に祈る。

大麻汚染について考える

近頃、ニュースに頻繫に大麻絡みの話題が登場する。

大麻は薬物として依存性が低いともいわれるが、他の依存性の高い

薬物への入り口となる危険性を孕むものと言われている。

 外国で、大麻吸引を処罰しない国もあるが、危険性がないから

処罰しないのてをはなく、余りの蔓延ぶりにより、収容する施設が不足

するといった、やむを得ずの合法化だと言われている。

 概して日本の薬物事犯にたいする処罰は軽い。軽きに過ぎると思う。

薬物事犯は初犯の場合、執行猶予がつくケースが多いが、再犯率の

高い犯罪類型にかぞえられるものであり、初期段階で対処するほうが

社会復帰のためには有効だと思われる。

 ただ残念ながら刑事処遇の施設、刑務所、少年院等での薬物に

対する処置には限界がある。

 過去には保安処分として、麻薬患者にたいする禁絶処分なども

議論されていたが、近時あまりその種の議論を見聞きしなくなっている。

教育、啓蒙によりそもそもの薬物事犯減少を図る事は勿論、重要

ではあるが、薬物事犯を起こしたあとでも、社会復帰を促す方策を

そろそろ真剣に議論すべき段階に来ているのではないだろうか。

精神鑑定の不思議

最近の刑事事件では多くの場合、精神鑑定が行われている。

そして、いくつかの事例で鑑定人による鑑定結果に齟齬が見られる。

いったい精神鑑定は具体的にどのような手法でおこなわれているのだろうか。


精神鑑定の対象となるのは、鑑定の対象者の犯行時であり、その時点での

責任能力の有無である。つまり、自分の行為が犯罪であることを理解、認識

できているかどうか、責任能力の有無を対象とするものである。


精神鑑定は当然ながら事件の時から、時が経過してから行なわれる。

犯行時を推定するしか方法は無いのである。罪科を逃れるため偽装を考慮

して正しい鑑定を出す事は、容易でないことだけは理解出来る。


 しかし、精神鑑定は具体的にはどのような方法で行なわれているので

あろうか。

      記録の照合

      面接

      家族面接

     心理テスト

     脳の医学的検査

などといわれているようだが、どうも具体的にイメージすることは難しい。

 生育歴、学校での記録、精神科等への通院、入院歴を調べ、本人に面接

し、家族にも面接する。各種の心理テストを行ない、医学的な検査を実施する。

 確かに一見すると、ちゃんとした鑑定のようであるが、専門家が行なう鑑定

の結果が異なる事をこの技法から説明することは困難ではないか。


 精神鑑定をどこまで信頼してよいのか、私には判らない。

精神科上の病名と犯罪との親和性についても大いに疑義がある。

いたずらに精神鑑定が乱発されることにより、犯罪とは無縁な精神科の患者

全般に向けられる世間の白眼視をどう防ぐのか、おおいに検討すべきテーマ

だと考える。



 法廷で鑑定人が何を話し、職業裁判官はどう判断しているのだろう。


 裁判員制度により参加する、法律、精神医学に無縁な裁判員は何を基準

に判断することになるのであろうか。

裁判員制度が始まる前に。

いよいよ裁判員候補の選定が具体化して来つつあるようだ。

法律の素人の参加ゆえクリアーしなければならない問題が多い。


まず新聞、テレビ等の刑事事件の報道のあり方が取り上げられよう。

裁判員として審理に参加する場合、事件に対する予断と偏見のない

ことが絶対条件となるが、意識的に報道等を目にすることを避ける

ことは事実上不可能と考えざるを得ない。日々ニュース等で報道

される事件のうち、自分がどの事件に関して裁判員となるか、

事前に予測することは不可能である。裁判員候補になった時点から

新聞、テレビを読んだり見たりしないなどという事は期待出来ない。

予断を与えない報道はいったいどのようなものであろうか。

 裁判所は模擬裁判の実施を通じて、制度実施に向けた試行錯誤

を行っているが、はたしてマスコミは具体的にどのような試行錯誤

を新聞紙上等で行っているのであろうか。


 本来、警察署の取調べ室のなかで行われている筈の容疑者、

被疑者の取調べ内容が、おそらく、警察の正式発表とは思われない

まま報道されている現状を見ると、いささか裁判員制度への悪影響

を思い浮かべる次第である。

取り調べ内容を外部に容易にもらしているのではないかと思われる

警察関係者、無罪の推定という前提を持っていないかの如きマスコミ。

 裁判所の法廷にいたる前段階の問題も考えて欲しいのである。


 報道の自由の内容をもう一度根源にかえって考えてみる必要を

痛感している。

リアル道明寺   

わが国の総理大臣は、リアル道明寺なのだそうだ。

「花より男子」に登場する、道明寺司の、リアル版という事だそうである。

確かに金持ちの御曹司で、漢字が読めない設定だから、似ていると

いえば似ている。

でも、道明寺司は英語が話せたような気がするが、はたしてリアルさん

の語学力はどんなものだったかな。

 それにしても、周りにちゃんとした人間はいないのか。原稿の漢字

すべてにルビを振るとか、一度音読の予行演習をさせるとか、何とか

してくれないと、外国に対しても、国内の受験生をはじめとする学生

に対しても恥ずかしい。教育をつかさどる文部科学章大臣を任命

するのも総理大臣の役割なんだけど。


ちなみに単なる読み間違いといえるのかどうか、間違いの内容を少し

チェックしてみよう。


 ひんぱん   頻繁       しきりであること

                    ひっきりなしに行われること 

    はんざつ   煩雑       わずらわしくごたごたすること

                       わずらわしい

             繁雑       事が多くてごたごたすること

                       すべきことが多い


 とうしゅう    踏襲      前人のあとをそのまま受け継ぐこと


    ふしゅう    腐臭       くさったにおい

             俘囚       とらわれた人、とりこ

             浮舟       うきふね


 みぞう     未曾有    未だかってなかっためずらしいこと、稀有 

    みぞゆう            (該当する漢字なし)




 外国首脳の往来は、実は総理にはわずらわしかったのかも。

2世、3世  世襲の功罪

とかく世襲議員の欠点が取り沙汰されている。


少し世襲について考えて見た。


民間企業においても、所謂総業者一族が代表取締役、CEOなど

を勤めていることは、そう珍しい事ではない。

なにも政治家だけが世襲しているわけではない。


だが、民間企業は誰が経営者であろうとも、失敗すれば倒産の憂き目

にあうこととなる。創業者一族であれ、2世経営者であれ、経営の才能

がなければ市場からの退場を余儀なくされるのである。

 

では2世、3世という国会議員ばどうだろうか。国会議員にとどまる限り

ひとりで物事をけっする権限はなく、たとえ奇異な言動があっても実害

は大きくはない。

だが、閣僚となり、総理大臣となって政策を誤れば、そのつけは全国民に

及ぶ。

国家は、倒産するわけにはいかないのである。現在の、そして将来の

国民に塗炭の苦しみを味あわせることとなるのである。

 

父祖の業績に胡坐をかいても、現実の政治課題が解決できるわけではない。


2世、3世が悪いのではなく、その当人の実力次第であるが、願わくば

夜郎自大な自己陶酔だけはしないでいただきたいものである。



それにしても、国家公務員には2世、3世はどのくらい在籍しているので

あろうか。


国会に人無きや

田母神前空幕長の参考人招致を見ていると、国会議員の質の低さ

に暗澹たる思いを禁じ得ない。

 国会議員は三権のうち立法にたずさわる人間であり、総理大臣を

ばじめとする閣僚、および省庁にぞくする人間は行政を担う存在で

ある。

行政府においては、最高権力者を総理大臣とし、その任命により

職務を行う大臣により指揮され、国会においてさだめられた法に

したがって業務を行うものである。

個人の内心における思想、信条はその属する団体、省庁など

によりその吐露を制限されるのは、当然のことなのである。

公務員に政治活動が禁止されていることは、政治的な信条の自由

を制限するものではなく、その発言、行動を制約するものである。

不偏不党を旨とし、国民からいささかの疑いをも抱かれないよう

業務に邁進することが要求されているのである。けっして内心を

縛るものではない。

自衛隊という組織も特殊ではあっても行政の一部であるかぎり、

防衛大臣、総理大臣の指揮、命令にしたがうべきなのは理の当然

である。思想信条の自由を何の制約も受けずに発表したければ

まず自衛官を退職すべきである。在職しながら、現職ではないが

総理大臣として発言された談話を真っ向から否定することは行政

に属する人間のすべきことではなく、直ちに免職とすべき事柄である。

 指示すれば1,000名を超える人間が従うとのべたのは、いつでも

武器をもった部下を意のままに扱えるという傲岸な、クーデターも

できるぞという脅しに他ならない。これを聞きとがめることなく追求

しない国会議員ははたして議員としての資格有りや無しや。


 それにしても、論文の名にあたいする文章で会ったのか、はなはだ

疑問ではある。せいせい中学生の作文ていどの文章に大騒ぎしな

ければならないとは、世も末である。

「きぼう」は、果たして希望なのか

またしても宇宙飛行士が誕生するようである。しかし「きぼう」は誰にとっての

希望なのであろうか。

20年以上の歳月と6,800億円にのぼる膨大な金額を費やしていったい

どんな成果がもたらされたのか。

2010年にはアメリカのシャトルが引退となり、その後、日本人宇宙飛行士を

「きぼう」に送り届けると手段はいまだ霧の中である。自前で有人飛行を行える

ロケットの開発は済んではいない。

気象衛星等の有用な衛星とことなり、人間を宇宙に滞在させることの意味が

何処にあるのだろうか。まさかブーメランの飛び片のために巨額の資金を

使うの愚を何度も繰り返すのだろうか。児童、少年のあこがれという実体の

不明のもののために膨大な資金を浪費するの愚はこのへんで止めにしたら

如何なものか。

 もし、どうしてもやるのであれば、純粋に民間の資金のみによっておやりに

なれば良い。


宇宙をどう利用したいのか、明確な理念もなく浪費するのは、同様に子供の

ころからの夢の実現に自らの力で挑んでいる多くのスポーツ選手たちの

状況をかんがえると、余りの落差に唖然とせざるを得ない。