合格から一夜明けて
こんばんは。 昨日、合格発表があったんですよね...10〜12時まで、本当に長かったです。色んな友達からおめでとうの言葉が来ました。耳が早いね、皆。 合格発表の次の日の今日、たっぷり寝て起きたのはAM11時半。もう一度合格者番号一覧を確認しました。一日経って私の番号だけ東大のおじいちゃん・おばあちゃん教授が漫然と消してるんじゃないか、と本気で思ったからです。改めてそこに私の番号があることを確認しようやく、受かったんだ、という実感がじんわりとお腹の辺りに広がりました。受験生活にピリオドを打つことができました。それも自分がずっと望んでいた場所に。 二度落とされていた私には、正直合格者一覧に載っているビジョンがありませんでした。手応えとかは関係ないんです。現役と一浪目、共にそこに番号は無くて、「落ちた.....」と声を振り絞り、父と母のため息と労いの言葉を聞く。そこから砂時計がひっくり返されると、また予備校通いの四月...この二年間、3/10の午後12時で私の時は止められていました。東大でも北大でも慶應でもとにかく、受験勉強という枠組みの外に出ていなかったんです。それが今年になって解き放たれて、私は改めて気づきました。私はようやくスタートラインに立ったに過ぎないんだと。 私が二浪目に在籍していた代ゼミ本部校の東大エグゼ理系は、合格者/在籍者=3/5でした。落ちた二人は(残りの合格した2人のうち片方によれば)私と同じ二浪目の仲間でした。彼らが私より勉強していないとか、ぜっっっったいにありません。肩を並べて同じ先生の授業を受け、模試を受け、同年度の共通テストと東大二次に臨みました。彼らと私、喧嘩して勝った一人しか東大に合格することができなかったら、私は迷わず自身の合格の為に彼らに殴りかかったと思います。それぐらい東大に行きたい気持ちが強かった。でも...一緒に行きたかった。何も二人には連絡出来ていませんし、するつもりはありません。合格と不合格の直線で引かれた領域のうち、二度後者に留まっていた自分が一番されたくなかったのは「受かった?」「どうだった?」の声かけだったからです。 アメブロで他の東大受験生の方の合否も見ました。私は合否のくじを当たるまで引き続けたに過ぎません。当たりのくじが3回目に出た、それだけです。勿論ですが落ちた人より世間一般でいう地頭が良かっただとか、メンタルが強かっただとかは全くありません。ただ、他の大学に行った時に「東大」という文字を見て胸がドキリとしないか、と自分に尋ねた時に首肯できなかった、諦めの悪さでここまで来ました。くじを引くための代償を費やせる環境・財力も、すべて所与のものでした。私が選ばなければ二浪という道がなかったことは確かです。しかし、東大合格は私一人によるものでは無いこともまた自明です。正直日本の大学入試には少し思うところがあります。入り口は地獄、中と出口は天国。それでも二浪できるのもまたその「偏差値教育」の賜物でした。嫌いだ、やめたいと思っていた受験の"恩恵"をたっぷり受けてここまで来ました。 二浪したことに絶対に絶対に後悔はありません。しかしこのままの勉強スタイルでは私はただの「東大生」で終わる気がします。東大を踏み台にして、「お勉強ができる子」から逸脱を図ろうと思います。自己否定がまた大学から始まるでしょう。時に周りの次元の違う人達を見て、もたんでよろしい劣等感を抱くこともあるでしょう。そんな時はこのブログに立ち返って、二年を費やした自分を思い出そうと思います。得た地位には、常にそれ相応の期待とプレッシャーがかかります。その覚悟をもって、これから四年間(まずは二年間)色んな意味で自己刷新をしなければなりません。 この一年間、一浪目の悪夢が再来する可能性はいつでも私の後ろに忍んでいました。正直、受かった喜びより終わったという安心感と虚無感の方が強いです。昨日中にまず出すべき書類は提出しました。第二言語はロシア語、しかもTLPを希望しました。1B 3/5 と並び替え× つまり-6点3 で 17/20 つまり-6点4Aで 4/5 つまり-2点5 で 並び替え× つまり-3点だったので、合計-17点です、ここからあと1A,2,4B,5で減らされて、、、90点いけるかなあ、という感じです。 明日ロシア語の本を買ってきます。未来の話にようやく進めます。未来の話をできることに感謝や。