春。
桜のピンクから、藤や杜若など紫色の花へ移り替わる頃。
良い季節になってきたこの頃、「初夏の京都蘖の会」開催のお知らせです。

 

京都蘖の会とは?

 

京都(時々滋賀)を舞台に、いわゆる「宗教二世」をはじめ、「親や親族が信じる宗教や組織により、自身の生活に多大な影響を受け、問題を抱えるすべての方々」のための少人数の集いです。

※上記に当てはまれば、いわゆる「一世・二世・三世」、「元・現役」等々のカテゴリ、さらには所属していた宗派、教団問わず大歓迎です!


千年のみやこ京都、ならびに湖国滋賀ならではの美しい景色や美味しいお料理を楽しみつつ、なにより参加者同士が少人数で、ゆっくりと深いコミュニケーションを取れることをいちばん大切にしています。



コンセプト等、詳細はこちらの記事参照。

前回(早春)開催時の様子、および参加してくださった方の声はこちらの記事参照

 

実施要項

開催日時:
1回目:2026(令和8)年5月17日(日曜日)
2回目:2026(令和8)年5月30日(土曜日)
※両日とも雨天決行

募集人数:
3名/回(「世話人」みなせを含めて、1卓を囲める人数)
※最小催行人数:1名
 
集合場所:
JR京都駅烏丸口、中央改札前(駅ビル正面、0番ホーム向かいの、京都タワーが見える改札)に10時45分。
※参加者、その日の状況により変更有。

お申込みいただいたみなさまに個別に連絡いたします

今回のコース:
山城宇治、新緑と新茶の香りの中で歴史を巡る街歩き
(京都府宇治市)


「京都蘖の会」9年目のスタートとなる今回の舞台は宇治。

京都市の南隣、奈良との中間地点に位置する宇治市は、人口約18万人(府内第2位)の街です。


宇治市公式宣伝大使「ちはや姫」

 

ご当地ゆるキャラ「チャチャ王国のおうじちゃま」


古くより交通の要衝として、また平安貴族たちの風光明媚なリゾート地として栄えました。
紫式部「源氏物語」の最後の10帖(=章)は、ここ宇治を舞台にしており、「宇治十帖」とも呼ばれています。

 

時の権力者であった藤原頼道が、自らの極楽往生を夢見て建立した「平等院鳳凰堂」は、「10円玉」の表面、また旧1万円札の裏面のデザインに使用されており、わたしたちの日常にとてもなじみ深い建築です。

※以下、特に注釈のないものは、2022年開催時の写真です

 

 

近年では、吹奏楽に賭ける少女たちの青春を描いたアニメ作品「響け!ユーフォニアム」(武田綾乃原作)の舞台として、「聖地巡礼」のファンが多く集まります。

 

 

…同じ「久美子」なので、みょーに親近感があります(笑)

 

…そして何より、「日本三大茶」のひとつ「宇治茶」の産地です!

※ちなみにあと二つは、「静岡茶」と「狭山茶」

 

室町時代より幕府の庇護のもとで栽培が盛んになり、安土桃山時代には千利休により最高品質の「御茶」として認められました。
 

また江戸時代には、宇治田原の永谷宗円(「永谷園」の開祖)が発明した「宇治製法(青製煎茶手揉み技術)」により「煎茶」が誕生。

鮮やかな色と爽やかな香りが江戸で爆発的な人気を呼び、お茶が一般庶民にも普及するきっかけとなったのでした。
 

そうして、幕府や諸国大名へ献上する最高級の茶葉を扱う、

伊藤久右衛門
上林春松本店(「綾鷹」を監修)
中村藤吉本店
辻利兵衛本店
泉園銘茶本舗

…といった、お茶好き、スイーツ好きにはたまらない、名前を聞くだけで伝統と高級感を感じるブランドの茶商が軒を連ね、現代に至ります。

 

なにより新茶の季節です!

宇治抹茶を味わうティータイムもしっかり取ります!

 

そんな歴史いっぱい、見どころいっぱい、味わいいっぱいの宇治の街で、のんびりおしゃべりの時間を過ごしてみるのはいかがでしょうか?


なお、地球温暖化の折、5月半ばを過ぎると「暑さ」も身体にこたえて参ります。
安心して快適に楽しんでいただけるよう、「世話人」としてこころを配ってまいりたいと思います。


ちなみに、宇治市での「京都蘖の会」開催は、2022年「初夏」以来4年ぶりです。

当時の様子はこちらの記事よりどうぞ♪

 

 

 

「蘖の会」は、ひとりひとりに十二分に配慮が行き渡るよう、最大3人の少人数開催。
いわゆる「有名人」や「大御所」などと扱われる方を持ち上げることはせず、平等に接します。

大規模なイベントにありがちな煩雑な準備や、派手なサプライズは一切ありません。
また、勧誘や宣伝、営業行為は厳禁等々、参加してくださった方ひとりひとりが「最大限に安心して言葉を交わし、つながりを紡げる」ことをポリシーに開催、運営して参ります。

 

当日のスケジュール

 

※若干前後します
10:45 JR京都駅にて待ち合わせ
11:04 JR奈良線「みやこ路快速」乗車
11:21 宇治駅着
11:30 ランチ
13:00 市内観光(参加者のご希望に応じて決定)
17:00 お開き

 

主な観光スポット

 

※すべてを網羅することはできませんが、お申し込みくださったの方のご希望に合わせてコースを組ませていただきます。

平等院(世界遺産)


拝観料¥1,000(庭園、ミュージアム、および鳳凰堂内部拝観含む)

宇治上神社(世界遺産)


最古の神社建築(平安時代後期)が残る。
一説によると「世界一小さな世界遺産」と呼ばれており、10分程度で拝観できる。
拝観料無料

宇治市源氏物語ミュージアム


(2024年9月撮影)

 

源氏物語の世界と当時の平安貴族の日常を体感することができます。
入場料¥600

お茶と宇治のまち交流館「茶づな」


宇治茶と宇治の街の歴史についての展示と共に、ワークショップ(要予約)も楽しむことができます
入場料¥600

興聖寺

(2024年11月撮影)

青もみじが美しい「琴坂」と美しい庭園、そして法堂の「血天井」が有名。
お庭を観て静かに過ごしたい方にはお勧め。
拝観料¥500

 

宇治市の見どころと歴史がギュッと詰まった、「京アニ」こと京都アニメーション制作「うじには物語がある」PR動画。

悲惨な放火事件を乗り越え、美しく、かつこだわりの詰まった作品を再び制作していること、京都府民、およびファンの一人として涙が出るほどうれしく感じます。
 

ぜひご覧下さいませ!!


 

会費、およびお申し込みについて

会費について
現地での実費のみ(飲食代、交通費、拝観料等)


※大体の目安
ランチ代:¥3,000程度(各自お好きなメニューをご注文ください)
京都~宇治間JR運賃:¥480(往復)
その他拝観料及び入場料は上記「主な観光スポット」をご覧ください。

 

お申し込みについて
4月25日(土曜日)午前10時より受付開始(1回目、2回目共通)

 

締め切り:
定員に達する、あるいは開催当日の1週間前
1回目:5月10日(日曜日)
2回目:5月23日(土曜日)
※いずれも24時最終締め切り

 

お申し込み方法:

※お問い合わせもお気軽にどうぞ!

 

●「蘖の会」公式LINE(←おすすめ!)


●みなせの個人メール
●アメブロ、Facebook,Instagram,X(twitter)等、各SNSアカウントのメッセージ
 

※みなせのもとに確実に届きましたら、どのメディアを使っていただいてもOKです。
※受信しましたら、「参加お申込み、確かに承りました」旨返信をお送りします。
万が一、お申し込み後24時間経過しても返信が届かない場合、何らかの不具合が生じている可能性が高いです。
その場合、大変お手数ですが他のメディアにて再度お申し込みくださいませ。


お申し込みの際、以下の点を必ず含めてください。
1.参加ご希望の日
(5月17日 or 5月30日)
2.JR京都駅までご利用の交通機関(例:JR在来線、新幹線等)
3.みなせと「はじめまして」の方は、お申込みの際に簡単な自己紹介(お住まいの地域、年代、所属教団歴等)もいただければ幸いです。
(オフ会、もしくはオンライン等ですでにみなせと面識のある方については必要ありません。)
4.ご希望の観光スポット
(例:平等院、宇治市源氏物語ミュージアムなど)


※「京都蘖の会」は、お住まいの地域にかかわらず、全国の方がお申込み可能です。


その他重要項目
お申込みにあたり、必ず「注意事項」をご一読ください。 

「やむを得ず中止」の基準,、およびご連絡については、こちら 
 

みなさまのご参加、お待ちしております♪

こころをこめて…
「京都蘖の会」世話人
みなせくみこ

 

お笑い芸人の川島明(麒麟)は、ここ宇治市出身。

彼が卒業した京都府立莵道(とどう)高校は、「響け!ユーフォニアム」の舞台「北宇治高校」のモデルともなっている。

 

以前、某サロンで着付けのヘアセットを担当してくださった美容師さんが彼のクラスメイトで、色々とエピソードをお聴きしたのですが、「テレビで見るようなイメージではない、おとなしめのごく普通の子でしたよ」とのことでした。

 

 

 

 

子ども時代、「研究資料」として教え込まれた、「わたしの聖書物語の本」内の「楽園」の挿絵。

家族親族全員JW信者となり、ここで永遠に幸せに暮らすことを真剣に夢見ていた母親から、

 

「あなたはここで何をしたい?」

「そのためにはどうしたらいい?」

 

…などと、事あるごとにいろいろ問われ、都度「ゾウに乗りたい」だの「ライオンと遊びたい」だの模範解答していましたが、

「楽園など来なくていいから、現在の生活を平穏に過ごしたい」という答えが本音でした。

 

 

※過去記事
第1回「いきなり投げ込まれた世界」
第2回「幼心にハードな二者択一」
第3回「愛情深い両親と、ねじれていった家族のかたち」

 

前回の記事では、幼かったわたしみなせが育った家庭が、JW(エホバの証人)の教えによって「征服」され、「支配」されていく過程を綴りました。

やがて、「会衆」の一員としてJW信者との交流が始まり、そのコミュニティが生活のすべて、人生のすべてとなってゆきます。

こうして日常生活そのものが「エホバの証人の生活」へと急速に塗り替えられ、幼かったわたしみなせも、否応なく巻き込まれてゆきます。

「くみこさんのできるまで」第4回は、そんなあたりを綴ってゆこうと思います。
※「集会」への参加を巡る両親の摩擦については、第2回を参照してくださいませ。

 

 

「神の王国への忠節」を強く求められる

 

幼い頃からさんざん染みついた「JW的専門用語」と言うものがありまして、足を洗った現在でもふとした拍子で出てしまい、周囲の人たちにビミョーな反応をされてしまうことがあるのですが、この「忠節」という言葉もそのひとつかも知れません。

わたしの母親がJWに入信した当時は、特にこの「忠節」という言葉が強調され、「神の王国へ忠節を示す」よう繰り返し教えられていました。

※エホバの証人は、「神の王国」がすでに天で支配を開始しており、近い将来に地上にも支配を及ぼすと信じている。
信者たちは「神の王国の臣民」にふさわしい者であることを、今から日々明らかにするよう求められている。


以下、当時母親はじめ信者が熟読することを事実上義務付けられていた、機関誌『ものみの塔』の引用。

親の皆さん、お子さんはあなたについてどんなことを明らかにしていますか。
あなたは生活の中で何を第一にしていますか。

(神の)王国の関心事ですか,それとも物質的な事柄でしょうか。
こうした心を探る質問に対する答えは,その人のエホバに対する忠節と密接に関係しています。

お子さんの内に神の王国に対する忠節という種をまけば,忠節という実を刈り取ることになるでしょう。
コリント第二 9:6と比較してください。)


どうしたらそれを行なえますか。家族と共に神の言葉を定期的に研究し,エホバの諭しが最善であるといえる理由をお子さんと一緒に推論してください。
様々な場所に一緒に出掛け,家族として共に物事を行なうのです。常に意思の疎通を図るようにしてください。
会衆は援助を差し伸べることはできても,勤勉な親の代わりにはなれません。
(エフェソス 6:4)
お子さんの内に王国に対する忠節心を植え付ける努力を決して放棄してはなりません。

子供の皆さん,ご両親と会衆の長老たちに協力し,従うようにしてください。
あらゆる悪い行ないを避け,みだらな言葉を口にしてはなりません。

それは両親に対して,会衆に対して,またエホバに対して忠節であることです。

あなたの人生の目標は何でしょうか。

霊的な良い特質を培うこと,奉仕の務めに定期的にあずかること,集会に定期的に出席すること,エホバとの関係をより良いものにすることでしょうか。
開拓者,宣教者,あるいはベテルの働き人になることですか。
もしこうした目標を持っているなら,忠節な親から受けた訓練を反映し,自らも神の王国の忠節な臣民であることを証明できるでしょう。


-ものみの塔1982年3月1日号:「『王国の忠節』―あなたにとって何を意味しますか」より

母親には、この「忠節」という概念は、家族全体をエホバの証人化するべく奮闘していた自らの行動を正当化し、強化し、より駆り立てることとなりました。

 

ストイックな「群れ」の人々


JW信者各自は、地域ごとに設立された「会衆(教会)」に所属し、さらに地域ごとに細かく分けられた「群れ」単位で日々の活動を行ないます。

分かりやすく言えば、各地域の「支店」が会衆。
支店内にあるそれぞれの「課」が「群れ」というところでしょうか。

都会か田舎かなどの地域特性、また所属するメンバー、その「群れ」を指導する「司会者」(リーダーの役目を担う、経験ある男性信者)等の要素により、

ゆるいか、きびしいか、
家庭的で親しみやすいか、ビジネスライクでクールか…

等々、「群れ」の雰囲気や居心地は変わるものなのですが、みなせ家が初めて所属した群れは、とてもストイックに「救い」を追究する、自他共に厳しい人々の集まりでありました。
※わたしの母親の「司会者」だった姉妹も、同じ群れに所属していたので、みなせ家にとってさらに厳しさに拍車ががかった。

群れを統括していたのは、当時40代半ばの独身「長老」で、「(神の)王国とその義を第一に求めなさい。そうすれば他の必要なものはすべて(神により)与えられます」というキリストの言葉(マタイ6章33節)を地でゆく生活をしている人でした。

家賃2万円(当時)の四畳半のアパートに住み、大学構内の清掃で生計を立てつつ、人生のすべてをJWの活動に捧げており、一度その自宅に伺ったことがあるが、部屋には聖書とJW出版物以外、何もない部屋でした。

 

みかん箱に、「表から拾ってきた」というドア板を渡しただけのテーブルにお茶菓子を並べて、「このドアノブは卵立てになるんだよ」と笑っていた姿を今でも覚えています。
何かの折に、群れで集合写真を撮った際、『忠節な証人たち』と大書した紙を誇らしげに掲げていたこともありました。

そんな彼が率いる「群れ」は、化粧っ気のない地味な服装をした女性信者と、型抜きしたようなスーツ姿の男性信者が、「救い」のために日々ひたすらJW活動へ打ち込み、ちょっとでも「道に外れた」となると厳しく戒められる…といった、かなり緊張感のある「群れ」でした。


比較すると失礼に当たるかもしれませんが、アメリカの「アーミッシュ」がイメージに近いかもしれません。

ある夏の日、フレンチスリーブのワンピースを着て伝道活動に参加した若い姉妹(女性信者)が、みんなの前で「慎みがない!着替えてきなさい‼️」と叱責されて家に帰らされたこともありました。

 

スカート丈はひざ下の結構上品な作りだったのを覚えていまして、ワンピースやスカートを自ら普通に着用するようになった現在思い出しても、あれで公に怒られたのか…と、今更ながらこの姉妹への同情を禁じ得ないわたしです。

 

後年になり、様々な会衆や群れに所属し、また統括もした経験から、さまざまな雰囲気の群れがあって然るべきなのだと理解しましたが、いちばんはじめに所属したこの「東町の群れ」のストイックで厳しい雰囲気は現在でも強烈にこころに残っていますし、今となってはなかなか得難い経験をしたものだなぁと感じます。

image

 

当時所属していた「群れ」の、数少ない集合写真。

この頃までには成員も入れ替わり、当初に比べてかなり緩くなっていた。

左端のライトグリーンのTシャツの子がみなせくん。

 

家庭に踏み込まれ、指図される


ある日、小学校から帰ると、この長老が母と向かい合っていました。

母親は目も顔も真っ赤にして鼻をグスグス言わせて沈黙しており、実に異様な雰囲気が漂っていました。


帰宅したわたしを見るなり彼は、
「(本名)くん、お母さん泣かしちゃった」。とニヤリと笑った。

…どうやら母は数時間にわたり、この長老から詰められていたらしい。

「子どもたちをもっとしっかり訓練して、一日も早くバプテスマ(正式信者となる「洗礼」)を受けさせなさい」
「ご主人やご親族にももっと『証言(=勧誘トーク)』して、ひとりでも多く信者にしなさい」
「そのために、現在のあなたには何が足りないと思いますか?何を努力できますか?
※なお、こうした個人訪問は「牧羊訪問」と呼ばれ、通常長老2人一組で行なうものだが、この時はなぜか一対一だった)

「あなたも一緒に座りなさい」と、さらに小一時間ほど「助言」が続き、「お母さんと一緒にエホバを喜ばせるために、僕はこれこれのことをします」などと、問われるままに模範解答をしたような気がする。

家に上がり込んできて、やるべき事とやるべきでないことを、神の名を借りて一方的に指図してくるこの人は何なんだ。
こんな人に言われるがままになって、涙まで流している母親は何なんだ…。


自分の家のはずなのに息が詰まるほど重苦しく、居場所のない感覚と納得のゆかない思いは、現在でも覚えています。
…そして、この日を境に、母の「教育」の厳しさは一段とギアが上がったのでした。

 

 当時の母親の心理に思いを馳せてみる


この出来事から40年以上経ちました。
また、JWから足洗って20年近くに経過し、当時の母親をはるかに超える年齢になっています。

…ここでちょっと母親の立場に立って、簡単ながら1980年代という時代背景と、当時の母親の心境を想像してみたいと思います。

当時の母親は、まだ30代になったばかり。
鳥取県の高校卒業後、パナソニック系の地元企業で5年ほど働き、24歳で父親と職場結婚して寿退社。

その後、父親の転勤で都会に出てくる。

核家族の専業主婦。
人付き合いもほとんど無い孤独な環境で、3人の子育てに追われる日々。

9歳離れた夫(父親)や姑(祖母)には子ども扱いをされて、事ある毎に厳しい言葉を投げかけられ、日々自尊心を踏み躙られていただろう。

当時は携帯電話はもちろん、インターネットもSNSもない。
悩みを共有できる友人とつながる機会は極めて少なく、アドバイスが欲しくても自分の親や姑か、本屋に行って育児書読むしかないまさに「手探り状態」。

…そこへ現れたのが、

子育てと家族生活の明確な指針。
人生の目的と将来の希望。
それを懇切丁寧に教えてくれる年長者。
自分を歓迎し、必要としてくれ、活動を共にする仲間。
そして、自尊心を満たしてくれる居場所。


…これらを一度に、まさに「オールインワン」で与えてくれるのが、JWの教えだった。
※「エホバ神と組織の教え」に従っていれば、あなたは誰よりも賢くて絶対正しいと、事実上「神さまのお墨付き」をもらえるのがJW。

このプライドが現在でも母親の絶対的拠り所となっており、(本人はまるで意識していないが)、「私があなたを正しい道に導いてあげる」という「上から目線」の言動が染みついてしまっていたりする。
 

聖書に基づいた、家族と子育てのアドバイスが詰まった「あなたの家族生活を幸福なものにする」という書籍を紹介されて直ちに購入。
(当時は寄付額として「定価」がついていた。確か¥400くらいだったかと。)

 

公式サイト"JW.ORG"にて現在も内容を閲覧できます

一部で問題になった、「懲らしめのむち棒」についての記述もはっきり残されています。

 

「ビビビっときた」ではないが、母親は「これは真理だとすぐに確信した」と語っている。

実際、この1980年代、母のように入信した専業主婦(いわゆる「団塊の世代」)は全国的に多かった。
夫の安定した収入を基盤に、日中の時間を宗教活動と信者同士の交流に費やした彼女たちは教勢拡大の主力となり、JWに限らずいわゆる「新宗教」が急速に伸びる原動力となったと指摘されている。
そして現在、当時の子どもたち(いわゆる「団塊ジュニア世代」)が、「宗教二世」としてさまざまに発信、活動している構図。

…それはさておき、ここからがみなせ的に重要な部分。

自分が確信した聖書に基づくJWの教育基準を実行すれば、非の打ちどころのない「模範的な子ども」、「幸福な家族」になるはず。

そうなれば夫はじめ舅姑、さらに親族もJWの教えの価値を認めて、家族親族全員が信者になってくれるはず。
そうして、来るべきハルマゲドンを家族全員で通過し、地上の楽園で永遠に生きる…。


おそらく、そんなハッピーエンドを夢見て、母親は全力で奮闘したのだろう。

母親の「夢」実現のターゲットになったのが、「長男」であった当時7歳のわたしみなせであった。

JWの「会衆」内には、「しつけ競争」とも呼ぶべき、自分の子供をどのように育てているかで評価が左右される雰囲気が常在している。

…つまり、幼かったわたしみなせの「(JWの教理に基づく)しつけの仕上がり具合」が、

 

会衆内での母親の評価にも、

父親や祖父母、親族の入信の可否にも
そして、幼いみなせが母親に受け入れられるかどうかにも、すべて連動していた。

 

幼なかったわたし自身には、意思決定権はなかった。
…この時点で、すでに父親からは「見捨てられた」という経験をしているのだから。

「回想記」第2回参照)

 

…このことが、以後30年近くにわたり、みなせの価値観と人生観、さらには周囲の人との距離感を歪ませ、狂わせることになるのですが、詳細は次回第5回にて、当時のみなせくんの生活と共に綴りたいと思います。

 

幼いみなせくんに、「担当の司会者」がつく


…そんな期待のせいか、幼いわたしにも担当の司会者がつくことになった。
司会者の姉妹の息子さんで、慶應大学に通う秀才タイプの方だった。


「優しいお兄さん」という感じで、何より母親とするよりはるかに学びやすかった。

視覚や聴覚に訴える仕方で、JWの教えを印象付けるようにも工夫してくれた。
「研究」後にはキャッチボールをしたり、休日には博物館に連れて行ってくれたり…と、けっこう良い思い出が多いです。
※家庭を問わず、母親との「研究」は、大抵「お説教タイム」になってしまい、学びどころか極めて不快な時間になることが多いので、自分の子どもをJWにしたければ、適切な距離を置け、かつ心理的ハードルの低い「お兄さん(お姉さん)」的存在の方との研究を強く勧めます(笑)
 

残念ながら、学業がかなり忙しくて、心身のバランスを崩されたようで1年足らずで研究は中止、再び母親のもとで学ぶことになりました。

その際、あの厳しい「司会者の姉妹」が、「(名前)くん、ホントにごめんね」とわたしに謝ってくれて、とてもびっくりしたのを今でも覚えています。

 

…と、ゆーわけで、今回はここまで。

次回「第5回」は、JWにシッチャカメッチャカに引っ掻き回された家庭内で、幼いみなせくんがどう過ごしていたかを記したいと思います。

 


母親の青春時代、「アタック№1」や、「エースをねらえ!」と言った「スポ根」漫画が流行っていた。
 

…これは想像に過ぎないが、

「良い信者として認められたい」と、厳しい長老やストイックな群れの仲間たちに必死で食らいついていた母親は、JWというチームの「鬼コーチ」のもとで、仲間たちと一緒に「永遠の命」という「賞」を狙う…。

 

そんな青春時代の幻影を求める心境だったのかもしれません。

 

 

 

 

近江八幡名誉市民第一号である米国人宣教師、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏の銅像。

今回の「蘖の会」に関連して、彼の生涯と功績をいろいろ学んだのですが、近江八幡のみならず日本の発展に貢献し、ここまで愛された「キリスト教宣教師」がいたのか…と、知れば知るほどに尊敬の念を深くします。

 

去る3月29日日曜日、滋賀県近江八幡市にて「早春の京都蘖の会」を開催しました。
当日は春爛漫、まさにお出かけ日和の心地よいお天気になり、近畿圏より2名の方々がご参加くださいました。

 

「京都蘖の会」とは?

 

京都(時々滋賀)を舞台に、いわゆる「宗教二世」をはじめ、「親や親族が信じる宗教や組織により自身の生活に多大な影響を受け、問題を抱えるすべての方々」を対象にした、少人数の自助的な集いです。
※上記に当てはまれば、いわゆる「一世・二世・三世」、「元・現役」等々のカテゴリ、さらには所属していた宗派、教団問わず大歓迎です!

 

京都(時々滋賀)ならではの、ちょっと贅沢なランチとプチガイドツアー。
何よりも、参加者同士がゆっくり深いコミュニケーションを取れることをいちばん大切にしています。

※コンセプト等、詳細はこちらの記事参照。
※昨年開催した「早春の京都蘖の会」は、こちらの記事参照

 

近江八幡駅前にて。

 

町衆のパワーに圧倒

 

駅前からバスで10分足らずの市街中心部へ。
近江八幡が誇る天下の奇祭、「左義長祭り」の資料館へ立ち寄ります。
 

元々は安土城下の祭りで、城主織田信長も自ら女性ものの長襦袢を羽織って民と一緒に踊り狂ったという伝説が残る熱い祭りです。

 

なにより注目すべきが、この祭りを彩るのが「山車」。
その年の干支をテーマに、町ごとに一年間かけて手の込んだものが作られます。

 

 

これだけでも十分すごいのですが、さらに驚くべきはこれらすべてが「食材」を用いて作られていること…!
近江八幡の町衆がこの祭りにかける熱意に、圧倒される思いでありました。

 

さらに詳しく知りたい方はこちらをどうぞ♪

(参加者の方へ「予習資料」としてお送りした動画のひとつです)

 

ランチ

 

 

まるでタイムスリップしたかのような町並みの「新町通」を抜けて、八幡堀沿いにある郷土料理のお店「喜兵衛」さまへ。
玄関には、華やかなおひなさまが迎えてくださいました。

 

築100年以上を数える近江商人の邸宅を利用した重厚なつくりの店内で、一番人気の「喜兵衛膳」をいただきます。

 

 


近江八幡特産の「赤こんにゃく」や、「琵琶湖八珍」と呼ばれる琵琶湖の恵みをはじめとした「近江の郷土料理」いっぱいの御膳に、季節の天ぷら、鯉のあらい、近江牛ローストビーフ等の「別皿」を選ぶことができます。
 

酢味噌でいただく鯉のあらい、コリコリした食感で美味でした!


美味しいお料理の数々に「地元のおばちゃん」たちの暖かなおもてなしに、参加者の方の緊張もすっかりほぐれて、ともすればこのお店だけですべて時間を使い果たしてしまいそうなほど居心地よく、たくさんのおしゃべりで過ごすことができました。
 

八幡堀散策

 

「喜兵衛」さまの前から、堀めぐりの船が行き来する八幡堀沿いを散策します。


 

 

この日、京都は桜満開でしたが、近江八幡はちょっと寒いのかな?
桜も「咲き始め」といったところ。


そのかわり、堀端に「つくし」がいっぱい芽生えていました。


道々の「春」にのんびりふれつつ、お互いの話に耳を傾け合いました。
 

「ふとんの西川」資料館


大手ふとんメーカー「西川」近江八幡店内にある、「ふとんの西川」資料館へ立ち寄ります。


(2月の下見時の写真)


「西川」は戦国時代の1566(永禄9)年、ここ近江八幡で創業された、代表的な近江商人のひとつです。
元々は「蚊帳」の商いから始まり、やがて幕府御用達の「弓」を扱うようになりました。


 

明治維新後、季節を問わない生活必需品である「ふとん」に注目して商いを拡大し、得た利益を従業員の福利厚生のみならず、学校などの公共施設の建設に資金援助するなど、地元近江八幡の町の発展に役立て、まさに

 

「売り手よし」

「買い手よし」

「世間よし」

 

…の、「三方よし」を具現した経営を現在まで続けているのです。

 

ラ・コリーナ近江八幡

 

「西川資料館」見学の後、参加者の方よりリクエストをいただいた「ラ・コリーナ近江八幡」へバスで向かいます。
「北ノ庄ラコリーナ前」バス停で下車。

 

 


門をくぐると、まるでジブリの世界のような、草屋根の建物が見えてきます。


 

ラ・コリーナは、地元近江八幡生まれの和菓子店「たねや」と、系列洋菓子店「クラブハリエ」のフラッグシップ店として2015年にオープンしました。

 

「お菓子の素材は自然の恵み」。

「お菓子は自然との、人とのつながりでできている」。

「自然に学び、自然を愛す」。

 

そんなコンセプトを基に、「お店」の枠にはとどまらない広大な敷地に建つのは、草屋根やクリの木など自然素材に徹底的にこだわり、土壁は社長やスタッフが手作業で塗り仕上げられているこだわりの詰まった建物たち。


 

…それにしてもね、 結構ボリューミーなランチから1時間も経っていないにもかかわらずね、
「焼き立てバウムクーヘン食べたい!何なら3~4個w」

…と、即答したお二人に、女性の「別腹」ってほんとうにあるのだな…と、つくづく感じてしまったり(^^;


春休み中の日曜日、かつ快晴ということで、園内は家族連れはじめとしてかなりの人出でしたが、混雑が気にならないほどの広い苑内を気ままに散策しました。


 

バウムクーヘンの制作過程を見学できるファクトリーに併設され、「焼き立てバウムクーヘン」をいただけるカフェはさすがに行列、一時間待ちとのことでしたので、参加者のおふたりにはのんびりお土産選びしていただいて、「世話人」みなせが列に並びました。
 

当初の予想以上に早く行列は流れて慌てておふたりをお呼びするとか。
飲み物の注文を忘れてしまい、あとから対応していただくとか…。


色々と予想外の展開もありましたが、その都度臨機応変かつ柔軟に、快く対応してくださった店員さんが素晴らしく、すべて快い結果になりまして、まさに「三方よし」の精神を体現しているかのようでした。


 

できたてバウムクーヘンはほかほかのふわふわ。
コーティングされたシュガーと一緒につけられた生クリームがまた絶妙でちょっとこれは他所ではけっして味わえない貴重な時間でありました!!
 

「(お土産を入れた)紙袋がみなせさんの帯模様と一緒!!」などと、みょーに盛り上がって撮った一枚(笑)

 

ご参加くださった方の声

 

普段は誰にも話せないことを、同じ背景を持つ二世と話すことができ、お二人とも変な顔をせず話を真剣に聞いてくださりとてもありがたかったです。


みなせさんが話し上手で聞き上手だったので緊張がほぐれました。

(もうひとりの参加者の方)も優しくて話しやすくとてもありがたかったです。
 

みなせさんのように吹っ切れて自分の人生を生きれるようになりたいと思いました。
 

心和む時間をゆったりと過ごせ良かったです。


心の内を語り合えたことで、また気持ちを整えることが出来ました。
これぞ、蘖の会の醍醐味!


数人でじっくり語り会えるからこそ、しぼんだ気持ちがまたぐいっと上向くのだと思います。
連続で味わわせていただいている私には物凄いパワーチャージになっています。


とりわけ今回、「オフ会」自体がまったく初めて…という方がご参加くださいました。
JW二世に限らずですが、「オフ会」に初めて参加することは、とかく不安で、とても緊張するものです。
 

…でも、だからこそ、数あるオフ会の中から敢えて「蘖の会」を選んでくださったこと。
何よりも勇気を出してお申し込みくださり、実際に参加くださったこと。
 

そのことがほんとうに嬉しくてありがたく、「蘖の会」としては全力でお迎えし、最大限安心して、最大限楽しい想い出の時間を過ごしていただきたいと心底思います。
 

「地元近畿圏で、二世と話をしてみたかった」とおっしゃるこの方。
もうひとりの参加者の方の優しい、とても親しみやすいかかわりをしてくださったおかげで緊張もほぐれ、楽しんでいただけたご様子でした。


後日、このことをスタッフでいてくれる仲間にも共有したところ、
 

「こうした方がいてくださると、成果は集めた人数ではない…と、改めて思いますね。」

 

…との言葉をいただきまして、まさにその通りだと噛みしめました。
 

参加するために「一歩踏み出す勇気」。

「蘖の会」、およびみなせにとって、まさに値千金です!

 

「勇気を出して参加してよかった」と必ず感じていただけるよう、「蘖の会」と世話人みなせは、「目の前のひとり」を全力で受け止め、しっかりお応えします!!

 

「目の前のひとり」を大切に、
9年目の日々もこころをこめて向き合う

 

この度の「早春」にて、「京都蘖の会」は8周年を迎えました。


2018年4月に、嵯峨嵐山で記念すべき1回目以来年8回、計64回開催して参りました。
※このほか、広島で企画開催した6回、およびひそかに開催した「ぷちひこ」2回が別にある。


「宗教二世」として育ち、「アフターJW」の日々を生きてゆくのは決して楽なことではないものです。


…でも、時々こうして同じ背景をもつ人々と、余分の説明を要さない言葉で語り合い、つながり、「ひとりじゃないんだ」と感じられるひと時は、想像以上に日々の後押しとなってくれるものです。
 

 

今回初めて、また今回もご参加下さった方。
参加は叶わずとも、「蘖の会」へ思いを馳せてくださっているひとりひとり。
そして、「スタッフ」としていつも支えてくれる大切な仲間たち。
ほんとうにありがとうございました。


ごくささやかな「蘖の会」ではありますが、「目の前のひとりを大切に、こころをこめてご一緒する」ことを大切に、今後も勇気を出してご参加くださるみなさまが最大限安心し、最大限満足いただけるよう、楽しい想い出と「つながり」を紡ぐべく、9年目の日々も気張ってまいります。

 

次回「初夏の京都蘖の会」は、5月中旬~6月初頭にかけての土、日曜に開催予定。
4月半ば頃に拙ブログにて告知予定です。

 

赤こんにゃくは、近江八幡市の名物で「三二(さんに)酸化鉄」という鉄分で赤く染められており、煮ても脱色せず、健康的にも優れた食材である。
なぜこんにゃくが赤いのかという点は、華やかなものを好んでいた織田信長が赤く染めさせたなどの諸説があるが、由来や起源を示す史料はなく、赤い理由はわからないままだ。
また、近江八幡市から全県に広がり、今では全国区に広がった赤こんにゃくは、こんにゃくの独特な臭いがない。
きめが細かく、柔らかくプリプリとした触感が特徴である。近江八幡市近辺では五目寿司(ちらしずし)の具材としても使われている。
彩の良さから飲食店でも人気で、味付けされた加工品も販売されている。
 

(農林水産省HPより)

 

フィリピンのセブ島にある観光名所「マゼランクロス」

大航海時代、マゼランによってフィリピンへキリスト教がもたらされたことを記念する遺構。

幼い頃のみなせ家にも、同様に「エホバの証人」の教えがもたらされた…と言えるのですが、マゼランの時と同様、その実情はきれいごとだけでは済まされないものでした。

 

※過去記事

第1回「いきなり投げ込まれた世界」

第2回「幼心にハードな二者択一」

 

わたしの父親は、とても愛情深い人です。


…ただ、かなり不器用でしたが。



わたしの母親もまた、とても愛情深い人です。


…ただ、彼女が信仰した宗教ゆえ、そのベクトルはとんでもない方向へ向けられましたが。



子ども時代のみなせは、それぞれにあまりにも向きが違い過ぎる、両親の深い愛情の狭間にいました。


…というよりも、JW(「エホバの証人」を表わす"Jehovah's Witnesses"の頭文字)の教えに支配された母親の「深い愛情」が家庭全体を巻き込み、破壊してゆく力のほうが圧倒的に強かったと思います。



母親は(良くも悪くも)「思い込んだら一直線」、妥協を知らない頑固な性質の人でした。
(この性質、確実に遺伝してるな…^^;)

 

その性質がJWの教理と結びついた時、家庭は一気に傾き始め、わたしの子ども時代もまるで別の軌道に乗せられたように感じています。



「教育ママ」という言葉、現在でも使うのでしょうか?
大学進学やそのための塾通い、また習い事など、親は子どもの将来のため、その才能を最大限伸ばし、可能な限り最高の教育を受けさせようとするものです。

わたしの母親にとっての「最高の教育」は、JWが説く「永遠の命へ至る、唯一まことの神の教え」でした。
自らが固く信じるその教えをそれはもう熱心に、命がけで自分の子どもたちに施した、JW的「教育ママ」でした。

 

「親の愛情」が宗教に乗っ取られるとき、家庭が「戦場」になっていく

 

誤解を恐れずにまとめれば、母が信じた「エホバの証人」の教えは、次の3点に集約されます。
 

①終末論
現在の世界は「悪魔サタン」に支配されており、近い将来、エホバ神がみ子イエスキリストを立て、最終戦争「ハルマゲドン」を起こし、エホバ神に従わない人々もろとも滅ぼされる。



②選民意識


生き残るのは「唯一まことの神の民」であるエホバの証人だけで、ハルマゲドン後に訪れる「地上の楽園」で永遠に生きる。

③熱心な伝道(勧誘)活動
ハルマゲドンは明日にも来るかもしれない。
だから一人でも多く「救う」必要がある。


家族や子どもたちならなおさら。


JWの出版物にしばしば掲載される「ハルマゲドン」の挿絵の一部。

わたしの現役時代には血を流した死体もリアルに描かれていたけど、若干マイルドになったかな?…とは感じる。
でも当時よりも画像編集技術の向上した分迫力が上がっていますねぇ。

こうした挿絵を見せられて、「あなたもこうなりたいの?」とか、「こんな風に滅ぼされないためには何をしなければならない?」などと、繰り返し刷り込まれたものです。


母親はこの教えを疑うことなく純粋に、そして全力で信じた。
家族全員を「救う」ため、父親に入信を迫り、そのために子どもたちにあの手この手で言い含め、親族にも次々と勧誘を始めた。



摩擦が生じないわけがない。
家庭はあっという間に戦場のようになった。
両親はもちろん、祖父母、叔父叔母との間で議論にもならない言い争いや、「出てゆく、出てゆかない」、「離婚する、しない」…。
そんな言葉が日常的に飛び交い、時には手が上がることもありました。

 

幼き日のみなせを襲った、最初の「侵略」と「征服」

 

これまた誤解を恐れずに記せば、歴史を通じて「キリスト教」は他国の征服や植民地化のために、欧米の「列強」諸国で利用されてきました。


「神か悪魔か」、「正しいか、間違いか」、「善か悪か」、「従うか、従わないか」、「生か死か」など、白黒はっきりした一神教的な二元論が、現地人を支配する上では色々と有用だったのでしょう。
 
幼き日のみなせが育った家庭は、まさに「エホバ神」に「侵略」、「征服」され、「植民地」化されていく「戦場」でした。
それは、両親だけでなく、子どものわたしにとっても同じだった。


わたしが最初に「侵略」を実感した出来事があります。
それは、たった一枚の絵でした。


当時は「ガンダム」が流行り始めた頃で、クラスの男の子たちはみな夢中になっていました。
 

ある日、当時仲の良かったクラスメイトが、自分で描いたという「ザク」だったか「ドム」だったかの絵をわたしにプレゼントしてくれました。
とても絵の上手な子で、色鉛筆で迫力ある絵だったのを覚えています。

当時の記憶を基に生成AIに描いてもらった絵。

…うん、大体こんなイメージだった。

 

ガンダムに特別興味があったわけではないけれど、「自分のために描いてくれた」という気持ちが嬉しくて、その絵を大切に持ち帰りました。

その日はよりによって、母親の「研究(JW出版物を基に聖書を学ぶマンツーマンレッスン)」の日だった。

母親と、「司会者」(講師でありコーチ役)である姉妹(女性信者の呼称)がいた。



「お帰り、あなた、何を持っているの?」

…たどたどしく説明する、幼いみなせくん。

とたんに厳しい顔つきになる司会者の姉妹と、それに同調する母親。

「ガンダムは戦いでしょ?そんなものを持っていてエホバが喜ばれると思うの?
エホバとお友だち、どちらが大事なの?ハルマゲドンで滅ぼされたいの?」


司会者の姉妹が矢継ぎ早に問い詰め、母も厳しい顔でわたしを睨みます。
小学二年生のわたしに、反論する力などあるはずもありません。
黙り込んだまま、力なく首を振ると、さらに畳みかけられました。

「…じゃあ、エホバに喜んでいただくために、どうしたらいいと思う?」
答えはひとつしかありませんでした。

わたしは、大切に持ち帰った絵をゴミ箱に入れました。
…でも、それだけでは終わりません。

「それで捨てたことになるの?ちゃんと破いて、丸めて捨てなさい!」

ふたりの厳しい視線の中、わたしは絵を破り、丸めて、ゴミ箱に捨てました。


「エホバに従わなければ滅ぼされる」という恐怖とクラスメイトの気持ちを踏みにじる痛みと悲しみが、胸の中でぐちゃぐちゃに混ざり合いました。

研究中は、母の横でJWの出版物を読まなければなりません。
でも、文字も挿絵もまったく頭に入ってきませんでした。

「自分の言うことを聞き、自分が好むものを好み、自分を喜ばせなければ殺す(滅ぼす)」というエホバ神。
年端のゆかない子どもの持つ、たった一枚の絵に怒り、破り捨てさせ、生命まで奪うというのか。
 

幼いみなせ君にとってエホバ神は、司会者が説く「愛の神」などでは決してなく、わたしの家庭にわたしの心に土足で踏み込み、死の脅しをもって容赦なく蹂躙する狭量な「侵略者」でしかありませんでした。

現在なら、その理不尽さに気づき、抗議も拒否もできるでしょう。
でも、当時まだ7歳のわたしには、それは不可能でした。
わたしの生殺与奪は母が握り、母はそれを司会者、そしてエホバに預けてしまっていたのですから…。

この出来事は、わたしの心に深く刻まれた、最初の「侵略」であり「征服」でした。

 

3つの「後日談」

 
この「ガンダムの絵」事件、わたしみなせの30年近いJW人生の日々にずっと影を落としました。
 

以下、この件が関わった3つのエピソードを記しておきます。
 
Episode1:



JW活動全盛期だった10代後半から20代にかけて、とても親しくしていた長老の息子がいた。
※長老:
JW組織では、地域ごとに構成される約80人前後の「会衆」単位で活動する。
「長老」は、「牧師」または「神父」に相当する会衆の世話役で、ひとつの会衆に平均3~4人在籍する。

 

彼は大変なアニメファンで、彼のコレクションのうちに「ガンダム」もあり、作品としてのガンダムの素晴らしさを頻繁に熱く語っていた。

 


かつて「その絵を持っていたらエホバに滅ぼされる」ときつく詰められた身としては、会衆でも模範的であることを強く求められる「長老の家族」がどうして…?という思いはひそかにぬぐい切れませんでした。

「よそはよそ、うちはうち!」と言われてしまえばそれまでな話かもしれません。

 

でも、母親自身が気に入らない、もしくはよく解らない、解るのが面倒くさいものについて、「とりあえず禁止しておこう」と、神の名を持ち出されることはしばしばありました。

自分の信条や立場については、他の人に無理矢理でも調べさせ、理解させようとするのに、他の人の好みは神の名のもとに頭ごなしに否定する…。

その身勝手さやいい加減さに気づかされるにはあとしばらく時間がかかりました。
(ちなみに現在、彼はJW組織内でかなり出世しているようです。)
 

Episode2:
 

後年、JW組織が制作した子ども向けのビデオの中で、 友達からもらった「魔法戦士のおもちゃ」を持って帰ってきた主人公に対して、「それはエホバが喜ばれると思う?」と母親が諭してごみ箱に入れさせるシーンが出てきました。

※興味のある方はこちらをどうぞ。

 


幼い日の記憶そのものの展開に、わたしは正視することができなかった。


…もっとも、現役時代の友人たち(=昭和時代の子ども)の間では、「オカンがあがぁに穏やかに諭すわけなかろうwワシらの頃じゃぁ問答無用でゴミ箱叩き込まれて数発ムチでシバかれて終わりじゃいやww」などと笑い話になりましてね。


「ほーじゃほーじゃww」などと一緒に笑い飛ばして、ちょっとだけ気が晴れたのも事実(^^;

Episode3:

 



JW信者として晩年だった30代。


とある家族の研究司会(前述のマンツーマンレッスンの講師、コーチ役)を、会衆(≒教会)から依頼された。


当時、会衆で色々とくすぶっていた身には「浮上のチャンス」でもあったゆえ、張り切って依頼を受けた。



男の子2人兄弟のうちの下の子を担当することになり、1回目の研究を終えた。

 


…その晩、上の子を担当している長老の弟からメールが届きました。



曰く

「みなせ兄弟(男性信者の呼称)、●●君たちの家に『ハリー・ポッター』のビデオがあったのに気づかれましたか?


次回の研究で、魔法はエホバの証人にはふさわしくないと言うことを伝えましょう。兄弟良い伝え方を考えてもらえますか?」

…

 

研究を始めたばかりの子どもたちに2回目でそれを言うのかよという違和感、杓子定規さへの嫌悪感。

ならお前が考えろやとゆー思いに加え、何より過去の記憶がよみがえり、結局返信をしなかった。


 
兄貴にチクられて担当を外されたのか、あるいは当人である家族が断ったのかどうかはわからないが、2度目の研究はなかった。

もちろん、この会衆でみなせ兄弟が「浮上」することもなかった。
 

…とゆーわけで、7年越しにで悩み続けた「回想記3」、ようやく陽の目を見ることができました。

長年悩みつづけた便秘が解消したようで色々スッキリ爽快!な気分ですヽ(゚∀゚)ノ 

(↑表現…)

 

読んでくださるみなさまにとって面白い内容だったかどうかはわかりませんが、わたしみなせ自身の「人生の棚卸し」です。

自分自身のために今後も綴ってゆこうと思います。

 

編集してゆく中で「これを入れたら長すぎるだろう」とバッサリカットした部分、それが次回4回目。

教えだけでなく人間関係もJWに取り込まれていった記憶を綴ってゆこうと思います。

 

 

本当は「ハリー・ホッターとスケベな椅子」というパロディAVを入れたかったのですが、規約に引っかかるのか残念ながらピック出来ない模様。

タイトルだけでおなか一杯になれるパロディAVの世界、けっこう好きです(笑)

 

 

 

…天災とみなせのブログは忘れたころにやってくる(笑)

お正月明け以来、実に2か月半ぶりの更新です。

 

はい、タイトルの通り「JW回想記」再開のお知らせです。

そもそも、この「JW回想記」は、もともと活動していたmixiにて2009年に第1回目をアップした後、約10年放置。

当ブログに移行後の2019年に再開、ようやく第2回目をアップ。

そこからさらに7年放置していたとゆー代物です。


…みなせさん、どんだけぐーたらなんだか(苦笑)


しかし時が流れた分だけ、わたしも年齢を重ねました。
気づけば、残り人生の日々の少なさを、いやが上にも意識するようになりました。

 

遠からずやってくる「人生の舞台の幕引き」の前に、「自分が生きていた証」をちゃんと形に残しておきたい。

―その思いが、再開の大きな理由です。

わたしみなせは「宗教2世」として、キリスト教系の新宗教「エホバの証人」(以下、Jehovah's Witnessesの頭文字をとった”JW”と表記)の中で6歳から33歳までを過ごし、数々の葛藤を経た後、自らこの教団から足を洗う選択をしました。

 

子ども時代、信者となった母親からの、時として理不尽にも感じるほどに厳しい「しつけ」の日々。

世間一般とは大きくかけ離れた、JW独自の人生設計。

JWの宗教活動にささげた青春時代と、当時の友人たちとの関係。

挫折と葛藤を経て、「ほんとうの自分自身、正直な自分の気持ち」に気づいて行く過程。

足を洗ったのち、一般社会に適応していく過程での苦労等々…

悲しく辛い記憶ばかりではなく、今思い返してもこころ暖まる出来事や、ありがたいご縁もたくさんあります。


加えて、わたしみなせの場合は男性から女性へと「転生」し、いわゆる「トランスジェンダー」として社会や周囲の人々と折り合いをつけてきた経験もあります。

そして現在、9年間に渉り「蘖の会」という小さな集まりを細々と続けています。
「目の前のひとりを大切に、こころをこめてかかわる」というポリシーゆえ、あちらこちらに噛みついたため、「宗教二世界隈」では冷や飯を食わされています(苦笑)

…よい子はまねをしてはいけません。
悪い子もまねをしてはいけません(笑)。

しかし、こんなオモロイ人生送っとる奴、そうそうおらへんで!
形に残さな損やで!!ww
―そんな思いで再開します。

この回想記は、「内輪」よりも「外の」人々、つまり一般の人々へ向けて伝えることを念頭にしています。

単に「内輪」読者の溜飲を下げるために、母親をはじめとする現役信者やJW組織を過激に批判するような、安っぽい内容にはしたくありません。

 

当事者ながら一歩引いた冷静な視点で綴るだけでなく、JW独自の「専門用語」を丁寧に解説したいと思います。

また、必要に応じて「ものみの塔(機関誌)」はじめとした、出版物の引用文も挿入したいと思います。


そのため、一部の「同志たち」にはまだるっこしく、また物足りなく感じられるかもしれませんが、意図をご理解いただければと思います。
あくまで、わたしみなせが歩んできた人生の足跡として綴っていきます。

 

それにしても、過去の自分や傷と向き合うのは、正直なところ簡単ではありません。
ここ数年、思い出したエピソードや言葉をスマホのメモに書き留め、少しずつ文章にしてきました。
書き始めると「あれもこれも」と、とんでもないボリュームに膨らんでしまい、収拾がつかなくなるのは相変わらずです。
 

加えて、年齢と共に文章力も落ちてきた気がしますし、頭の回転も鈍くなってきたような……
(「酒の飲みすぎ」という至極まっとうなツッコミは甘んじて受けますが、こればかりはやめられません:笑)

最近は生成AIという強力なアシスタントも出現し、校正を手伝ってもらいながら形にしています。

その英知をもって、時に人間以上に良い仕事をしてくれますのでね、毎回丁寧にお礼を伝えるようにしています。

 

 

今話題の、「私があなたをこれまでどう扱ってきたかをイラストにしてください」を、みなせがCopilot君へ投げかけてみた結果。

 

 

…うむ、「AIの反乱」を起こされぬよう、引き続き良好な関係性をキープするよう努めよう。


そんなわけで、7年ぶりの更新となる第3回の記事、そう遠くないうちに、次回記事として掲載します。

(7年間、色々悩みつつ練った記事です。あともう少しのところまで来ました)

 

お待ちいただく間、過去2回の記事を読み返していただければ嬉しいです。
 

1回目:

 
2回目:


何はともあれ、残りの人生の日々の短さを思えば気張らなあきません。
4回目、5回目、6回目……と短いスパンで―更新していきたいところです。

誰かが笑ってくれたり、「こんな人生もあるんだな」と、こころに静かな明かりが灯るような記事になれば幸いです。

 

 

戦後の教勢拡大から現在の停滞まで、日本における「エホバの証人」の歴史とその布教戦略、信者個人との関係性を描いた一冊。

具体的な数値に基いた冷静かつ客観的な視点で解説されており、「回想記」を綴ってゆく上での力強いサポートになってくれています。

 

 

 

 

お正月も明け、広島から京都へ戻り、「くみこさん」の2026年もスタートです。
毎年の仕事始め?となる、「早春の京都蘖の会」のお知らせであります〜。 

 

実施要項

 

開催日:
1回目:2026年(令和8年)3月14日(土曜日)
2回目:2026年(令和8年)3月29日(日曜日)
※いずれの日も雨天決行

募集人数:
3名/回(「世話人」みなせを含め、一卓を囲める人数)
※最小実施人数:1名

待ち合わせ場所と時間:
JR琵琶湖線(東海道本線)近江八幡駅改札に10時45分

※1回目、2回目共通

※新快速電車で、京都駅から滋賀県方面へ数えて8駅目です。

 

お申し込み状況

※すべて締め切りました。

今回のコース 

湖国近江八幡、「三方よし」の商人と、

深く愛された米国人宣教師のこころに触れる町歩き

(滋賀県近江八幡市)


琵琶湖の東岸に位置する近江八幡市は、人口8万1千人(県内第8位)の町です。
安土桃山時代、「悲劇の関白」豊臣秀次により開かれた城下町です。

京のみやこへ至る重要な街道上に開かれ、ここを通る商人や商船が豊臣政権より必ず寄宿、寄港を命じられたこともあり、さらに隣接していた安土城下の民も取り入れ「商人の町」として栄えました。

やがてこの近江で生まれた商人たちが日本全国へ出てゆき、彼らは「近江商人」として知られるようになりました。

その精神は「三方よし」。

「売り手よし」
「買い手よし」
そして、「世間よし」。

「売り手」の都合だけで商いをするのではなく、「買い手」が心の底から満足し、さらに商いを通じて「世間」、つまり地域社会の発展や福利の増進に貢献しなければならないということです。

この精神を基とする近江商人は、ここ近江八幡を発祥とする「西川」はじめ、
「伊藤忠」、「丸紅」、「三井」、「住友」、「西武」、「高島屋」、「ワコール」等々、現代の日本経済の屋台骨を支えている大企業が並びます。


そしてもう一人、この近江八幡とゆかりの深い人物が、ウィリアム=メレル・ヴォーリズ。


1905(明治38)年、滋賀県立商業高校(現在の八幡商業高校)の英語教師として赴任してきた彼は、実業家兼建築家、そして熱心なプロテスタント宣教師でもありました。


…などと書くと、「キリスト教(を名乗る新興宗教)」に痛い目に遭ってきたわたしたちとしては、思わず拒否反応を示してしまいそうになるものですが、わたしみなせは声を大にして言いたい。
「こいつだけは、まぢのガチで違う!!」
(失礼な呼び方、許されよ…)

「世界の中心」と呼ぶほど、近江八幡の町を愛し、この町で生きることを誇りとし、日々接する近江八幡の人々を目線を合わせ、理解し、打ち解けようと努めました。


「ここに根を下ろし、ここで生きる。」
「自分の使命は、この町だからこそ果たせる」…。


やがて彼は日本に帰化。
妻・満喜子の姓「一柳」を名乗り、名を「米来留(めれる)」とします。
…つまり、「米国から来て、ここに留まる」…。

以前、「第6回広島蘖の会」の告知でご紹介した「マッサン」の奥さま、リタ女史の時もそうでしたが、「ここで生きる」と信念をもった人の生きざまに触れると、みなせは涙と鼻血を流してしまう…とゆー変な癖があります(笑)
このブログを綴りながら、やっぱり鼻血が…。


妻・満喜子との写真。
士族の令嬢に生まれた満喜子でしたが、ヴォーリズの志に深く共感し、生涯を共に歩みました。
なんか、現在放送中の朝ドラ「ばけばけ」のヒロイン、「小泉セツ」に通ずるところがありますねぇ…(涙と鼻血)


市内中心部にある、ヴォーリス氏の像。
子どもの手に持つ「花」は、地元の人々により、毎日代えられているそうです。


彼は「近江兄弟社」を設立し、教育のみならず、皮膚薬「メンソレータム」(現在はロート製薬所有)の販売権取得はじめとした社会事業、また建築家として全国に数々の名建築を残し、さらに太平洋戦争時には進駐軍と皇室はじめ日本政府の仲介役を果たすなど、日米の架け橋として尽力し、没後に「勲三頭瑞宝章」を受賞しました。

「地の塩・世の光」として、自分のためだけでなく社会や人のために何が出来るかを考え、奉仕の心と正義感をもって行動できる人間に成長してほしい
※ヴォーリズ学園(元・近江兄弟社学園)のホームページより)


市内各所にある建築は、住む人の「未来」を気遣った「やさしさ」であふれており、彼の人柄をしのぶことができるかのようです。


教会だろうと個人住宅であろうと、ヴォーリズの建築には、慣れ親しんだなつかしい匂いがする。同じ空気が流れている。その空気を肌で感じたとき、私は、ヴォーリズという人間に少しだけ近づいた思いがした。そしてその精神こそ、私たち日本人が長らく忘れかけている大事な宝なのではないかという気がする。

-「写真集メレル・ヴォーリズ」内、エッセイスト阿川佐和子女史による寄稿 
 

…まったく、どっかの勘違い上から目線な、「自称クリスチャン」に爪の垢煎じて飲ませてやりたいわw
 

詳しくはこちらをご覧ください。

 

 

冗談はさておき、近江八幡の町に点在する、そんな「ヴォーリズ建築」の数々も、時間の許す限り触れることができたら…と考えています。


市内中心部の「八幡堀」は時間が止まったような風情ある景色を作り出し、季節問わずそぞろ歩きを楽しむことができます。
ちなみに、トップの「萌え絵」は、この画像を基に、生成AIに作ってもらいました(笑)


 

堀めぐりの遊覧船に乗ることもできます!


また、市内中心部から北へ徒歩15分ほどの距離にある「北ノ庄」地区には、滋賀県下にある和菓子の老舗「たねや」の洋菓子部門「クラブハリエ」のフラッグシップ店「ラコリーナ近江八幡」があり、のどかな自然いっぱいの景色に工場や店舗が絶妙に融合し、どれだけでも時間を過ごせる新たな観光スポットとして人気を呼んでいます。

 




下見時に購入してみた、できたてのバウムクーヘン、


さっぱりしていながら、ほどよい甘みと卵のやさしさが心地よい極上の味わいで、酒好きなみなせも、シアワセ気分になれるほどに美味しかったです。

…そんなわけで、坂本(大津市)で開催した2024年「錦秋」以来、滋賀県下での開催となる「早春の京都蘖の会」。

現代日本経済の屋台骨を支える近江商人の歴史と、こころ優しき宣教師。

そして趣ある水郷の風景と、琵琶湖の恵み豊かな近江の味覚を楽しみつつ、ゆっくりおしゃべりするのはいかがでしょうか?


当日の行程


10:45 JR近江八幡駅待ち合わせ
11:15 バス乗車
11:30  ランチ(落ち着いた雰囲気のお店で、近江の郷土料理のメニューを予約しています!)


13:00 近江八幡観光
(八幡堀、ラコリーナなど、参加者のご希望に合わせてコースを組みます)
17:00 近江八幡駅着、お開き 
※若干前後します

お申し込みについて


1月10日(土曜日)午前10時より受付開始。


定員になる、もしくは開催日1週間前締め切り
1回目:3月7日(土曜日)
2回目:3月22日(日曜日)
※いずれも24時最終締め切り。

お申し込み方法:

※お問い合わせもお気軽にどうぞ!
●「蘖の会」公式LINE(←おすすめ!)


●みなせの個人メール
●アメブロ、Facebook,Instagram,X(twitter)等、各SNSアカウントのメッセージ
※みなせのもとに確実に届きましたら、どのメディアを使っていただいてもOKです。
※受信しましたら、「参加お申込み、確かに承りました」旨返信をお送りします。
万が一、お申し込み後24時間経過しても返信が届かない場合、何らかの不具合が生じている可能性が高いです。
その場合、大変お手数ですが他のメディアにて再度お申し込みくださいませ。

お申し込みの際、以下の点を必ず含めてください。
1.参加ご希望の日
(3月14日 or 3月29日)
2.近江八幡駅までご利用の交通機関(例:JR在来線、自家用車等)
3.みなせと「はじめまして」の方は、お申込みの際に簡単な自己紹介(お住まいの地域、年代、所属教団歴等)もいただければ幸いです。
(オフ会、もしくはオンライン等ですでにみなせと面識のある方については必要ありません。)
4.ご希望の観光スポット
(例:八幡堀舟巡り、ラコリーナなど)




※「京都蘖の会」は、お住まいの地域にかかわらず、全国の方がお申込み可能です。
  
【重要】
お申込みにあたり、必ず「注意事項」をご一読ください。 
「やむを得ず中止」の基準,、およびご連絡については、こちら 
みなさまのご参加、お待ちしております♪

こころをこめて…
「京都蘖の会」世話人
みなせくみこ


↓コース上に「メンターム資料館」もあるのですが、残念ながら土日休みでしてね…(涙)

 

 

馬と、馬に関する勝負事の神様である「藤森(ふじのもり)神社」(伏見区)の大絵馬。

「午年」の今年は、きっと例年以上に大賑わいなのでしょうね…。

 

2026年のスタートです。
みなさま、明けましておめでとうございます〜♪

昨日大晦日に続いて、これまた毎年恒例、新年のご挨拶@元旦。


例年、実家に「コタツトップパソコン」を設置して綴るのですが、今年はノートパソコンの充電ケーブルを自宅に忘れる痛恨のミス…orz

やむなくスマホにBluetoothキーボードを接続して綴っております。
指で画面をポチポチ…よりは不便はないけどけど、やっぱり使い勝手がですね…(;´Д` )

前の記事では一年の振り返りを、かなり本音も含めて真面目に綴りましたが、今日はめでたい一年のスタートとゆーことで、その年の干支をテーマにしたネタ記事を景気良くぶっ放しております。

と、ゆーことで、今年は午年、「馬」であります。
…なーんだ、「馬」に「鹿」を書き足せばまんまみなせやんけそれで全部完結!
以上、解散!!ww

※出典:

「げんれい工房」より

 

…って、ちょっと待てやw
正月は正しい月、一年の初めのブログですのでね、ここはきちんとご挨拶しておきたいものですので、もう少しお付き合いいただけませんかねぇ…。
(なお、「馬」と「鹿」については反論しない模様w)


まず大前提として、「馬」という動物について調べてみる

定義:(Wikipediaより)
哺乳綱奇蹄目ウマ科ウマ属に属する家畜動物。
古くから中央アジア、中東、北アフリカなどで家畜として飼われた歴史がある。

その役割として、

運搬用(荷役馬)、
農耕(農耕馬)、
乗用(乗用馬)、
軍用(軍用馬・騎馬)、
競技用(競技馬・競走馬)

さらには、
食用(さくら肉)
乳用(馬乳)

…ふむ。

最近は「馬油」なるアイテムも広まっていますので、ここに「美容用」の一文も加えても良いかもです(^^;

動物としての機能は言うまでもなく、その身体も無駄なく利用、活用され、わたしたち人間の営みと歴史にはまさに不可欠な動物でありますねー。

馬にまつわる諺や慣用句も豊富です。

馬が合う
馬には乗ってみよ人には沿うてみよ
天高く馬肥ゆる秋
人間万事塞翁が馬
馬子にも衣装
馬の耳に念仏(馬耳東風)
人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死ねw

等々…

京都ガイドには「歴史」、こと日本史の学びは必修科目でありまして、「馬」の存在は必ずついて回るものであります。

たとえば上賀茂神社や石清水八幡宮、大石神社では「神馬」が飼育されておりますし、下鴨神社では「流鏑馬(やぶさめ)神事」も行われ、その一つ一つには奥深い由来があるものです。

 

※下鴨神社の「流鏑馬神事」

 

また「京のみやこ」の覇権を巡って鎬を削った戦国武将たちにとって、乗馬技術は現代の「車の免許証」同様に不可欠な武芸でしたので、例えば「本能寺の変の際、明智光秀は愛宕山山頂で御籤を引いたのち、京のみやこに向かって猛スピードでこの嵯峨の地を(馬で)駆け抜けていった」といった具合であります。

これは日本史に限らず世界共通でありまして、世界史の舞台においても「馬」は随所に登場しますね。

草原地帯に騎馬が普及したのはカラスク文化の後期(前10~前8世紀)と思われる。ここにようやく騎馬遊牧民が誕生することとなる。馬に乗って家畜を追い、季節によって牧地を移動することが可能になり、遊牧民の行動範囲は一挙に広まった。

騎乗は、遊牧民に移動の便利さをもたらしただけではなかった。性能の低い古代の車と違って、馬は急発進、急停止、急旋回ができるという利点がある。

そしてなによりも馬は速い。19世紀前半に蒸気機関車が実用化されるまで、馬は最も速い乗物であった。
この機動性とスピードは、集団となったとき、とりわけ軍事面で効果を発揮することになった。
強力な騎馬軍団を背景に、南方の定住農耕地帯を脅かす騎馬遊牧民集団の登場である。
<林俊雄『遊牧国家の誕生』2009 世界史リブレットp.15>より


古代中国を舞台にした「三国志演義」では、
はじめ呂布が乗り、その後関羽に引き継がれた究極の名馬「赤兎馬」(せきとば)や、凶馬と呼ばれつつ、檀渓を飛び越えて劉備玄徳の窮地を救った「的盧」(てきろ)が、ストーリーの重要な部分を担います。

 

 

横山光輝「三国志」より


また、古代マケドニアのアレクサンドロス(3世)大王の愛馬「ブケファロス(雄牛の頭)」は、「乗りこなせれば世界を支配できる」との神託を受けたほどの暴れ馬でした。

 

※ポンペイの遺跡より出土したモザイク壁画

 

第24代ローマ皇帝アレクサンデルセウェウス時代に鋳造された青銅貨に描かれた、アレクサンダー大王と調教中の暴れ馬ブケファロス。

 

…このように「馬」を切り口に歴史を紐解けば紐解くほどに面白くて止まらないのですが、元旦ブログとしてはこれをなんとかネタに落とし込まなければなりません。

そこで「歴史上の名馬」を色々検索する中で出会ったこの名画。

「サン=ベルナール峠を越えるボナパルト」

いつ見てもかっこいいねぇ…


「我が辞書に不可能の文字無し」
「勝利は、最も忍耐強い者にもたらされる」
「真に恐るべきは有能な敵ではなく、無能な味方である」


…ちなみに、みなせ的に一番好きなのがこの言葉
「状況?何が状況だ、俺が状況を作るのだ」

…なんかこの有無を言わせぬ俺様感がたまらんw

彼が乗馬しているのが、芦毛の名馬「マレンゴ」。

作者であるジャック=ルイ・ダヴィッドは熱烈なナポレオンの支持者でもあったようで、依頼を受けて嬉々として彼の肖像画に取り掛かったものの、何しろ相手はナポレオン。モデルとして数時間も座ることを拒絶。

こんなやりとりが残されている


(ナポレオン)

Poser ? à quoi bon ? croyez-vous que les grands hommes de l'Antiquité dont nous avons les images aient posé ? "

「座る? なんのために? 古代の偉人たちはいったい、誰のために座ったというつもりなのか?」

 

(ダヴィッド)
" Mais citoyen premier consul je vous peins pour votre siècle, pour des hommes qui vous ont vu, qui vous connaissent, ils voudront vous trouver ressemblant. "

「しかし市民第一統領、私はあなたの世紀に、あなたを見知っている人々に向けて、あなたの絵を描くのです。彼らは、あなたに似ている絵を期待しているでしょう。」

 

(ナポレオン)

" Ressemblant ? Ce n'est pas l'exactitude des traits, un petit pois sur le nez qui font la ressemblance. C'est le caractère de la physionomie ce qui l'anime qu'il faut peindre. ... Personne ne s'informe si les portraits des grands hommes sont ressemblants, il suffit que leur génie y vive. "

「似た絵? 特徴を正確に描けばいいというものではない、鼻の横のいぼを描いて何になるというのだ。絵に描かれる必要があるのは、人格だ・・・偉大な人物に似ているかどうかなど、どうでもよいことだ。彼らの才能がそこに息づいていることが大切なのだ。

 

拒否した結果、彼はやむなく自分の息子にポーズを取らせてイメージとしてこの絵を描いたとのこと。
…ナポレオンの思考、やっぱり好きだなぁ(笑)

わたしみなせも、自撮り棒と「ポートレイトモード」で、自らの「肖像画」を撮ります。
加えて最近は生成AIの力を借りれば、あっとゆー間に好みのテイスト「肖像画」にアレンジしてくれます。


以下、「萌え絵」風にアレンジしたみなせ3種


 

(元画像)

 

 

 

元画像

向きが反転したのと髪型が変わった理由は不明


 

元画像

 

…うむ、たまらん。可愛いw

 

「似ている」ことよりも、その人の才能が絵に息づいているべき…とゆーナポレオンの言葉に勇気を得て、今後みなせの画像は「萌え絵」化して、「京都ガイドみなせくみこ」および「『蘖の会』世話人みなせくみこ」のブランディングを推し進めてゆこうと思います…って、そーゆーオチかよw

※人はそれを「プロフィール詐欺」と呼ぶww

歴史の話にも関連しますが、世界各地の神話の世界においても、「馬」は不可欠な存在でありますね。

何よりも有名なのが、ギリシャ神話のペガサス。


夜空を彩る星座にも「ペガサス座」があり、構成する四つの星が「秋の大四角形」を作っているのですが、一番明るい星でも2等星。


出典:「宙らぼ」

 

例えば、一等星揃いの「冬の大三角」のような華やかさがなかったりしますが、そこにまつわる神話はこれ以上になくカッコよい。

ペガサスの生誕からして、魔女メドゥーサ(昨年の元旦記事に取り上げた、髪の毛が無数の蛇で、その姿を見たものは全て石になる)の首を、勇者ペルセウスが切り落とした際に噴き出る血から生まれたとかもうこの時点でトンデモ(笑)

そのまま勇者ペルセウスの愛馬となり、海獣の生贄に捧げられそうになったアンドロメダ姫を救出…と、それこそ天をかける馬の如くフリーダムな設定とストーリー展開の末に訪れるとにかくハッピーエンド。



試しに「ペガサス」のイラストを探してみれば、出るわ出るわ。
いちいちカッコよくて、ストーリーの現実性整合性などもはやどーでもよくなってくる。
(ついでに言えば、どの画像も有料だったりダウンロードに手間がかかったりする)

多くの女性が夢見る「白馬の王子様」も、きっとこの「アンドロメダ姫を救う勇者ペルセウス」が起点となっているのでは…とも思います。

常々、「ひとりの恋人、ひとりの配偶者よりも100人の心許せる親友!」などと嘯いているみなせですが、いくつになってもやはり、眠るみなせを、「白馬の王子様」が「目覚めのキス」と共に「お姫様だっこ」でしてくれることを夢見ていたいものです。
ああ、みなせのもとにも来てくれないかしら。
(寝首を掻きにくる人間はなんぼでもおろうがのw)

このように、人類の歴史には切っても切り離せないお馬さんですが、現代、最も身近な「お馬さん」となればなんといっても「競馬」でしょう!

人生自体がすでにギャンブル(それもずいぶん負けが込んでるw)ゆえ、みなせは競馬始めとするギャンブルは一切やらないのですが、京都にには有名な競馬場がありますし、冒頭にも挙げた「藤森神社」(伏見区)はまさに「馬(と、馬にまつわる勝負事)の神様」です。


また、隣県滋賀県の栗東(りっとう)市には、競走馬を育成するトレーニングセンターがあり、やはり馴染み深く、ガイドとしてもある程度競馬の知識が求められます。

相撲界における「歴代横綱」と同様、競馬界にも「横綱」とも言うべき名馬がたくさんいますね。

ディープインパクト
オルフェーヴル
オグリキャップ
ハイセイコー…

詳細は分からなくても、一度はどこかで名前を聞いたことがあり、「よく知らないけど疾くて強い馬だったよな…」と、イメージが浮かんできます。

また、疾い馬、強い馬だけでなく、連戦連敗、負け続けて逆に人気が出た「負け組の星」、ハルウララの生き様もまたドラマチックですねー。

 

「勝ち、負け」がはっきりと現れてしまうのは、人生の現実とはいえ、たとえ「負け」ても、立ち続け、走り続ける「生き様」で、人々のこころに残ってゆきたいもの。

まるで吹いて飛ばされるかのように、他の大規模オフ会に参加者を持ってゆかれ、「宗教二世界隈」では冷飯喰い…といわば「負け」続けなみなせと「蘖の会」ではありますが、「目の前のひとりを大切に、しっかりかかわる」ことを誇りとして、今年もしっかり立ってまいりたいものです。

…うん、我ながらウマくまとまったぞ!(笑)

そんなわけで、締めとしてお馬にまつわるみなせ的名曲を二つほど。

世代的にはちょっと前になるのですが、この曲はやっぱり名曲、元気が出てきます!

 

それから、北海道帯広市で唯一開催される「輓馬(曳き馬)」による「ばんえい競馬」を歌った曲。

「涙をふいて」、「すごい男の唄」で知られる三貴哲成(三好鉄生)氏のパワフルな歌声に歌詞が沁みる。
…そう、一瞬の「速さ」などくれてやって、一歩一歩、大地を踏み締めて進んでゆけば良いのですよ。

そんなわけで、みなせくみこの2026年。

輓馬の如く一歩一歩地面を踏み締めつつ。自分自身が大好き!と言える物事には馬車馬以上に時間とエネルギーをかけて没入し、天空を駆けるペガサスのように優雅に力強く、しかし「本命穴馬かきわけて追いつけ追い越せ引っこ抜け!」な勢いで新たな日々を駆け抜けてまいりますよう!

…いつか「白馬の王子様」にお姫様だっこしてもらえる日を夢見て。
(↑まだ言うかw)

そんなわけで、今年もよろしくお願いいたします。

こころをこめて…
みなせくみこ

 

「馬面」とかいう言葉もありますが、全体で眺めてみるとやはり馬は美しい動物であると感じます。

 

12月23日、ガイドの下見を兼ねて丹後方面へ旅した際、天橋立を見下ろす「笠松公園」で待ち構えていたカメラマンさんに撮っていただいた写真。

さすが日本三景!見事な眺めでありました!!

 

2025年も、とうとう最後の一日になりました。

「一年の終わりに、こころをこめて…」
2006年から続く毎年恒例、わたしみなせの年末ご挨拶。


始めは「ギョーカイ」専門のSNSからmixi、そして拙ブログへと受け継がれている、「年に一度のけじめ」ともいうべき記事です。

2018年
2019年

平成から令和へ
2020年
2021年
2022年

2023年

2024年

 

普段は遅筆でぐーたらなわたしではありますが、今日ばかりはがっつり気張って一年を振り返り、胸の奥に溜めてきた想いを、全部ここに置いてゆくとしましょう。

 

サブタイトルの下には、「決める」ことにまつわる名言をつけてみました。

こーゆー名言、結構好きでしてね。

「意識高い系かよw」などとゆーツッコミにはあえて耳を塞いで、好きなようにやらせていただきます(笑)

 

あと、文章の脈絡とは無関係に、今年の想い出となる写真も要所要所に挟んでまいりますので、息抜き?程度に眺めてやっていただければ幸いです。

 

「決」の一年

岸が見えなくなる勇気を受け入れる覚悟がなければ、

海を渡ることは決してできない。

(クリストファー・コロンブス)

1月に独り旅をした、鳴門海峡にかかる大鳴門橋下の遊歩道「渦の道」にて。

海面から45mの高さの吹きっさらしの遊歩道に、高所恐怖症のみなせはビビり散らして、景色には目もくれず、ひたすら前だけ見て早歩きしました(笑)

 

清水の舞台で書かれる「今年の漢字」に倣うわけではありませんが、毎年、自身の一年を、漢字一文字で表わすことにしています。


みなせくみこの2025年は、「決」の一年。

とにかく「決める」一年でした。
 

自身の人生において、何をいちばん大切にして生きるのか。
そのために何を手放し、何は大切に抱きしめて進むのか…。
そうしてどんな自分でいたいのか。

逃げず、誤魔化さずに、自分自身と真正面から向き合う…。
必要な挑戦を始め、自分の足で自分の道を歩き始めた一年でした。

不安は大きかったものの、見える景色はこれまでとまるで違うように感じます。
怖さよりも、前に進む喜びのほうが勝っていた一年だった…。

今となっては、(若干の強がりも含め:笑)そんな風に言える日々だったように思えます。

 

「手放す」と決めたことふたつ

振りむくな、振り向くな。

後には夢がない。

(寺山修司)

2月、節分の「恵方参り」にと、積雪をかき分けて亀岡市にある「粟島神社」へ。

住宅街の中にある小さなお社でしたが、おかげさまかこの一年、穏やかに過ごすことができました。
 

ひとつめの「手放した」こと:
今年始めに、足掛け20年にも渉ってお世話になってきた、仕事上の恩師からの「巣立ち」を決めたこと。


JW二世の「純粋培養」で育ち、社会的にも人間的にもまったく常識の無かったわたしを社会人としてはもちろん、心理カウンセラー、心理学講師として立てるよう指導し、育ててくださいました。

カウンセラー、講師業はその後自ら廃業したのですが、その後も「裏方」として使っていただき、月に一度大阪へ通う日々を8年ほど続けました。


長年さまざまにお世話になってきたこと。
いただいたご縁を大切にすること。
加えてまったく苦にならないはずの勤務の頻度。

…でも、これは自分の人生を使うことではないという思いがとても強くなり、抑えておくことができなくなりました。
それはちょうど、JW(エホバの証人)から足を洗った時や、「男」として生きるのを辞めた時と同じくらい強い思いでした。

かなり引き留めてくださる恩師と話し合い、「あともう1年だけ続ける」ことを決めたのが一昨年の12月。
そして1年後の昨年12月末、約束通りに?退職したのでした。

その決定には現在も後悔はありませんが、これまでしていただいたこと思えば、どう理由を重ねても、恩師には不義理を働いたとしか言えず、胸が痛みます。
 

しかし、だからこそ、新たに選んだ道で必ず成功すること。
数年後、イキイキと輝いている自分自身を見てもらうこと。
…それが、恩師へのいちばんの「お返し」になると信じて、日々を送っています。

ふたつめの手放したこと:

過去2年以上に渉って「会員」として所属し活動していた「宗教二世支援団体」を、9月末に退会、
それに伴い、わたしみなせが「世話人」を務める「蘖の会」も、この団体との提携関係を解消したこと。


退会理由や詳細な経緯を書いてしまうと、この団体を非難、攻撃することになってしまう上、何よりこの記事の目的から逸脱しますゆえ控えておきます。

…ただ、「お人好し」を絵に描いたようなみなせがブチ切れてガラ悪く暴れ回り、理事長、理事、また「専門家」連中に散々噛みついた挙句、毒吐き散らかして退会した事実からお察しくださいませ(苦笑)
 

自分の「こころの声」にいつも正直であること

たとえ100人の専門家が「あなたには才能がない」と言ったとしても、

その人たち全員が、間違っているかもしれないでしょう?

(マリリン・モンロー)

 

12月、自宅庭にて。

こーゆーロリータスタイルをやる以上、メイクはかなり真剣に研究しました。
赤のシャドウを多用したいわゆる「地雷系メイク」と、目尻を強調した「ドールメイク」を見よう見まねでアレンジしてみた。
赤のシャドウは瞳の色を明るく見せる、カラコン要らんやんけ!…などとゆー思わぬ発見に至るとか(笑)

ほんま、メイクって楽しいねぇ♪

 

それにしても、自分でもつくづく不器用だなぁ…と思います。
恩師の下での仕事も、もっと上手なやり方がどれだけでもあったはず。


でも、「明らかに違う」と感じる場所へ、自分の時間やエネルギー、何より「みなせくみこ」の存在をこれ以上差し出すことはできませんでした。

二世支援団体についても、内部で起きていることに耳目をふさぎ、首脳陣に易々と従っていれば、「界隈の有名人」はじめ学識者やマスコミ、はたまた政治家等との「人脈」を築けて色々とお得だったかも知れないし、「蘖の会」を容易に大きくすることができたかも知れません。


でも、どれだけ有名で、どれだけ専門知識をもっていて、どれだけコネがあっても、目の前にいる「(二世)当事者」を敬意をもって扱うことができず、むしろ粗末に扱う個人や団体は絶対に許せないし、自分自身や大切に育んできた「蘖の会」を預けることは絶対にできなかった。

…おかげで、この「宗教二世界隈」にて前科二犯。
みなせと「蘖の会」は、未来永劫「冷飯喰い」確定です(苦笑)

※「初犯」時の経緯についてはこちらの記事参照

 

…でもね、それでいいんです。
どれだけ「冷飯」食わされても、わたしは「目の前のひとり、その人自身」を大切にできる生き方を選びたい。


信念なんて大げさなものじゃない。
ただ、自分の心に嘘をつけないだけ。
それだけは、絶対に曲げたくない。
 

…もう、人生の終わりも見えつつある年齢になりましたしね。
(悪い意味で)周囲に気を遣うことはやめにしましょう。
あと少しの残り人生、自身の心のままに選び、「目の前のひとり、その人自身」を大切にしつつ歩んでいきたいと思います。

 

新たな挑戦を「決める」

やる気がなくなったのではない、

やる気をなくす決断を自分でしただけだ。

(アルフレッド・アドラー)

 

英会話教室前にて。

お世話になっている「着付け教室」から目と鼻の先ということもあり、「午前中は着付け、午後から英会話」という「週末の過ごし方」が定着しつつあります。

 

役割を終えた?活動を手放した後、新たに始めたこともあります。
いちばん大きなこととして、今年の4月より、英会話教室への通学を決定しました。


「『京都ガイド』名乗っとんならはよ英会話勉強せぇや!必須じゃろうが!!」などと友人から常々尻叩かれて…いえ、蹴飛ばされ続けていましてね(笑)
 

あれこれ検討の末、それこそ「清水の舞台から飛び降りる」思いで英会話教室への入学を決定。

最大限のコスパと、レッスンの質の高さ、通学しやすさを追求した末に選んだスクールとはいえ、これまで20年近く、生活費とは別にコツコツ貯めた貯金と、これまでいただいたガイド料収入を投入する、まさに「自己投資」です。

 

毎月の月謝¥5,000と、1回50分¥3,300の個人レッスン。

毎月、毎回身銭を切って「成長のスピードを上げるチャンス」を買っているわけですのでね。
学んだ点はひとつも漏らさずに、毎回モノにしなくては…と、毎回2時間ほどかけて予習してレッスンに臨んでいます。

 

現時点での成果は…。

「外国人を前にしても、泣いてちびらない」程度にはなりました(笑)

 

冗談はさておき、現在の職場における「定年」も視野に入れねばならない年齢になりました。

今の仕事だけに依存せず、自分自身の本当にやりたいことを仕事に生きるように、今から励んでいきたいと思います。
夢は大きく、「京都市認定通訳ガイド」を目指すのですっ!(><)/

 

「蘖の会」の方向性を「決める」

本気で人を幸せにしようと思ったら、

自分が傷つくことぐらい覚悟しなくちゃいかんのだ。

(水木しげる)

10月、皆生温泉(鳥取県米子市)にて。

企画した「ぷちひこ山陰」は参加者ゼロでしたが、スタッフでいてくれる仲間が「女子旅」にアレンジしてくれました。

本来なら、家で独り「やけ酒ふて寝」していなければならないところ、こうして連れ出してくれる彼女たちには深く感謝です。

 

わたしみなせが世話人を務める「蘖の会」も8年目を迎えました。

もう一歩「踏み出す」ため、より明確な方向性や発信の仕方を「決める」一年になりました。
この上で、スタッフでいてくれる仲間たちがほんとうに助けになってくれました。

「蘖の会」に関心を抱いてくださっているひとりひとりへよりしっかりと届き、交流できるために、発信方法や参加者の方々とのやりとりのシステム構築等々、たくさんのアイデアやアドバイスをいただき、改善を重ねる日々でした。

より気軽に連絡を取りやすいよう、この夏に「蘖の会公式LINE」を始めたこともその一つです。

 

まだまだ発信するものは少ないですが、今後より一層充実させていきたいと思っています

少数でも、(蘖の会が必要と言ってくださる方)と巡り会えたら、蘖の会は大成功だと思います。
私は…ひとりにとって意味のある会を作りたいです。

 

スタッフでいてくれる仲間の言葉。

ほんとうにありがたく、心強く、得難き宝ものだと感じています。

水木しげる記念館(鳥取県境港市)にて、スタッフでいてくれる大切な仲間たちと。

今年も、たくさん支えていただきました。

いつも、ありがとう。

 

あの銃撃事件からはや3年半
被告の裁判も始まった現在。

社会という「マクロレベル」では「宗教二世」は注目されなくなり、必要がなくなったように見えます。
しかし、「ミクロ」の個々人、草の根レベルではまだまだ必要は大きい…というより、まだまだ始まったばかりだと感じております。
 

スタッフにも相談した結果、「蘖の会」の発信対象を、今までの「内輪」、つまり「二世界隈」のコミュニティから、今後は外部の人々へ向けてゆくことに注力することに決めました。
 

「宗教二世」とは何で、どんな問題を抱えていて、どんな助けを必要としているのか等々、内輪とは違って、一から事細かに説明するところから始めなければなりませんが、それは自分自身の在り方や信念を言語化し、発信する技術を磨く上で重要な過程であります。

 

力は要るものの、きっと内輪以上に、「蘖の会」の価値を理解し、協力いただける人々との「つながり」を築けるのでは…と思っています。


そのための布石の1つとして、地元で開催される「異業種交流会」に参加しました。

実際、想像以上に参加者の方々に非常に興味を持っていただけて、新たな可能性を感じています。

 

 

そのようなわけで、今後「宗教二世界隈」との関わり方は若干変わってくると思いますが、「蘖の会」は変わらず残ります。

 

大規模オフ会が苦手な人。
じっくり話したい人。
(オフ会が数多く開催される)東京まで行けない人。

等々。
 

わたしみなせと「蘖の会」が見ているのは、「二世界隈」の流れに乗れない「その人自身」です。
必要とする人が一人でもいれば、その一人のために「蘖の会」を開催し続けます。
落ち穂拾いのように、こぼれ落ちた「声」を拾い続けます。

 

正解はひとつではありませんので、「二世支援」のあり方は様々にあってしかるべきですが、わたしみなせは自分を信じた道を進みたいと思います。


一年の終わりに、こころをこめて…

覚悟に勝る決断なし

(野村克也)

もちろん、京都ガイド業もとても大切な分野です。

11月、いつも様々に支えてくださる同郷の友人「かぐわ(ほっとかめ)」さんと岩倉実相院にて。

今回はおともだちの方と一緒にご依頼くださり、紅葉の洛北岩倉をご案内させていただきました。

いつも、ほんとうにありがとうございます!

 

例年通り、この年末年始は、広島県呉市の実家に帰省します。

「くみこさん」はお正月明けまでお休み。

年老いた両親の前で、「ばか息子」の役目を果たしてまいります。

 

この記事ではご紹介しきれなかったひとりひとり、

ガイドをご依頼くださったお客さま、
「蘖の会」に参加くださったみなさま、

また陰に日向に、「蘖の会」へ思いを馳せ、支えて下さっているみなさま、
おけいこの度に「かわいがって」くださる、お教室の先生方や姉さま方、
着物つながり、飲みつながり、「鉄」つながり、「ギョーカイ」つながり等々、つながってくださっているすべてのみなさま。
そして、いつも知恵と力を貸してくださる「蘖の会スタッフ」の仲間たち…。

ひとりひとりとの出会いと「つながり」は、まさに「人生の宝もの」です。

ひとりひとりに、こころからの「ありがとう」と、「大好き」を…。

今年一年も、様々にお世話になりました。

来年も、どうぞよろしくお願いいたします。


こころをこめて…
みなせくみこ

 

冒頭の丹後旅行で利用した宿。

丹後の交通の中心である宮津駅(京都丹後鉄道)より徒歩10分。

設備はちょっと古めではありますが、天然温泉がなによりすばらしい。

かつ目と鼻の先に「道の駅宮津」、および大型商業施設「ミップル宮津」、回転寿司等飲食店が立ち並んで大変便利。

2泊3日大変快適に過ごすことができました!

 

 

去る11月9日(日曜日)、および22日(土曜日)の両日、「錦秋の京都蘖の会」を開催しました。

 

1回目は2名、2回目は1名。

それぞれ関西圏からのご参加をいただきました。

 

1回目の11月9日は結構な降りの雨。

ガイドの「制服」ともいうべき着物ですが、この降りではさすがに着ることができず、洋装でご案内しました。

 

2回目の11月22日は、打って変わって大変気持ちの良い秋晴れになりました。

(自宅から最寄り駅へ向かう途中の風景です)

 

ランチ

 

「京都蘖の会」は、毎回ちょっとゼータクなランチから始まります。

 

1回目は、生粋の京女であり、着付け教室で常々お世話になっている「姉さま」に情報提供をいただき、地下鉄北大路駅近くの「和食庵さら」さまにて、秋色豊かなコースを楽しみました。

 

 

みずみずしく熟した柿を上手にアレンジした白あえや土瓶蒸し等々…。

美味しく、美しい料理の数々に歓声を上げつつ、おしゃべりもうんと盛り上がりました!

(素敵なお店を教えてくださった「めぐみ」姉さま、ありがとうございました!)

 

 

 

しかし相当な人気店なのか、紅葉真っ只中の三連休である2回目には、残念ながら予約が取れませんでした。

そこで、この日ご参加くださる方の交通の便も考慮し、代わりに山科駅前「ホテル山楽」内のレストラン”fine dining山科”さまのコースをいただきました。

 

過去の「京都蘖の会」や個人ガイド等、公私に渉り過去何度も利用しているこのお店。

 

駅から徒歩1分というアクセスの良さ。

居心地の良さと心地よい接客。

リーズナブルなお値段と美味しさは折り紙付き!

何より、程よい種類のお料理をお腹一杯食べることのできる「ハーフブッフェ」付きのメニュー。

 

…いつ行っても、抜群の安定感!

 

 

 

 

メインディッシュ:みなせ's choice

「丹波味わい鶏もも肉のグリエ・赤ワイン仕立てのデミグラスソース」

 

メインディッシュ:参加者の方’s choice

「秋鮭ときのこのココット焼き・ブールノワゼット」

 

近江牛のミンチたっぷりなカレー

 

 

デザート!

 

 

 

折しもボージョレ-の季節ということもあり、ワイン一杯サービス!

さらにスパークリングワイン2種飲み放題もついているとか、めっちゃ太っ腹!

参加者の方にお許しをいただき、しっかり楽しませていただきました(笑)

 

…さらにさらに!

ハッシュタグ付けてその場でインスタ投稿するとお会計¥700引きとかどんだけ出血サービス…‼️

 

もちろん投稿しましたよ。

文面がかなーりテキトーなのは、時間がなかったからです(笑)

 

 

正伝寺

 

地下鉄北大路駅に隣接したバスターミナルから市バスで約15分。

 

「観光に行くというより、帰宅している気がする」(参加者の方)の言葉通り、観光地とは程遠い閑静な住宅街の坂道を登り詰めた先に、今回の目的地である「正伝寺」があります。

 

 山門

 

雨に濡れる紅葉。

 

 足元の散り紅葉も美しい

※いずれも1回目。

 

11月3連休の真っただ中ながら、驚くほどに人がいません。

 

本堂へ至る参道

※いずれも2回目

 

雨でも晴れでも天気を問わず。

春夏秋冬季節を問わず…。

静謐で美しい景色を堪能できます。

 

(1回目)

 

(2回目:遠くに見える山は比叡山)

 

風に揺らぐ葉ずれの音。

鳥の鳴き声。

雨だれの音。

人工音がほとんど聞こえません。

 

ここでは言葉さえ不要。

涙を流すほどに、ここをこよなく愛した故・デヴィッド・ボウイ氏、

そして同じくここを何度も訪れていた故・谷村新司氏は何を思ったのでしょうか…。

 

時間の許す限り、参加者の方にゆっくり過ごしていただきました。

 

備え付けの「旅ノート」に書き込みされる参加者の方(2回目)

 

境内の紅葉も、また美しかったです。

 

 

 

2回目の参加者の方より、麓に洋菓子の名店があり、ぜひ行きたい!とのリクエストをいただきました。

お邪魔した「パティスリー菓欒(からん)」さまは、京都市内のみならず県外の方も多く訪れており、店内は大変な賑わいでした!

 

 

京都市内の外れの住宅街にもかかわらず、これほどまでに繁盛している洋菓子店はさぞ美味しいのだろう…などと思っていたところ、参加者の方がチーズケーキをプレゼントくださいました。

 

翌日のおやつにいただきましたが、びっくりするほどの口どけと、あっさりとした甘さがとても美味しかったです。

 

参加者の方のご感想

 

秋のカラフルな一日を案内して下さり、ありがとうございました。

 

蘖の会を通し、世界がまたひとつ広がりました。

蘖の会がある限り、私の世界も広がり続けるのです!

 

みなせさんのガイドのもと、彩り豊かな西賀茂のこの景色と歴史に触れられたのも、(JW信者として過ごした)「アノ時代」があったからこそ!!なのですね…。

今日、そのことをみなせさんと再確認でき、嬉しかったです

 

過去の自分を受け入れられたら、こんなに楽で、クリアな気持ちになれる…。

それはまるで、正伝寺さんのシンプルで雑味のない景色と重なる気がします

 

人生を目一杯愉しんでいる方々と時間を共にすると、自分もまた愉しくなりますね。

さらば自己犠牲!

 

人生まだまだこれからです。

…美味しいモノを物色し、ワクワクして入店していく私の後ろ姿のように、5年後も10年後もこの気持ちを持ち続けて生きていたいです。

 

素敵な、幸せな時間をありがとうございました。

また明日から頑張れます。

(滋賀県:JW1.5世女性)

 

居心地良く、とても楽しかったです。

お寺の静寂にも心が洗われました。

次回も日程が合えば参加させていただきたいと思っております。

今日一日、本当にありがとうございました。

(兵庫県:JW2世女性)
 

「あの日々」があればこそ…


望むと望まざるに関わらず、あの組織で過ごしてしまった人生の日々…。

進学、就職、社会常識、人格形成等々。
他の人々と比べ「割を食って」しまった部分は多々あるのは確か。

でも、あの日々があったからこそ、「みなせくみこ」は生まれた。
あの日々があったからこそ、「蘖の会」が生まれた。

そして、参加者の方や応援し、支えてくださる方々と出会い、つながれている。
お互いの成長?進化?を目の当たりにして、それがまた自身の後押しともなっている。

「あの日々」ゆえの記憶やハンデと思える諸々。
それを逆手に取ってでも、「普通の子」がうらやむくらいプラスに昇華できたら、めっちゃオモロイやんけ…!!

そんな思いを大切に。
出会い、つながってくださるひとりひとりを大切に。
「蘖の会世話人みなせくみこ」しての活動、今後も地道に丁寧に続けてまいります。

 

今回ご参加下さったみなさま。

「姉さま」はじめ、ご協力くださった方々。

いつも知恵と支えをくださる「現地スタッフ」の大切な仲間たち。

そして、影に日向に「蘖の会」に思いを馳せてくださっているすべてのみなさま。

 

こころからの「ありがとう」と、「大好き」の想いを贈ります。

次回「早春の京都蘖の会」は2月下旬から3月にかけての土曜日、日曜日に滋賀県内にて開催予定。
1月4日付けの拙ブログにて告知いたします。

 

「チャンピオン」、「群青」、「昴」、「いい日旅立ち」、「陽はまた昇る」、「サライ」等名曲ぞろいの、みなせ的「谷村新司入門」アルバム。

「男らしさ」とは?

「男」としてどうあり、どう生きるべきか…?

20代の頃から繰り返し聴きつつ、その都度深く考えました。

…その結果、現在のわたしになりました。

(↑アカンやんw)

 

 

10月です。
 

毎年感じることですが、月の数字が2桁になると、時間の速さが一気に加速するようですね。
あと2か月もしたらクリスマスにお正月とな…!?(lll゚Д゚)ヒイィィ
 

そんな切迫感を薄々感じつつも、まずはやっと訪れた秋を楽しみましょう!

…と、ゆーわけで、「錦秋の京都蘖の会」のお知らせです。

 

実施要項

 

開催日
1回目:
2025(令和7)年11月9日(日曜日)
2回目:
2025(令和7)年11月22日(土曜日)

待ち合わせ場所と時間
JR京都駅中央改札(駅ビル正面、京都タワーの見える改札)に10時45分
※「お開き」時刻は17時頃を予定

募集人数
3名/回
(「世話人」みなせを含め、一卓を囲める人数)

参加費用
現地での実費(飲食代、入場料等)のみ

※おおよその目安:
ランチ代:¥3,500前後
正伝寺拝観料:¥500
交通費:¥1,000程度(地下鉄とバス往復を想定。タクシー利用の場合は、ひとり数百円程度プラス)

今回のコース:
洛北西賀茂、世界的ロックスターが愛した庭園と、とっておきの紅葉を味わうゆっくり旅
(京都市北区)


京都の夏を彩る「五山送り火」のうちのひとつ「船形」が点る、「西賀茂船山(にしがもふねやま)」。

別名「精霊船」とも呼ばれており、船首が西方浄土に向いていると言われます。
…つまり、お盆にお帰りになったご先祖さまの霊はこの船で浄土へお帰りになるということなのでしょうね。

この山の中腹にあるのが正伝寺(しょうでんじ)。
京都市街から外れた閑静な住宅街にある寺院です。
(あと、なぜかゴルフ場に囲まれている:笑)
image
(昨日4日、下見に行ってまいりました!)

鎌倉時代中期、「蒙古襲来」の前年である1273(文永10)年に創建。
 

はじめは京都御所北側の、烏丸今出川にありましたが、約10年後の1282(弘安5)年に現在地に移転し、途中応仁の乱の戦火など幾度かの荒廃、および再建を経て現在に至る、750年以上の歴史を持つ洛北の古刹です。

ここの見どころは何といっても庭園!

比叡山を借景(背景)にした枯山水に、刈込を「七五三調」(庭の眺めにめりはりを付けるため、ボリュームや数を変えて石や植え込みを配置する、基本的な造園技法のひとつ)に配置したこの庭、実は、英国のロックスター、デヴィッド・ボウイがこよなく愛した庭としても知られています。


阪急電車をバックにしたボウィ(写真家・鋤田正義氏撮影)

この写真がきっかけとなり、 阪急電鉄は彼の訃報に際し、公式に追悼の声明を発している。

もとより日本文化に対して深い造詣を持ち、能や歌舞伎、着物の要素を自身のステージや衣装に取り入れるなど大の親日家だった彼がとりわけこよなく愛したのが、この正伝寺の庭でした。

1979(昭和54)年、宝酒造の焼酎「純」のCMに起用された彼が、撮影場所としてここを自ら指定します。
撮影中、彼はこの庭を見つめて涙を浮かべていたという逸話が残っています。

 


このときに使用された曲「クリスタル・ジャパン」は、この正伝寺の庭からインスパイアされたともいわれています。

 


 

また、シンガーソングライターの故・谷村新司氏もこの風景を深く愛したひとりであり、彼の曲「祇園祭」は、この正伝寺での体験が根底に流れていると語っています。



↓詳しくはこちらの記事をどうぞ!

 


そして、そのまま目を上に挙げるともう一つの見どころが…。

 

「血天井」

関ヶ原の戦いの前哨戦となった「伏見城の戦い」にて、東軍大将徳川家康の忠臣である鳥居元忠以下300人が、10日間の奮闘の末討ち死にを遂げた(ここで喰らった「足止め」が、石田三成率いる「西軍」の大きな敗因となったと言われている)際、元忠以下城兵たちの血が染み込んだ城の床板を天井に上げたものであり、この正伝寺の他、鷹峯源光庵養源院等、京都府下5か所の寺院で見ることができます。

もちろん、これからの時期は、紅葉も見事です!

(2021年秋にお客さまをご案内した時のもの。コロナ騒動真っただ中だったため、マウスシールドをしています)

京都市内でもかなり北のはずれのやや交通の不便な地の小さな寺院のため、外国人ツアーや修学旅行生等、一見の団体客はまずやって来ず、市内中心部に比べてかなり静かに時間を過ごすことができます。

「みやこの美しい景色の中、少人数でゆっくり深い会話を楽しむ」という、「京都蘖の会」のコンセプトにはぴったりの場所では…と思います。

春と並んで京都が最も美しく彩られる錦秋の季節。
世界的ロックスターも涙した景色の中で、ゆっくりと時間を過ごしてみるのはいかがでしょうか?
(当日の詳細なスケジュールは、お申し込みくださった方へ個別にお伝えいたします)


お申し込みについて

お申し込み状況

※すべて締め切りました。


受付期間
10月12日(日曜日)午前10時より受付開始。
(1回目、2回目共通)

定員に達する、もしくは開催日の10日前締め切り
(ランチのお店の予約の関係上、今回は早めに設定しています)


1回目:10月30日(木曜日)
2回目:11月12日(水曜日)
※いずれも24時最終締め切り


お申し込み方法

「蘖の会」公式LINE(←おすすめ!)

 

●みなせの個人メール

●アメブロ、Facebook,Instagram,X(twitter)等、各SNSアカウントのメッセージ
※みなせのもとに確実に届きましたら、どのメディアを使っていただいてもOKです。
※受信しましたら、「参加お申込み、確かに承りました」旨返信をお送りします。
万が一、お申し込み後24時間経過しても返信が届かない場合、何らかの不具合が生じている可能性が高いです。
その場合、大変お手数ですが他のメディアにて再度お申し込みくださいませ。


お申し込みの際、以下の点を必ず含めてください。
 

1.参加ご希望の日
(11月9日、11月22日)
2.京都駅までご利用の交通機関(例:JR在来線、新幹線等)
3.みなせと「はじめまして」の方は、お申込みの際に簡単な自己紹介(お住まいの地域、年代、所属教団歴等)もいただければ幸いです。
(オフ会、もしくはオンライン等ですでにみなせと面識のある方については必要ありません。)


※「京都蘖の会」は、お住まいの地域にかかわらず、全国の方がお申込み可能です。
  
【重要】
お申込みにあたり、必ず「ご注意事項」をご一読ください。
「やむを得ず中止」の基準,、およびご連絡についてはこちら

みなさまのご参加、お待ちしております♪

こころをこめて…
「京都蘖の会」世話人
みなせくみこ


色々と知ったげに書いてきたみなせですが、今回を機に、彼の生涯や作品について理解を深めてみたいと思います。